魔女は純愛中 三
「……にぃさま、お願い。アレクススおにぃさまの願いを、叶えてあげて」
リゼリアの言葉に、信じられないという顔でロキが振り返る。
「でも、おにぃさま、お願いです。エリザベス様は解放してあげてください。このままでは誘拐の嫌疑をかけられてしまいます。適任の体は他にあります。ほら、ここに」
ロキとアレクススが見つめる中、リゼリアは顔を上げて腕を広げた。
泣きはらした顔で、精一杯笑って。
(これでいい)
この体も、髪も、指も、血も一滴残さず兄のために使いたいと願っていた。いまがそのときだ。
「どうか、私の体を使ってください」
マリーの代わりに生きてきた体だ。マリーが受けるべき愛情を注がれてきた体だ。これほど適任はない。
(これでいいのよ。きっと私は、この日のために、生きてきたのだから)
「ふざけるなっ」
頬の熱で、リゼリアはロキに殴られたことに気づいた。
肩を抱き瞳を覗きこんでくるロキ。その目に、涙が浮かんでいる。
「マリーが死んだのはおまえのせいかもしれない。でも、おまえが生きてきたのはおまえ自身の人生だ。責任をとれ。悲しいのも、悔しいのも、泣きたいのも、嬉しいのも、幸せなのも、ぜんぶおまえのものだ。一生背負い続けろ、天命をまっとうするその瞬間まで死ぬ気で生きてみせろ、逃げるな」
容赦なく叩きつけられる言葉に、リゼリアは呆然とした。
(また、怒られたわ。なんで、そんなに)
なんでそんなに、まっすぐ。他人を怒ることは大変な労力で、いいことなんてひとつもないのに。
だけどなぜか、嬉しくて仕方がない。
「取り込み中申し訳ないが、こちらとしても願い下げだね。おまえなんかの体に魂を移したら、マリーが汚れてしまう。こうして言葉を交わすだけでも虫酸が走るというのに」
アレクススは新たに弾をこめ、銃口をリゼリアに向けた。
体を反転させたロキが必死に叫ぶ。
「アレクスス。やるよ、やってやる。でも、ちょっと待て。別れの挨拶くらいさせろ」
ロキはあっさりと白旗を上げると、リゼリアの体をぎゅっと抱いた。耳元で囁きかける。
「逃げろ。あいつは遅かれ早かれおまえを殺す気だ。見張りの男たちがいるだろうけど、おまえなら、どうにかなるだろう。メルルを連れて、早く。オレのことはいいから」
茶色い瞳が、優しい声が、リゼリアの胸を衝く。
「にぃ、さま」
目を合わせたロキが、とびっきりの笑顔を浮かべた。
「この三日、結構楽しかった。ありがとうな。おまえとは、ここでお別れだ。――愛してるぞ、イアンナ」
イアンナ。それは、もう二度と呼ばれることがないと思っていた名前。本当の名前。
(その名を知っているのは)
確認する間もなく、体を離したロキはアレクススの元にまっすぐ向かっていく。
広くておおきな背中を向けて。
「――にぃ、おにいちゃん、イクタスおにぃちゃんッッ」
叫んだ。心の底から、叫んだ。けれどロキは振り返らない。
向けられる銃口に臆する様子もなく、棺の傍らに膝をつく。ビスクドールに右手を、エリザベスの額に左手を乗せ、息を吸った。
茶色い瞳が、朱く輝き始める。
次の瞬間、光がこぼれ、ロキの体が傾いだ。床に崩れ落ちる。
「おにぃちゃんっ」
叫んでも、ロキはぴくりとも動かない。
入れ代わるようにして、棺の中でエリザベスが体を起こした。
「おかえり、マリー。お兄ちゃんだよ」
満面の笑みを浮かべてアレクススが顔を寄せる。エリザベスは寝起きのように虚ろな眼差しを向けると、アレクススの手を掴んだ。
「かかったな」
低い声とともにエリザベスは体を反転させ、アレクススを床に引き倒した。拳銃が床に転がる。
「なめるなよ。転移の魔女だぞ、オレは」
叫んだのは、エリザベスだ。瞳が朱く輝いている。ロキは自らの魂を転移させたのだ。
素早く起き上がったアレクススは、懐からもう一丁の拳銃を取り出し、倒れているロキの体に向けた。
「おにぃちゃん」
駆け寄るリゼリアに、アレクススの銃口が向く。
けれど、迷いなどなかった。
ドン、ドン、ドンッ。
リゼリアの背を何発もの銃弾が貫く。細い体はその衝撃で激しく揺れた。
これは、仕事じゃない。兄とか妹だからでもない。命がけで守りたいと思ったのだ。心から。
「――アンナ。イアンナ、目を開けろッ」
遠くで名前を呼ばれ、リゼリアはゆっくりと目蓋を持ち上げた。目の前にロキの泣きそうな顔がある。
「私、撃たれて……でも、あら、痛くない。どういうことですか」
銃弾を受け止めたはずの背中。しかし服こそ裂けているものの、傷はない。
困惑するリゼリアは、アレクススの悲鳴を聞いた。
「マリーッ、マリーロゼットッッ」
頭も胴体も粉々に砕け散ったビスクドールが、床に伏していた。
状況がわからないリゼリアに、ロキが告げる。
「銃弾がおまえの肌に食い込む直前に、空間ごと転移させたんだ。ギリギリだったから、服が破けたけど」
アレクススは狂ったように頭をかきむしる。
ビスクドールに嵌めこまれた眼球のひとつが転がり、リゼリアのもとに転がってきた。リゼリアの目はそれを捉える。
「……マリー、じゃない」
なぜだろう。目を見た瞬間、そう確信した。これはマリーじゃない。ただの人形だ。
同意するようにロキが頷く。
「そうだ。魂だけで生きられる『魔女』なんているもんか。これはアレクススの魔法。マリーの死を知って衝撃を受け、『魔女』として覚醒したアレクススの人形を操る力……それだけのことだ」
途端にアレクススが叫んだ。再び銃を掲げる。
「ウソだ。ぼくは『魔女』じゃない。そんな穢れた生き物じゃない」
『魔女は穢れた生き物』。
そのたった一言で、リゼリアはすべてを悟った。
「知っていました。おにぃさまが、わたくしを嫌っていることも、憎んでいることも。だけど気づかないふりをしていた」
電話であれなんであれ、言葉を交わすときは必ず「愛している」と云っていたアレクスス。
それが愛情表現ではなく、魔女であるリゼリアに向けた警戒心の表れ――すなわち「解除の言葉」の連呼であると、とっくに気づいていた。
「好きになってくれなくても、傍にいられればそれだけで良かったんです。わたくしは」
ロキに支えられながら、よろよろと立ち上がる。
リゼリアの朱い瞳は、まっすぐアレクススを射抜いた。
「しまっ」
アレクススは目をそらそうと焦ったが、朱眼に魅入られた者は決して逃げられない。
リゼリアは体を震わせるアレクススに近寄り、腕にそっと寄り添った。両手で頬を包みこみ、大好きだった青い瞳に自らの朱眼を映りこませる。
「わたくしを、あなたの、妹に――」
涙が一筋、こぼれ落ちた。
これが、兄に贈る、最後の言葉だ。




