魔女は困惑中 二
「お待たせしましたー、メルル特製の紅茶ですー、美味しいですよー」
イレイユの裏路地にある宿の一室で、リゼリアたちはようやく一息ついた。窓の外にあるイレイユの街並みは、時とともに暮色のカーテンに覆われていく。
「ありがとう。メルルが馬になってくれたお陰で、追っ手を逃れて街にたどり着くことができたわ」
メルルの煎れた紅茶を一口ふくむ。香ばしいにおいとともに、ほどよい甘さが舌に広がる。
「どうぞー、お口に合うかどうかー」
狭い部屋にはベッドがふたつ。リゼリアの向かいのベッドには、少年が腰を下ろしている。警戒する様子もなく、メルルから差し出された紅茶を美味そうに飲んだ。
「美味しいな。どこの茶葉だ」
「ふふふー、裏ルートから入手した内緒の茶葉のブレンドです」
メルルは陽気に笑う。
「へぇ……。おまえたちは裏ルートとのつながりがあるのか。だから平気で罪を犯すんだな」
挑発的な言葉に、その場の空気が凍りついた。
「あなたになにがわかるのよ。さっきケースがいつの間にか移動したのも、あなたの仕業?」
うつむいてしまったメルルにかわり、リゼリアが受けてたった。
「知らないな。オレがわかるのは、おまえたちが子どもを誘拐してケースに押し込め、隣国へ運び出そうとした犯罪者ということだけだ」
「そ、それは私たちじゃないわ。たまたま……拾っただけよ」
苦しい言い訳だが、ここで引くわけにはいかない。少年は大人びた表情で腕を組む。
「さっきの車内に、男がひとり転がっていたな。格好はきちんとしていたけど、品性がなかった。あいつが『運び屋』で、おまえたちはそれを横取りした、ってところか」
少年の云うとおりだ。
(なんなの、このガキは)
リゼリアは頬を膨らませた。自分の状況がわかっているのだろうか。
「じゃあいいわ、認めましょう。そのとおりよ。私たちは『奇石』を探して、『運び屋』に接触した。だけどケースの中身はただのクソガキ。これは一体どういうことなのかしら」
自分の立場をわからせてやらなければいけない。腰に手を当て、自分より背の低い少年をここぞとばかりに威圧してやった。しかし。
「知るか。ともかく用が済んだのならオレは帰る。残念だったな」
少年は空のティーカップを置いて立ち上がった。唖然とするリゼリアをよそに、足早に扉に向かう。
「ちょっ、待ちなさい」
先回りして少年の前に立ちふさがる。
「どけよ」
少年に怯む様子はない。リゼリアも負けなかった。
兄は自分を信じて待ってくれている。そう思うだけで、いくらでも強くなれる。
息を吸い、瞳に意識を集中させる。熱を帯びていくのがわかった。朱く輝きはじめるのだ。
「おまえ、その眼、」
驚いたように、少年が息を呑む。その隙を見逃さず、リゼリアは少年の肩を両手で抱き、茶色い瞳を覗きこんだ。
「わたくしを、あなたの妹にしてください」
力強く、言い放った。『契約の言葉』を。
リゼリアは、本当はこの眼が大嫌いだ。この色を鏡で見るたび、感じるたび、自分が『魔女』だと思い知らされるから。けれど、兄は「きれいな色だね」と褒めてくれた。その言葉があるから、リゼリアは兄のためにだれの妹にでもなれる。
「……」
少年の肩から、力が抜ける。そのまましゃがみこんだところへ、リゼリアは顔を近づけた。
「にぃさま。にぃさまは本当に、『奇石』とは無関係なの?」
少年は項垂れたまま、動かない。しかし、唇だけが動いた。
「そもそも奇石ってやつは、名前のとおりの『石』や特定の『物』を指すわけじゃない。名前ばかりが広がって、その実態を知るものは少ないんだ。だって、奇石は、」
「奇石は?」
前のめりに聞き入るリゼリアの前で、少年はべろっと舌を出す。
「なーんて、教えてやらねぇ」
(こ、こんのクソガキッッ)
「お・・・おにぃさま、そんな意地悪おっしゃらずに、教えてくださいませ。わたくし、妹でしょう」
眉間をぴくぴくさせながら、リゼリアは平静を装って「お願い」した。
朱眼による魅了には、いくつかの条件がある。リスクといってもいい。
ひとつは、朱眼を見た相手にしか効かないこと。
ひとつは、『解除の言葉』を云ってもらえるまで、他の人間に力を使うことができないこと。
最後に、相手の性格によって、「妹」であるリゼリアへの接し方が異なること。
身内である「妹」に対する接し方は千差万別だ。リゼリアがお願いすれば、操り人形のように動いてくれるニセ男爵のような溺愛タイプもいれば、困る顔を見たいからとわざと意地悪するタイプもいる。
どうやら少年はその後者らしかった。
「やだね。オレの気が向くまで、必死にお願いするんだな」
リゼリアの肩を突いて立ち上がった少年は、先ほど座っていたベッドに転がった。
「オレのことはロキと呼べばいい。とりあえず、寝るわ」
靴を脱ぎ、早々にベッドにもぐりこむ。このまま居座るつもりのようだ。
「あ、自己紹介します。わたしはメルー・ルナ・シャンケ。メルルで結構ですー」
と、メルルが叫ぶ。リゼリアはぎょろりとにらんだ。
(ちょっと、なんで気安くフルネーム教えてるの。身元調べられたらどうするの)
(すいませんーなんとなくー。でも、魔法が解ければ記憶は消えますから、大丈夫ですよ)
そう。『解除の言葉』を受けて力が解ければ、リゼリアが妹になっていた間の記憶は消える。
あのニセ男爵も、車内での記憶はすっぽり抜け落ちているはずだ。
「おい、妹。おまえの名前は」
ベッドから脅すような鋭い目線を向けられる。
リゼリアは心の中で深呼吸すると、困惑したように瞳に涙を浮かべた。
「にぃさま、お願いですから、そんな目で見ないでください」
妹を見下したり、いじめたり、罵倒したりすることで自分の優位性を保ちたがる兄には何度も接したことがある。そういう相手は、こちらが涙を見せるほど調子に乗り、ぺらぺらと喋ってくれるのが常だ。
「どうぞ、リゼリアとお呼びください」
できるだけ、悲しげな表情をつくろう。弱々しい妹を演じろ、と自分に云い聞かせる。
この場合、リゼリア本人の自尊心はあってないようなものだ。屈辱だとか、悔しいとか、そんなことを感じる時間さえ無駄だ。兄アレクススの願いを叶えること。それがすべての感情に勝る。
少年ロキは、しばらく黙り込んでいた。疑うようにリゼリアをにらんでいる。
そして。
「リゼリア、か。いい名前だな。おまえに似合ってる」
「――え。いま、なんて」
まさか、そんな言葉をくれるなんて思わなかった。驚きと喜びが入り混じった目でロキを見つめてしまう。
「じゃ、おやすみ」
片やロキは、いそいそと蒲団にもぐりこんでいる。
(……な、な、なんなのよーッッ)
大声で叫びたくなったが、もう気力が残っていなかった。きょうは二度も力を使い、心身ともに疲れ果てている。




