似た者同士
「アリアお嬢様、ライラお嬢様から訪問を希望するカードが届いておりますが……」
「ライラから? 申し訳ありませんが、そのような暇はございませんの。お断りしておいてくださる?」
朝食を終えて早々、女中頭がそう告げてきた。アリアはつとめて残念そうな顔で応じる。食後の紅茶を楽しんでいたノーディスは、ちらりとアリアを一瞥した。
「領都が懐かしくなったのかな。収穫祭に合わせて遊びにきたのかもね」
「そうかもしれませんわね。会うことができずに残念ですわ」
ライラが領都に来るのは予想できたことだ。アリアの名前で出資して、ノーディスとユークの研究を後押しするために作った商会は、徐々に軌道に乗り始めている。ライラが商売敵の報告を受けていないとは限らない。そうなれば、まず間違いなく文句を言いに来るだろう。相手にする気は毛頭なかったが。
(蟄居と言いつつ外出を許すのですから、やはり公爵夫妻はライラに甘いのでしょう。いっそ領都から追放されていれば、堂々と追い返せましたのに。本当に残念ですこと。とはいえ、やり過ごす方法はいくらでもありますわ)
収穫祭の時期に来てくれたのは幸運だった。収穫祭の多忙さを理由にして訪問を拒否できるからだ。
ピスケス・コートの一部は一般公開されている。とはいえ、ライラだけは例外だ。レーヴァティ公爵夫人の裁定によって、アリアの許可がなければライラは入ることを許されていない。招待客に紛れて勝手に侵入するようなことがあれば、その時は不審者扱いでもなんでもしてつまみ出すつもりだ。
ライラが余計なことをしでかさないよう、彼女の動向だけ報告するように伝えて、アリアはノーディスと共に執政院に向かった。もうすぐ緊急の会議が始まる。議題はもちろん、収穫祭の安全性についてだ。
収穫祭の運営を担当する役人からはじまり、警察署長や軍隊長、そしてモンスター学者が揃っている。みな緊迫した面持ちのまま、昨日の調査結果の共有が行われた。
最初の報告者は学者達だ。フェンリルを解剖した結果、直近で人を襲った形跡はなかったらしい。ただし随分長生きしていた個体のようで、過去百年の間に領内で発生したフェンリルの目撃談はこの個体を指している可能性が高いという。
「領内における最後のフェンリルの食害事件は三十年ほど前です。記録によると、元々このフェンリルは雷鳴森の深奥で暮らしていたようですが、付近の村を襲って村人と兵士の計三十二名が犠牲になったとか。当時の討伐隊はフェンリルに深手を負わせたようですが、絶命までは確認できないまま見失ってしまったようですね」
(雷鳴森……? 確か、ライラが蟄居を命じられたのも、その辺りだったような……)
「森の名の由来はフェンリルの遠吠えが雷鳴のように聞こえたためと言われていますが、三十年前の事件以来は吠声が聞こえるだけで人里には現れていなかったようです。それでも、雷鳴森に立ち入った人々の行方不明事件は年に数回起きているようですが」
(ライラが今暮らしている別荘が使われていなかったのは、フェンリルの事件のせいなのかしら。ちょうど今ライラは領都に来ていますけれど、西の辺境にいるはずのフェンリルまでが領都に出没するだなんて……偶然と呼ぶには、あまりにもできすぎていますわね……)
無意識にアリアは傍らのノーディスを見た。ノーディスは難しい顔をして何か考え込んでいるが、アリアの視線に気づくと悲しげに表情を曇らせた。アリアと同じことを、彼も思い至ったのだろうか────何らかの方法でフェンリルを操ったライラが、アリアを暗殺しようとしたのだと。
(いいえ。それが事実であるかはもはや重要ではないのです。……たとえ無関係の事柄であろうと、結びつけられるということ自体が問題なのですわ)
たとえただの偶然であっても、焚きつける材料があるならいくらでも燃え上がらせることはできる。陰謀論を好む層はどこにだっているものだ。たとえただの考えすぎだとしても、一抹の疑念がぬぐえないなら火種はいつまでもくすぶり続けるだろう。
(燃やすか、それとも揉み消すか。わたくしにとってはどちらが得なのかしら)
ライラを完全に排除するのなら、答えはもはや決まっている。だが、人の足を引っ張ろうとすれば自分も足を取られるものだ。答えを出すのは安全圏を確保してからにしたい。共倒れはもちろんのこと、返り咲くライラの華麗な逆転劇の踏み台になるのはまっぴらだった。せめて世論は味方につけてからでなければ。
どうせ放っておいても、口さがない者達が勝手に深読みして囁き合ってくれるだろう。それをアリアにとって都合のいい方向に誘導していけばいい。
(何よりも……わたくしが糸を引いていることを、万が一にもノーディスに悟られてはいけません。どれほどの策略を張り巡らせようとも、淑女たるもの黒幕であることに一切気づかれてはなりませんもの)
ひとたび糸の動きを辿られてアリアに支配されている愚者を目にしたのなら、自分もアリアの手のひらの上で踊っているかもしれないと疑われかねない。それは困る。相手は自分が操られているなど思いもしていないからこそ、好きなように操れるのに。
(わたくしのことを可愛らしいお人形だとノーディスに思わせ続けるためにも、慎重にいたしませんと。……ノーディスが愛してくださっているのも、きっとそういうわたくしでしょうから)
か弱くて儚くて、他人の手を借りなければ生きられない存在。それもアリアの側面だ。
その無力な姫君もまた自分の姿のひとつであると、他ならないアリアが認めている。だって、自分一人ではできないからこそ他人を利用してうまく転がすのだから。
そうである以上、ノーディスがそんなアリアに惹かれていることについて思うところはまったくない。自分の非力さを武器に変え、魅力とまでしているのだから、むしろ誇らしいぐらいだ。
けれど。
だからこそ、善良かつ誠実なノーディスにだけは、可愛くて完璧な淑女の仮面の下にある計算高い悪女の顔を見せられない。
(ノーディス。優しい貴方に守られて傅かれるためであれば、どんな理想も叶えましょう。貴方はわたくしに光を与えてくださったんですもの、他の方より優遇するのは当然でしょう? ですから……絶対に、見捨てられないようにしないと……)
深刻そうな顔で黙りこくるアリアを見て、ノーディスは胸を痛めていた。聡いアリアのことだ、きっとノーディスと同じ可能性に辿り着いたに違いない。
(モンスターは力による上下関係に敏感だ。根気強く向き合う以外にも、ふさわしい力を示せば服従はさせられる。フェンリルほどの上位モンスターを飼いならすなんて前例が少なすぎるから断言はできないけど……ライラの魔法の才能は、プレイアデス製の魔具を見ればわかる。あの莫大な魔力の持ち主なら、フェンリルを使役することもできるかもしれない)
レーヴァティ家の様子からして、ライラが日常的にモンスターを調教しているということはなさそうだ。
そもそも普通の貴族令嬢ならば、モンスターに遭遇すること自体が稀だろう。いくらライラが型破りでも、危険なモンスターを従えられる機会はそうそうないはずだ。
だが、彼女は運悪くフェンリルに出会ってしまった。
ライラが意図して支配したのか、あるいはフェンリルが本能的に強者の気配を嗅ぎ分けて服従したのか。どちらであっても構わない。ノーディスにとって重要なのは、『レーヴァティ家の才女』であればフェンリルのような獰猛なモンスターを従えられるかもしれない、と人々を納得させられることだ。
(メイドを使った警告に飽き足らず、モンスターまでけしかけるとはね。よほどアリアが目障りらしい。私とレサト君の活動が癪に障ったのかな。大事な収入源が奪われる前に手を打とうとしたのかもしれない。……だけどこの状況を利用すれば、ライラを排除してもアリアに罪悪感を抱かせなくて済みそうだ)
痛ましげにアリアを見やる赤い一つ目は憂いに染まっているが、それはそれとして腹の中は真っ黒だ。こんな状況、利用してやらなければもったいない。冒した危険に釣り合うだけの見返りはもらわなければ。
(それから……一種の賭けにはなるけど、レーヴァティ公爵夫妻のことも試してみるか。公爵夫妻の対応によっては、アリアに傷や未練を与えてしまうかもしれない。だけど、これまでアリアはレーヴァティ家っていう狭い世界に慣れすぎた。夫妻の支配から目を覚まさせるには、多少の荒療治も必要だ)
会議の内容に耳をそばだてつつも思考を巡らせる。
アリアは収穫祭をことのほか大切にしているようだ。民衆に愛されている伝統行事だからだろう。年に一度の大きな祭りを理由も告げずに中止にすれば民の反感を買いかねないし、かといって本当の理由を伝えたなら民の不安と恐怖をいたずらに煽ることになる。そうならないように、あえて続行の判断を下したアリアの決意を台無しにはできない。
だから、動いていいのは収穫祭が終わった後だ。舞台はもちろん社交界。一切の混乱をもたらさないまま平和に収穫祭を終わらせたアリアの手腕を褒め称え、レーヴァティ領の結束力を知らしめる。フェンリルの襲来という、予想だにしない事故について織り交ぜて。
(私が噂の出どころになればいい。どうせ噂が広まってしまえば、“最初の一人”なんて誰にもわからなくなる。私の本性をアリアに知られて幻滅されることもないだろう)
一緒に過ごしているとよくわかる。アリアはとても清らかで純粋だ。彼女を聖女と呼ぶことについて、別にからかいの意味はなかった。
きっと社交界での『姫花の聖女』という通り名だって、アリアがこれまで熱心に取り組んできた慈善事業と、誰にでも分け隔てなく接するところからきたのだろう。妖精のような可憐な美貌に加えて心根も美しいならば、そんなあだ名がつくのも当然と言える。
しかし悲しいかな、世界に満ちているのは綺麗なものばかりではない。ありとあらゆる醜いものが、アリアの行く手を阻もうとするだろう。時には残酷な選択を強いられ、姦計に頼らなければ勝てない局面に立たされることだってある。人の上に立つとはそういうことだ。
大貴族の当主という過酷な運命を背負ってもなお、聖女たるその魂の高潔さを失わせないためには、アリアの代わりにその現実を担う者が必要だった。その役にふさわしいのはきっと自分だ。
(アリア。優しい貴方のことだから、自分でも闇と向き合おうとするかもしれないね。だけど、貴方はこれまで十分つらい現実の中にいた。このうえさらに権謀術数の渦に叩き込むのはあまりに酷だ。せめて貴方が負った傷が癒えるまでは、そういうことは私に任せてくれればいい)
恋愛面で旗色が悪いのはアリアなのだが、手のひらの上の舞踏会ではノーディスの分もだいぶ悪かった。