表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
56/58

後継者はどっち?

(宮廷での立場が不安定な王太子殿下でしたら、絶対にその慈悲の余地を残してくださると信じていましたわ。レーヴァティ家そのものを失墜させるより、その権威を維持させたまま飼い馴らしたほうが利用できますものね? 上手に踊ってくださったお礼です、お望み通り貴方のことを支持させていただきましょう)


 悲しげな顔をしつつ、アリアは心の中で笑っていた。すべて思い通りに運んだからだ。


(アンジェ様と親しく、シャウラ家の姻戚にもなるわたくしを味方に引き込めれば、ウィドレット様への抑止力にもなりますわ。ウィドレット様に王位簒奪の野心などないと思いますが……それだけで殿下の憂いが払われて、ノーディス達兄弟が穏やかに過ごせるのであれば、どうぞお好きなだけわたくしを安全装置とお思いくださいまし)


 オルディールは粛々と、公爵夫妻の隠居先の選定を始める。二人の新しい家は、二度とレーヴァティ家に……アリアにかかわれない、遠方の植民地にある開拓村だそうだ。

 そこで何者でもない人間として勝手に朽ちていけばいい。だってレーヴァティ公爵夫妻は、次女にすべてを譲って領地内の小さな別荘で余生を過ごすことになるのだから。遠い農村に入植していった名もなき夫婦など、レーヴァティ家と縁もゆかりもあるわけがないだろう。


「さて、残るはライラ嬢の処遇だな」

「うぅ……。いっそうちは没落ってことにさせてもらえませんかね? わたしに当主とか無理すぎる……」

「……? ライラ嬢、何を落ち込んでいるんだい? ご両親が位を譲った今、襲名するのはアリア嬢だろう?」

「えっ? わたしじゃなくて?」

「何をおっしゃってらっしゃるのかしら。貴方に当主の資格があると思って? ライラ、貴方は常々平民になりたがっていらしたでしょう? わたくしが家を継げば、その夢が叶いますのに。どうしてご自分が当主になる前提でいらっしゃるの?」


 言うに事欠いて、まだ家を継ぐつもりでいるとは。まさか、前公爵夫妻が裁かれたからそれで終わりだとでも思っているのだろうか。


 確かに、あの二人には罰が与えられた。前公爵夫妻が身分返上したことで、レーヴァティ家全体に累が及ぶこともなくなっている。だが、ライラ自身の罪はそれとはまた別の問題だ。


「い、いやいや、なに言ってんのはこっちの台詞だよ、アリア。あんたはおままごとしかできないじゃん。わたしの商会を乗っ取れたからって調子に乗りすぎじゃない? プレイアデス商会を返してよ!」

「乗っ取ったなど人聞きの悪い。買収はあくまでも正当な手続きの結果です。貴方こそ同意したでしょう? 契約書類を読まなかっただなんておっしゃらないでくださいましね?」

「そ、それは……だけど、騙されたみたいなものだし。騙し討ちの契約なんて無効でしょ?」

「はぁ……。お話になりませんわね。殿下、すでにわたくしには領主代行としての実績もございます。いまだ至らぬ身ではございますが、先代に代わって王国のため、殿下のために尽力させていただきますわ」


 ライラが食い下がる一方、アリアはしおらしく決意を述べる。真摯な宣言に、オルディールは満足そうに頷いた。


「アリア嬢の振る舞いは社交界でも評判だよ。君ならレーヴァティ家を立て直せるだろう」

「アリアが?」


 オルディールにそう言われても、ライラはまだアリアに猜疑の目を向けている。ノーディスやオルディールでは分が悪くても、アリアが相手なら優位性を確保できると踏んだのだろう。嘲るように歪んだ唇が紡ぐのは否定の言葉だ。


「でも、アリアに領主なんてできるわけないじゃん。どうせ人にやらせるだけでしょ? それじゃダメだよ、領主はちゃんと自分の頭で考えて動ける人じゃないと。なんでも自分でやらないといけないんだから。淑女教育なんてくだらないお遊びだけでちやほやされて満足してるあんたには荷が重いって」

「物事には適材適所というものがございます。頂点に立つ者だけがすべてを掌握していれば、その強権はやがて大きなひずみを招くことでしょう。そうならないよう、人に仕事を割り振るのは当然ではございませんこと? 上に立つ者の真の仕事とは、下で支える者達が万全の力を発揮できる環境を作ること、そして彼らの行動に責任を持つことだと思いますけれど」

「またそうやって屁理屈言って。わたしはアリアのために言ってあげてるのに」

「ごめんあそばせ。貴方の助言は、わたくしの考え方とはあまりにも異なるものですから」


 双子の姉妹が言い争う中で、憔悴しきった様子の前公爵が声を振り絞った。


「やめなさい、ライラ。王太子殿下のおっしゃる通り、我が家はアリアが継ぐ。お前はお前の好きなように生きるといい」


 その言葉を聞き、オルディールの表情にわずかな苦みが走る。きっと彼にはライラを野放しにさせる気などないのだろう。


「だけど、アリアに領地経営なんてできるわけないじゃん! わたしがいなきゃなんにもできない子なんだよ?」

「どうしてそうお思いになったのかは、わたくしにはつくづく理解できませんけれど……そこまで当主の座に固執するだなんて意外ですこと。没落したいだの平民になりたいだのと散々おっしゃっていたではありませんか。一体どのような心境の変化ですの?」

「別に、わたしが家を継ぎたいわけじゃないよ。身の丈に合わないものを背負うアリアが可哀想なだけ。領地の人達があんたに振り回されて人生めちゃくちゃにされるところも見たくないし」

「貴方がそれをおっしゃるの? まさか、ご自分がどれほどの嵐を生み出してきたのかご存知ないのかしら? もしそうであるのなら、なおのこと貴方にレーヴァティ家を任せるわけにはまいりませんわ。すでに多くの領民を危険に晒したというのに、その自覚すら持っていただけないなんて」


 アリアは困ったように、頬に片手を当てて小首をかしげる。するとライラは鼻で笑った。


「そう言うアリアは、わたしがこれまで何をしてあげてたのかなんにも知らないでしょ。この国が平和なのはわたしのおかげなのに」


 ライラがあまりにも得意げに言うものだから、アリアは思わず閉口してしまった。ノーディスとオルディールも困惑気味にライラを見ている。


「どうせ信じないだろうからあんまり言いたくなかったんだけど……わたしがいるから、ウィドレットは反乱を起こすのをやめたの。あんたがノーディスと何事もなく結婚できるのも、もとをただせばわたしのおかげなんだよ。もっと感謝してよね」

「王太子殿下の前で、なんということを……!」


 アリアはわななく。まさかオルディールの前でまであの妄言を吐くとは。最悪だ。頭が真っ白になってしまったアリアに代わり、すかさずノーディスが取りなすために口を開いた。


「王太子殿下。ライラ様の存在の有無にかかわらず、私も兄も王家に対する二心など持ち合わせてはおりません。この十年、シャウラ家とレーヴァティ家は没交渉でした。兄とライラ様は、言葉を交わしたことすら一度たりともございません。そのライラ様が、兄の一体何を知っているというのでしょう」

「転生者は黙ってて。あんただって、自分の都合のいいように原作を捻じ曲げてるでしょ? でも、あんたがノーディスを乗っ取ってからもウィドレットとうまくやれてきたのは、そもそもわたしがアンジェとダルクを引き合わせなかったからじゃない? アンジェを手に入れて満足したから、ウィドレットはあんたにつらく当たらなくなったんだよ」

「転生者? 乗っ取る? なんのことかわからないのですが……私とアリア、そして私と兄の仲に、いきなり割って入らないでいただけませんか?」

「とぼけたって無駄なんだから。とっくにバレてるんだよ、あんたが偽物だってこと。本物のノーディスはもっと卑屈な陰キャだったでしょ」


 ライラは刺々しくノーディスを睨む。胡乱な言葉をかけられたからか、ノーディスは小さく眉をひそめた。……苛立ちの理由が若干ずれている気がするのは、アリアの気のせいだろうか?


 急にわけのわからないことを言い出したライラに、オルディールも戸惑いを隠しきれていない様子だ。ウィドレットの謀反については過敏そうなオルディールも、さすがに支離滅裂なライラの証言を鵜呑みにするつもりはないらしい。おかげでアリアも思考できるだけの余裕が戻ってきた。


(いけません。このままでは、場の主導権をライラに握られてしまいます。こちらの言葉にはまったく耳を貸さず、意味のわからないことを一方的に並べ立てるのがライラ流の話術ですわ。あまりにも話が通じないと演出して相手の調子を乱すことで、相手が音を上げるのを待っているのでしょう。このまま話題をまったく関係ない方向へとそらして、うやむやにするのが狙いなのかしら? ですが、そのようなことはさせませんわ。それほど対話を打ち切られたいのであれば、お望み通り終わらせてしまいましょう)


 アリアはオルディールに向き直った。悲しげな表情で、両手を胸の前で組む。


「王太子殿下。どうやらライラは自分の世界に引きこもりすぎたせいで、現実と妄想の区別がつかなくなってしまったようです。きっと前公爵夫妻は、このことを隠し通したかったのでしょう。わたくしとライラはほとんど顔を合わせることもなかったため存じ上げませんでしたが……まさかこれほど深刻だっただなんて……」


 琥珀の瞳に涙が光る。そこに宿るのは悲哀ではなく、これまでライラを説得することを諦めて飲み込んできた言葉達への後悔だ。


(狂人のふりをして場を乱そうというのなら、狂人として扱ってさしあげますわ。これ以上貴方の話術に振り回されると思わないことね)


 しくしくと泣き出すアリアの姿に、オルディールは胸を打たれたようだ。彼の顔から迷いが消える。


「あーあ、やっぱり信じてもらえないかぁ。だから言いたくなかったのに。でもね、これが現実なの。不幸な原作みらいを否定したい気持ちはもちろんわかるんだけど、誰のおかげでそんな不幸が来なかったのか、ちゃんと考えたほうがいいと思うよ。今が幸せなのは、わたしが改変に成功したからなんだから」

「なるほど、ライラ嬢には未来が見えるんだね。そして、その悲劇の未来を覆すために尽力してくれたのか」

「はい、王太子殿下。それが未来を知る者の義務だと思ったので」

「素晴らしい! まるで君は神の託宣を携えた御使いのようじゃないか! 大きな災いを未然に防ぎ、人知れず世界を救うなど、誰にでもできることじゃないよ。信じてもらえないと思っていたということは、その偉業に対する称賛すらも欲していなかったんだろう?」

「称賛なんて、そんな。当然のことをしただけです。確かに、何度も不安になったし、つらいこともありましたけど。誰にも相談できないし。でも、わたしがやらなきゃいけないことだったから」


 満面の笑みを浮かべたオルディールは、ライラを大げさなまでに褒めちぎる。ライラもまんざらではなさそうだ。


「君のことを少し誤解していたよ。無欲のまま救世に臨めるなんて、君は実に謙虚で清らかな女性だ。そんな君を、レーヴァティ領にとどめておくのはあまりに惜しい。どうだろう、これからは俗世を離れ、修道院で神の愛と共に暮らしていくというのは」

「え?」

「ああ、大丈夫だ。君はそこで何もしなくていい。予言の神の加護を受けた君を、修道女達は大切に扱ってくれるだろう。君が心配しているレーヴァティ領も、王族にゆかりのある者・・・・・・・・・・が治めるようとりはからうから安心してほしい。つまり、君をこれまで煩わせてきた貴族という身分について、もうこれ以上悩まなくていいということさ」 


 ライラはきょとんと首をかしげたが、オルディールの言葉を聞いて笑顔を見せた。

 おおかた、貴族としての立場を捨ててもなお悠々自適な暮らしが手に入って幸運だとでも思っているのだろう。


 平民になるなどとライラは簡単に言うものの、その生活は決して楽でもなければ自由でもない。

 ライラが本当に求めているのは、高貴な義務と伝統にすら縛られない有閑階級になることだろう。裕福さはそのままに、しがらみだけを捨てたいいとこ取りだ。修道院に行くだけで自分をちやほやしてくれる者に囲まれたうえで自堕落に生きられるなんて、彼女の望みそのものと言えるかもしれない。


 つい先ほどまでレーヴァティ領の行く末を憂いていたというのに、やはり彼女にとっての最大の関心は自分自身にあるようだ。アリア以外の後釜がいるからもう大丈夫だと思った、という言い訳もできるから、安心して本音をさらけ出したのかもしれない。傍系王族ノーディスを婿に取るアリアだって「王族にゆかりのある者」に該当するということには、思い当たっていないようだ。


 オルディールは、アリアとノーディスにちらりと目配せをした。

 そして彼はライラの新しい住まいとなる女子修道院の名前を告げる────そこは、重篤な病を患った高貴な囚人を収監する病院だった。幽閉される囚人の中には、表沙汰にできないような事件を起こしたので、家の醜聞をもみ消すために病人ということにして隔離された者もいるという噂もある。


(貴族の世界に興味を持たなかったライラは、あの修道院が何のための場所かなどご存知ないのでしょうね。だってもし名前に聞き覚えがあるのなら、殿下の言葉の真の意味に気づいて絶望なり反発なりなさるでしょうから)


 アリアはじっとライラを見つめる。新天地での生活に期待を寄せる片割れに向けた眼差しには、もはや憐憫も侮蔑もなかった。

 オルディールの言う通り、修道女達はきっとライラにも優しくしてくれるだろう。囚人である以前に、可哀想な・・・・患者なのだから。


(前公爵夫妻が家の名誉を優先するあまり正当な裁判を望まなかった時点で、ライラにも釈明の時間は与えられません。仮にあったところで、この様子では無意味に終わるでしょうけど)


 自分に都合のいいものしか受け入れてこなかった姉は、とても地に足をつけて現実を見据えているようには見えなかった。まさか本当に、彼女は狂ってしまっているのだろうか。


 ライラの中で、一番正しいのは常に自分。アリアは自分より劣っているから、気にしてあげるのは当然だ。上から目線のその勘違いに、これまでどれだけ悩まされてきただろう。


 けれど、それももう終わりだ。ライラの両親と同様、彼女も何者でもない少女として残りの人生を過ごすことになるのだから。アリアの人生の主役は、アリア一人だけでいい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ