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転んでもタダでは起きない

 ある日の夜、アリアはオペラを観るために劇場に足を運んでいた。


「席がないとはどういうことですの?」

「大変申し訳ございません、アリア様。今期のお席はまだご用意できていないのです」


 小首をかしげるアリアに、劇場の案内係は青い顔で頭を下げた。


 このスピカ座は国でも一番大きな劇場だ。社交期の間、貴族はこぞって席の権利を押さえていく。レーヴァティ家も毎年のように、スピカ座の特等席を長期にわたって借りていた。

 今年もその例に漏れず、いつものボックス席を使う権利をレーヴァティ家は購入した。しかし劇場の話では、その予約が適用されるのは来週からのことらしい。今日の観劇について予定を確認した時に、専属メイドのロザは問題ないと言っていたのに。


(ライラ派の使用人の、陰湿な嫌がらせですわね。まさかこんなことまでするだなんて。最近は何もありませんでしたから、つい油断してしまっていましたわ)


 アリアは内心でため息をついた。

 ライラを熱烈に支持する使用人には、アリアを目の敵にする者もいる。彼らからするとアリアは、貴族令嬢として生まれた幸運に胡坐をかいて贅沢な暮らしを送るだけの我儘娘だそうだ。


 そんな世間知らずの箱入り娘にはちょっとした教育代わりに痛い目を見てもらうべきだ、というのが彼らの主張らしい。ライラが使用人に甘く、両親もライラに甘く、そしてアリアがめったにことを荒立てたがらないから、使用人達も増長したのだろう。


 家名に傷をつけるほどではなく、けれどアリアにささやかな恥をかかせたり徒労を感じさせたりする小さな嫌がらせは、日々積み重なっていた。嘘の予定を吹き込むのもその一環だ。

 オペラを観に行くのも、アリアが遊んでいるだけだと思ったのだろう。他家とかかわるわけでもない、遊びプライベートの予定なら潰れても構わないと考えたに違いない。何が重要かを判断するのは使用人ではなくアリアなのに。


(劇場も立派な社交界のひとつ。観客が鑑賞するのは、舞台だけではないというのに。今日の不手際のせいでレーヴァティ家が笑い者になってしまっても、貴方達では責任が取れないでしょう?)


 浅はかなライラ派の使用人達を思いながら、アリアはメイドのロザをじっと見つめた。


 ロザは王都のタウンハウスに置いている使用人だ。タウンハウス常在の使用人は、カントリーハウスから連れてきた少数の使用人とは違って完全にアリアの支配下にあるわけではない。

 それはライラにも言えることだが、身分差について意識の低いライラのほうが彼らに取り入りやすかった。結果、仕込みに時間のかかるアリア派とは違ってライラ派はすぐに形成されてしまうのだ。


 社交期に限らず、旅行の際に家から大勢の使用人を引き連れることはほとんどない。滞在先にあらかじめ使用人を雇い入れてあるからだ。どのメイドを滞在の間の娘のお付きにするか、最初の決定権はアリア達の母にある。

 使用人がどちらの娘を推しているかなんてレーヴァティ公爵夫人は興味を持っていないし、そもそも使用人が自分の娘達を格付けしているなど思いもしていないだろう。


 ロザはへらへらと笑いながらこうべを垂れ、謝罪の言葉を口にする。この場でロザをなじるのは簡単だが、そこまでアリアは愚かではなかった。


 ロザの他にも使用人はいる。予定を取り違えた・・・・・使用人がいることについては、帰ってから家令と両親に報告しよう。

 そのせいで「やはりアリアは傲慢な娘なのだ」と言われようと、給金分の仕事をしなかったほうが悪い。“敬意”も“感銘”も理解できないような使用人は、置いておくだけ時間の無駄だ。


 おかげで、アリア付きの使用人はよく入れ替わる。クビにならないのは、ライラがお気に入りの使用人を庇って自分の元に置くからだ。

 波風を立てるのは確かに面倒だが、見て見ぬふりをするばかりでもよくないというのをアリアはこの十年で理解していた。少なくともアリアの専属を名乗るのであれば、主人に対する裏切りを許してはいけない。なあなあにするからつけあがるのだ。実際に処罰が下るかはどうあれ、アリア側からの報告実績は必要だった。


 事情に合点がいった以上、劇場に長居する理由もない。無理強いしたってアリアのための席はないのだから。

 劇場の人間に謝罪して停車場に戻ろうとしたアリアだが、背後から声をかけてくる者がいた。


「どうかなさいましたか?」


 振り返ると、人当たりのいい笑みを浮かべた青年が立っていた。銀灰色の髪の、誠実そうな青年だ。隻眼が目を引いた。


「もしや貴方は、アリア様ではございませんか? まさかこんなところでお会いできるなんて」


 青年は胸に片手を当て、嬉しそうに一礼する。

 彼の左目を覆う眼帯は、ともすれば物々しさを感じさせるだろう。だが、愛想がよく身なりが整っているせいか、無頼漢のようには見えなかった。眼差しが理知的だったことも大きい。


 社交界に出る者として、アリアは主要な人物の顔と名前を頭の中に叩き込んでいた。

 年回りが近く、家格も釣り合っている男性のことならなおさらだ。この青年のことも、アリアは肖像画を通して知っていた。シャウラ家の次男、ノーディス・シャウラだ。


 シャウラ家の兄弟には、十年前のあの地獄の誕生日パーティーとそれに伴う謝罪以来会っていない。アリアが六歳、ノーディスが八歳のころのことだ。

 幼いころの面影なんて、今さら覚えていない。肖像画を通しても、懐かしさなどは見つけられなかった。彼とは初対面も同然だ。


 それに、あの時謝罪に行ったのは、アリアとしてではなくライラとしてだった。ノーディスからすれば、アリアと会ったのは今日が二度目だろう。彼に認識されていることのほうが意外だった。それだけアリアの名が社交界でも売れているのだろうか。できればいい意味であってほしいものだ。


「ご無沙汰しております、ノーディス様。わたくしに何かご用でしょうか」


 これ以上シャウラ家に対して悪印象を作るわけにはいかないと、アリアは優雅に淑女の礼を取った。


「私のことを覚えていただけていたようで光栄です、アリア様。これまで中々ご挨拶ができずに申し訳ありませんでした。貴方が困っているようにお見受けしましたので、これ幸いと声をかけさせていただきましたが……ご迷惑でしたでしょうか」

「滅相もありません。実は観劇に来たのですが、当家の使用人が席の予約の日取りを間違えてしまっていて、案内を受けられなかったのです。お恥ずかしい限りですわ」

「それは残念だ。もしアリア様さえよろしければ、我が家の席に案内しましょうか? 二階のボックス席を取ってあるんです。私と一緒でも構わないのであれば、ですが」

「よろしいのですか? では、ご厚意に甘えさせていただきます」


 アリアは華やかに笑う。こういう時、相手に恥をかかせるのはよくない。素直に親切を受け取っておいたほうが面倒は少なくて済む。ノーディスも安心したように微笑んだ。


 ノーディスのエスコートを受け、アリアは彼と共にボックス席に座った。

 他の座席からの視線を感じるが、アリアはひるむことなく周囲を見渡す。元々観劇には、自分を誇示するために来たのだ。ノーディスも注目の的になっていることなど気にしていないようだった。


「姫花の聖女が観劇に連れ出されたことに、皆興味津々のようですね。偶然とはいえ、貴方をエスコートできる栄誉を手に入れられたのは僥倖でした」

「まあ。それはわたくしのことですの? 分不相応の二つ名をいただいてしまってお恥ずかしいですわ」

「そうでしょうか。貴方にふさわしい、美しい呼び名だと思いますが」


 ノーディスにそう言われ、アリアは顔を伏せてはにかんでみせた。恥じらう所作は初々しさを感じさせると評判がいい。


 社交界は大げさな通り名を好む。ノーディスにも、シャウラの紅蓮の宝玉レッドスピネルとかいう呼び名がついてたはずだ。印象的なその真紅の一つ目と、シャウラ領に点在する潤沢な宝石鉱山のせいだろう。

 とはいえ、聞こえさえよければゆえんなどなんでもいい。少なくともアリアには自分の二つ名の由来の心当たりはなかった。


 オペラ鑑賞はつつがなく終わった。たった今観たオペラの良し悪しそのものは、アリアにはよくわからない。役者や脚本に興味があったわけではないからだ。

 話題の芝居だから観に来た。人が多く集まる場所だから、自分の姿を見せに来た。着飾った自分を通して、レーヴァティ家の財力と影響力を伝えたかった。それだけだ。

 とはいえ、これで社交界での話題を一つ確保できた。流行に取り残されて笑いものにされることはないだろう。


「ノーディス様、今日は本当にありがとうございます。ノーディス様のおかげで、楽しい時間を過ごすことができました」

「こちらこそ。お役に立てたのならなによりです」


 アリアは美しく微笑む。予想外のトラブルはあったとはいえ、シャウラ公爵家の次男のエスコートを受けられたのなら上々だ。人々に対して十分にアリアの存在感をアピールできただろう。


「アリア様と再会が叶ったのは幸運でした。十年ほど前に数度・・会ったきりで、いつかまたご挨拶したいと思っていましたので」

「わたくしもですわ。せっかく今日ノーディス様にお会いできたことですし、どうかこれからもよろしくお願いいたします」

「もったいないお言葉です。またどこかでお見かけすることがあれば、喜んで御前に参じましょう」


 ノーディスはアリアの手を取り、手の甲に口づけするふりをした。

 他人の手の甲にキスをするのは敬愛や親愛を表す一般的な仕草だが、アリア達のようにさほど親しくない間柄なら、実際にキスはせずその真似にとどめるのがマナーだ。彼の言葉が社交辞令だとアリアもわかってはいたが、悪い気はしなかった。

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