順調な滑り出し
「わたくしもお会いしとうございました。ですがノーディス様ほどのお方なら、わたくし以外にも訪問を心待ちにされている方々がいらっしゃるのではなくって?」
「失礼のない程度には、他家の方々とも社交させていただいていますが……当家は兄が継ぎますし、あまり熱心にならずともよいと言われているんですよ。私自身、立場にこだわりはありませんので。今はまだ学生ですが、卒業後も学問を続けていく予定ですから、それさえ叶えられれば十分なんです。……こういう向上心のないところが、人によってはあまり好ましく思われないようで」
ノーディスの考え方は少し意外だったが、訪問先にアリアが選ばれたのは納得した。アリアがレーヴァティ家を継ごうが継がまいが、ノーディスにとってはどちらでも気にしないのだろう。
(けれど……それではまるで、ますますわたくし自身を求めてくださっているように思えてしまいます)
胸の奥がじわりと熱くなる。透き通るように輝くその赤い尖晶石の瞳は、しっかりとアリアを映してくれているのだ。
「そうかしら。わたくしは素敵だと思いますけれど。身分ではなく、あくまでもご自身の能力で身を立てようとなさっているんですもの」
「アリア様にそう言っていただけると、私も肩の荷が下ります。実のところ、私ではアリア様にはふさわしくないのではないかと不安だったものですから」
ノーディスはちらりと視線を動かす。その先には、見守るために同席していたアリアの両親がいた。レーヴァティ公爵夫妻はにこやかに微笑んで応じる。下手なことを言って過去の汚点をぶり返したくはないのだろう。
「ノーディス殿はどちらの大学に?」
「イクスヴェードです。大学では主に魔導学を学んでいて、半年後には卒業する手はずです。その時は教授の席の推薦状を用意していただけるとのことなので、いっそう勉学に身が入りますよ」
「ほう。その若さでイクスヴェードの推薦を得るとは。さぞ将来有望な魔導学者なのでしょうな。さすがはシャウラ家のご子息だ」
父はすっかり気をよくしたらしい。母も満足そうに相好を崩していた。
イクスヴェード大学と言えば、国で一、二位を争う名門校だ。卒業後の栄華も約束されている。
学問を志す者のうち、才能のある者であれば若いうちから大学や研究所の職に就くが、それが早ければ早いほど優秀さの証明になった。イクスヴェードの卒業証書と推薦状を持つなら、どこの学術機関でも引く手あまただ。
シャウラ家の人間だという色眼鏡を差し引いても、ノーディスの頭脳は公に認められているのだろう。教授職は名誉ある仕事だし、上流階級の職業としてもふさわしい。アリアの結婚相手としてまったく問題なさそうだ、と二人は判断したようだった。
(ですが、口だけならなんとでも言えますわ。彼だって、本当はレーヴァティ家の家督目当てかもしません。それに……お父様とお母様が彼を気に入ったのも、レーヴァティ家の婿としてふさわしいからではなくて……いずれわたくしを問題なく追い出せるように、わたくしを押しつける相手として認めたのかもしれませんもの)
実家が太いうえに、本人も若くして名門大学の後ろ盾を持つ未来の教授。これほどの良縁をまとめたのだから、アリアも文句は言わないだろう────両親の打算を疑う程度には、親子の間に信頼はなかった。
笑みを顔に張りつけたまま、アリアは注意深くノーディスを観察する。彼の本心は何なのか。
たとえどれだけ好感を持てても、アリアは素直に人のことを信用できない。アリアの視線に気づいたのか、ノーディスは柔らかく微笑んだ。
「いえいえ、私にはそれしかとりえがないだけですから。おかげで、魔導学にしか興味のない朴念仁だと兄からはいつも揶揄されていますよ。アリア様を退屈させてしまわないといいのですが」
ノーディスはティーカップを手に取った。すらりと伸びたしなやかな指が目に止まる。
「アリア様は何かご趣味はございますか? つまらない男と過ごす時間のせめてもの慰みに、貴方のお好きなことを私も共有させていただきたいのです」
「手習い程度ですが、刺繍と器楽を少々たしなんでおります。最近では、よくウェスリント・パークの散策にも出かけておりますわ。咲いているお花を眺めて、自然や季節を感じるのが好きですの」
「奇遇ですね、私も散歩は好きなんです。美しい景色の中を歩いていると、思索がはかどりますから。自然の美に触れていると、心が洗われるような気がしますよね」
模範的な貴族令嬢らしい回答を、ノーディスは無事気に入ったらしい。本当は刺繍も楽器も教養として身につけただけで、アリアには趣味らしい趣味などなかったが。
散歩も、適度な運動を維持する名目で許可されたものだ。ただ決められた時間をあてもなくうろうろと歩くだけで、別に花などに興味はなかった。だが、花だの動物だのといった可愛らしいものを愛でているほうが、好意的に見てもらえる可能性は高いだろう。
「よろしければ今度、一緒にウェスリント・パークを散策しませんか?」
「ノーディス様にお誘いいただき光栄です。楽しみにしておりますわ」
ウェスリント・パークは王都で一番大きな王立公園で、上流階級の者達もよく散策している場所だ。四季ごとの花やゆったりとした乗馬を楽しめるので、若い貴族の男女にとっては定番のデートスポットと言い換えることもできるだろう。
屋敷の訪問で好感触を得られれば、令嬢を外に連れ出す誘いをかけることでお見合いが第二段階に進む。こうして次の約束を持ちかけたということは、ノーディスもアリアとの縁談に前向きだということだ。
もっとも、だからと言ってアリア一人に決め打たれたわけではないだろうし、アリア側でも並行して他家の男性とのやり取りを行うだろう。大勢いるであろう互いの配偶者候補の中で、一歩前進したというだけに過ぎない。横並びの他の候補者はきっとまだ多いはずだ。
それでも確かな印象を残し、ノーディスは帰っていった。今日は他にも何人かアリアとライラ目当ての客が来たが、ノーディスほど条件のよさそうな相手はいなかった。
「アリア、ノーディス様には絶対に気に入っていただかないといけませんよ」
「承知しています、お母様」
「素晴らしい良縁が向こうから現れてくだすったんですもの、なんとしてでも引き寄せなければ。貴方がシャウラ家のご子息に見初められるだなんて、わたくしも鼻が高いわ」
「これからも決して失礼のないようにな。お前ならきっと、ノーディス殿の心を射止めることができるだろう」
両親は始終上機嫌だ。その空虚な称賛に、アリアも微笑みを浮かべて応じる。
「アリアは手がかからない、いい子でよかったわ。ライラも貴方ぐらい聞き分けがよかったら……」
ライラのことを想っているのだろう。母は微苦笑を浮かべた。それでも、その声音はひどく優しい。
両親にとって都合のいいアリア。他人にとって都合のいいライラ。結局自分達はよく似た姉妹ではないのだろうか。
アリアはずっと渇きに苦しんでいた。それならライラはどうだろう。もし大嫌いな双子の片割れも同じ苦しみを背負っているのなら、もう一度ぐらい歩み寄れる気がしたが────アリアには、ライラの考えていることはもうわからなかった。