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絶ち斬れぬ想い

百人一首の一つ、

有名な玉の緒よ~ の詩を小説にしてみました

かなり無理がある感じですが、

大目に見てください


 彼は異動することの多い職場にいた。

 多国籍企業、とでも言うのだろうか、

国際的にその勢力を伸ばす大手衣料メーカーに営業マンとして勤める彼は、

日本にいることはおろか、海外にでさえ、1国に2年以上滞在することはなく、

短ければ半年で転勤、異動だ。

 20代後半にして4ヶ国語を話し、仕事へ向ける情熱も上々、周囲からの信頼も厚い、

 彼はまさに『有能で将来有望な男』だった。




 そんな彼と、容姿や女性らしさという点でいたって平凡、

もしくは平凡という冠詞でさえ恐れ多いような、

しかもこれといった技芸も才能もない私が、

なぜ恋人になったのか、今も私には分からない。


 彼と私は同じ大学の先輩と後輩だ。

 私が2つ年下だけど、

1度浪人をした私にとっては3つ上の先輩だった。


 大学のサークルで知り合い、私が一方的に惚れて、

けれど告白する勇気のなかった私は、

結局彼が卒業して社会人になるギリギリまで打ち明けられず、

玉砕覚悟の返事無用で告白したら、

即答でOK、晴れて付き合うことになった。


 それからしばらくは、本当に幸せな日々だった。

 何もかもが素晴らしく輝いて見えたし、

何より彼は驚くほど私の事を好いてくれた。

 しかし、それも長くは続かない。


 一足先に社会人になった彼は入社して数年間は雑用ばかりだったが、

私が大学を卒業する頃になるとちらほら海外に出るようになり、

私が卒業して6年たった今では、世界中を飛び回り、

商戦の最前線で戦う立派な一流商社マンになっていた。





 一方私は。


「一体何度言ったら分かる!」


 コンビニのアルバイトもまともに出来ないフリーターだった。





 目の前で真っ赤になって野太く怒鳴る店長に頭を下げながら、

目じりからこぼれそうになる涙を必死に堪える。

 今日で6度目の同じ失敗。怒るのも当然だ。


 大学でそこそこ勉強はしても、

何一つ就職に有利な技術も資格も持っていない私は、

当然のように昨今の就職難に揉まれ、撃沈。

 職もなく、両親の仕送りでやっとのこと維持できる一人暮らし。

アルバイトを当てもなくフラフラするフリーター。


 世界中を颯爽と飛び回る彼と比べて、私はあまりに惨めだった。




「もういい! 今日は上がって!」


 思わず顔を上げると、店長は嫌そうに顔を露骨にしかめる。


「そんな顔したってダメだ、当然だろ?

 使えない奴が切られるのは」

 

 目に溜まった雫がポロリと床に落ちた。



 


 キィ キィ キィ


 日は完全に沈み、辺りは真っ暗だ。

 店から出た後、私はボロ自転車特有の嫌な軋みを聞きながら、

ゆっくりと自転車を押して歩いていた。

 なんとなく、ゆっくり帰りたかった。


 空を見上げると、名も知らない星々が、

小さな篝火の様に灯っている。

 何処を見上げても、思い浮かぶはここにはいない顔――




 ああ、彼は何処にいるんだろう。

何を、しているんだろう。


 私はどうなるんだろう。

何処へ、行けるのだろう。




 無意識に取り出した携帯電話を握り締めながら、

私は立ち止まって、声もなくむせび泣いた。

 こんなくだらない事で泣く自分を彼に見てほしくなかった。

こんなくだらない事で忙しい彼の手を煩わせたくなかった。

 けれど、しがみ付く何かが無いと、歩けなくなってしまいそうだった。




 ああ、私は相当どうしようもない。

本当にくだらない人間だ。

 心がどんどん乾いて、全てがどうでもよくなる。

 今すぐ土で出来た人形のように

バラバラに砕けてなくなってしまいたい。


 そうでもしないと、彼への想いさえ、

乾いてひび割れてしまいそうだ。


 そんなことは耐えられない!

 そんな事になる位なら死んだ方がずっとずっとマシだ!


 ああ、今すぐ粉々になって死んでしまいたい。

 そうすれば、彼への思いも穢れずにすむ。

彼を純粋に求めて、焦がれるようなこの気持ちを、

自ら投げ捨てずにすむ。



 もう一度天を見上げる。

 申し訳なさ気に細くやせ細った月が、

まるで人魂のように、涙で揺れている。


「逢いたいなぁ」


思わず口からこぼれた言葉に、一気に感情の堰が切れる。


 ああどうしよう、こんなにも逢いたい。

ああ可笑しい、私はこんなにも、彼のことが好きだ。

こんなに無様で、どうしようもなく哀れで小汚い私が。


 元々無理があったのに、何故私は当然のように思っていたのだろう?

 私のようなつまらない女に、彼が振り向いてくれた、その事を、

どうして当たり前のようにすごしたのだろう。

大学時代の愚かな考え、彼は自分だけの、

自分の隣にいてくれる人間だという愚かしい勘違いは

彼が海外に出るようになった時に捨てた。


 何度も彼が新しい女を連れてくる夢を見て泣き、

それが何故起きないのか分からなくて泣いた。

 彼はどんなに忙しくても、週に1度のメールを欠かさない。

 どうして? どうして私を振り向くの?

 宝石のように輝くでもなく、貴金属のように有用でもなく、

その辺の河原に転がる石のように、どこにでも当たり前にある汚い小石なのに。


「逢いたい、

 逢いたいよ」


 幾度か別れ話を切り出したことがある。

 寂しいと言っても、申し訳ないと言っても、

勿体無いと言っても、彼は別れたくないと頑として受け入れなかった。

 好きな人が出来たならともかく、こっちを嫌いになってならともかく、

自分を卑屈に見るのは分かるけど、それを理由にしないで。

 そういって、彼は長めの休暇を貰う度に日本に帰ってきては、

笑顔で私に会いに来た。



 何度も何度も、忘れないように、確認するように、

月を見上げて呟く。


 逢いたい、逢いたい。


 もう私は歩いてはいなかった。

 ただ煌々と輝く糸のように細い月を眺めて、

呆然と立ち尽くすしかなかった。



 もう私には、何も残っていなかった。




 逢いたい、逢いたい。


   逢いたい、逢いたい。




「俺もだよ」


 不意に真横から聞こえた声に飛び上がる。

 そこにいたのは紛れもなく、


「い、いつ?」

「さっき君の家に着いた。

 でも留守だったから、この時間はバイトかと思って。

 それはそうと、どうしたの? なにか」


 最後まで聞かず彼の胸に飛び込む。

 ちょっと困ったような笑み、優しく私の頭を撫でる手、

何もかもいつも通り。

 

 私の、一番大切な人。



「どうしたの?」

「………………」

「ホラ、言ってくれないと分からないってば」

「…………好きっ」


 嗚咽でまともに発音できず、何度も何度も繰り返す。

 彼は少しだけ驚いて方を強張らせたが、何も言わず、

優しく何度も頭を撫でた。


「好、き。好き」


 まるで赤ん坊のように、支離滅裂で、

意味不明で、けれど必死になって、


「好……き、大好き」


 溺れて助けを求める人のように。

私は彼に必死でしがみつき、声を殺して、泣いて、泣いて、泣いた。




「で? なにがあったの?」


 私の嗚咽が一通り収まった頃、彼はそっと尋ねる。

傷つけないように、けれど毅然とした、彼の声。

大学時代から変わらない、警戒して構えた声だ。


 彼の優しい暖かさが今は憎い。

こんなに優しかったら、暖かかったら、もう我慢なんて出来ない。

彼の胸に顔をうずめて心の全てを吐き出す。


「――私はっ、もう……どうしたらいいか分からないよ。

 何やっても上手くいかない、何にも出来ないよ、

 どこにも……いけないっ」


 今度は単なる泣き声に変わる。

まだまだ言いたいのに、もうこれ以上は喋れない。

 これ以上惨めで小汚い私を、見てほしくない。




 彼の胸に顔をうずめて泣き続ける私の頭を撫でながら、

彼は面白くなさそうに呟いた。


「酷いなぁ、そんな事言われるとは思わなかった」


 鼻をすすりながらおずおずと首を持ち上げると、

彼は珍しく幼い目つきで頬を膨らませ、

明々後日のほうを向いて、


「ひっどいよなぁ、何処にも行けないだなんて。

――まるで俺が何処にも連れて行かないみたいじゃないか。

 酷いよ、人がせっかくカンボジアから

 プロポーズするためだけに帰ってきたのに。

 酷い裏切りだ、全く」



 思考がと嗚咽が同時に止まる。

 プロ――何?



「いつまでもこのままだと思ってたの?

 置いて行くと思ったの?

 俺が? 貴女を? 冗談も程ほどにして欲しいね」


 背中に回っている彼の腕に力がこもる。


「こっちは会いたくて仕方ないんだよ、今までどれだけ我慢してたか分かってる?

 週1でメールしないと耐えられないくらいにさ、必死だったんだよ。

 なのにそっちは自分が足りないからとか言って別れ話切り出すしさ」

「それは、」


 私の頭を自分の胸に押し付けて言葉を無理やり遮る。

 

「何処にも行けないだなんて、裏切り発言でしょ、最早。

 あなたが望むなら俺は何度でもここへ帰ってくる。

 あなたが望むなら俺が行くところ何処へでも連れて行く

 そんな事も決心できない男だと思われてた? 酷いよなぁ」


 優しく、けれど力強く包み込む彼の腕。

 出会ったときから全く変わらない、

優しく暖かな、けれど毅然と揺るがない力強い人、それが彼だった。


「もしかして嫌?」

「――――!!」


 自信なさ気な彼の台詞に、私はろくに言葉も出せず、

必死にしがみ付くことしか出来なかった。

 10代の女の子みたいで恥かしかったけど、

さっきみたいに惨めじゃなかった。


「遅くなってごめん」


 しっかりと抱き寄せられ、耳元でささやかれた彼の言葉に、

私は今度こそ声を張り上げて泣いた。



 玉の緒よ 絶えねば絶えね ながらへば

         忍ぶることも 弱りもぞする


私の玉の緒(人魂の尻尾 つまり命)よ、切れてしまうなら切れてしまえ。

もし持続すれば、堪え忍ぶ力が弱ってしまうのだ


平安時代、式子内親王と呼ばれる方が詠んだ歌です

まるで女子中学生みたいなまっすぐな想い、熱いですねぇ


今回は私の趣味全開ですが、

また機会があれば(もしくはネタに困れば)

百人一首シリーズ化をするかもしれません


ご興味をお持ちの方はぜひ!

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