魔女は仕事中 二
「よっこいしょっ、と。リゼルねぇさま、この従者さん、外に出しちゃっていいですか?」
男爵から情報を聞きだしていたリゼリアは、場違いなほど明るい声に顔を上げた。
入口の扉を開け、小柄な女性が顔を出している。友人であり侍女仲間のメルルだった。金の髪に青いカチューシャを差し、茶色の侍女服を着ているが、規定のサイズでは入りきらない豊満な胸がやたらと目立つ。
顔面に膝蹴りを受けて失神していた男爵の従者は、メルルの手で上半身を窓の外に出されていた。白目を剥き、痛々しく風を受けている。
「すこし待って。いま話を聞いているところよ。ふたり一緒に出してあげないと、かわいそうでしょう」
朱眼を輝かせて笑うリゼリア。傍らでは、頬を赤らめた男爵が自分の腕を枕にして眠っている。
「このニセ男爵様によると、数ヶ月前、酒場で会った男と意気投合して、豪邸と使用人を与えられたらしいわ。ある荷物をイレイユまで運んでくれればいい、という条件で」
リゼリアは向かいのソファーに横たえられたケースを示した。表面は飴色に磨かれ、一見するとチェロを収めるような楽器ケースである。頑丈な鍵がかかっており、容易には開きそうにない。
「貨物車のほうから運んでもらったの。ねぇ、にぃさま、お話しの続きを聞かせて。このケースの中身はなぁに? 奇石かしら?」
リゼリアはニセ男爵の髪を撫でた。男はうっすらと目を開けて『妹』を見る。
「いやぁ、それがな、わからないんだ。石にしては重いし、あの男は詳しいことは云わなかったから。鍵はイレイユで会う仲介人が持っているから、おまえはこの荷物を届けることだけ考えればいい、と云うんだ」
夢でも見ているような目だが、口調にはよどみがない。嘘をつく様子もない。なんといっても、彼にとってリゼリアは、最愛の妹なのだ。
「というわけなの。二日後の約束の日時に、仲介人と会うわ。そこで鍵を奪って、ジルコニアに持ち帰りましょう。ケースごとね」
鍵を開けるオイシイところは兄に任せるつもりだった。そんなリゼリアの気持ちを酌んだメルルは、おもむろに指先で自分の眉を吊り上げた。
「兄のアレクスス様、きっとこう云いますね。あぁ、愛しの妹リゼリア、これが奇石か。よく頑張ったね。きょうばかりは思いきり甘えていいんだよ、さぁ、ぼくの腕に飛び込んでおいで。抱きしめてあげるよ」
と、口真似をして、腕を広げた。
「ちょっと、おにぃさまの美声とは似ても似つかないわ。次にやったら怒るわよ。私、おにぃさまに会えなくてただでさえ情緒不安定なんだから」
リゼリアは不満そうに頬を膨らませる。
「たったの三日間ですよ。すこしの辛抱ですー」
「なに云ってるの、三日よ、三日。おにぃさまのいない淋しい夜を三回も乗り切らなくちゃいけないのよ」
兄がいないひとりぼっちの夜なんて。想像するだけで、死にそうだ。
そんなリゼリアの様子に、メルルは目を丸くする。
「以前から気になっていたんですけど、リゼルねぇさまって、どうしてそんなにアレクスス様にこだわるんですー? たまにはわたしも見てくださいよー」
邪魔なニセ男爵をぽいっと床に放り投げると、リゼリアのとなりに座った。肩に頭を乗せ、甘えるように頬を寄せてくる。リゼリアはメルルの碧い目を見つめ返す。
「私はおにぃさまに命を救われた。その恩を返したいの。きっと一生かかっても返せないけれど、すこしでも役に立ちたいの。そのためなら、どんな罪を犯したって構わない」
人間とは一線を画す『魔女』の力は、悪魔の力だと嫌悪されていた。
八年前、人々の『魔女』に対する恐怖が頂点に達した。本人やその家族、果ては疑わしい者まで、手当たりしだい捕らえられ、形だけの裁判の下、火刑に処された。
それが、世に云う『魔女狩り』である。
当時八歳だったリゼリアは、疫病で両親を亡くし、孤児院で暮らしていた。友人たちと過ごす日々は楽しくて、時折自分の瞳に表れる『朱眼』がどんな意味をもつものなのか知る由もなかった。
しかし、密告者に渡されるわずかな金欲しさに、院長がリゼリアを告発したのだ。捕らわれたリゼリアは、窓のない狭く暗い部屋でじっと耐えた。裁判になれば、きっと友人が無実を証言してくれるはず、と信じて。
だが、裁判当日、証言台にはだれの姿もなかった。リゼリアは朱い瞳を理由に有罪となり、油が染みた服を着せられ、火刑柱に乱暴に縛り上げられた。
柱の上からは見物人の姿がよく見えた。大好きだった院長、よく言葉を交わした隣人、手をつなぎ歌いあった友人、初恋の男の子。皆の瞳にあったのは、ただひとつ。魔女がいなくなることへの安堵の色だった。
だれも私を助けてくれない。そう悟って、リゼリアは目をつぶった。涙は枯れてもう出なかった。
『その子は魔女じゃない。ぼくの大事な妹だ』
火が放たれる、というまさにそのとき、ある少年の声が高らかに響き渡った。
それが、たまたま街を訪れていた宝石商の息子、アレクススだった。
血のつながらないリゼリアを妹だと云い、命を救ったアレクススは、両親が亡くなったばかりで淋しいからと、リゼリアを妹として屋敷に迎え入れた。なにかしなければ申し訳ないと思ったリゼリアは、侍女として働きたいと申し出る。そこから始まった、忙しくも満たされた日々。それは、本来なら存在しないはずの人生だった。
命を救われことで、自分は生まれ変わったのだと思った。だから、それまで呼ばれていた名前は捨てることにした。リゼリアという名をくれたのは兄だ。
「リゼリア」としての新しい人生は、すべて兄のために使いたい。願いはそれだけだ。
「そういえばなー、荷物をくれた男が、妙なことを云っていたよ」
ふいに、ニセ男爵が話しはじめた。
「もし『奇石』を狙う連中が現れてケースをこじ開けられても、中身を見れば、思い違いだったと引き下がるだろう。だけどそれは間違いなく『奇石』だから、決して手放すな、と」
「どういう……きゃっ」
そのとき、はげしい金属音を立てて、汽車がブレーキをかけた。
突然のことに、リゼリアは椅子から投げ出される。
壁が間近に迫りくる。「ぶつかるッ」リゼリアはぎゅっと目を閉じた。
次の瞬間。ぼよん、と音を立ててなにかに包まれた。
「え、なに、これ……やわらかい」
おそるおそる目を開けると、まっしろな羽毛が目に入った。正体を探るように触れていると、「くすぐったいですー」と笑い声が降ってきた。
声の方向に顔を向けると、メルルの笑顔があった。けれど、首から下はまっしろな体毛。まるでアヒルのようだ。弾けとんだ服が足下に散乱している。
「ちょっ、ちょっと、メルル。あなた、獣化して」
「えっへん。とっさにして立派な胸だと思いませんー?」
メルルは白い胸を誇らしげにそらした。
獣化とは、体の一部を獣の姿にすることを指す。リゼリアと同じ『魔女』のメルルは、手や足、骨、毛、五感を自在に変化させることができる。しかし、一度獣化すると一定時間元に戻れない。『魔女』に対する偏見が残るこの国では、他人に見られてはならない姿だ。
けれど、例外的な戻り方がある。
「リゼルねぇさま、ハグしてください。ハグ」
水掻きの手をここぞとばかりに広げられ、リゼリアは「はいはい」とメルルを抱きしめた。もふもふの体毛が人肌の弾力を取り戻すのがわかる。あっという間にヒトに戻ったメルルは、鼻歌をうたいながら、足下に落ちた服を着始めた。
大好きなリゼリアにハグされればすぐに戻れる。それを理由にして、メルルはリゼリアについて回っているのだ。
「はい、着替え終わりましたー。ついでにお知らせです。さっきの騒動でケースの鍵が壊れたようですー。たぶんわたしが、がっつんと蹴ってしまったんだと。案外もろいですね」
驚いたリゼリアがケースの錠を見ると、水掻きの形にべこりと凹んでいた。
「なんてことッ」
思わず天をあおいだ。ケースと鍵、両方を揃えてアレクススに進呈する予定だったのに。
「このままじゃ私たちがケースをこじ開けようとしたと思われるじゃない。困る、困るわ。おにぃさまの青く美しい瞳が、私を疑いの目で見るなんて……いや、耐えられない。死んでしまいたいわ」
「おおげさですって。大事なのは中身です。危険なものが入っていないか確認するためにケースを開けました、ケース自体は目立つので捨ててまいりました、と報告すればいいだけですー」
「そ、そうかしら」
リゼリアは涙目になっていた。
「ええ。きっと大丈夫ですー。とりあえず中身をいったん出しましょう」
弱々しく頷いたリゼリアは、そっと蓋に手をかけた。兄に嫌われたくない一心だった。
(あぁ、おにぃさま。罪深いリゼリアをお許しになって)
蓋は、音もなく開いた。
『中身』を見たふたりは、思わず、顔を見合わせた。
ケースの中身。
それは、体を小さく丸めて眠るヒトの子どもだった。




