妹のほうを選んでいただき、ありがとうございます
久しぶりにユベール様の屋敷に招かれた。
本音を言えば、ほんの少しだけ期待していた。これまでの不実を謝罪してくれるのなら、すべて水に流してあげようと考えていた。
だけれど、会食の場である食堂室に、ユベール様が私の妹のベアトリスと同時に現れた時点でその期待は完全に打ち砕かれた。
「あら~、シャルロットお姉様もいらっしゃったんですのね」
わざとらしく、妹のベアトリスが言った。
ベアトリスは腕をユベール様と組んでいた。
「ユベール様……私は妹も参加するとは聞いていませんでした」
私はできるだけ怒りを隠して、そう言った。
「ああ、そうか。別に結婚すれば、両家は家族になるんだからいいだろう? 家族を連れてきただけだ。クラマール子爵家と俺のヴァレンヌ伯爵家は一体になる」
クラマールもヴァレンヌも私たち貴族の中心的な所領の地名だ。貴族はその地名で呼ばれることが多い。
「それは……そうですが、私たちはまだ正式に結婚もしていませんし」
「別にそれぐらいいいだろう。義理の妹を連れてきて何が悪い。大切な親族だ」
「そうそう。シャルロットお姉様はお勉強が出来すぎるせいで、少し考えが堅苦しすぎるのですわ。ねえ、ユベール様ぁ」
ベアトリスがユベール様に体を密着させる。最悪だ。
食事の最中、ユベール様は自分が婿としてクラマール子爵家に入ったらという話を何度もした。
「俺が婿としてクラマール子爵家の次期当主候補になるのが一番丸く収まるからな。俺の実家のヴァレンヌ伯爵家からも多額の援助金が出る。家は最低百年は安泰だ」
そう、ユベール様は婿という形で私の実家、クラマール子爵家に入ることになっている。
両親には私と妹以外に子供がいない。女子が貴族家を継ぐことはできるが、家自体を存続させるには少なくとも子供か養子かが必要だった。
私か妹かどちらかが婿を迎えるという話に昔からなっていて、かつては私がユベール様と婚約してヴァレンヌ伯爵家に入り、妹が婿をとる話になっていた。
そう、昔は。
だけれど、いつからか妹のベアトリスはユベール様と不自然なほど親密になった。
それと同時に、ユベール様から婿という形でクラマール子爵家に収まっていいという言葉が出始め、いつのまにか決定事項のようになっている。
もしも、ユベール様と妹が結婚して、クラマール子爵家を継げば、私の存在は完全に宙に浮いてしまう。
「ユベール様が私たちの実家を継いでくれるなら、それがい朕版ですわ。私たちの家はグルノーブル伯爵家の分家ですが、最近は本家とのつながりも弱くなっていますし。いっそユベール様のご実家のヴァレンヌ伯爵家とつながりを持ったほうがいいと思いますわ」
「そうだな、俺もベアトリスの言う通りだと思っている。クラマール子爵家も本家から家が分かれてから今で三代目だろう。もう、本家とは全く別の家のようなものだ」
ベアトリスとユベール様が楽しそうに語らっている。
直後、私だけにわかるように、ベアトリスが冷たい目で私を見た。
これは事実上の乗っ取りだ。
それも二重の乗っ取り。
まず、クラマール子爵家をヴァレンヌ伯爵家が乗っ取る。ただし、こちらはどうでもいい。本家筋のグルノーブル伯爵家も所領の狭い分家にたいした興味は持っていない。
もう一つの乗っ取りは妹のベアトリスによる私の立場の乗っ取りだ。
婚約者を私から奪い、さらに婿としてユベール様を引き込めば、私の存在意義は何もなくなってしまう。
まだベアトリスがユベール様の家に入るなら、両親も残った私のためによい婿を探そうと奔走するだろうけれど、ユベール様が婿に入るならその意味もなくなる。
私は誰からも期待されない、ただの子爵令嬢になってしまう……。
「ユベール様、本当にかっこいいですわ。ユベール様と結婚できる方は本当に幸せですわね」
わざとらしく、ベアトリスが言う。
そのユベール様の婚約者である私が前にいるのだから、それは奇妙な言葉なのだ。
文法上、おかしなことはないから、誰もとがめることはできない。指摘すれば「シャルロットお姉様のことに決まっているでしょう」と言われてしまう。
「ああ、俺は結婚した女性をとことん幸せにするよ。それが男の義務というものだろう?」
ユベール様が自信を持って言う。
つまり、結婚しなかった女性を幸せにする義理はないということだ。
「ねえ、ユベール様、もしも、家に結婚相手がいない人間が残っていたらどうされます?」
「そうだな、使用人のようにこきつかうのは家の体面に関わるからな。俺なら捨て扶持を与えて、小さい一軒家にでも暮らしてもらうかな。貴族なら誰でもいい裕福な庶民にでも拾ってもらえるだろう」
やっぱりこのままでは私の未来はろくなことにならない……。
ティーカップを持つ自分の手が震えていた。
◇◆◇◆◇
この私、シャルロットと妹のベアトリスは本当に性格が正反対だった。
私が幼い頃から本ばかり読んでいたのに対し、妹は屋敷を抜け出しては近所の子供たちとふざけあっていた。それでケガをして両親に叱られたことも数えきれない。
私が金色の髪をシンプルに伸ばしているのに対して、妹は赤茶けた色の髪をカールさせたり、派手な髪飾りをつけたりして、とにかく人の目を引こうとするところがあった。
ただ、幸い、成績のほうは本好きの私のほうがずっとよくて、そこだけは両親から評価されていた。ヴァレンヌ伯爵家から縁談を持ちかけられたのもそのせいだ。
その時の両親は、妹のベアトリスにそのへんの子爵か男爵の令息を婿養子に迎えて、クラマール子爵家を継がせるつもりだったはずだ。
その頃からベアトリスとの仲が険悪になった。というのもベアトリスからすれば――
「お姉様はこんなつまらない家に私を閉じ込めておくつもりなのですわね。身分もたいしたことない男を迎え入れる餌として私は生きるんだわ!」
なんてことを私は企んでいたことになっているらしい。
本当にそう言われたことがある。ひどい被害妄想だ。
縁談はヴァレンヌ伯爵家のほうから持ち掛けられたものだし、私たちの実家に婿として入ってくる殿方がつまらない男や嫌な男と決まったわけでもない。
そのあたりから妹は私へのイヤガラセが目的のようになっていった。
ユベール様を色仕掛け同然の方法でとりこにしていったという話も、ヴァレンヌ伯爵家のメイドさんから耳打ちされて知った。
私の両親もなんとなくのことは知っているようだが、ユベール様が婿に入るならそれはそれでいいと思っているようだった。
我が家は決して経済的に余裕があるとは言えない。だが、ヴァレンヌ伯爵家から援助金をいただけるなら、家を残すぐらいはできるだろう。
両親も家を残せれば、私がどうなってもいいのだ。
◇◆◇◆◇
学園の昼の休憩時間、ユベール様と妹の姿を見かけた。
「ユベール様、少し寝癖がついてるんじゃありません?」
「そうか、授業中居眠りしていたからそのせいだな」
「私も居眠りしていたから同じですわね」
「ああ、勉強なんて学者にでもやらせておけばいいんだ。俺の家からの援助金があれば遊んで暮らせるさ」
学園でも二人きりでいるのか。あれではほかの貴族にも噂になってしまうが、私が止めようとすれば嫉妬が見苦しいなどとユベール様に言われるのは目に見えていた。
もちろん嫉妬以前に、婚約者以外の女性といちゃつくほうが異常なのだが、そんなことはわかってくれないだろう。
私は学園裏庭の人気のないベンチに腰を下ろした。
どうすればいいんだろう。今更二人を別れさせる方法はない。
仮に強権的に別れさせたところで、ユベール様は私を恨む。冷え切った結婚生活ならまだいいが憎まれた結婚生活は不可能だ。
「ずいぶん、憂鬱そうな顔をしているね」
声がかかって顔を上げると、リオネル様が立っていた。
銀色の髪と青い瞳がよく目立つ、文武両道の貴公子。
カンペール侯爵家のご令息だ。私などとはまったく地位が違う。ただ、話題は会うので図書室などでちょっとしたお話をすることは多かった。
異性ではあるが親友と言ってよかった。
「リオネル様はご存じでしょう。私は何もかも失いそうなピンチなのです」
「失うも何も、今から婚約者を取り戻すつもりもないんだろう? そんなことは不可能だと君もわかってるはずだ。今からいい婚約者候補でも探しておくのが現実的だ」
「それはそうですけど、婚約を破棄されてもない時からおおっぴらに運動もできませんし。私、一生、小屋のような家で暮らすことになるかもしれません」
その時、そっと肩に手を置かれた。
リオネル様が手を載せている。
顔が急激に熱くなった。こんなにときめいてしまったのは、人生で初めてかもしれない。
「その時は僕の家に来てくれればいい。侯爵家でお待ちしているよ」
それはほとんど愛の告白と言っていいものだった。
「リ、リオネル様……ご冗談はよしてください」
「冗談でこんなことができるほど僕は遊び人じゃないよ。今だって緊張して倒れそうなんだ……。人の目が多いところでこんな話はできないし……今しかないと思った」
たしかにリオネル様も顔を赤くしている。照れていらっしゃるのは間違いない。
リオネル様のほうもどうやらずいぶん無理をしたらしかった。
「お気持ちは嬉しいですが……地位が違いすぎます。子爵家と侯爵家の結婚だなんて。第二夫人でも無理があります」
「じゃあ、気持ちだけなら受け入れてもらえるということでいいのかな?」
リオネル様が真剣な顔で尋ねてくる。
私は小さくうなずいた。
「は、はい。もちろん。リオネル様と婚約できるなら……。第二夫人でも構いません。だって、今の私の婚約にはわずかな愛だってないんですから。世の中の浮気相手だって、少しぐらいは愛されていますもの」
「そんなに卑屈にならないでいい。僕は一言も第二夫人になってくれなんて失礼なことは言ってないよ」
「それはそうですけど……子爵家と侯爵家の結婚なんて……。せめて私の実家が伯爵家であれば……」
「じゃあ、君が伯爵家の人間になればいいんだね」
「理屈ではそうなりますね。それなら人の噂になるほどおかしなことではないでしょうから」
リオネル様は笑顔でうなずいた。
「わかった。僕のほうでできる限りの準備をしておくよ」
「え、ええ……」
リオネル様は何を考えていらっしゃるのだろう。
「ただ、あくまでも僕ができることは正攻法だ。だから、君とユベール君の婚約が定まっているうちは何も動けない。そこはわかってほしい」
「それはもちろんです。まあ、ユベール様が婚約破棄をしないとはとうてい思えませんけど」
今日明日に婚約破棄を言い渡されても何も不思議はない。
それぐらいにはユベール様は私の妹に入れあげている。
二人が私の実家を継いで、家を切り回していけるとは思えないけれど。荘園からの地代収入だって知らないだろう。でも、そんな理由で止めることはできない。
「じゃあ、約束だ。君が婚約破棄を言い渡された時には、君の地位を引き上げるために全力を尽くす」
リオネル様は周囲に人がいないのをさっと確認すると、跪いて私の指にそっと口づけした。
約束を守るという誓いの口づけだった。
この約束が果たされなかったとしても、誰かにこんなに愛されたという事実があれば生きていける気がした。
◇◆◇◆◇
一か月後、ヴァレンヌ伯爵家に呼び出された私はユベール様から婚約破棄を告げられた。
その時もやっぱり妹のベアトリスがいた。
「悪いが、お前との婚約はこれで終わりだ。婚約の条件で調整があってな、俺はベアトリスと婚約して、クラマール子爵家の婿養子となる」
「ええ、だいたい察していました。両親がよそよそしいのも気づいていましたから」
この話はユベール様とベアトリスだけでは成立しない。ヴァレンヌ伯爵家と私の実家のクラマール子爵家が同意をしないと無理な話だ。
この決定は私のことなどどうでもいいとほかの関係者が判断したことと同じなのだ。
もっとも、ヴァレンヌ伯爵家とクラマール子爵家が同じ思惑かはわからないが。どうも、ヴァレンヌ伯爵家にも何か別の意図がある気がする。
「お姉様、ご心配なく。新しい婚約者は探してあげますわ。後妻を探している貴族や商人がいないか探していますから」
にやにやとベアトリスは笑っている。
私からすべてを奪ってやれたと思っているのだろう。
「そこまでしていただく必要はないわ。私は私で家の名に恥じない縁談を探しているから」
「無理なさらなくても。研究用の書斎ぐらいなら用意してあげられるから終生勉強をなさってもいいですわよ」
「そうね、勉強部屋が用意できる屋敷には住みたいけれど、私なりにいい方はいないか探しておくわ」
婚約破棄が確定的という情報が入った時点で、実はもうリオネル様も動いている。
それを私も聞かされていた。
「ユベール様、妹を選んでくださって、ありがとうございます」
「なんだ……皮肉のつもりか?」
「いえ、やはり婚約は本当に愛する者同士で行うべきだと思いますから」
おかげで ここから、私の新生活が始まる。
◇◆◇◆◇
婚約破棄を言い出された十日後。
学園は休日で私は屋敷で朝から経済学の本を読んでいた。顔を合わせていないが、妹も家にいるはずだ。昼からヴァレンヌ伯爵家にでも出かけるのだろうけど。
そんな屋敷に来客があった。
部屋の出窓からも非常に立派な馬車が停まっているのが見えた。我が家はそんなに広い車寄せがないので、馬車がはみ出しかけている。
両親もいったい何事かと使用人を応対に出させ、来客の名前を聞いてさらに驚いていた。
「グルノーブル伯爵家のご当主のジャン=クリストフ様だと! 本家の当主様じゃないか!」
「おもてなしできるものがないわ。とにかく、一番高級な茶葉とお菓子を用意しなきゃ!」
お父様もお母様もあわてふためいて、ジャン=クリストフ伯爵と応接室で応対した。私と妹もごあいさつのために呼ばれたので、そのまま応接室に残る。
ジャン=クリストフ伯爵は白髪と白髭が特徴的な温厚そうな人物だ。政財界の切れ者として知られている。
「突然お尋ねして申し訳ない。一つお願いしたいことがありましてな」
「は、はあ……。いったい何でしょうか?」
お父様が不思議そうに尋ねる。
「長女のシャルロットさんを我が家の養女として迎えたいのです。正確には私の息子夫婦の養女ですな」
「えっ! それはありがたいお話であるのですが……」
お父様はあっけにとられた顔をしている。
「私の息子夫婦は男子が二人で娘には恵まれませんでした。一度、娘を育てたいという気持ちが息子夫婦にあるのです。それと、率直に言ってしまえば、どうしてもほかの貴族と婚姻関係を結ぶ必要はあるわけで、男子も女子も必要になってくるのです」
ちらりとジャン=クリストフ伯爵は私のほうに顔を向けた。
「シャルロットさん、あなたが極めて聡明なのは私も伺っております。それに間違いなく伯爵家の血筋を引いている。すべてにおいて申し分ない。いかがかな?」
養子女をとる場合でも、基本的に親戚や近い一族から迎えるのが一般的だった。
分家の人間が本家に迎えられるのも、よくあることだった。
「私は喜んでお受けいたしたいと思っています。もし十日前であったらお断りしていましたが」
「ええ、無論。婚約者がいてはどうにもなりませんからね」
ジャン=クリストフ伯爵もすべてご存じなのだ。
妹は信じられないという顔をしていた。
私を飼い殺してやるとでも思っていたのかもしれない。ただ子爵家というだけの女として。
そしたら、急に本家のグルノーブル伯爵家の人間になるというのだから納得もいかないだろう。
「お姉様が……伯爵家……?」
「別にいいじゃない、ベアトリス。あなたとは血を分けた姉妹。それが変わることは今後もないのだし。ただ、少し住む場所が別になるだけよ」
家柄も別になるのだけどね。
あなたはユベール様という伯爵家の人間を婿に迎えるだけだから、家格はあくまでもこの家の子爵家のまま。
下品だからこんなところでは言わないけれど。
「婚約の話が急に立ち消えになってお困りでしょうが、当家に来ていただければ所領も財産も、当然ながら縁談の話もそれなりにご用意できます。ご両親、いかがかな?」
「わ、わかりました。シャルロットも養女になることに異論がないようですし。娘がご面倒をおかけしますが、どうかよろしくお願いいたします……」
本家の当主にまっとうに切り出されて、両親が断れるわけがなかった。そもそも、私が家に残るメリットも二人にない。
「面倒などかけるわけがないご立派な方だから、私は伺ったのです。ご心配なく」
ジャン=クリストフ伯爵が笑った。
こうして私は本家の伯爵家の養女となった。
◇◆◇◆◇
私がグルノーブル伯爵家の人間になってしばらく後。
私は正式にカンペール侯爵家のリオネル様との婚約を発表した。
内々ではすでに話はついていたのだけれど、養女になってすぐに婚約したとなると、すべて準備をしていたようでおかしいので時間を空けたのだ。もっとも、養女になってすぐの婚約発表も貴族の中ではそれなりにあることだけれど。
これで学園内でも堂々とお会いすることができる。
よく晴れたその日、私は中庭に置かれたチェアに腰かけていた。
そこにリオネル様がやってきた。
「こちらの席、空いていますか?」
「こちらは私の婚約者の予約席となっています」
「では、僕は座ってもいいみたいだね」
二人で目を合わせて笑い合った。
「ありがとうございました。リオネル様が動いてくださらなかったら、私の未来は閉ざされていました」
「そんなことはないと思うけどね。シャルロットさんが――」
「シャルロットと呼んでください」
「これは一本取られたな……。シャルロットが成績優秀なのは貴族の世界でもよく話に出ていたんだ。だから、シャルロットの未来はどのみち開けていたよ」
「そんな話は私、知りませんでしたよ」
「本人に話すようなことではないからね。ジャン=クリストフ伯爵が養女にほしいと言っていたというのも僕の親から聞いていた。だから、僕はシャルロットが婚約破棄されたらすぐに行動を起こしてほしいとジャン=クリストフ伯爵にお願いするだけでよかった」
「グルノーブル伯爵家の屋敷が豪華すぎて、まだ慣れません。これまでどおり暮らしていたら、よく倹約をなさっていると褒められる始末ですよ」
「それは困ったな。僕の実家は侯爵家だけど質実剛健が家風なんで、家をみみっちいと思われるかもしれないな。愛想を尽かされたらどうしよう」
「リオネル様と一緒に暮らせるならどこででも構いませんよ」
「僕もリオネルと呼んでくれないか。シャルロットは騎士として僕に仕えるわけじゃないんだから」
少し戸惑ったけれど、私は彼の目を見て、こう言った。
「リオネル、愛してる」
「僕もだよ、シャルロット」
◇◆◇◆◇
ベアトリスは自身の学園卒業直後に、クラマール子爵家の婿養子に入ったユベールと結婚したが、結局2年で離婚という形になった。
一番の理由は経済的なものだ。
もっとも、夫婦間の価値観の相違ではない。
ベアトリスも派手好きだったし、ユベールも高価なものを平気で購入する人間だった。
ただ、強い経済基盤もないクラマール子爵家での贅沢には限界があった。
「テーブルと椅子をまとめて購入するなんて何を考えていますの? 借金してまで買うなんて恥ずかしいにもほどがありますわ!」
「分割払いにしてくれと商人に頼み込むほうがよっぽど恥ずかしいだろうが! この屋敷の調度品が安っぽいのがいけないんだ!」
そんなケンカが後を絶たなかった。
「だいたい、あなたの実家のヴァレンヌ伯爵家から援助金が出るんじゃなかったんですの? ちっとも支払われている様子がありませんけれど」
「そんなこと、伯爵家の人間に聞いてくれ……。俺も話が違うと思ってるんだ」
出来の悪いユベールは実家からすでに切り捨てられていた。ヴァレンヌ伯爵家はユベールの兄が家を継ぎ、一部の土地を弟が相続する形になりそうだった。
ヴァレンヌ伯爵家は優等生と名高いシャルロットを捨てて、あまつさえその妹と恋仲になったユベールを排除することに決めていた。
婿養子としてクラマール子爵家を継ぐというのは、追放と同じだった。
「むしろ、この家も本家から少しはお金が出たりしないのか?」
「わかりませんわ……。元々、縁は薄れていましたし……」
結局、結婚生活は冷え込み、口ゲンカが毎日のように起きるようになり、結婚生活は破綻した。
離婚直後からベアトリスは婿を探しているが、まともな貴族は話を聞こうともしてくれなかった。
すでにクラマール子爵家が経済的に没落しそうという噂は広まってしまっていた。
しかもベアトリス自身の風聞も別によくはなかった。
姉の婚約者を奪って結婚した人間という事実は節操のない人間という印象を周囲に与えてしまっている。
その日、朝から客人があった。
応対したベアトリスは久しぶりに表情をゆるめた。その来客がなかなかいい風采の男だったのだ。歳は三十歳前だろう。庶民ではあるはずだが、服の仕立てもなかなかいい。
「あの、どういったご用件でしょうか?」
「商会の者です。借金のお支払い期限ですので、伺った次第です」
男に笑顔でそう言われて、ベアトリスの表情は凍りついた。
なんとか近日中に用立てると言って帰ってもらったが、絵画や調度品を売り払いでもしないと、借金も返せそうになかった。
無人の応接室でぼうっとベアトリスは時間を過ごす。両親は金策の交渉に出かけていてどちらもいない。
「なんで、こんなことになってしまったんでしょう……」
すべてはユベールを姉のシャルロットから奪おうとしたところからだった。
でも、ユベールが婿養子に入るという話を両親にしたら、両親も受け入れてくれたのだ。シャルロットには貧乏くじを引いてもらうことになるが、クラマール子爵家を確実に存続させられるよい手立てだと言われた。
しかし、そうはならなかった。ユベールの実家のヴァレンヌ伯爵家からの資金提供もなかった。その時点でクラマール子爵家の将来は一気に不安定になった。
そのユベールはヴァレンヌ伯爵家に戻ったものの、わずかな地方の土地を分与されて、実家から切り離されたという。王都に居場所はなくて田舎に旅立ったという話だった。
「シャルロットお姉様は侯爵夫人として栄華を極めているというのに……」
社交界では賢夫人として、また若き芸術家のパトロンとして、頻繁に名前が挙がっていた。
「もう、お姉様に頭を下げるしか……」
ベアトリスは巨大なカンペール侯爵家の屋敷に行き、シャルロットに取り次いでもらえないかと門衛の警備兵にお願いした。
一時間ほど待たされて、カンペール侯爵家の執事が出てきた。
「シャルロット様からのご伝言でございます。『私は家族を大切に思っております』」
これなら助けてもらえるとベアトリスは思った。
「『なので、養女として拾ってくださったグルノーブル伯爵家の皆様には心から感謝しております』」
あれ? 何かがおかしい……。
「『そして、家族は自分の親族の婚約の邪魔などするわけがありません。そんな家族は存在しません』、以上が伝言でございます。お会いはできないそうでございます。お引き取りくださいませ」
クラマール子爵家は数年後、貴族の名鑑からも完全に名前を消した。




