魔女は仕事中 一
カレドナ鉄道は、ジルコニアと国境の街イレイユとを三時間ほどで結ぶ旅客鉄道である。一等客室から三等客室まであり、身分に応じた客室が割り当てられる。
つまり、平民は三等客室ですし詰め状態、金のある商人は二等客室で悠々自適、貴族は一等客室の個室で豪華な旅、という具合である。
「失礼いたします。わたくし油石売りでございます。旅の記念におひとつ、いかがですか?」
駅を発車して二十分ほど経ったころ。扉の向こうで女の声がした。
一等客室にある向かい合わせのソファーのひとつで新聞を広げていたロウェル男爵は、敢えて無視した。貴族の自分が一介の石売りと話すことなどないのである。
「どうぞ、お手にとってご覧いただけませんか? どうか、お願いでございます」
しつこい女だ、男爵は新聞をたたんだ。
「いらないね。こんな真っ昼間になぜ灯りが必要なんだい」
若さゆえの気の強そうな眼差しを、出入り口の扉のほうへと向ける。女は続ける。
「きっとお役に立ちますよ。たとえば、暗い足下の探し物や」
「そんなことは従者がやる」
「夜怖くてひとりでお手洗いに行けないときや」
「ぼくはそんな子どもじゃない」
「では、耳の掃除などいかがですか。可愛い侍女の膝枕つきで」
「な、なんでそんなこと知ってるんだッ」
真っ赤になったのも無理はない。お気に入りの五人の侍女に日替わりで耳かきを任せていたのだ。
「あら、冗談のつもりが的中していましたか。それは失礼いたしました。ふふ、膝枕ですか、ふふふ」
「無礼者がッ」
男爵は顔を真っ赤にして立ち上がった。扉の施錠を解き、怒りに任せて扉を開け放つ。
そこでハッと息を呑んだ。
(なんて、うつくしい……)
先ほどまでの不遜な物言いとは対照的な、うつくしい少女の姿。
毒気を抜かれた男爵は、頬を打つため振りあげた拳を何事もなかったかのように自分の首の後ろへ回した。
「どうされました。わたくしの顔になにかついていますか?」
恥ずかしくて少女を直視できない男爵は、あさっての方角を向いて「ああいや」と咳払いした。
「な、なんでもない。続けたまえ」
うつくしい少女だ。黒水晶とおなじ色のおおきな瞳、つややかな唇、真っ直ぐに切り揃えた前髪と腰まで届く純黒の髪。豪奢な喪服は胸の大きさと腰の細さを演出した上で、なんとも云えない色香を漂わせる。
ついニヤける男爵を前に、少女は「そうだわ」と手を打った。
「どこともわからない荒野に置き去りにされたとき、発見してもらうために重宝します。ね、男爵さま」
(そうだ、自分は誇り高き貴族だった)
はっと我に返った男爵は、伸びきっていた鼻の下を縮め、英雄にでもなったように胸を張った。
「荒野だと? それこそ無用の長物だ。なぜならぼくは男爵で、数十人の従者を召し抱える……」
そこで、男爵は改めて少女を見た。
「ところで、ぼくの従者が近くで見張っていたはずだが」
少女はにっこりと微笑んでみせる。
「あぁ、大柄で、いかついお顔の紳士ですね。床のベッドでいい夢をご覧になっていますよ」
少女が指し示した廊下に、白目を剥いてひとりの男が倒れていた。男爵が連れていた力自慢の従者だった。
「――ひっ……だれか」
男爵は声にならない悲鳴を上げた。個室に入った少女は、靴を鳴らして近づいてくる。
「声を上げても無駄です。この周辺にいらした方々は汽車の外へと放り出しましたから。もちろん、藁草が積んであるところを狙っておりますのでご心配なく。あなたと従者さまもすぐにお送りしますからね」
「なんだ、なんなんだ、おまえは」
男爵はたまらず後ずさりした。勢い余ってソファーに背中から倒れこむ。
「はい、わたくしリゼリアと申します。命を奪おうというわけではありません。奇石の件でお話を伺いたいだけなのです。おとなしくしてくださいね?」
奇石、と聞いて顔を引きつらせる男爵。
「だ、だれが云うか。おまえのような盗人に」
リゼリアは微笑みながら男爵のとなりに腰を下ろした。えもいわれぬ香りが鼻孔をくすぐる。
「い、色仕掛けは、通用しないぞ」
「果たしてそうでしょうか」
リゼリアは倒れこんでいる男爵に覆いかぶさるようにして上体を伸ばした。髪の一部が軽く触れた瞬間、男爵はごくりと唾を飲んだ。
「この汽車の貨物車を一両貸しきって、あるケースを乗せたそうですね。中身は奇石ですか?」
リゼリアの右手が、汗だくの男爵の手に重ねられる。そのやわらかさにどきん、と心臓が跳ね上がった。左手は男爵の顎に添えられ、やさしく顔の向きを変える。
「い、いう、もんか……。云ったら、ぼくの、可愛い侍女たちに囲まれたばら色の未来が」
男爵はぷるぷると震えながら懸命に首を振った。甘い詰問に対して、かろうじて自制心を保つ。
「そうですか。では仕方ありませんね」
リゼリアはゆっくりと目蓋を閉じた。キスをねだるように、男爵の間近まで顔を寄せてくる。その無防備な姿に、男爵は呼吸すら忘れた。
唇まであとわずか、というところでリゼリアの目がぱちりと開く。鮮血が散ったような朱い瞳が輝いた。
『わたくしを、あなたの妹にしてください』
紡がれた言葉とともに、朱い眼で見つめられる。心の奥底まで射抜くような眼差しだった。
その光を視界にとらえた瞬間、男爵の瞳がふっと焦点をなくした。それを確認したリゼリアは、さっさと体を引いて衣服についた埃を払う。
「さ、にぃさま。いくつか聞きたいことがあります。ちゃんと答えてください。いいですね?」
冷たい言葉だったが、緊張で強ばっていた男爵の顔はいまや親しい者に接するように笑み崩れ、肩の力も完全に抜けていた。ゆるみきった唇を動かして、こう答える。
「ああ、いいとも。愛する妹のお願いだ。なんでも聞こう」
これがリゼリアの能力だった。
朱眼を輝かせ、『妹にしてください』という言葉を口にすることで、年齢や性別に関わらず他人を意のままに操ることができる。くわえて、操られていた間、当人は一切の記憶を持たない。
リゼリアのように生まれつき人ならざる力を有する者は、『魔女』と呼ばれていた。




