続くこれからを、貴方と
春を迎えたばかりの街は活気に満ちている。もうすぐ領主の結婚式が執り行われるというのだからなおさらだ。
誰もが若い二人の門出を祝福し、彼らの統治によってもたらされる明るい未来に期待を寄せていた。その様子はアリアの耳にも届いている。すべてアリアの望み通りだ。何も心配することはない。それなのに、結婚式の日取りが近づくにつれて胸がざわめくことが増えてきた。
「ねえアリア、緊張してらっしゃるの?」
ついに挙式の日を迎えるも、その不安は強まるばかりだった。
そんなアリアを見かねたのが、介添人のアンジェルカだ。直前まで興じていた他愛のない雑談と同じ温度で尋ねられたものだから、アリアは思わず頷いてしまった。隠し通していたつもりなのだが、わかる人にはわかってしまうものらしい。アンジェルカが人の心の機微に特別聡いのだろうか。
「この日をずっと待っていたんですもの。わたくしは今、とても幸せですわ。けれど……本当に、これでよかったのでしょうか……」
大教会の控室にはアリアとアンジェルカの二人しかいない。どうせこの深海の瞳の姫君はアリアの猫かぶりに感づいているのだから、弱みをさらけ出すことにもう抵抗は覚えなかった。ノーディスという前例がいることも、アリアに勇気を与えていた。
「わたくしにも何か力になれることがあればいいんだけど……アリアのその疑問に答えられるのは、きっとわたくしじゃないわね。アリアが今何を考えてるか、まっさきに相談したほうがいい人がいるんじゃない? それでもまだ不安なら、その時はわたくしにもお話してくださるかしら」
「……アンジェ様のおっしゃる通りですわね。わたくしはもう、ひとりではありませんもの」
「その通りよ。ノーディス君とお幸せにね、アリア。ああ、わたくしも早くウィドと結婚したいわ!」
慈愛に満ちた眼差しで微笑まれ、アリアも口元をほころばせる。アンジェルカの言う通り、この憂いは自分だけで抱えるべきものではなかった。
領中の有力者達が参列した結婚式はつつがなく終わった。神の前で永遠を誓い、参列者達を証人とする。その中にはアンジェルカやウィドレットもいた。万雷の拍手は誓約が承認された証だ。これで、アリアとノーディスの愛は保障される。
大教会の外に出ると、春風がアリアの頬を撫でた。まだ少し冷たさの残る風に惑わされてしまわないように、ノーディスの手をそっと握る。隣に立ったノーディスは、微笑を浮かべてそれを受け入れた。
「ねえ、ノーディス。どんな家庭が居心地がいいか、わたくしと一緒に探してくださるのでしょう?」
「もちろん。夫婦になるっていうのはそういうことだからね」
「……血を繋ぐのは貴族の義務です。ですから、結婚も出産も当たり前だと思っておりましたの。……けれど怖いのです。自分が一体どんな親になるのか。だってわたくしは、自分の両親のことしか知らないんですもの。わたくし達の子に何かひどい仕打ちをしてしまわないか、どうしても不安で……」
「大丈夫。アリアがされたかったことをしてあげればいいんだよ。私もついているし、信頼できる子守りや教師も探そう。正解がわからなければ、その子としっかり向き合えばいい。そうやって、私達だけの家族の形を見つければいいんだ」
ピスケス・コートに戻るために馬車に乗る。沿道には幸せな夫婦を一目見ようと思った市民達が並んでいた。彼らに手を振れるよう、カーテンはしっかり開けられている。歓声に笑顔で応えながら、胸に残っていたわだかまりが溶けていくのを感じていた。
「貴方がわたくしの夫で本当に幸運でした。これから先に何があろうとも、貴方がわたくしを支えてくださるのならきっと心配はいりませんわね」
「もちろん。貴方の人生を変えた責任はしっかり取るよ。私の聖女様のためなら、なんだってしてみせようじゃないか」
「あら。わたくしだって、わたくしの騎士様の運命を預かっておりますのよ? それならば、わたくしにだって果たすべき責任があるのではなくって?」
言葉に甘い熱を乗せて見つめると、ノーディスの表情も緩む。愛しげにアリアの頭を撫でてくれる彼の手を、いつからこれほど恋しいと思うようになったのだろう。
ほどなくして馬車はピスケス・コートに着いた。東庭園には、領主夫妻のスピーチを待つ者達が集まっているようだ。東庭園を一望できる執政院のテラスに立って、結婚を祝ってくれたことへの感謝と、夫と共にレーヴァティ領を変わらず守っていく決意を彼らに伝えなければ。それが終わればパーティーだ。賓客をもてなし、祝宴を滞りなく進めるための手配はすでに済んでいる。後は予定通り、そつなくこなせばいい。
ノーディスにエスコートされながら執政院の廊下を歩いていく。ふと、見覚えのある少年が所在なさげに立っているのが見えた。
「あ。アリアお嬢様。このたびはおめでとうございます」
「……貴方も来ていたのね、ダルク」
「村長がどうしてもお祝いに行きたいって言ってたから、その護衛で。これまで討伐したモンスターの報告書も上げないといけなかったし」
儀礼用の軍服に身を包んだダルクは気まずげに頭をかく。ライラ派の使用人は──夜逃げでもしたのか連絡が取れない者もいたが──全員解雇済みだが、ライラ派の筆頭とも呼べるダルクのことだけは、アリアはクビにはしなかった。何故ならば、雷鳴森付近のモンスターの討伐で功績を上げ続ける彼は周辺の集落の住人からの信頼が厚いと小耳に挟んだからだ。
人気取りの手段は多いに限る。そこでダルクはレーヴァティ家が推薦した優秀な戦士ということで軍隊の預かりにし、変わらず辺境に押し込めることにした。
アリアとしてはこき使っているつもりだが、本人はちっとも堪えていないようだ。そうでもなければあっさり出世はしないだろう。
フェンリルもいなくなった今、かつてライラが住んでいたレーヴァティ家のカントリーハウスは、ダルクとその配下の兵士達の砦として再利用されていた。どうせアリアが私的に使うつもりもない場所だし、たとえ僻地であろうとモンスター対策に力を入れていると領民に認識されてアリアの支持率が上がるのなら文句はない。せいぜいアリアに貢献すればいいのだ。
「それと、ノーディス様。前に軍部に提唱してた回復魔法の新呪文と兵士の布陣なんですけど、あれすごいですね。この前のグリフォン討伐作戦で導入してみたんですが、被害が予想よりかなり少なく済みました。ありがとうございます」
「当然のことをしたまでです。前線で戦ってくださる貴方達のような兵士のおかげで人々の平和が守られるんですから、貴方達のための支援は惜しみませんよ」
ノーディスはにこやかに答える。さすがアリアの夫は優秀だ。顔をほころばせるアリアを、ダルクはまじまじと見つめた。
「やっぱり、婚約してからアリアお嬢様って変わりましたね。そんな風に笑えるようになるなんて。昔の笑顔はあんなに空っぽで嘘くさかったのに、今じゃ全然考えられない。よかったじゃないですか。じゃ、お幸せに」
言いたいことだけ言って、ダルクはさっさと行ってしまう。口調は多少丁寧だったが、傍若無人ぶりは相変わらずのようだ。
「ごめんあそばせ、ノーディス。彼は昔から振る舞いが目に余りますの」
ため息をつく。ノーディスはまぶしげに目を細めた。
「そうかい? 私は嬉しかったけど。私が貴方に与えた影響を実感できたからね」
「もう。ノーディスったら」
頬を染めたアリアはノーディスを見つめる。宝石のように輝く瞳はアリアだけを映していた。
「ふふ。実は私は、貴方が思っているほど善良な男じゃないからさ」
「それならわたくしだって、貴方が思うほどか弱い女ではなくってよ?」
口づけを交わし、二人は再び歩き出す。
纏う虚飾は、いまだに見破られていない。それでも想いに偽りはなかった。たとえ擬態に気づかずとも、それすらまとめて愛することはできるのだから。
相手に愛されるよう仕向けるつもりだったのに、どちらが先に相手を本気で愛してしまったのか、その答え合わせも必要ないだろう。