魔女は仕事中 三
リゼリアがケースの中身を前に目を白黒させていたころ。
青年を乗せた馬車は、ジルコニアの街を北へと向かっていた。
隅々まで舗装された路地は心地良い振動を伝えてくる。行商人や買い物客で賑わう表通りは、季節の青い花を用いて、扉、窓枠、洗濯竿に至るまでうつくしく飾られていた。明るい音楽に乗って笑い、手に手を取って踊る街人たちの姿に、青年は青い瞳を細める。
「そうか、きょうは花祭りか。ぜひともお嬢様をお連れしたいところだけれど――さて、ご機嫌はいかがかな。麗しのエリザベス嬢は」
やがて路地を抜けた馬車は、薔薇を彫りこんだ門の前で停まった。
おだやかに流れる雲の合間から差し込んだ光が、天使の梯子と呼ばれる筋になって昼下がりの庭へと降り注いでいる。
その場所こそ、広大なオーガスタ領を統治するフォーゼリア伯爵の薔薇の庭園である。
「ごきげんよう、エリザベス様。美味しそうですね。ドーナツですか」
まっしろなパラソルの下で午後のおやつを愉しんでいた少女は、青年の訪問にまず怪訝な顔をした。
「レディが大きな口を開けてドーナツを頂こうとしているときに現れるなんて、失礼じゃなくて?」
御年七歳。フォーゼリア伯爵の末っ子、エリザベスである。
「偶然ですよ。ご相伴にあずかろうと狙ったわけではありません」
エリザベスは癖の強い巻き髪をもてあそびながら、肩をすくめた。
「いいわ、許してあげる。ご用件は? 宝石屋さん」
青年の名はアレクスス・トレキア。フォーゼリア家御用達の宝石商だ。伯爵令嬢として夜会のドレスのみならず、日用品のありとあらゆるものまで宝石を用いるエリザベスにとって、どんな要望にも応えてくれるアレクススは最もお気に入りの宝石商だった。いまのところは。
「きょうは花祭りです。とても賑やかなので、お誘いに」
「道端の草を飾ってなにが楽しいのかしら。安いワインを飲んで、顔を真っ赤にして踊るのでしょう。どこのだれとも知れない男の汚い手をとって」
取り付く島もない。エリザベスは驚くほどの潔癖症だ。しかも、気難しい。扱いに慣れたアレクススでも、苦笑いするしかない。
「わかりました。花祭りは諦めます。ですがエリザベス様、ぼくと『デート』していただけませんか?」
この言葉に、エリザベスの眉がぴくりと吊り上がった。
「いいわ。付き合ってあげる」
意気揚々と白いドレスの裾をひるがえし、アレクススが用意した馬車に乗りこむ。
目的もなく走り出した馬車の中で、ふたりは『大事な話』をはじめるのだ。
「エリザベス様が提案されたこの合言葉のお陰で、ぼくはすっかり少女好きだと噂されています」
「いいじゃない。何人たりともデートを邪魔することはできないのよ」
箱詰めのドーナツを持ち込んでいたエリザベスは、半分に割ったものをアレクススに差し出しながら、
「妹のリゼリアが、国境の街に向かったそうね」
と云った。アレクススは両手で受け取りながら、「ええ」と頷く。
「あの黒髪をしばらく愛でられなくなるなんて、淋しいわ」
「気休めにしかなりませんが、ぼくの人形をお貸ししましょうか?」
そっと膝の上に置かれた金髪の人形を、エリザベスは呆れたように手に取った。
「うつくしいでしょう。目にはブルーサファイアを、髪には人毛を、服にはダイヤを縫いこんであります」
青い瞳に金の髪。昨今、貴族の間で噂になっているビスクドールである。無機質な表情と憂いを帯びた長い睫毛をもち、贅の限りを尽くした装いが好まれている。
「せっかくだけど、お返しするわ。お金と労力の無駄遣いだもの。トレキア家はよほど財力があるのね」
皮肉とともに押し返されたビスクドールを、アレクススは残念そうに受け取る。
「幸いにも、我がトレキア家には心強いパトロンがおりますから。ぜひ今後とも、ご贔屓に」
白々しい挨拶に、エリザベスは鼻を鳴らす。
「どうかしら。あたしが望んでいるのは、大粒のダイヤモンドでも、鳩の血のルビーでも、稀少なアレキサンドライトでもないのよ。わかっているわよね? アレクスス」
それは、宣告だった。望みのものが用意できない宝石商に用はない。
「昨年、母が亡くなったのはご存知よね? 病に侵された母の目は死んだ魚のように白く、投薬の影響で手も脚も顔もパンのように膨らんでいたわ。この世にこんなに醜いものがあるのかと衝撃を受けたの。あたしは、あんなものにはなりたくない。奇石を手に入れて、不老不死を得るわ」
蝶よ花よと溺愛されてきたエリザベスは、醜いものや汚いものが大嫌いだ。それが自分の母であっても、関係ない。
「ご心配なく。たしかな筋から、イレイユで取引が行われるとの情報を得ました。今度こそ、間違いありません」
静かながらも、力のこもった言葉だった。しかし、エリザベスは気乗りしない様子でため息をつく。そう云われて、もう何度ハズレを掴まされたことだろう。
「無事だといいわね、リゼリア」
「心配していませんよ。自慢の妹です」
兄ゆえの強い自信に裏づけされた言葉だった。
しかしそれを見たエリザベスは、さもおかしそうに肩を揺らした。
「それ、本気で云ってるの? だとしたら、あなた最低の兄ね」




