投獄=追放
次話が最終話になります。明日の正午ごろに更新する予定です。
ライラは獰猛なモンスターをペットとして飼い馴らし、人々を危険に晒した。たとえ故意でないとしても、また同じことをやらかさない保証などない。
撒き散らす不吉な予言にしてもそうだ。ただの妄想だろうと、あるいは何か本当に人知を超えた力によるものだろうと、それが人の心を恐怖や狂騒へと駆り立てることに変わりはない。才色兼備の公爵令嬢という権威を自覚もなしに振りかざし、自分の言葉がどれだけの威力を持つのか理解すらしない彼女を野放しにするわけにはいかなかった。
自分の行動に責任を持てず、自分の中の善悪でしか物事を見ないライラ。そんな彼女が莫大な魔力を有しているというのも、今後の国の安寧を考えれば大きな不安要素となる。
ライラの機嫌ひとつで歴史が変わってしまいかねない。そのありようはさながら魔女だ。修道院での療養という名の終身刑は、『被害者』のライラに対するオルディールなりの最大限の譲歩と言えた。
オルディールはベルを鳴らして自身の護衛達を呼び、代表者に何かを囁く。代表者が目配せすると、護衛達の中から数人がライラを取り囲んだ。戸惑うライラに、オルディールはにこやかに告げる。
「修道院は遠いから、君のことは僕の護衛達に送らせよう」
「あ、ありがとうございます? でも、そんな急じゃなくても……」
「何を言うんだ。君のような素晴らしい才能の持ち主は、一刻も早く保護しないと。君の予言の力を悪用したり、君を害したりしようと目論む輩がいないとも限らないからね」
そう言って、オルディールはノーディスを一瞥した。ノーディスは悔しげに歯噛みしてオルディールを睨む。なんだかんだ言っても従兄弟だからか、即興の小芝居でも息はぴったり合うようだ。
そのさまを見て、ライラは納得したように口元を緩めた。勝ち誇ったようにアリアを一瞥するのは憎らしいが、こちらの策略に気づいていない愚かさゆえだと思えば受け流せる。今はせいぜい浸らせておけばいい。
オルディールはそんなライラをエスコートして応接間を出ていく。前公爵夫妻もそれに続いて護衛達に連行された。
「王太子殿下ったら、こうも上手にライラを丸め込んでしまわれるだなんて」
「殿下は女性に優しいと評判だからね。こういうことには慣れているんだろう。移送中に暴れられて逃走でもされたら一大事だから、うまくなだめてくれて助かったよ。修道院に着けば、孔塞刑が施されるだろう。魔力孔自体をふさいでしまうから、どれだけ莫大な魔力を有していようと二度と魔法は使えなくなるんだ。これでもう、彼女には何もできないよ」
魔力を持たないアリアにはあまり馴染みのない刑罰だったが、知識としては知っていた。魔法による犯罪を犯した者に対して、特殊な施術で魔力孔を消し去ってしまうものらしい。魔力を持つ者にとって魔法が使えなくなるというのひどく耐えがたいものらしく、それこそ刑罰でもなければ行えない過酷な行為だとされていた。
(少しもったいない気もしますけれど……ライラに力を持たせるわけにはまいりませんもの。プレイアデス製の魔具を実用の水準にまで到達させていたほどの魔力をライラから絞り取って、ポラリス製の魔具の原動力にできれば利便性は飛躍的に向上するでしょうが、それでは根本的な技術革新には至りません。第一、ライラ一人の力に頼りきるようでは、それこそライラと同等に堕ちてしまいます)
アリアが、そしてポラリス商会が目指すのは、決してライラの模倣ではない。
魔力を持たない人間でも使える魔具を作るために、ライラの魔力に頼っていたら本末転倒だ。今はユークが人工的に魔力を生成する方法を模索しているそうなので、投資するなら断然そちらだった。
「それと、貴方の姉君の個人資産は、横領分の補填のほかに件の修道院への寄付にも回したほうがいいと思う。これから彼女を預かってもらうんだから、修道院側に気を使っておくに越したことはない」
「ええ。もう使う方のいらっしゃらない財産ですし、有効的に活用いたしましょう」
ライラの痕跡など、残しておいてもしょうがない。ライラ付きだった使用人達も整理しなければ。大好きなライラお嬢様はもういないのだから、レーヴァティ家を辞めることになっても悔いはないだろう。
「それにしても……彼女には一体何が見えていたんだろうね。自分が国を守ってるだとか、私が偽物だとか。どうしてそんな結論に至ったのか、聞いたところで理解できる気はしないけど……」
「双子といえど、あの子の考えはもうわたくしにもわからないのです。わたくしとライラの道は、完全に分かたれてしまったのでしょう」
アリアは物憂げに目を伏せる。アリアに歩み寄るどころか隙あらばアリアを踏みにじろうとする姉と話すことなどもう何もなかった。
ライラが都合よくすり寄ってくる他人を受け入れるのは、アリアと同様にこじらせた承認欲求の結果なのかもしれない。だが、それでライラに自分を重ねて通じ合った気になろうにも、これまでライラに突きつけられてきた否定の言葉があまりにも積み重なりすぎていた。最後の最後まであの調子なのだから、許すことも共感することももはや無意味なのだろう。
「それでもひとつだけ、わたくしにも言えることがございます。未来など、誰にも見通せないものです。ライラが防いでみせたという不幸が、本当に起こることだったのか……その判断すらつけられません。ですが、ライラの言葉が仮に真実だったとしても……見知らぬ可能性のまま潰えた未来より、目の前にある現実のほうが大切ではありませんこと?」
アリアはくるりと身をひるがえし、ノーディスの腕の中に収まる。彼の胸にぽすんと頭を預け、アリアはノーディスの鼓動に耳を澄ました。
「たとえライラがきっかけで変わったものがあろうとも、そこからどのように未来を紡ぎ直すかはすべて自分次第ですわ。その結果、今のわたくし達があるのです。過去の自分も現在の自分も、つながっているのですから。そうでしょう、ノーディス」
「ああ。その通りだね、アリア。誰かのちょっとした行動が自分の何かに影響を及ぼしたって、結局自分の運命を決めるのは自分しかいないんだ。……それでも他人の人生を左右したいと思うなら、同じものを背負われる覚悟がないと。私の聖女様になら、私は自分の人生を預けてしまってもいいと思うけど……貴方の人生も私に預けてくれるなら、絶対に後悔はさせないよ」
アリアを優しく抱きしめてノーディスは囁く。アリアの答えなんてとっくに決まっていた。
* * *
「あっ、ダルク!」
愛しい従者の姿を見つけたライラは、王太子と組んでいた腕をほどいて彼に呼びかける。使用人らしく壁際に寄ってうつむこうとしていたダルクは、困ったようにその動きを止めた。
「ライラお嬢様、お客様の前でそのような……」
ダルクにしては歯切れが悪い。彼はずっとライラ付きとして離れで過ごしていたので、本邸で高貴な客人を迎えることに慣れていないからだろう。今日だって、オルディールとのお見合いという名目だったので応接間にすら連れていけなかった。
ダルクは縮こまってオルディールをうかがっているが、当のオルディールはニコニコしている。ダルクが気にしすぎなだけだ。
遠回しに馬鹿にされたことはまだ許していないが、前世の話を信じてくれたことでオルディールへの好感度はゼロから一ぐらいには上がった。原作通りのナルシスト男ぶりには辟易するし、可愛いだけの悪女にころっと騙されるようなアホっぷりは健在とはいえ、ずっと妹の味方だったのと同様にライラの肩を持ってくれるというのなら、味方とみなしてもよさそうだ。
(これで女癖の悪さと思い込みの激しいところがなかったらなぁ。世間知らずのバカ王子だから、意識が低いのも仕方ないけど。わたしが淑女教育なんてやってないのも事実だし。でも、そんなの必要ないってこれからじっくりわからせて、王太子をこっち側に引き込んであげよっと)
いくらアホでも王太子は王太子だ。彼への啓蒙が成功すれば、この国にはびこる時代遅れの価値観も覆せるだろう。
(わたしは平穏に暮らしたいだけなのに、まさか社会改革まで始めちゃうとは……。でもしょうがないよね、快適に暮らすにはこの世界の文明が遅れすぎてるんだもん。あーあ、いつになったら休めるのかなぁ)
王太子の権力と財力を使えば、今まで以上に好きなことができるようになる。王太子妃には絶対になりたくないが、スポンサーとしてならオルディールは大歓迎だ。これでまた何か新しい事業を始められるかもしれない。
「ええと……何かご用でしょうか、ライラお嬢様」
「わたし、これからプレセペ女子修道院ってところで暮らすことになったの」
目を丸くするダルクに事情を説明する。自分は神の寵愛を受けているので、王太子の要請により修道院で保護されることになった、と。実際、原作知識によって未来を知っているのだから、予言の神の加護というのもおおむね間違ってはいない。
「ダルクも一緒に来てくれるでしょ?」
「えっ?」
ライラが誘えば、たとえどこであろうとダルクは一も二もなく了承すると思っていた。原作のダルクがそうだったからだ。
アンジェルカのいる場所であれば、彼はどこにだって馳せ参じた。だが、今ライラの前にいるダルクは、いまだに呆けたようにライラを見ている。
「俺がですか? いや、それはさすがに。だって、女子修道院なんでしょう? 他の方々にも迷惑がかかりますよ」
オルディールの手前取り繕っているだけだと思うが、聞き慣れないダルクの敬語はやけに他人行儀に感じられた。
「彼の言う通りだよ、ライラ嬢。女性しか入れない修道院だから男性の従者なんて連れていけないし、そもそもレーヴァティ家の使用人は必要ない。貴方の世話をする人間は向こうにいるからね」
「でも……わたしがいなくなったら、ダルクは寂しいでしょ?」
ライラはこてんと首をかしげる。すると、ダルクは晴れやかに笑った。
「まさか。お嬢様の旅立ちを、俺なんかが邪魔するわけがないですよ。むしろお嬢様が新しい道を見つけてくれて嬉しいくらいです。どうか俺のことは気にしないでください、お嬢様」
「ダルク!?」
「修道院に行くって聞いた時は、恋を捨てて神に仕えることで一生を終えるおつもりなのかと思いましたが。そういった名誉なお話なら、俺も胸を張って送り出せます。どこにある修道院なのかはわかりませんが、どこにいてもお嬢様のことは応援してますから」
(ど、どういうこと!? なんで今さらダルクがこんなこと言うの!? ダルクはわたしのことが好きなんでしょ!?)
『アンまど』のダルクは、内乱で死なないようアンジェルカにわざと冷たく当たられて暇を告げられようが、殺意を燃やすウィドレットと相対してしまわないように遠方の拠点の防衛を命じられようが、決して諦めることはなかった。
何があってもアンジェルカの傍にいることを選んだ彼が、こんな風に物分かりよく別れを受け入れるなんてありえない。だって、原作のアンジェルカのポジションにはライラがいるはずなのに。
「で、でも、わたしがいなくなっちゃうのに、ダルクはこれからどうするの? まさかアリアに仕える気?」
「このまま村に帰りますよ。雷鳴森からフェンリルの吠え声が聞こえなくなったせいで、縄張りを乗っ取りにモンスターがしょっちゅう来るようになったのはお嬢様も知ってるでしょう? 村のみんなが危ない目に遭わないように、そいつらの討伐を続けないといけませんから。俺を拾ってくれたのはライラお嬢様ですから、お嬢様がいない以上レーヴァティ家に残してもらえるかはわからないですが……兵士としてあの村を守るのもいいかなって」
知らない。知らない。こんな風に穏やかな目をしたダルクが、アンジェルカとかかわりのない未来を語ることなんて。ライラがいない前提で、どうして話を進められるのだろう。
「ダルクは……ダルクはほんとにそれでいいわけ? わたしのこと、好きなんじゃないの!?」
恥を忍んで指摘する。勢いに任せたその追及にダルクは目を見開いたものの、すぐに気まずげな乾いた笑いを浮かべた。
「もちろん従者としてライラお嬢様のことは大切に思っていますが……。お嬢様のことが好きだなんて、そんなわけがないでしょう? お戯れはおやめください」
「なんでそんなこと言うのよ!?」
あまりにもヒーローらしくない発言を聞いて食って掛かろうとしたライラだが、背後から強い力で肩を掴まれる。オルディールの命令で同行している護衛の男だった。
「ライラ嬢。名残惜しいのはわかるが、そろそろ出発しないと。……お前達、後は任せたよ。しっかり彼女を送り届けてやってくれ」
「どうかお元気で、ライラお嬢様」
オルディールとダルクはにこやかに笑っていた。そこにはなんの悪意も感じられない。それなのに、無意識のうちに冷や汗がライラの頬を伝う。
ライラはこれまで、自分が正しいと思っていたことをしていただけだ。悪いことをしたつもりなんてみじんもない。たとえ独りよがりであろうと、善意は善意なのだから。理解できないほうが悪いのだ。
ライラの平穏を願うオルディール。ライラの幸福を祈るダルク。二人の善意も、これまでのライラと同様の純粋なものだ。彼らはライラのことを思い、正しいと思ったことを押しつけて逃げ道をふさいでいた。
自分の善意は間違っていたとは思わない、けれど彼らの善意は自分の求めるものではない。暴力にも似たその独善に気づいて拒絶しようと思った時には、もうすべてが遅かった。
* * *