冬の訪れ
「アリア、私達が留守の間しっかりと領地を守っていたそうだな。よくやった」
「さすがアリアね。立派になってくれて、わたくし達も鼻が高いわ」
「光栄です」
ピスケス・コートに帰ってきた領主夫妻を、アリアはにこやかに出迎えた。レーヴァティ公爵夫人はエントランスホールをきょろきょろと見回して首をかしげる。
「あら? 少し模様替えをしたのかしら?」
「はい。よい美術品を見つけましたので」
娘のことはよく見えていないのに、調度品には目ざといらしい。出入りの商人から新しく購入した絵画や花瓶の説明をすると、公爵夫人は複雑そうに頷いた。自分が選び抜いた調度品が勝手に変えられていることについて、どうにも思うところがあるようだ。
「何か新しく事業を始めたそうだな。その件について、お前はライラから何か聞いていないか?」
「ライラには訪問の許可を出しておりませんから。新事業につきましては、執政院とも連携のうえで大変健全に運営しております。問題はございませんわ」
咳払いするレーヴァティ公爵にも、わざとらしいほど鮮やかな笑みを見せる。ライラのプレイアデス商会とは何もかもが違うのだと言外ににじませると、公爵はわずかに眉をひそめた。
「ライラの商会を買収したと聞いたが……」
「プレイアデス商会は、経営に不審な点が見受けられたと報告がございましたもので。二つの商会はまったく無関係ですのに、混同されたら大変でしょう? ですから、問題が公になる前に統合させていただきました。プレイアデス商会の名残はもう残っておりませんけれど」
残っているのは汚職の証拠ぐらいだ。可愛い娘を応援したいからといって、公費に手をつけるのはよくない。レーヴァティ領の領主ではなく、あくまでもレーヴァティ家の当主としての支援の範囲にとどめておけば問題はなかったというのに。
(もしかしたらこの方、最初は公共事業のつもりで予算を捻出していたのかもしれませんわね。ライラがプレイアデス商会を私的な団体として運営していることに気づいた時点で、支援の方針を変えるべきだったと言わずを得ませんが。役人の話では、ライラは執政院にも出入りしてあれこれ口を出していたそうですけれど……家のお金と執政院のお金の区別があいまいだったのも何か影響しているのかしら)
ポラリス商会では、プレイアデス商会で門前払いされたような優秀な研究者を誘致したり、救貧院の入居者や退役した兵士などを職工や販売員として採用したりしたうえで、格安で魔具を販売していた。収益のほとんどは運営費になり、残りは社会福祉のための予算に変わる。それによって公共事業として執政院に認めさせた。
プレイアデス商会にそのような取り決めはない。商会の儲けは商会のものだ。公共事業としての還元はなかった。
とはいえ、プレイアデス製の魔具の流通によって経済が活発になったのは事実だ。レーヴァティ家を富ませてくれるなら、という思いもあったのかもしれない。実際のところ、ライラが稼いだお金を家に納めていたかどうかまでは聞いていないが、公爵がライラを見直したのはきっとその商才のせいだろう。
「意欲的なのは結構だが、立場はわきまえなさい。領主代行としてつとめを果たしたのは素晴らしいことだが、この通り私達は帰還した。あまり余計なことはしないように」
「ご忠告いただきましたこと、よく考えさせていただきます」
アリアは丁寧に答える。わざわざ考えずとも答えはもう決まっていた。
(確かに、わたくしはもう領主代行ではございません。だって、領主になるんですもの)
現公爵夫妻に対する郷紳達の支持率はひどく低い。アリアの根回しのおかげで、皆アリアが領主の座につくのを今か今かと待っている。
こちらにはレーヴァティ公爵の不正の証拠もあるのだ。それに伴う執政院の腐敗も炙り出した。膿を出し切るための速やかな世代交代は、領主の館の総意とも言える。さて、いつこの切り札を出して穏便な家督相続に同意してもらおうか。アリアには、そのための最善の舞台のめども立っていた。
(アンジェ様と友誼を結べたのは本当に幸運でした。おかげで王都のことはもちろん、王族の方の動向も教えていただけますもの)
アンジェルカとの文通の話題は多岐に渡る。流行のドレスやお菓子のことから異国の文学や芸術について、果ては宮廷の情勢まで。アリアの本性をある程度見抜いている節のある、アリアより権力を持っている少女。本人の申告通り、彼女は話し相手としては最適だった。何も気負わずお喋りに興じることができるからだ。
定期的に交わす手紙の中で、アンジェルカはこんなことを教えてくれた。王家による年忘れの訪問で、今年のレーヴァティ領には兄王子のオルディールが立候補した、と。
各地の視察と慰労を兼ねて、毎年冬になると国王は大領地の領主の館を訪れる。国王の一行をもてなすのも大事なつとめだ。
例年は国王を迎えていたが、ようやく王太子も有力貴族達に顔を売る気になったのかもしれない。先々月の収穫祭に来たのも、その一環だったのだろうか。
女好きの王太子が市井の人や地方の令嬢に対して不埒な真似をしないよう、これまで国王は彼を一人で王都の外には行かせなかったともっぱらの噂だが、真偽のほどは定かではなかった。今回オルディールの国内視察が実現するというのなら、国王も何か思うところがあったのだろう。
ただ、アンジェルカによると、彼はレーヴァティ家の双子の姉妹の確執をいたく気にしていたそうだ。わざわざ滞在先にレーヴァティ家を名指ししたのも、そのせいなのかもしれない。どちらにせよ好都合だ。醜聞に興味津々の王太子に不正の告発をすれば、公爵夫妻も引退を決めざるを得ないだろう。
「そうだわ。アリア、貴方にも話しておかないといけませんね。実は今年の冬巡りでは、我が家が出発地に選ばれたのです。三日後に王太子殿下がいらっしゃるそうよ。それに合わせてライラを呼び寄せるから、この機会に姉妹でよく話し合ってちょうだい」
「なんですって? わたくしの許可がなければライラはピスケス・コートには入れないはずではありませんか?」
「それは、わたくし達が王都にいたからです。わたくし達の目の届くところでなら、ライラと会っても大丈夫でしょう? 安心しなさい、なにもまた離れで暮らしてもらうわけではないのですから」
「……ライラはわたくしのことを嫌っています。わたくしは、ライラに会いたくはございませんわ」
「なんてこと! 貴方の実の姉でしょう? 今は悲しいすれ違いがあるだけですよ。ライラだって少し繊細なだけで根はいい子なんですから、貴方からも歩み寄ってあげてちょうだい」
公爵夫人は呆れたようにため息をついた。いい子のアリアが折れるのを待つとき、彼女はいつもそんな目でアリアを見る。
「そもそも、ライラが王太子殿下に会いたがるとは思えませんが。わたくしを口実に、強引に招くつもりですか? 仮に王太子殿下とのお目通りが叶ったところで、まともなマナーも身につけていないあの子では実りのある時間を過ごせるとは思えませんわ」
アリアが従順でないことに驚いたのか、公爵夫人は眉根を寄せた。だが、すぐにいやらしく微笑む。
「その心配はありません。アリア、貴方なら完璧にライラのふりができるでしょう?」
「……王太子殿下とのお目通りでさえ、わたくしを代役に立てるおつもりなのね。わたくしにはノーディスがおりますのに」
ため息をつきたいのはアリアのほうだ。社交の場での拝謁ならともかく、ここでライラを王太子に引き合わせたい理由なんて一つしかない。よりによって見合いの席でまでアリアを代わりにするなんて。
仮にそれで縁談がまとまったとしても、相手が別人では結婚生活が破綻するのは目に見えていた。そもそも婚約期間ですらまともに過ごしていけるかもわからない。まさか婚約者の役まで自分にやらせるつもりなのだろうか。ノーディスのこともオルディールのことも裏切るような真似はごめんだ。
「あまりあてになさらないでくださいな。わたくしは、ライラの真似をしたことなどございませんもの。ライラ・レーヴァティを名乗って、ドレスと髪型を少し変えたことがあるだけですわ」
これ以上は付き合っていられない。部屋に下がる旨を伝え、わざと見せつけるように淑女の礼を取る。ライラなら、まともなお辞儀もできないだろう。
(わざと“ライラ”として殿下に挨拶して、密告の機会を……いいえ、どうせなら我が家の真実を見ていただきましょう。わたくしのほうが当主にふさわしいと、殿下のお墨付きもいただけるかもしれませんもの)
自室に戻ったアリアは深くため息をつき、窓を大きく開けて新鮮な空気を浴びる。体の芯が冷え切っているのは、冬を告げる寒風のせいだけではなかった。