結婚相手はチョロいに限る
白い日傘は日差しを受けて輝き、アリアの美貌をより神聖なものへと高めていた。
犯せざる高貴さを醸し出す少女の傍らに立つ男は一体誰なのかと、人々の責めるような視線がアリアの隣に立つ青年へと集まる。だが、すぐに得心したように雰囲気が和らいだ。知性にあふれた青年の面差しが、シャウラ家の次男ノーディスのものだと気づいたからだ。
「天気がよくて何よりですわ。雨の日も好きですけれど、せっかくノーディス様とご一緒できるんですもの。気兼ねなく散策したくって」
「雨には雨のよさがありますが、やはり外出するとなると晴れているに越したことはありませんからね」
もっとも可憐に見える位置に日傘や首を傾けようと腐心するアリアの隣で、ノーディスは穏やかに微笑んでいる。
幸い、アリアの必死の努力は悟られていないようだ。勘づかれていたら恥ずかしいどころの騒ぎではないので、ぜひこれからも気づかないでもらいたい。
アリアの歩みに合わせ、ノーディスもゆっくりと歩いてくれた。初夏のウェスリント・パークの一番の見どころは、国花でもある豪奢な薔薇だ。
たわいもない話をしながら薔薇のアーチの下を通っていると、まるで本当の恋人になったかのように感じられた。このむせかえるような甘い芳香にあてられたせいだろうか。
ウェスリント・パークの散策に限らず、実現した数度の逢瀬はすべて好感触で終わった。
ノーディスはすっかりアリアに夢中なようで、花束やら小物やらといった手土産も忘れない。それに彼は気配り上手で、アリアの欲しい物やしてほしいことをぴたりと言い当てることができた。麗しい貴公子に愛を囁かれながら傅かれていると、乾いていた心が満たされていくような気がする。
「王都で人気の菓子店で、ケーキをいくつか買ってきたんです。アリア様は甘いものはお好きですか?」
ノーディスの思慮深そうな一つ目は、いつもアリアを見つめている。まるで、アリアのすべてを知りたいと言うように。その探究心と洞察力は、学者ならではのものなのかもしれない。
「このブローチ、アリア様に似合うと思って。もしよければ受け取っていただけませんか?」
そう言って彼が渡すアクセサリーは、アリアの魅力を引き立てるものばかりだ。もちろん流行も押さえてある。どんなものがアリアに似合うか、アリアならどんなものが好きそうか、吟味に吟味を重ねて選んだのだろう。
「わたくし、ノーディス様と一緒にいる時が一番心が安らぐのです。貴方にお会いできる日が待ち遠しくて仕方ありませんの」
最高の笑みと共に優しく言い募る。感謝の気持ちは素直に表すのが一番だ。だって言葉一つで相手の充足感を引き出して次につなげることができるなら、やらないほうが損なのだから。
「素敵な刺繍ですね。私のためにわざわざアリア様が施してくださったのですか? このハンカチはずっと大切にさせていただきます」
刺繍に限らず、教養を見せる機会は逃さない。「お嬢様の遊びなんて何の役に立つの?」だの「男に媚を売るために生きてて楽しい?」だのとライラには馬鹿にされるが、アリアにとっては立派な特技だ。この通り、ノーディスだって喜んでくれている。
観劇、買い物、散策、果てはレストランの食事まで。ノーディスのスマートなエスコートはアリアの自尊心を大いに満足させた。
ノーディスは、アリアが「好き」と言ったものは絶対に忘れない。彼ほどの男がかいがいしく尽くしてくれるなら、これまで淑女教育に明け暮れた労力も報われるというものだ。
(決めた。わたくしの婿は、この男にしましょう)
ノーディスがすっかりアリアに熱を上げ、アリアもまんざらでない様子を見せているものだから、アリアの両親も有頂天だ。ノーディスとの仲は半ば公認のものとなり、あとは正式な婚約の申し込みを待つだけになった。
*
日に日に夏の暑さが厳しいものになっていく。アリアがノーディスと出逢い、もう一ヶ月が経とうとしていた。
今日もノーディスとの逢瀬の日だ。午後からウェスリント・パークでのんびりと散策を楽しみつつ、生け垣でできた迷路の見物に行く。王立の公園らしく宮廷の庭師が手入れをしているだけのことはあり、トピアリーひとつとっても壮観だった。
アリアはうっとりとしたようにノーディスを見上げる。あくまでも自然体に見えるように、計算しつくしたうえの所作だ。
生い茂る生垣の小径の中に入ってしまえば、他の恋人達の視界には入らない。遠くからアリア達を見守る目付役のことも、意識の外に追い出すのはたやすかった。
「ここにいると、なんだか世界にわたくし達二人きりしかいないように思えます」
「本当にそうならどれだけいいか。もしそうであったなら、アリア様の目にいつでも私を映していただけますから」
しなだれかかるアリアを、ノーディスは優しく受け入れた。彼はアリアの耳元に唇を寄せ、甘く低い声で蠱惑的に尋ねる。
「無作法な男だと、突き飛ばされても構いません。どうかこれだけは訊かせてください。……今日、貴方とここにいるのが私でよかった。けれど明日、貴方は他の男とここに来るのでしょう?」
見え透いた睦言だ。口ではなんとでも言える。それでも彼の言葉は、アリアにとっては勝ち筋を照らされたに等しい。
「いいえ。せっかく貴方と訪れた場所ですもの。もしも明日また来るなら、その時もぜひ貴方とご一緒したいのです。……わたくし以外の女をお傍に置く貴方を見ると、きっと胸が張り裂けそうになってしまいます。そんなわたくしのことを、愚かで醜いわがままな女だとお思いでしょうか……?」
切なく目を伏せ、声を震わせる。とびっきりの媚態に、ノーディスも気をよくしたらしい。ノーディスはアリアの手を取り、その手の甲に口づけを落とした。
(──勝った)
赤い眼差しは真摯にアリアだけを見つめている。アリアは内心で己の勝利を確信し、彼の次の言葉を待った。
「その可愛らしい願いを無下にする男など、世界のどこにもおりません。ですがよろしいのですか? 貴方の隣に立てる栄誉を、永劫私にのみ授けるとおっしゃったのと同義となってしまいますが」
アリアははにかんでうつむいた。どうせ、沈黙は何よりも雄弁だ。余計な言葉は言わないほうが、想像力を掻き立てられるだろう。
迷路を出るころには、二人の距離感はぐっと縮まっていた。寄り添い合う姿は、仲睦まじい恋人そのものだ。
そして数日後、シャウラ家から正式に婚約の申し込みが届いたことで、アリアは一人自室で勝利の高笑いを上げた。
もちろん両親の前では恥じらうように目を伏せて、「わたくしでよいのでしょうか」としおらしく言ってある。当然の結果とはいえ、思い通りになるのはやはり気分がいい。
「どうかわたくしを失望させないでくださいませ、ノーディス様?」
婚約の申し込みと同時に届いた恋文を、陶然とした面持ちでと抱きしめる。貴公子はすっかりアリアに籠絡された。あとは、彼がよそ見をしたり道を踏み外したりしないようにしっかりと見張るだけだ。
見目麗しく優秀で血筋もいいノーディスなら、レーヴァティ家の婿として不足はない。愛するアリアのために、という名目で、ノーディスには誠心誠意尽くしてもらうことにしよう。この家も、忠実な夫も、ありとあらゆる称賛と羨望も、淑女の鑑たるアリアが手に入れるべきものなのだから。
次話からは、ノーディス視点の話が四話続きます