魔女は困惑中 一
「………………また、はずれ、でしょうか」
長い沈黙の後、メルルが、禁句を口にした。
「云わないで……」
リゼリアは耳をふさぎ、すでに肩を落としている。
ケースの中身は、一見すると――少年、である。
年は十代前半ほど。着ている衣服は質素なもので、すこし特徴的な灰色の髪を除けば、どこにでもいる子どもである。薬を嗅がされたのか、リゼリアとメルルが頭の上で話をしていても目覚める気配はない。
「でも不思議ですね。これ、ふつうの人間じゃありません」
メルルの間延びした声が、おそろしいことを口にした。途端にリゼリアは青ざめる。
「まさか、まさかまさか、死体ってこと?」
嗅覚を獣化したメルルが、鼻をひくひくさせる。
「ちがいます。たぶんこれ、『魔女』の力を受けていますー」
「魔女の力って」
そのとき。爆音とともに、客室の扉が不自然に捻じ曲がった。
外側から熱を受け赤く熔解する。鉄の固まりと化していく扉を凝視し、ふたりは体を硬くした。
「メルル、」
「足音からすると相手は複数人です。たぶんさっきの急ブレーキの犯人かと。ヤリますか?」
「いいえ。こんな狭いところじゃうまく動けないわ。それは相手も同じだけど」
ひしゃげた扉が音を立てて崩れ落ちる。同時に、リゼリアは床を蹴った。
扉の破壊に成功した侵入者は、まさか膝蹴りを食らわされるとは思わず、直撃を受けて見事にひっくり返った。一回転して床に降り立ったリゼリアは、乱れた黒髪を払いのけると、客室に踏み込んできた覆面の侵入者たちをにらみつけた。
「扉をこじ開けるなんて失礼だと思いませんか。友人が着替え中だったんですよ」
リゼリアはここぞとばかりにメルルを指し示した。侵入者たちの視線が集まる。
「き、きゃー、見ないでくださいーッ、わたしまだ十五の処女なんですー」
メルルは慌てて胸をかき抱いた。胸元のボタンがいくつか嵌まっていなかったのだ。
事実は、獣化から戻って服を着る際に面倒くさがっただけなのだが、侵入者たちの足を止める効果は十二分にあった。
「ほら見なさい。寄ってたかって、いたいけな少女を辱めるつもりですか? 用事があるのならお聞きしますから、着替えが終わるまですこしだけ待ってください。それくらいの良識はあるでしょう?」
リゼリアの気迫とメルルの泣き声に気圧され、侵入者たちはいくぶん後ずさりした。
その隙を見逃すふたりではない。リゼリアはメルルの肩を抱いて窓際に連れて行くふうを装い、その足で窓硝子を叩き割った。
「先に行きますねー」
メルルが体を出し、外に飛び出す。と同時にリゼリアはケースの少年を脇に抱いて窓枠に膝をかけた。
しかし、「あっ」と息を呑む。
(いけない。まだニセ男爵様に『解除の言葉』を云わせていない)
『妹にしてください』という一言が『契約の言葉』とすると、解除するための言葉が必要になる。その言葉を相手が云ってくれるまで、リゼリアは他の人間に朱眼をかけることができないのだ。
リゼリアは爪先を伸ばし、床に転がっているニセ男爵の頭を蹴った。
「にぃさま、起きてください。にぃさま、わたくしのこと、好きですか?」
その瞬間、銃声がして、耳の横を銃弾がかすめた。
「動くなッ」
振り返ると、我に返った侵入者たちが、それぞれ銃を手に距離を縮めようとしていた。
(どうしましょう。ピンチだわ)
詰め寄る侵入者たち。じとりと嫌な汗が伝う。
「ふぎゃっ」
ふいに侵入者たちが叫んだ。一瞬のことだった。侵入者たちの頭上から、先ほどまで少年が入っていたケースが落下したのだ。突然のことに、侵入者たちは仲間がいるのかとパニックになる。
(床に置いてあったはずなのに、どうして、一瞬で天井に)
目を丸くするリゼリア。
「なにしてる、飛べッ」
叫んだのは、脇に抱えていた少年だった。目を開き、まっすぐこちらを見ている。
その瞳の色にどきっと胸が鳴った。ほんの一瞬、朱く輝いたように見えたので。しかし、珈琲に落ちた一滴のように朱は薄く溶け、瞳は茶色く染まる。
「なんだかよくわからないけど……いくわよ。頭を守って」
リゼリアは少年を抱えて窓の外に体を出した。窓枠に足をかけ、再度ニセ男爵に声をかける。
「にぃさま、私のこと、愛していますか? 愛していると云ってください」
「もちろんさー、愛してるよー、リゼリアー」
ニセ男爵の間抜けな声が聞こえてくる。
「にぃさま、ありがとう。さようなら」
リゼリアは後ろ向きに飛んだ。
あわてた侵入者たちが窓から首を伸ばすと、走り去る一頭の馬が見えた。




