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収穫祭まであと少し

「アリアお嬢様、レーヴァティ領の収穫祭ってどのようなお祭りなんでしょうか」


 アリアに紅茶を差し出し、ヨランダはおずおずと尋ねた。


「豊穣の神に今年の感謝を捧げて、来年の豊作を祈願するだけですわ。露店やパレードもありますし、ダンスパーティーも誰でも参加できますから、見所は多いですけれど。期間中は必ずお休みをあげますから、自由に見て回ったらいかが?」


 これはヨランダだけの特別待遇ではない。収穫祭の時期は毎年そうだ。経済活動の活性化のために臨時の使用人を多く雇うので、使用人達の勤務日程に余裕が出る。今年が初めての収穫祭になるヨランダは、街の楽しげな空気にあてられて期待を膨らませていたのだろう。休みをもらえると聞いて嬉しそうだ。


(今年は領主代行としての責務がありますから、例年以上に気を引き締めなければいけませんわね)


 セレモニーでの挨拶に客人の接待。去年までは“領主の娘”だったが、今年のアリアの立場は領主代行だ。今までとはまた違った振る舞いが求められる。

 それに、収穫祭の時期が近づくと、どうしても人々の雰囲気は浮かれたものになる。盛り上がるのは大いに結構だが、注意力が散漫になった事故や事件につながるようなことは避けなければならない。特に、収穫祭は一年のうちでもっとも領主の館の訪問者が増える時期だ。万全を期さなければ。


 アルバレカ王国において、領主の館という言葉には二つの意味がある。一つはその名の通り、領主が住む屋敷。もう一つは、その領地の行政の中心地となる執政院だ。この二つは同じ建物を指していることもあるが、同じ敷地内にそれぞれ別の建物を建て、敷地全体を「領主の館」と呼ぶこともあった。その場合、領主が住む屋敷には家族も住まわせていることがほとんどだ。

 レーヴァティ領は後者だ。レーヴァティ家は領内にいくつものカントリーハウスを有しているが、その中でも「領主の館」と呼ばれるのはアリアが生まれ育ったこのピスケス・コートだった。

 広大な敷地の中にはアリアが暮らす本邸の他に、役人達が勤める執政院、数代前の当主が思索のために建てさせたという離れの屋敷、そして使用人達のための別邸が建てられている。パーク内には二つの庭園があるが、そのうちの一つ、執政院側にある東庭園は公園として常に一般開放されていた。収穫祭のメインイベントであるダンスパーティーが開かれるのは、この東庭園だ。


 広場で火を焚くための薪はすでに用意を終えている。収穫祭は三日間通して祝われるが、その最終日には一晩中火を焚くならわしだ。そして、精霊を象った仮面をつけた者達がその周囲で踊るのだ。アリアは夜遅くまで残ったことはないが、聞くところによると夜通し踊り続ける猛者もいるらしい。赤々と燃えて揺らめく炎が高揚をもたらすのだろう。

 このダンスパーティーもとい囲い火の舞踏は豊穣の神に捧げる儀式の一つだが、その踊り方は問われなかった。男女でペアになって踊る者もいるし、親しい仲間達と輪になって踊る者もいる。元々の由来が、農民達でも思うがままに羽目を外せるように神が提案したと伝わるものなので、むしろ各自好きなように踊ることが推奨されているのだ。


 東庭園の役目はそれだけではない。二日目には農作物品評会と、街の有志達による演劇大会が開かれる。題材は豊穣の神にまつわる神話だ。どちらも審査員を務めるのは領主アリアの仕事だった。

 演劇大会は信心深かった時の領主が始めた催しで、人間がいかに神の威を忘れずに語り継いでいるかを証明するためのものらしい。東庭園の屋外劇場は、元々収穫祭の演劇大会のために建てられたものだ。それ以外の時期では、無料の芸術鑑賞会といった催しや、あるいは集会や演説のために使われている。


「アリアお嬢様も、ノーディス様と一緒にお祭りを見て回るんですか?」


 何気なくヨランダに言われて、アリアは目を丸くした。「ヨランダ、無駄口を叩くのはよしなさい」すかさず他のメイドにたしなめられて、ヨランダは慌てて謝罪する。


 ヨランダの言い方からして、街の様子を視察するか尋ねたわけではないだろう。祭りの日を楽しく遊んで過ごすのか、そういうことを訊いたはずだ。


 収穫祭の三日間はやるべきことが多い。有力者達との晩餐会は初日に行うが、その前に狩猟大会がある。豊穣の神のために贄の獣を捧げるという趣旨のゲームだ。狩りの腕に覚えのある者達がこぞって参加するので、今年も多くの参加者が見込まれた。

 アリアは狩りなどできないものの、夫達が腕を競っている間にその夫人達をもてなす必要がある。一番大きい獲物を獲った狩人に、豊穣の神が身に着けているとされる蔦で編んだ冠を授けるのもアリアの役目だ。


 それから、三日目の山羊レースも見学もしないと。これも余興として催されるゲームのひとつだ。山羊は豊穣の神の使者と言われていて、それにあやかったイベントだった。あくまでも山羊の自由意思に任せて走らせる障害物競走なので、一番展開の予測ができない。後の予定が詰まらないといいのだが。


 アリアは、収穫祭は政務を行う日として認識している。数々のイベントが開かれていようが、それを本気で楽しむ気はなかった。主催側の人間として楽しむふりはするが、それだけだ。


 街の見回りや露天商の監督は警官や役人の仕事であって、それを理由にして息抜きのために祭りに出かけるようなことはできなかったし、そもそも思いつかなかった。領主一族による直々の現場視察や慈善活動の一環としてならともかく、アリアでなくてもできるようなただの雑務を自分の手でこなすという発想に至らなかったからだ。


(確かに、これまでは東庭園での催しに参加することはあっても、実際に街に出てパレードや露店を見ることはありませんでした。遠方からのお客様にレーヴァティ領のよさをより効果的に広めるためにも、わたくし自身が民の愛するお祭りの空気に直接触れて理解することも大切なのかしら……)


 自分の目で見てはじめて判断できることもある。これも視察の一環とみなして、ノーディスに同行を願おうか。そうすると、護衛の配置を考えなければならない。今から予定を調整しても間に合うだろうか。アリアは執政院から提出された収穫祭の日程表を取り出し、街の視察をねじ込める余白を探した。

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