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やらない善よりやる偽善

 孤児院の見学を終え、礼を言って立ち去る。次に向かったのは救貧院だ。ここでは貧困者を集めて衣食住の保証と引き換えに人足として各地に派遣させるほか、職業訓練として手作業を学ばせていた。

 現在の入居者達の人数と労働状況を確認し、運営に問題がないか職員と話し合う。施設の収入は、彼らが作った手芸作品や工芸品の売り上げが多数を占めていた。入居者達にレース編みや刺繍の技術を学ばせるため、アリア自身も講師としてよく通っていたものだ。


 人に物を教える行為は自分のためのいい復習になる。それに、宣伝のために彼らの作った小物をアリアが身に着ける必要があったため、半端な商品を世に送り出されるわけにはいかない。素人が作った不格好な物を身に着けるなど、アリアの美意識が許さないのだ。

 指導のかいあり、レーヴァティ領の救貧院は他領と比べても高品質な手作りの品を扱っていると評判がいい。今月も、目標数を越えて商品を注文されていた。おかげで貯金もできる額の給金を支給できている。こつこつと金を貯めた入居者達は出所して、身に着けた技術と貯金を元手に改めて人生をやり直すのだ。


 最後の目的地は廃兵院。この病院はモンスターとの戦闘で大きな怪我を負った兵士達や、老いや病気を理由に前線を退いた兵士達のための施設だ。

 ここは、レーヴァティ領の中では最先端の設備を揃えたもっとも大きな廃兵院だった。領中の傷病兵を受け入れていて、保養地にある大病院と人気を二分している。


 回復魔法と言えども万能ではなく、一度負った深手の治癒には時間がかかる。肉体の欠損や病気も、魔法では治すことはできない。回復魔法の効果が一番高く発揮されるのは怪我をしたその瞬間だ。負傷から時間が経てば経つほど効き目は薄れていってしまうので、療養施設は欠かせなかった。

 『怪我をしたそばから永続的に、傷口が広がっていくのを上回る早さで回復魔法をかけ続ける』ということができればどんな過酷な戦場にいようが実質無傷で済むが、そこまで高度な回復魔法を使える人間はそれほど多くない。ごく少数の兵士に対して優秀な回復魔法の使い手がつきっきりになるか、兵士自身が卓越した回復魔法の使い手でなければならないため、あくまで机上の空論だった。


「モンスターの対処に悩むのは、どの領地もそう変わらないね」 


 ノーディスの視線の先では、モンスターとの戦闘で身体が不自由になった兵士達がリハビリに励んでいる。アリアは憂いを込めて目を伏せた。


「農作物を狙うモンスターが多いのです。農耕地の開拓や食べ物の採集のために、民がモンスターの縄張りに入ってしまう事故も毎年起きています。幸い、兵士の皆さんが適切に対処してくださるので民間には大きな犠牲は出ていませんが、それでもやはりすべてが無傷というわけには……」


 人を襲うモンスターはどの国でも共通の悩みだ。種によっては共生したり家畜化したりもできるが、オークやゴブリンといった人の生活圏で略奪を行うようなモンスターも存在する。モンスター被害は、特に都市部を離れた僻地でよく見られた。

 民間人を守るために命を落とした兵士も多い。十分な装備を支給して後方支援の体勢を整え、適切な訓練をかかさず行っていたとしても、相手は凶暴なけだものだ。想定外の事態は常に起こりうる。


「彼らもわたくしの大切な、レーヴァティ領の民です。仕方のないこととはいえ、傷つくところは見たくありません……」

「防御魔法と回復魔法は私の得意分野なんだ。前線で戦う兵士達の負傷率を減らせるように、何かできないか考えてみるよ。……ちょうど試したい論文もあるし」

「ありがとう、ノーディス。貴方がわたくしの隣にいてくださるのなら、レーヴァティ領は安泰ですわね」


 真摯に告げたノーディスに、アリアは安堵の微笑みを浮かべた。愛するアリアのために、彼にはぜひとも尽くしてもらいたいものだ。

 その献身はアリアの慈悲深さを広めると同時に、ノーディス自身の名声を高めることにつながるだろう。ノーディスは自分が婿に選んだ男だ。領主の夫としてふさわしい人物だと、万人に認めてもらわなければ困る。そのお膳立てのためなら、いくらでもノーディスを掌の上で転がして彼のやる気を引き出すつもりだ。


(他人に命じられてやるよりも、自発的に始めるほうが意欲が湧くでしょう? わたくしを愛してくださるというのなら、どうか結果で応えてくださいな)


 民衆思いの心優しい令嬢を演じながら、愛情を餌にして男を思い通り操るアリア。内心で浮かべる笑みは紛れもなく悪女のそれではあるのだが、ノーディスなら自分にふさわしい働きぶりを見せてくれるだろうと信頼していることの証明でもあった。どれだけ優れた騎手だろうと、水棲生物であり魚類のような下半身を持つケートスに乗っていては草原の騎獣レースで勝つことはできないのだから。


 動きやすいよう看護師の服装に着替えたアリアは、ノーディスを連れて病院の中を案内する。この病院にもよく足を運んでいるので、職員は全員顔見知りだ。医療行為まではさすがに口を挟めないが、介護の手伝いなら難なくできる。廃兵院を視察するときはいつも、看護師達に交じって仕事に従事していた。

 中庭に立ち寄って井戸から水を汲み上げる。ノーディスがバケツを持ってくれるというのでその言葉に甘え、病室に向かった。

 袖をまくったアリアは、ベッドの上で横たわる患者達一人一人に声をかけて上体を起こし、清拭を行っていく。柔らかい布で丁寧に身体を拭きながら励ましの言葉をかけると、患者は気持ちよさそうに礼を言った。


 アリアは患者の状態の違いで対応を変えることはない。どれほど悲惨な怪我を直視することになろうと、鍛えた淑女の仮面が外れることはないからだ。むしろ、慈愛の表情を浮かべるためのいい訓練になる。


 たとえ皮膚がグズグズと膿んでいようが、モンスターの猛毒のせいで変色し爛れていようが、アリアがやることは変わらなかった。

 自分の庇護下にある民の前ならば、なおさら微笑が絶えることはない。優しい眼差しで温かい言葉をかけ、傷病兵としての待遇について改善点がないか尋ねる。その作られた慈悲深さこそアリアをいっそう完璧な淑女たらしめることを、アリアはよく理解していた。


 患者達の世話が一通り終わり、職員から経営状態と雇用待遇について聞き取りが終わったころにはすっかり日が暮れていた。


「ノーディス、今日はお付き合いいただきありがとうございました。秋の日暮れは早いですし、今晩は泊まっていかれませんこと? 客室の用意をさせますわ」

「せっかくだから、お言葉に甘えようかな」


 ノーディスは微笑み、アリアをエスコートして馬車に乗った。


「今日ご覧になっていただいたのは、レーヴァティ領の弱者達です。レーヴァティ家の人間として、わたくしが救わねばならない者達ですわ。彼らの暮らしが向上すれば、領地全体の生活水準も引き上げられるでしょう。ですから、彼らにも幸せになっていただきたいのです」

「素晴らしい考えだね。貴方は本当に思慮深い。アリアが次期領主なら、レーヴァティ領の未来は明るいな。貴方のために、私も微力ながら尽くそう」


 ノーディスはアリアの手を取り、甲に敬愛の印を捧げる。彼に認めてもらえるのが嬉しかった。


「今日はすごく勉強になったよ。貴方の未来の夫として、私がやるべきことも見えてきた。私達の代でレーヴァティ領を今以上に栄えさせよう。必ず理想を叶えると約束するよ、私の聖女様」


 そう言ってノーディスは陶然と微笑む。宝石のようにきらめく美しい赤い瞳は、まっすぐにアリアだけを映してくれていた。

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