第四話 出会い
土でまみれた肌触りの悪いシャツ、青く腫れ上がった目元、引きずられた右足、誰であろうと、その姿を見て何があったか予測するのは容易であろう。
元々、目立ちやすい異世界人。多くの人が好奇の目線を向ける。その目線はさまざまで、心配する者もいれば嘲る者もいる。
そのどれもが、体の傷を忘れさせるくらい、耐え難い痛みとして刻まれる。
今すぐこの場から消えてしまいたい。
体に鞭打って走り出そうとするが、三歩踏み出したところで膝から崩れ落ちた。
手を強く握りしめる。
立ち上がるべく、膝を立てる。
しかし、その膝は立ち上がる事なくその状態を維持し続けた。
シントの目の端に、石造りの重厚な建物が映る。
石造りで頑丈に建てられたそれは、木造建築ばかりのこの街では一際、異彩を放っている。
何の店なのだろう。
シントがその店をじっと見つめていると、重々しい入り口のドアがゆっくりと開いた。
そこからは、如何にも身分が高い男と共に首輪をはめられた艶やかな女が出てきた。その光景をぼんやりと眺めながら、シントは理解する。
ここは奴隷商会なのだと。
いずれ自分も奴隷に落とされるのだろうか。
そんな恐怖心が胸に落ちる。
しかし、そんな恐怖心を他所にシントの中には、別の感情が渦巻いていた。
〝絶対的優位に立ってみたい〟
これまでの人生、常に権威や権力に従ってきたシントにとって、シントでも絶対的優位に立てる存在である奴隷は輝いて見えた。
シントは必死にその感情を抑えつける。
けれども、思いは意識するほどにどんどん大きくなっていき、やがて恐怖心をも飲み込んでいった。
——気付けば、シントの手には三枚の金貨が握られていた。
ここに入ってしまえば、輝かしい日々を諦める事になるだろう。けれど、分かっていても、理性は歩み出す足を止められなかった。
——見た目通り重たい鋼鉄製の扉を力いっぱい引くと石造りの冷たい空間が広がっている。
入り口から左手には契約や商談の時に利用されるであろう、光沢のある木の机に、皮で作られた椅子が置いてある。ただ、今はこちらに用はない。用があるのは右手にあるカウンターだ。
シントはカウンターに立っている、ちょび髭を生やし痩せた初老の男に話しかける。男は一瞬、シントの身なりを見て嫌そうな顔を浮かべたが、頭部の黒髪を見てすぐに作り笑顔を浮かべた。
「本日はご来店誠にありがとうこざいます。本日はどのようなご用件で?」
「奴隷を買いに」
「何かご希望はございますでしょうか?」
「特にないから、見て回っても?」
シントの言葉に男はコクリと頷き、店の奥にある倉庫に案内した。
倉庫は少し埃っぽいものの、想像よりずっと綺麗にされていた。店としても大事な商品を扱う場所な以上、衛生管理はきちんとしているらしい。
しかし、綺麗とは言っても檻の中は、流れないトイレとシングルベッドよりも小さな寝台で埋まってしまうくらい狭かった。そこに、人間が押し込まれている光景は思わず目を背けたくなる。
そんなシントの機微に気付くはずもなく、男は先程から変わらぬ笑顔で奴隷について淡々と喋っている。
吐き気がする。けれど、足を踏み入れた以上、引き返すなどありえない。
目に映る現実は、理解はできても簡単には受け入れられない。シントはその景色を尻目に、さらに奥へと進んで行く。
……空気が変わった。
奥に進むにつれて、明らかに身なりがいい者が増えてきた。変化はそれだけではない。
さっきから、シントの視界に人ならざる者が映り始めていた。
男は変わらず、饒舌に説明をしているがその中に、貴族だの、商会だの、ドワーフだの、リザードマンだの聞き慣れない言葉が混じっている。
そんな男の熱弁をシントは右から左に受け流し、入口よりもゆっくりと歩く。一人一人、じっくりと、その眼に焼き付けるように。
……そうして、入口よりもゆっくりと歩まれるその足はやがて、ある檻の前で止まった。
「これは?」
「こちらは……」
止まることを知らなかった男の舌が、ピタッと止まった。
「身元不明のエルフでございます」
背までかかる銀色の髪に、突き抜けた尖った耳。僅かに膨らんだ胸元。そして、吸い込まれてしまいそうな青く澄んだ瞳。
しかし、その瞳は冷たい石床に向いている。
シントは檻の隅で粗衣を纏い、縮こまっているエルフをただ、茫然と見つめている。
その姿を見かねてか、男は一呼吸置いてから再び口を動かし始めた。
「エルフは容姿こそ優れているのですが、大昔に人間と対立関係にあり、多くの人間を殺した事から、現在も恐れられているのです。また、高い魔力を有するので、今は首輪で魔力を押さえ込んでいますが、過去には首輪が壊されたという事例が存在したりと、奴隷としての価値は低く、私らも手を焼いていて……」
「買います」
倉庫内の小さな窓から冷たい風が吹き抜けた。
今思えばこの時すでに、シントは降りることのできない運命の盤上に立ってしまっていたのかもしれない。けれど、それを知るよしなどあるはずがなかった。
……いや、知ったところで、できる事などなかったのかもしれない。だって、
『運命はいつも絶対的なのだから』




