魔女は困惑中 三
「結局、なにも明かさなかったわね。ロキにぃさまは」
リゼリアのため息にメルルも呼応する。
「ですねー。取引の日になにかわかりますでしょうかー」
「そうね。二日後を待ちましょう」
横目でロキの寝顔を眺めていると、眠気が移り、目蓋が重くなってきた。ついあくびが出る。
「リゼルねぇさま、きょうはもうお休みください。わたし、ちょっと酒場で情報収集してきますー」
メルルが机上の蝋燭を吹き消す。狭い室内は途端に夜闇に包まれ、窓から遠く見える酒場の灯りが星のようにチラチラと燃え上がった。
「気をつけてね、メルル。奇石の噂が広まって物騒な人たちが集まっているかもしれないし」
顔を隠すための頭巾をかぶりながら、メルルは暗闇の中でもはっきりとわかる笑い方をした。
「ありがとうございますー。でも、へーきですよ。わたしも『魔女』ですし」
その言葉に、リゼリアはきっぱりと首を振った。
「いいえ。だめよ。ヒトとすこし違う力があるとは云え、私たちは人間なんだから。何気なく発せられた言葉に傷つくし、刺されれば痛いし、傷が癒えるまで時間もかかる。弱い、ただの人間なのよ。忘れないで」
説教ととられても構わない。これだけは、忘れないで欲しかった。
自分たちは魔女である以前に「人間」なのだと。
リゼリアの想いはメルルに伝わったらしい。とびっきりの笑顔が返ってくる。
「はい。行ってきます」
外に出たメルルはスキップしながら夜道を駆けていく。その姿が見えなくなるまで、リゼリアは窓辺に佇んでいた。
「おまえたちは、どんな関係?」
背後から、ロキの声がした。寝たふりをしていたのだ。振り返らず、リゼリアは答えた。
「親友……いえ、それ以上です。あの子は、私と同じなんです」
メルルに出会ったのは五年前。兄の仕事に付き合って出向いた北の森で、狼の姿をとって暮らすメルルと遭遇した。『魔女狩り』で家族を殺され、自らも紙一重で生き延びたメルルは、もう人間なんて懲り懲りだと云いながら、夜の間だけはヒトに戻って家族の墓地で眠っていた。
人間に絶望しながらも、人間を捨てきれない。リゼリアはそんな彼女を放っておけなかった。何度も会いに行き、何度も話をして、屋敷に引き取った。それからはずっと一緒だ。
自分の過去、そしてメルルとの出会いの話を、ロキは黙って聞いていた。リゼリア自身も、どうせ記憶は消えるのだからと腹を括り、正直に話した。
「ふぅん、優しいんだな。おまえのおにぃさまは」
「ええ、そうです、おにぃさまは世界でイチバン優しいの。身寄りのない私とメルルをあたたかく迎えてくれた。侍女として雇い入れ、服を、食事を、眠る場所を、与えてくれた」
「ついでに、盗みというやりたくない仕事も与えたわけか」
どきりとする一言だった。リゼリアはついムキになる。
「おにぃさまは至極まっとうに商売なさっているわ。私たちは非合法な世界で行われる宝石の取引にほんのすこし関与しているだけ」
「わかっているならいいさ。おまえたちはうまく利用されているんだ」
手厳しい言葉に、思わずリゼリアは口ごもった。反論を考えてのことではない。
なんだか様子がおかしい。朱眼をかけられた相手は正常な判断力を失い、一種の酩酊状態になるのが常なのだが、ロキは至って平常だ。リゼリアが云う『おにぃさま』の存在に疑問をもっている様子もない。
(もしかして、うまくかかっていないのかしら)
朱眼は記憶と意識を混濁させ、「リゼリアという妹がいたかもしれない」と錯覚させる力だ。強固な意志をもつ相手には、すぐには効かないこともある。
となれば、次にやることは。
「にぃさま。わたくしも、そろそろ休みますね」
云うなり、リゼリアは自らの喪服に手をかけた。上から順番にボタンを外し、窮屈だった胸元を開放する。街の灯りに照らされ、リゼリアの細い体の輪郭が浮かび上がった。
まともに見たロキが、ぽかん、と口を開ける。リゼリアはからかうように笑った。
「にぃさま、どうなさったんです? 着替えるだけですよ。幼いころから一緒だったんですから、わたくしの体なんてもう見飽きてるでしょう?」
とロキを挑発しつつ、まとうもののない自らの肢体を入念に点検する。指先、首、胸元、腰、臍、太腿、膝、爪先へと、上から下へ、ひとつひとつ、瑕の有無を確認する。
相手を油断させるためには、うつくしくなくてはいけない。そうしなければ、懐に入り、瞳を覗き、朱眼をかけることなどできない。だから、いつ、だれに見られても恥ずかしくない体をリゼリアは求めている。
大丈夫そうだと確認した後、手荷物のトランクから絹の寝間着を取り出した。袖を通して身にまとう。服がするするとこすれあう音が響いた。
「にぃさま、一緒に寝てもよろしいですか」
ロキの返答を待たず、強引に蒲団を剥いで足をすべりこませた。
妹でありながら女であること。それが男を惑わすためのリゼリアの武器だ。
「な、なんなんだよ、おまえは。子供か?」
迷惑そうに睨まれても、気にしない。ロキはあきらかに動揺している。こういうときは朱眼をかけやすい。
腕を伸ばしてロキの顔を掴まえる。そして再び、瞳を朱く輝かせた。同じ相手であれば、朱眼は継続して使うことができるのだ。
二度にわたって朱眼で魅せられ、籠絡しなかった相手はいない。
「……きゃっ」
悲鳴をもらしたのはリゼリアだ。不意打ちで、ロキに首筋を撫でられたのだ。
「なんです、この髪が邪魔ですか?」
「ちがう。さっき見えた。おまえ、首筋に烙印があるだろう」
「あら、ご覧になったの」
リゼリアは笑ったつもりだったが、うまく頬が上がらない。
「私が住んでいたジェノマ村では、魔女裁判で有罪になった者に〈人に非ず〉という焼印を押したんですよ。覚えていませんか?」
ふだんは服や黒髪で隠しているが、うなじには焼印が押されている。逃げられない証だ。過去からも、罪からも。
「ジェノマ村、か」
ロキは再び髪に指を伸ばす。弦をつま弾くように優しく触れてきて、握ったり開いたりと遊んでいる。
(なにも、変わっていない?)
朱眼が効いたのかどうか、リゼリアは確信をもてなかった。不安な気持ちが渦巻く一方で、ロキに触れられているとひどく心が落ち着いた。
(なぜかしら。私、ロキにぃさまといると……)
眼前のロキは、リゼリアの髪の一房を掴んで鼻を近づけている。
「いい髪だな。匂いもする。麝香みたいだ」
「髪に匂いを焚きしめてあります。にぃさまは黒髪はお好きでしょう?」
「いや。どっちかと云うとメルルみたいな金髪が好きだ」
自慢の黒髪をあっさりと否定されたリゼリアだが、それ以上の事実にはげしく動揺した。
(やっぱり、朱眼が効いていない)
これまでそんなことは一度もなかった。
(このままでは仕事が、おにぃさまとの約束が)
必死に策を巡らせようとしたが、考えがうまくまとまらない。
体が小刻みに震えだした。アレクススの役に立たない自分など、生きる価値がない。
(どうしたら、どうしたら……)
あせる気持ちは、次にロキが発した一言で吹っ飛んだ。
「それにしても、魔女は夜毎男をたぶらかすっていう噂、本当だったんだな」
『ちがうわ。他の人にはこんなことしない。あなたにだけよ。それだけ特別なのよ、にぃさま』
と、仕事モードのリゼリアなら答えるのだけれど、ガバッと体を起こして思わず叫んでいた。
「仕方ないでしょう。むかしからの癖で人肌が傍にないと眠れないんですから。云っておきますがただの添い寝ですよ。子どもなんか相手にしませんッ」
と、つい本音が口を衝いて出た。
(あぁ、いけない。私ったら、こんなこと云うつもりじゃなかったのに)
思わず顔を覆う。ロキといると、ペースを崩される一方だ。
「ほんと、口が減らないな。妹のくせに、生意気だ」
妹らしからぬ怒声を浴びせられたロキは、起き上がったリゼリアを迎え入れるように蒲団を持ち上げていた。その口元には、笑みが浮かんでいる。
リゼリアはしばらく黙っていたが、やがて体を傾け、蒲団にもぐりこんだ。
「……お言葉ですが、妹だからこそですよ。にぃさま」
傍らにいるロキの体温は肌に心地良く、リゼリアは間もなく眠りに落ちた。




