偶像とアイドル、実像とバーチャル
【2】から始まる小説なあるらしい()
【2】
三月の卒業式。母校最後の日。文化祭で願望を持って、四ヶ月が経つ。
学生最前列の端で、式の脇に、涙を流す立体映像のバーチャル教師を見ながらも、頭の中は、あの願望で一杯だ。文化祭で心に沈殿した粒子は、四ヶ月で凝り固まると、一つの結晶になろうとしていた。その職業を表すカタカナ単語が、思考にチラつく。全国共有の人工知能がハンカチで涙を拭くのを尻目にしながらも、口からは吐息が出た。
大河は、長身で、黒髪の碧眼だ。青い目と艶のある黒い長髪は、和洋折衷と、よく言われる。女性にしては恰幅が良いのが、大河の、コンプレックスで、長身なので太くは見えないのだが、中学生の頃、大女と呼ばれたのが堪えた。肌は舶来人形のように白い。可愛らしい鼻に、切れ長の目は青く、小さな唇は最低限の膨らみを持つ。長いまつ毛が、碧眼を一層、際立たせる。手脚は長い。お腹にはクビレもある。努力しているのだ。名前を呼ばれる。
「卒業生代表、大河雫」
瞬時、短く息を吸う。口を閉めると、目を伏せて表情に魂を込める。
「――はい」と、力強く応えた。これでも、吹奏楽部だ。肺活量には自信がある。
順路通りに進みながらも、結晶化前の願望を、静かな呼吸で抑えた。階段前で職員に一礼して、壇上へ登る。旗に一礼。中央に進み出て、今度は生徒一同に一礼する。
そこで、手順通りに読み上げようとして、涙が溢れた。
拭かずに、頬を流れるままにして、台本を朗読する。拭かない涙は、格好が良いからだ。体育館全てに、マイク無しでも聞こえるように発声した。読み終える。
拍手が圧した、鳴り咲いた。一礼する。歓声のなか、中央から脇に進み、身を翻して旗に一礼。階段を降りて立ち止まると、職員に一礼、席に戻る。着席して、初めて涙を拭う。
鼻水をすすりながら、これからの事を考える。
志望大学の法学部には合格しているのだ。そこで、バーチャルの勉強を始める。今は、左派与党の政策で、キャラクター産業が活発なので、良い判断だと思う。
そして、今日の夜はストレス発散を盛大にする。しかし、やはり、願望の重さを感じる。
大河のシコリを置いて、卒業式はつつがなく終わる。
「卒業生、退場」
大河を先頭に、三年生が列をなして退場する。背後に、涙の音を聴きながら、出口へ向かう。出口をくぐると、数人が本格的に泣き始めた。それをなだめながら、大河はシコリと対峙する。これは、承認欲求の子供でしかない。それは、ストレス発散をしていれば良い。
今夜の予定を片隅に、大河を慕う女学生の相手をする。
その日、学寮に帰宅できたのは、夕暮れだった。
既に、退去のため、ダンボールに荷物を入れている。明日、荷物と共に、この寮ともお別れだ。部屋の窓から、最後の夕日を眺めながら、そそくさとカメラを準備する。
多分、性的な自撮りでストレス発散をしても、このシコリは消えないだろう。
しかし、大河は、他に方法を知らない。
【3】
「あ、卒業おめでとう」と、母は言う。
「ありがとう」と返した。
荷物を大学近くのアパートに移したのが昨日。
今日は、久々の自宅である。そのリビングで、母はソファーに座る。大河は、麦茶を飲みながら、その隣に居る。二人は、テレビを見ていた。口数は少ない。
「あなた、相変わらず勉強できるわよね」と、テレビから目を離さずに言い出した。
「何。急に」と大河は、チラと母を見てから、テレビに視線を戻す。
「いや、手の掛からない娘だったけど、父親似なのかしらね。法学部に入るなんて」
「法学部は、嫌だった?」
「別に。独り立ちできれば、それで良いわよ」
「そう」と、慣れた寂しさを、隠した。
「流也は、あれだけ手が掛かるのに、貴方は大したものね」
「ありがとう。流也は進路どうするの? 再来年には、もう受験でしょう」
「お父さんが地盤を継いだら、秘書にして後継者にしたいらしいから政治関係よ」
父は地方政治家の秘書をしている。父方の祖先は藩医で、エリートの家系だ。戦後からは代々、政治の関係者が多く。父方の祖父も県議だ。
「お婆ちゃんはなんて?」
この場合の祖母とは、母方で、イギリス人だ。母方の祖父は外交官で、その間に産まれた母はハーフ、娘の大河はクォーターだ。しかし、母は自分のハーフらしさを嫌っている。大河は、イギリス人の祖母を慕っているのに、母は嫌っていた。
そんな母は、やはり祖母の話で、少し不機嫌になる。
「相変わらず、お婆ちゃん娘ね。あんな人のどこがいいのよ」
「頑固な所」
「我が強過ぎるのよ――そうだ。また、イギリスに行きたいとか、言い出さないわよね」
「……いつの話」
「中学よ。その目だからって、イギリスに行きたいとか言い出して」
「目の話はよして。綺麗でしょう」
「誰も、その青い目を、綺麗じゃない、なんて言ってないわ。でも、法学部に入ったんだから、将来は安定した職に就きなさいよ」
「わかってるわよ」
と、そこで、気がついた。
あの願望は、承認欲求もあるが、家への反発もあるのかもしれない。大河は冷めている。持ち前の聡明さで、自撮りも、家での寂しさからだと気づいていた。
その聡さは、新たな可能性に気がついた。
家からの反発で、あの願望を持つなら、それもアリだ。別に専業になる必要もない。
ストレスは、適度に発散するべきだ。そうすれば人生は上手くゆく。その筈だ。
【4】
「バーチャル法を学ぶうえで、まずは、その背景を知る必要があります」
晩春の大学で、法学部の教授は、講義を始めた。
「背景のキーワードは、『共有』です。自由社会党は、社会のリソースを『共有』するために、その理解の助けとして、キャラクター産業を推進しました。その産業を支えるのが、皆さんが今日から学ぶ、バーチャル諸法です」
クセを付けた短髪の大河は、黙々とノートを取る。高校の頃は、校則や周りに合わせて、ストレートの長髪にしていたが、大学生になったので、髪型を変えたのだ。
開放的な髪型にも慣れた。これ以上は、大学で羽目を外すつもりはない。大河は勉強が好きなのだ。勉強というよりも、自分を試すのが好きだ。最近は、願望に向けて、ゲームもやり込んでみた。最速クリアを目指すリアルタイムアタックという遊び方を始めたくらいだ。
「自由社会党は、自由と平等、そして共有を政策の柱として政権を獲得しました」
それはそれとして、今はノートを取る。
法学教授は、備え付けの立体映像投影機を使い、自ら講義をしている
「その政策の目玉は、共有企業の促進です。これは、社長などが運営する会社ではなく、企業に所属する人間の組合が運営する会社の事です。今世紀初頭には、既に企業組合という名称で存在しました。共有企業は、それを更に進歩させた組織なのです」
共有企業、旧名称を企業組合は、資本や労働力を組合を組織した人間達で持ち寄る。
「しかし、その普及には、国民の理解が不足している、という問題がありました」
そう。企業組合の時点では、普及が進まなかった。
「そこで、立法されたのがバーチャル諸法です。まあ、こちらは経済政策というよりも、文化政策ですな。芸能者、芸能人、歌手、男優女優、子役、アナウンサー、ゆるキャラ、ヒューマンアイドル、アニメーションアイドル、文豪、等々。これらの業種や存在には、有名税を取られても、つまりは、有名になることで損失を被っても、黙認するなどの不文律がありました。昔は」
しかし、ソーシャルメディアの発達やスマホの普及で、気軽に情報を発信できるようになると、有名税にも限度を超えた事件が多発するようになった。
「そこに目を付けた現在の首相は、芸能界などと協議して、有名人の保護と、『有名人というキャラクター』はバーチャルに存在するという法律を相次いで制定しました。そのキャラクターに、本の著作権のように、権益を明文化して、勝手な拡散や使用を制限したのです」
それは、アンチ有名税の為にした政策ではない。
「現在の総理、自由社会党の党首は、そうする事で、キャラクターの取り扱いを盛んに議論したのです。テレビやソーシャルメディアも、その取り扱いを巡る話題で満ちました。最終的に、その有名人のキャラクターというバーチャルな存在は、本人の権利、その本人と契約したキャラクター事務所の運営する権利、その事務所と契約して使用する権利、この三つが確約されました――ちまみに、同人活動などは、本人と事務所が認めれば問題はない事にもなりました。同人活動を保護する法律は類似のものが既にあるくらいでしたから――兎に角。私が言いたいのは、これらのバーチャル諸法は、実際はバーチャルな存在を認める為ではないのです。そのバーチャルな存在を使用する議論で、社会に『共有』という概念を普及させたのです。概念を普及させるのに、芸能界や娯楽界を使うのは、とても現実的でした」
その時、スマホに着信がある。大河はノートから、視線を逸した。
生気を失う。
「つまりは、昨今、活気のあるキャラクター産業とは、共有企業を一般的に定着させる足がかりだったのです。勿論、文化政策を進めて支持率を高める狙いもありました。それに社会の結束の為にも、フェミニズム推進法と同人活動保護法をセットで導入したりもしました。現在は、共有企業の普及で経済にも活気がある、文化を支えるキャラクター産業も誕生した、良い時代なのです」
その着信は、警察からだった。
【5】
大河は、警察署から出た。アブナイ自撮りがバレたのだ。歴にはならない注意をされた。
敷地を出ようとして駐車場を歩いていると、スマホに着信がある。見ると、父からだ。
「車で来てる」という文面を読んで、駐車されている車を見渡した。
黒い車の助手席で、父の立体映像が、手を振っている。
大河は察すると、車に近づき、後部座席に乗りこんだ。助手席に居た立体映像は、後部座席に投影され直した。「久しぶり」とバーチャルな父は言う。車は自動運転を始めた。
バーチャルな父は、黒いスーツを着た中年で、髪型を丁寧にセットした、優男だ。顔は、堀が深い。ラテン系みたいだと冗談で言われている本物と、瓜二つだ。
バーチャルな父、とは人工知能で再現された父の事だ。
二十一世紀中葉の日本では、人工知能で製作されたバーチャルな複製も、裁判所の認可を受ければ本人の代理となる。公職の関係者は、認可を貰いやすいともいう。
「本物の父は来ないの?」
「仕事だよ。でも、それを理由に迎えに来ないと、醜聞を忌避して、かわいい娘を避けたと見られかねないからね。バーチャルで迎えに来たのさ」
「バーチャルね……」
「別に構わないだろう。アイドルは存在するように、バーチャルも存在する」
「アイドルは認識の産物でしょう」
「『広義の属性』だよ。属性のない人間は居ないように、その属性を、現代の技術で再現した存在になら、代役くらい務まる」
「本当に?」
「例えば、アイドルと会話するのと、異性と会話するのは、それが同一人物でも、少し違う。でも、同じ人物と話す行為でもある。それは、記憶を引き継ぐのが大きな要因だとしたなら、この会話を、本物の私のニューロンに、電気信号で入力すれば良い。このバーチャルな私も、ニューロンの情報から造られたのだから、最終的には、同一人物との会話になる」
「少しも違いはないの?」
「まあ、今の技術に人間の霊魂を完璧に再現する能力はないよ。この、属性の塊でしかないものに話しかける行為は、人間の垢を集めたものに話しかけるような、炉漫さ。言語で例えると、バーチャルな存在は記号内容で、存在の実体を記号表現としてるけど、記号内容たる霊魂を完璧に再現できない現状ではね」
「それ、我思う故に我あり、とかが関係する?」
「その通り。まあ、現代は霊魂を扱う石器時代なのさ。これから、青銅器にして、鉄器にして。でも、まずは石器の導入から始めたのさ、日本は。兎に角、これは所詮、代役だよ」
「詳しいのね」と、片眉をあげた。
「バーチャルな複製を造る時、講習を受けるんだ。さっきの弁も受け売りさ。公職関係になる時も、その講習は受ける。今回は、政治家の秘書として受けておいたのが役にたった」
「その講習も電気信号でニューロンに?」
「いや、学習という行為にも倫理がある。どう理解するかを固定しやすいのは自由権に反するとかでね。現状、経験は大丈夫で、知識はダメとなっているよ。その自由を行使するなら、これは、只の石を持って振り回してるだけ、柄のない石器を扱ってる程度だよ」
「そう。で、哲学の講義をしに来た訳ではないのでしょう」
「……ああ、そうだ」
「要件は何」と言うと、大河は立体映像の目を見た。
「夫婦で話し合ったのさ。娘を寂しくし過ぎたとね」と、その目は真摯になる。
「今更……」と目線を逸した。
「薄々、娘の寂しさには気づいてた。でも、母さんはお前の目を見ると――」
「え、目が何?」
「――そこには気づいてないのかい?」
「何。何よ」
「いや! 触らぬ神に祟りなしだ。その事は、母さんとも話し合うよ。それよりも、これから何かしたい事はないかい。本当に今更だけど、何でも言ってくれ」
「本当に今更ね。もう、一人暮らし始めてるのよ」
「分かってる」
「なら、一つあるわ」
「聞こう」
「結婚相手を探してくれない。出会いが欲しいの」
「え、でも大学で作れば――」
「私は良家の娘なのよ。家が決めてしまったほうがトラブルは起きないわ」
「本気かい?」と立体映像は、片眉をあげた。
「女は強かなのよ」
「寂しいから?」
「そうよ」
「……マジか。かわいい娘にお婿さんを、か」と、バーチャルな父は驚いていた。
【6】
初夏。和室の宴席。お見合いの現場。大河とお相手の、顔合わせ。
部屋は、八畳で、壁に書道作品と花瓶、中央には大きな卓と六つの座椅子がある。卓を挟んで向かい合わせに、両家の人間が座る。お見合いは、本人二人きりの談笑に移った。
「それじゃ雫、お母さん達は、席を外すから」
「わかったわ」と、大河雫は晴れ着で応えた。
晴れ着は、好景気の潮流に合わせた華やかな振り袖だ。紅鯉がデザインされた和服に、伸びた髪をまとめて飾り櫛で留めた髪型は、最近の流行りとはいえ、成人式のようだ。
少し華やか過ぎて、大河の感性に合わない。相手の感性では、どうだろうか。
「この服装、どう思います?」と問うた。感性の合う合わないは重要だろう。
「はい?」と、男は返した。お相手は、大河の振り袖に合わせた黒い袴姿だ。
「この振り袖、似合いますか?」と、攻めた質問をする。
「似合います」
「好きですか?」
「いえ、私の趣味ではないですが、それでも、その和服は合っていて綺麗だと思います」
以外とハッキリした応答だ。意地の悪い質問だったと思うが。
お相手の名前は「林政人」と書いて、性をハヤシ、名をマサトと読むらしい。顔は丸顔で、生来の茶髪、四角い眼鏡をかけた、真面目そうな小さい目だ。背丈は低い。
「私と同い年とすると、大学生ですか」
「国立理系大に」
「あー、理系ですか。私は文系です」
「文系」
「法学部です」
「すごい。勉強が、おできになるんですね」
「いえいえ、それほどでも。林さんは?」
「数学です」
「はー、すごいですね」
「いえいえ」
何を話せば良いのだろう。せめて、文系でなくても、数学でなければ何か話題を出せたのに。数学の話題とはなんだろうか。いや、学部以外の話題にしてみるか。
「ご趣味は?」と訊ねた。
「ゲームです。パソコンで、コアな海外ものを」
「おー、イメージ通りですね。いや失礼。良いと思います。私もゲームを少しするんです」
「おー、ゲームなさるんですか。どのようなゲームです。ゆるふわ的な?」
「ダークファンタジーを、リアルタイムアタックで」
「え、少しでは?」
「え、少しの範囲ですよ」
「成る程」と返された。
「はい」と応えた。
ミスをした気がする。しかし、異性と話す機会がなさ過ぎて、分からない。高校はお嬢様学校で、学寮住まいだったのだ。大学でもあまり遊ぶ気はないので、男性と接点がない。
これでも、大河は、男性を選り好みするつもりはない。背の高い低いにも関心はない。しかし、選り好みしないにしても、交際にトラブルが起きないように、相手はエリートと決めている。何せ、大河もエリートだからだ。その自覚がある。今回は、同い年という利点もあるのだ。しかし、異性の基準が分からない。女は度胸。
「林さん。私を、どう思いますか?」
「はい? 綺麗な方で、面白いと思いますが」
「成る程」
「では、返しますが、大河さんは、私をどう思いますか?」
「さあ? 分かりません」
「……やっぱり、面白い方ですね。普通、そうは答えませよ」
「私が買い手なので」と、お嬢様を自覚して答えた。
「お互い、そうですよ。なんというか、大河さんは、雄々しいですね。武家の娘みたいだ」
「武家ですか」不快感はない。
「あ。いえ、歴史小説が好きなので、つい」
「あ、エスエフ小説派かと」
「よく言われます。でも本格エスエフも好きですから、大河さんの予想はハズレてません」
そう言って笑う林政人さんは、好印象だった。これなら、付き合っても良い気がする。
【7】
大学に入学して初めての秋。林さんとのデート。映画館で恋愛ものを観た。
五年前にオープンした立体映像の映画館は、採算の見積もりが厳しかったのか、小ぶりな規模だ。二人は、映画の内容ではなく、映画館の大きさについての話題で盛り上がった。
「この映画館、駅前にあるのに小さいですよね」と大河は言う。
「駅前にあるからこそ、小さいのでは」と林は言う。
「あー、土地事情とか、すごそうですからね」
「詳しいんですか?」
「いえ、全然」
「本当にー?」
「本当に本当」
二人は中身のない会話をしながら、映画館を出る。白拍子線が通る白扇中部駅前の広場を抜けて駐車場に向かう。ここまでは、林さんの運転で来た。この後は、中部区画の北西にある動物園へ向かう。駅前広場を素通りするために通ると、立体映像が宣伝をしている。
「そこのお二人! この曲、良いですよ!」
テレビで見るヒューマンアイドル、人間の立体映像が声をかけてきた。
このアイドル衣装を着た人間は、人工知能で制作されて、立体映像で投影されたバーチャルな存在のようだ。しかし、等身大の人間が、そこには居た。
珍しい宣伝方法に、思わず、足を止めた。今現在の法律で大丈夫だったろうか。まあ、大丈夫だから都市の所有する土地での商業活動に認可が出たのだろう。人工知能で造られたキャラクターは、「中身」が居たほうが社会に適応しやすいらしく、そこに目をつけた日本政府が、「中身」と「キャラクター」の関係性を法律化して久しい。しかし、このバーチャルな存在達と会話するのに抵抗がないのは、日本人だけらしい。
「あ、結構です」と林が対応した。
「そう言わずに! 私達の歌声は、いかがですか!」
「デート中でして」
「いえいえ! そちらの女性は、女性アイドルに抵抗がないと見ました! 遠慮せず吟味し行って下さい!」と、そのアイドルはポーズまで決める。
「なんで分かるんですか?」と大河の口から強い言葉が漏れた。「あ、失礼」と、その語勢に驚いて、思わず、映像に謝ると、柔らかく言い直した。「確かに、女性アイドルに抵抗はないですけど。人工知能でも、分かるんですか?」
「人工知能が分かるというか、本物の私が、この場に居た場合を演算してるだけなので、勿論、本物の私が間違えれば、バーチャルな私も間違えます! 今回は、ラッキーでした!」
「へー、すごい」と、大河は立体映像に返答した。
「でも、ちょっと、宣伝が強引ではないですか?」と林。
「はいはい! これは、アトラクションです! 勿論、無視しても構いません。でもでも、お二人は、足を止めたので、更に宣伝してみたのです! 不快でしたかすみません!」
「いや、純粋に興味ですよ。どういう扱いなのかな、て」
「端的に言って『話しかけてくる広告表示』という扱いです!」
「へー」と林は応えた。
「勿論、今の国会や審議委員会の結論は変わるかもしれないので! この宣伝方法も、変わるかもしれませんが、それまでは、商魂逞しく、頑張ります!」
「すごい。良い知識を得ました。この曲、ダウンロードしますよ」
「いいわね。私もするわ」
それを見て、立体映像はお辞儀した。
「ありがとうございます! こういう応対が上手いから、本物の私が選ばれたのです! 勿論、これ以上は、宣伝しません! この私は『広告』ですが、それでも私は私なので、その裁量で辞める時は辞めます! 私は賢いのです!」
「おー」と声を出したのは、大河だった。「私も、アニメ絵のほうで活動してみたかった時期があるので、凄いと思います。応援してます」
「え、そうなんですか」と林は言った。
「ありがとうございます!」とアイドルは答えてから、申し訳ない顔をした。「でも、今回の私は、本物に経験が返されないタイプでして。ご了承下さい」
「あー、いちいち、大変ですからね」
「すみません! これは代理タイプではなく、活動タイプでして――」
話が長くなりそうなので、会釈して、バーチャルな存在から別れた。所詮は『広告』だ。
しばらく歩いて駐車場に行くと、オレンジ色のボックス車に乗り込んだ。
「アニメーションアイドル。なりたかったんですか」と林は運転席で言う。
「まあ、例の件で辞めましたけど」林さんには、自撮りの件を話していた。
「別に良いと思いますけどね」
「いやー、元々、バーチャルになるのは『違う』と、思ってたんですよ」
その話題は、そこで終わった。大河は、これからの動物園に思考を切り替えた。
しかし、林さんは、少し考えてから、車の運転を始めた。
【1】
卒業式の四ヶ月前。高校の文化祭。
バーチャルなアイドルを目指すのは、「違う」と思うのだ。
晴れた空には浮雲がある。のんびりとした陽気の下では、青春の活気があった。グラウンドの仮設舞台には、招待されたアニメーションアイドルが投影されている。
生徒会長、三年生の大河雫は、その舞台を学校の屋上から眺めていた。屋上の鍵を使えるのは生徒会長の役得で、舞台には、アニメーションアイドルが立体映像としてある。
立体映像とは、スクリーンにではなく、空間に、立体として投影される映像だ。それは、キャラクター産業の発展によって、資金が増えて開発された、サイエンスフィクション小説では馴染みの、技術で、二十一世紀中葉の現在でも、大変に高価だった。
ここが、北陸にある、お嬢様学校でなければ、アニメーションアイドルの招待などできない。中身の人間やキャラクター事務所に払う代金に、投影機や舞台設置の費用まで、普通の高校では、今でも無理だ。
そんな、お嬢様学校の生徒会長、大河雫は、進路で悩んでいた。
バーチャルを目指すのは、「違う」と思うのだ。
つまりは、心の中に目指したい願望がある。承認欲求の結果だろう。
はぁ、とため息を着いて、スマホを取り出した。カメラ機能の画面にすると黒のストッキングを履いた長い左脚に向けた。屋上の欄干に捕まり、右脚に重心を移動して、左脚を校舎側の宙に伸ばすと、がに股にならないように左側面を強調するため、腰をひねる。身バレしないよう、屋上の地面だけを背景にして数枚、脚を撮影する。姿勢を戻して、その中から一枚を選ぶ。念を入れて、スマホの機能で写真の背景を、浜辺の砂浜に変えると、陰影をつけて艶めかしくする。黒ストッキングに照りの濃淡が良い。
会員制のアブナイ自撮り用サイトにアップロードした。
すぐに世界中の会員から反応がある。感動はしない。慣れている。今夜は、もう少しアブナイ写真をアップロードする予定だ。そちらの反応のほうが、感動できて、心を潤すだろう。しかし、大河は冷めていた。このサイトは、承認欲求を満たすツールでしかない。大河は冷めている。深みにはハマってない。その筈だ。
アニメーションアイドルの舞台に振り向いた。そこでは、アニメ絵の青年と少女が騒いでいる。少し下世話な話をして親近感を持たせたり、早い思考で、より面白い話をしたり、しかし、自由なトークは楽しそうだ。キャラクター事務所「きゃらくたん」の中堅だったか。
これから、あのアニメーションアイドル二人は、宣伝として、話題のゲームを少しする。
しかし、大河は、そのゲーム実況を見ずに、生徒会室に戻るつもりだ。仕事がある。それを済ませたら、演し物の査察を適当にしてから、やっと、自由時間だ。その時には、実況も終わっている。大河は忙しい。だからしょうがない。
その大河が、アブナイ写真をネットに上げているのは、学校の人間は誰も知らない。知っているのは、このサイトに誘った男と、その彼女で、男を紹介した中学の時の先輩だけ。
スマホの時計を確かめた。そろそろ、生徒会室に戻る時間だ。最後に自撮りサイトの反応を確かめた。会員制という事もあり、反応コメントはキモくない。
涼やかな空気を感じながら、大河雫は、屋上を後にした。
が、心の水底には、バーチャルへの願望が粒子となって、沈殿した。
【8】
十一月の誕生日から一ヶ月。ラブホテル。聖なる夜が明けた朝。
「目指したほうが良いですよ」と、事後の林さんは言う。
勿論、相手は大河だ。林さんは、グレーのパンツを履いていた。大河は、ヴァイオレットの下着を上下着ている。備え付けの椅子に座る林は、大河に言葉を投げかける。
「バーチャル。成れば良いと思います」
大河は、林に背を向けて服を着ようとしていたが、片眉をあげて振り向いた。
林の目は真剣だ。対して、大河は言葉の意味が分からない。
「確かに、昔は考えたけど――」
「未練あるでしょう」
「ないですよ」
「あります」
林と交際して分かったことがある。この人は頑固なところがある。しかも、良い意味で。
「承認欲求は、もうありませんし、それに、バーチャルは、最初から『違う』と思ってたんです」と答えながら、林の目を見た。体は堂々と隠さない。
「そこです」
「何が」
「『違う』と思ってたんでしょう」
「ええ、はい」
「それ、『承認欲求とは違う』と感じてたんでしょう」
「え」
「前提との違いを感じてたんだと思いますよ」
「でも、今更」
「大丈夫ですよ」
心が揺れた。やはり、林には頑固なところがある。母方の祖母に似ている。
相手から目線を逸して、大河は考える。言語化されてみれば、林の言う通りだ。
しかし、なぜ。
「なぜ、林さんが、勧めるんですか」
「貴方の交際相手だからです」
「彼女が人気に成って、妬かないんですか」
「いえ」
「では、逆に喜ぶ?」
「いえ、ゲスな喜びはありません」
「なら、なぜ」
「雫さん。無理はダメです。ただ、それだけです」
「無理してますか、私」
「お願いです。雫さん」
「お願いですか」
「はい」
変な会話だ。しかし、親身になってくれるのは悪い気がしない。少し強引で愚直だが、そこが、大河の好みに合う。合わないところは目をつぶる。
「目指して良いんですか」
「はい」
「結構、本気になりますよ」
「はい」
「専業も視野に入れます」
「構いません」
「もし挫折しても養ってくれますか」
「勿論です」
「では、そのお願いを聞き届けます――でも、こちらからも、お願いがあります」
「なんでしょう」
「これからも、夜は、敬語を辞めて下さい」
※「た、」は誤字ではありません。そういう表現です。
※「炉漫」も誤字でありません。正しくは「浪漫」ですが、3浪2浪の漢字を嫌い、炉で代用しました。
作者はバ美肉vtuberとして準備中!
レナータ・デ・ドーニャ・パンサという名前です!