魔女は奮闘中 一
『なるほど、少年か。面白いね。わかった、またなにかあれば連絡してくれ。愛しているよ、リゼリア』
そう云って切れた兄との電話。リゼリアはいつまでも受話器を耳を押しつけていた。
声を聞いてしまうと、どうしようもない淋しさが胸の奥で疼きだす。汽車一本とはいえ、やはりジルコニアは遠い。ひとりぼっちにされたような気になる。
「おにぃさま。わたくしも、わたくしも愛しています、あなただけを」
独り言でなら、こんなに簡単に云えるのに。兄を目の前にすると、どうしてもこの言葉が云えない。
「……あれはなんだ。兄へのラブコールか?」
電話から離れたところで、ロキとメルルはリゼリアの背中を見守っていた。
「そうですよー。毎日の日課です。ふたりは一心同体ですから」
ロキは不快そうに鼻を鳴らした。その茶色い瞳は、寝不足で充血している。目ざといメルルがすかさず声を上げた。
「あらら? 目が赤いですね。さてはリゼルねぇさまの寝顔に見惚れたんでしょうー、悪い子ですー」
頬をつつかれたロキは、顔を赤くしてメルルの指を振り払った。
「ちがう。リゼリアが変なことをするからだ。あいつ、眠るといつもああなるのか?」
「んー? 変なこと?」
なんのことかわからず首を傾げるメルル。ロキは気まずそうに眉間を掻く。
「直前までワーワー騒いでいて、うるさい奴だと思っていたんだ。ようやく寝たと思ったら、今度は『熱い熱い』とうわ言を呟きながら……その、自分の寝間着のボタンを、勝手に外しはじめたんだ」
言葉の最後のほうは、つい小声になった。
本人は寝ぼけていたとは云え、間近でそんなことをはじめられたロキの眠気は吹っ飛んだ。いっそのこと隣のベッドへ移ろうかと思ったが、鎖骨まではだけたリゼリアに後ろから強く抱きしめられたため、身動きがとれなかった。
不幸はそれだけではなかった。酩酊状態で帰宅したメルルが、「わたしも一緒に寝ますー」と叫びながら、ふたりのベッドに飛び乗ってきたため、ロキはさらに身動きがとれなくなり、一晩中メルルの酒臭い息を吸わされた。
結局、ロキは一睡もできないまま夜を明かしたのだ。
「ねぇさま、おかわいそう」
二日酔いの様子もなくけろっとしているメルルは、リゼリアの寝言の話を聞いて急に声音を落とした。
「リゼルねぇさまは、いまでも時々、夢を見てしまうんですー。自分の体が焼かれる夢を」
その言葉に、ロキは息を呑んだ。
八年前、彼女は、火あぶりのその場にいたのだ。
この世のものとは思えぬ業火。人々の絶叫。笑いながら見守る観衆。八歳の目でそれを見たのだ。
『熱い。火をつけないで、院長先生。熱い。薪を足さないで、おばさん。熱いの、熱いの、殺さないで。お願いころさないで』
夢うつつに呟きながら、リゼリアは涙を流していた。
あの苦しみを思い出して。
「でも、忠告ですー。いくら子どもの姿をしているからって、リゼルねぇさまに手を出したら、殺しますよ」
笑顔を浮かべる一方、メルルの爪が鋭く光った。
(……目、本気だし)
剥きだしの殺気に、ロキは思わず背筋を寒くする。微妙な空気の中、リゼリアが駆け戻ってきた。
「お待たせしました。さ、行きましょう。楽しそうになんのお話しをしていたの?」
「なんでもないですー。リゼルねぇさまはきょうもお綺麗ですね、って話です。ねー?」
ロキは黙って頷いた。脅されていたなんて、口が裂けても云えない。
リゼリアに促され、三人は並んで歩き出した。
国境の街イレイユは、イエローオーカーの砂漠と豊かな海に挟まれた街である。隣国からの人や荷物は船によって届けられたのち、汽車で王都や他の領地へと運ばれる。
気候は温暖で、年中風が強い。服の隙間からするりと入りこむ潮風は、わずかな砂を肌に貼りつける。
「昨日はじっくり見物する余裕がなかったけれど、思ったよりおおきな街なのね。人も物もたくさん」
三人は朝市で賑わう表通りに出る。新鮮な魚介類や異国からの渡来品が並び、あちこちで口上が述べられている。
そもそも、息が詰まりそうだから外に出たい、と云い出したのはロキだった。ロキ自身に深い意図があったわけではないが、リゼリアたちは万が一にもロキが逃げないようにと見張るためついてきた。
視界の端でつねにロキの姿を捉えながら、リゼリアはふと考える。
(逃げないよう見張る、だなんて、初めてのことね。一度朱眼で虜にした相手は、ストーカーのようにどこまでもついてきたから)
見張る。さて、具体的にはどうしたらいいのだろう。考えた末、リゼリアは、
「あの、にぃさま。お願いがあるのですが」
となりを歩くロキに声をかけた。と同時に、恥じらいながら手を伸ばす。
「……手を、つないでもよろしいですか?」
ロキは無言だった。じっ、とリゼリアの目を見返す。
「もしかして、逃げないよう見張る、ってことか?」
(バレたわ)
見透かされている。となれば、
「……え、えへ」
笑ってごまかすしかない。
引きつった笑顔をしばらく眺めていたロキは、ふっと息を吐いた。
「おまえって、ほんと、正直なやつ」
そう云ってリゼリアの手を掴む。
思いもしない温かさに、リゼリアは急に恥ずかしくなった。周りの目が、自分たちに注がれているような気がしたのだ。
「ね、ねぇ、メルル。おにぃさまへのお土産はなにがいいかしら」
さりげなくロキの手を払ったリゼリアは、つとめて明るい声を上げた。
「おい、リゼリア」
「貝の宝飾品? ドラゴンの爪? 鎧兜?」
上ずった声を上げながら慌しく露店に駆けていく。
(なんだよ、自分で手をつなごうって云ったくせに。恥ずかしがってさ)
ロキは内心ムッとしつつ、リゼリアに手を振り払われて残念がっている自分にも気付いていた。
「あぁみて、呪いの仮面なんてものもあるわ」
喪服をパーティドレスのようにはためかせ、あちらの商店こちらの露店へと忙しいリゼリア。その楽しげな姿に、ロキは心なしか安堵した。
(なんだ。ちゃんと年相応の顔もあるんじゃないか)
昨夜、リゼリアの不幸な身の上を聞いた。それに同情したわけではない。けれど、ほんの一瞬でもいい。昔のことを忘れて目の前のものに夢中になっていい。それくらいの権利はあるはずだ。




