魔女は奮闘中 二
「ねぇ、にぃさま。私、迷っているの。どちらがいいかしら」
リゼリアが宝飾品を手に駆け寄ってくる。薔薇の繊細な文様が施された手鏡と、手のひらにやっと乗るくらいの大粒の水晶玉だ。
どちらも、磨き上げられた表面にはロキの顔がはっきりと映る。
「どちらのほうがよく見えるかしら。ねぇ、見比べてくださらない?」
ロキは、はっとした。『よく見える』。なにが、よく見えるのだ。
リゼリアが手にする水晶玉には、露店の影からこちらの様子を窺う男たちの姿が見えた。格好はただの行商人だが、瞳の鋭さがそれを否定する。
「どうしよう、迷います。にぃさま、優柔不断な妹をお許しください」
と泣きつくふりをして、リゼリアはロキを抱きしめた。突然のことに硬直するロキの耳朶に、リゼリアの吐息がかかる。
「奇石を狙う追っ手でしょうが、ご安心ください。メルルが逃げ道を確認しています」
今更ながら、ロキは後ろにメルルがいないことに気がついた。と同時に、上空で鳥が鳴いた。
「ぴゅーぴゅーぴゅー」
鳩とおぼしき白い翼に似合わない、間の抜けたおかしな鳴き方をする。
「どうしましょう、重くて、もう持てません……あぁっ」
叫んだリゼリアは、力いっぱい振りかぶると水晶玉を転がした。水晶玉はすさまじい勢いで露店の柱にぶつかり、屋台組みを崩壊させる。下にいた男たちはあわてて逃げようとした。しかし、倒れた柱が次の柱を倒す、といったドミノ倒し状態になって男たちに襲いかかった。
「ストラーイク。さ、行きますよ、にぃさま」
リゼリアはロキを抱っこすると、大騒ぎの表通りを颯爽と駆け抜けた。
「ぴゅー、ぴゅぴゅー、ぴゅっぴゅー」
鳥の姿をとったメルルが頭上を滑空しながら合図を送る。リゼリアは的確に声を聞き分け、真っ直ぐ、右へ、左へ、と路地を疾走する。ロキは目が回りそうだった。
「ぴぴぴぴゅー」
ようやく、リゼリアが立ち止まった。ロキを抱いたまま上空に向かって手を振ると、メルルは身をひるがえして建物の合間へ消える。
「ここまで来れば大丈夫です。メルルは一度戻り、様子を見てくるようです。宿で落ち合いましょう」
「……いいから、そろそろ降ろせよ。さっきから胸が邪魔なんだよ」
リゼリアはふてくされるロキを地面に降ろした。
「どうしました? 顔が真っ赤ですよ。林檎みたい」
「そんなことはいいだろ。それより――いつからだ?」
いつから、気づいていたんだ?
「電話をかけていたときです。昨日の方々でしょうか。視線を感じました。メルルは私よりも早かったでしょうね。あの子は鼻孔や耳を獣化して常に周囲を確認していますから」
云いながら、服についた汚れを払う。その平然とした様子に、ロキは無性に苛々した。
「じゃあ、演技していたのか。最初の長電話のときから」
「はい。受話器を軽く叩いて、メルルに合図しました。そのあとは小声で指示を出しました。メルルには聴こえますから」
「土産物って、はしゃいでいたときも」
「もちろんです。それが私の『仕事』ですから」
『仕事』。その言葉が、ロキの胸に重くのしかかった。
「にぃさまは、なにをそんなに怒っているんですか?」
リゼリアは不思議そうに首を傾げる。そんなふうに無防備な姿を見せるいまこの瞬間も、きっと五感をフル活用して周囲を窺っているのだろう。
(魔女と云ったって、まだ十六歳の子どもじゃないか。なのに、危険な仕事に手を染め、日常的に危険にさらされているなんて……。しかも当のおにぃさまは遠く離れた安全な場所で高見の見物をしているんだろう?)
ロキはぎゅっと唇を噛んだ。
「おまえの兄って、最低だな。オレが兄だったら、そんなことはさせない」
予想だにしない言葉に、リゼリアは目を白黒させる。
「いきなり、なんです?」
「どんなに妹を信頼していても、故郷から遠く離れた地の、どんな危険があるかもわからないところに送りこんだりしない。オレなら」
オレなら、ずっと。
傍に。
「――ふざけたこと云わないで」
リゼリアの声が震えた。
ロキは顔を上げる。リゼリアの朱く輝く瞳があった。
「私の兄は世界でただひとり。それは、あなたじゃない。あなたにおにぃさまを否定する権利なんて、絶対にない」
にらむでもなく、涙ぐむわけでもない。心を貫くようなリゼリアのまっすぐな眼。
(……)
認めるしかない。リゼリアの決意を。
この強い意志だけは、他のだれのものでもないリゼリアのものなのだから。
「悪かった。……オレ、すこし悔しかったんだ。のけ者にされたようで」
そう告げると、険しかったリゼリアの顔に笑みが戻った。
「いいえ。でも、あなたの妹だったら、きっと幸せでしょうね」
リゼリアの笑みは、空気をやわらげる。ロキは気恥ずかしそうに鼻先を掻いた。
「妹か。そうだな、元気だといいけど」
「え、いらっしゃるんですか?」
「三つ年下だ。可愛いぞ。出稼ぎのため故郷を出てから会っていないけど」
「で、出稼ぎ?」
思わず声が裏返った。ロキはどう見積もっても、十三、四歳。困窮した家族を助けるため若くして働きに出る子どももいると噂には聞くが。
「オレ、すこし変わった力があるんだ。それを他人が『奇石』と呼ぶように――」
ふたりは、油断していた。気づくのが、遅すぎた。
リゼリアは後ろから男に抱えこまれた。相手は教会の司祭服をまとい、一般人になりすましていたのだ。
「おとなしくしろ」
リゼリアの細い首に、ぎらりと光る刃先が突きつけられる。




