か弱いけれど強かに
狩猟大会の優勝者は、中間報告の結果で選ぶことになった。
森の中で一番大きな獲物を獲った狩人には既定の賞金を授与して健闘を称えたが、豊穣の神を表す誉れ高き蔦の聖冠については笑顔で辞退されてしまった。自分よりもっとふさわしい狩人がいる、と。選ばれたのは、満場一致でノーディスだった。
「神にふさわしい供物を捧げた狩人に、聖樹の冠を授けましょう」
表彰台の上で跪くノーディスに、アリアは厳かに告げる。緑の蔦で編まれた冠を彼の頭に載せると、わっと歓声が上がる。
「一番の功労者はアンティだよ。あとでたくさん褒めてあげないと」
ノーディスは悪戯っぽく笑った。フェンリルの死体を運搬したアンティは、駆けつけてきた竜丁によってすでに竜舎に連れ戻されている。
「貴方達がいらっしゃらなかったら、一体どうなっていたことか……。本当に、感謝してもしきれませんわ」
表彰台の上で交わされた小声の会話は歓声に掻き消される。アリアは表彰台から観客席を見回した。もしノーディスが狩猟大会に参加していなかったら、この場にいる全員がフェンリルの胃の中にいたかもしれない。想像するだけで身の毛がよだった。
「予定より早く狩猟大会が終わったんだし、晩餐会の時間まで休んでいるといい。無理をするのはよくないからさ」
「……ええ、そうさせていただきます。執政院の者達は優秀ですもの、いいように対処してくださるはずですわ」
表彰式が終わったので、ノーディスの手を借りて舞台から降りる。化粧を直してごまかしているものの、きっとひどく憔悴した顔をしていることだろう。このまま無理を通して晩餐会で倒れるようなことがあればそれこそ目が当てられない。
後のことは部下達に任せて、ひとまず本邸に帰る。使用人達は気づかわしげにアリアを出迎え、手早く午睡の用意を整えた。
「それじゃあ、私は竜舎の様子を見に行ってくるよ。アンティを勝手に呼び寄せてしまったことについて竜丁に謝らないといけないからね」
「……お待ちになってくださいまし。ノーディス、傍にいていただけませんか? わたくしが眠るまでで構いませんから……」
屋敷の外に出ようとするノーディスの袖を掴み、アリアはか細い声で願い出た。いくら婚約者とはいえ、寝室に異性を招くなんて恥知らずだと思われてしまうだろうか。
だが、どうしても一人でいたくなかった。フェンリルの咆哮はまだ耳にこびりついている。とても眠れるとは思えない。それでも、あの怪物から守ってくれたノーディスが近くにいてくれれば、安心できるような気がした。
「わかった。それで貴方が悪夢にうなされなくなるならお安い御用さ」
ノーディスは近くにいたヨランダに寝室での立ち合いを頼む。足元のおぼつかないアリアを横抱きに抱え、ノーディスはアリアを寝室へと連れていった。
「ゆっくりおやすみ、私の聖女様」
アリアをベッドに寝かせて額にキスをし、掛け布団をかける。アリアは頬を染めながら口を尖らせた。
「もう。そんな風に呼ばれては恥ずかしいですわ」
「そう? 私は事実を言っているだけだけど」
「では、貴方のことはわたくしの騎士様とお呼びすればよろしいの?」
「その称号にふさわしい男になれば、貴方との釣り合いも取れるかな。それならもちろん受け入れるとも」
ベッドの傍に椅子を用意したノーディスは柔らかく微笑み、アリアの手を握ってくれた。思った通り、彼のぬくもりを感じると心が安らぐ。
「私も予定を変えて、収穫祭の間はずっと滞在させてもらうよ。あんなことが起きた以上、貴方から目を放したくないしさ」
アリアは目を伏せる。あのフェンリルは何かを探しているようだった。そしてアリアに気づくとアリアの元に一直線に駆け寄ってきて、突然豹変したのだ。これではまるで、アリアを狙っているようではないか。
フェンリルは通常、市街地には出没しない。だが、現にああしてアリア達の前に現れた。つまり、誰かの手引きがあったのだ。何者かが東庭園にフェンリルを放ったに違いない。収穫祭の時期は街も人の出入りが多いから、犯人の特定は難しいだろう。
とはいえ、フェンリルのような高位のモンスターを操れる人間などいるのだろうか。少なくともアリアは聞いたことがなかった。
よほどその個体と相性がよく、腕のいい調教師がいるのかもしれないが……たまたま迷い込んだフェンリルがアリアを襲ったという、嫌な偶然の一致だという可能性のほうが高いように思えた。もっとも、その場合だとフェンリルの侵入経路という新しい問題が浮上してしまうのだが。
「お気持ちは嬉しいですが……よろしいの? 大事なお勉強があるのでしょう?」
「何を言っているんだ。アリアより大事なものなんてあるわけないだろう? 教授には連絡しておくよ。……フェンリル相手に魔法の検証ができたなんて、研究室に籠っているより有意義な経験だし」
甘く囁くノーディスに頭を撫でられ、思わず顔が熱くなる。また鼓動が早くなった。
「それともアリアは、私に帰ってほしい?」
「……意地悪な方」
「私の聖女様は素直で可愛いね」
アリアは頬を膨らませてノーディスを見上げる。ノーディスは空いている手でアリアの長い髪を掬いあげてキスをした。ノーディスの手を握り返したことが、答えとして十分すぎたからだろう。
「あの時は、とても恐ろしかったのです。本当に死んでしまうかと思いました。けれど……貴方がいてくださったから、もう平気です。これからもずっとわたくしの傍にいてくださいまし、ノーディス」
瞳を潤ませたアリアは、つないでいたノーディスの手をもう片方の手で包み込んだ。
*
きちんと休息を取ったのが功を奏したのだろう、晩餐会はつつがなく済んだ。
新鮮なジビエと上等なワインも、客人達の心をみごとに解きほぐしてくれたらしい。酒の飲めないアリアのグラスに注がれたのはブドウジュースだが、おかげで冴え渡った頭のまま歓談に興じることができた。
招待客達のおもな関心は、レーヴァティ領の今後についてだ。雑談に混じって、税率や自然災害の備えについての話が持ち上がる。それについてアリアは聞き役に徹し、各地の郷紳達がそれぞれどんな意見を持っているかをしっかりと頭の中に刻みつけた。
「今宵はとても勉強になりました。これからもぜひ、皆様のお知恵をお借りしたく存じます」
「お安い御用ですとも。わからないことはなんでも私どもにお尋ねください、アリアお嬢様」
「さすがレーヴァティ領の土地を守り抜いてきた方は、頼りがいのある方ばかりですわね。皆様のような含蓄のある方々に恵まれているなんて、わたくしはなんて幸せなのかしら」
無邪気に褒め称えると、客人達はでれでれと相好を崩した。
きっと彼らの頭の中では、世間知らずの箱入り娘を上手に育てて立派な女領主にする未来の自分の姿が思い描かれていることだろう。それとも、何もわかっていないお飾りの領主を思い通りに操って暗躍する自分の姿だろうか。
(わたくしを通して理想の夢に溺れるといいでしょう。それが結果的に、わたくしの駒として働くことになりますもの)
アリアはそうやって領地を統べる。実務など、それに精通している人間にやらせればいい。ちょっとおだてるだけではりきって、結果を持ち帰ってきてくれるならこれほど効率のいいこともないだろう。
(糸が伸びているのは傀儡だけではございません。傀儡師だって、傀儡と糸で繋がっているのです。貴方がたがわたくしを操っていると思い込めば思い込むほど、わたくしは貴方がたを操りやすくなります。さあ、わたくしの思うがままに踊りなさい)
相手を立てることでその心をくすぐり、自分の望む結果をもたらすように誘導する。
それがアリアなりの戦い方だ。女公として立つために、アリアが磨いた戦術だ。秘めやかな毒のような魔性の囁きは、どんな屈強な勇士すらも虜にするだろう。