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いっぱい食べる貴方が好き

 この孤児院では施設の裏に畑があり、そこで季節ごとの作物を育てている。収穫祭で販売するお菓子には、その作物が使われていた。園庭にも果物の生る木が植えられていて、おやつとしても食材としても愛されている。


「何を作りましょうか」


 調理台に置かれている、練習用の材料として用意されていたものを見る。すでに子供達が選び取った後なので少し心もとないが、元々おまけで加わっているのだ。文句などはない。子供達は職員を中心に、楽しそうにお菓子作りを始めていた。


 初心者のノーディスでも作れるような、簡単なものがいい。かといって工程が簡単すぎても退屈させてしまいそうなので、ほどよく達成感を味わえるようなものにしよう。


「そうだわ、クッキーはいかが?」

「いいね。ご指導よろしくお願いするよ、先生」


 干したイチジクが目についた。これを切り分けて生地に練り込めばきっと美味しいだろう。


「それでは、早速作っていきましょうか。まず、このイチジクを細かく刻んでくださる?」


 アリアのお菓子教室は何事もなく始まり、問題なく終わる────はずだった。


*


「こうして生地を丁寧に混ぜ合わせますのよ」

「こうかな。結構力仕事だね、これ」


 アリアの手元と見比べながら、ノーディスも自分のボウルに向き合う。もう名前は忘れたが、何かの粉と……砂糖? と、それから、そうだ、確かバターもあった。そいつらが全部ノーディスの手によってぐちゃぐちゃになっていく。なんだかべちゃべちゃしていて気持ちが悪い。


(腕が疲れてきたけど……アリアはなんてことないみたいにやってるから、案外そういうものなのかな?)


 涼しい顔のアリアを前に弱音を吐くのはあまりに情けない。ノーディスは必死で手を動かした。


 それからもアリアの指示通り、こねたり切り分けたりしてみる。ちょっとその意味がノーディスにはよくわからない動作も多かったのだが、アリアがやれと言うなら正しいのだろう。きっと。


「このまま生地を寝かせましょう。その間に少し片付けをしましょうか」


(食べ物が寝るわけないのに。そんな夢見がちなことを言うなんて可愛いところしかないな、アリアは)


 次期領主として気丈に振る舞っているように見せても、無垢で儚い少女の純真な心はそのままなのだ。自分が守ってあげないと。


「わかった。生地を起こさないように、静かにやるよ」


 少女の夢を壊さないように、ノーディスは真面目に頷いた。アリアは一瞬きょとんとしたものの、真っ赤になった顔を見られないようさりげなく後ろを向く。


(も……もしかしてこの方、まさか本当に生地が眠ると思ってらっしゃるのかしら? なっ、なんて可愛らしいの!?)


 ノーディスがあまりに真剣に返事をしたものだから、その勘違いを訂正することなどアリアにはできなかった。そんなことをすれば彼のプライドを傷つけてしまいかねない。

 とはいえ世界は広い。ことによってはアリアが知らないだけで、クッキー生地のモンスターがいるのかもしれない。美味しそうだ。


 お互いがお互いの天然ぶり・・・・に身悶えしながら、二人はクッキー生地を起こしてしまわないよう静かに調理器具の洗浄や調理台の整理を行う。子供達はいつの間にか調理練習を終わらせて、お昼寝の時間を迎えて部屋に戻っていた。



「あとはこれを焼くだけですわ。焼き上がりが楽しみですわね」


 存分に生地を寝かせた後、アリアはあらかじめ温めていたオーブンにクッキーを入れて。


 所定の時間を迎えてオーブンを開けた途端、凍りついた。


(おっ……同じ材料を使って同じ工程で作っていたはずなのに、どうしてまったく違うものができあがるんですの……!?)


 たくさんの子供達に食べさせる料理を作るため、この厨房のオーブンは二段に分かれている。上段がアリア、下段がノーディス。お互いに自分のクッキーがどちらの段に入れたか、ちゃんと覚えていた。


 アリアのクッキーは美しい丸型で、黄金こがね色に輝いていた。点々と散らばるイチジクの赤が愛らしい彩りを添えている。


 一方、ノーディスのクッキーは寒々しい灰色だった。じわりとにじむような赤色がただ毒々しい。焼いている途中に複数のクッキーが合体してしまったのか、不気味なほどいびつな塊に成り果てていた。まるで邪教のシンボルのようだ。食べ物というか、凶器のほうが近いかもしれない。表面も異様にぼこぼこしている。……脈動しているように見えるのは、さすがに気のせいだと思いたい。


「え……? オーブンの中で何が起きたの?」


 造物主たるノーディスですら原因はわからないらしい。アリアのクッキーと全然違うということだけはわかっているようだ。なんとか褒め言葉をひねり出そうとしたアリアだったが、結局声にはならなかった。さすがに当人に自覚がある以上、何を言ってもお世辞にしか聞こえないだろう。


「……プレイアデス商会の工房でノーディス達がおののいていらっしゃった理由がようやくわかった気がします……。一体何がどうしてこうなってしまったのか、過程が不明すぎますもの……」


 とりあえず粗熱を取りましょう。あえて明るく告げたアリアの声がむなしく響いた。


「さあノーディス、召し上がってくださいな」

「……」


 アリアは微笑むが、ノーディスは苦い顔だ。

 ノーディスが人生で初めて作った、圧倒的存在感を放つ異常な物体。それが載った皿は、こともあろうにアリアの前にあった。皿ですら苦情を言いかねないその劇物を、アリアが食べるというのだろうか。

 ノーディスの前にあるのはアリアの作った美味しそうなクッキーだ。これを自分も作りたかったのに、どこで何を間違えてしまったのだろう。音楽の他にもう一つ、できないことが増えてしまった瞬間だった。


「アリア、貴方は本当にそれが食べ物だと思っているの?」


 アリアの細い指が禍々しい何かをつまむ。すかさずノーディスは口を挟んだ。


(やっぱり今動いた!? 生きてるよなあれ!? それともアリアが動かしたから、目の錯覚でそう見えてるだけなのか!?)


 我ながらなんて恐ろしいものを生み出してしまったのだろうか。こんなはずではなかったのに。


「そんなもの、食べられるわけがないだろう」


 というか、食べないでほしい。とても食べさせられない。


「そ、そうでしょうか。いただいてみたら、案外美味しいかもしれませんのに」

「悪いが、私はそうは思わないよ」


 アリアは気まずそうに笑っている。胸が痛い。


 しかしノーディスの制止は届かず、アリアは一思いに冷え固まった汚泥にかじりついた。


「ああああっ!」

「とっ……とても、美味しっ……」

「やめてくれアリア! こんな時まで完璧ないい子でいる必要はない!」


 琥珀色の瞳が涙で潤んでいく。喜びを謡うハープの音色のように透き通った甘い声は、可哀想に今はすっかり濁ってかすれてしまっていた。まずいとはっきり言っていい。真実を口にしたところで、誰もアリアを責めはしないのだから。


 ノーディスは慌ててアリアからクッキーの死体を取り上げた。口直しの紅茶を差し出し、ゆっくりとアリアの唇を湿らせる。死なないでくれアリア、願いはただそれだけだった。


「ですけれど……残してしまったら、もったいないですもの……」

「うっ……。な、なら、これは私が食べるから。貴方はこっちの、美味しいほうを食べるんだ」

「ノーディスには、わたくしの手作りのお菓子を食べていただきたかったの……」

「じゃあ、貴方のクッキーを半分ずつ分け合おう! それならいいだろう?」


 アリアの健気さに胸を打たれながら、ノーディスはこのおぞましい呪いをアリアから遠ざける。代わりにアリアのクッキーが載った皿を二人の間に置いた。


「ん。これ、すごく美味しいよ。アリアは多才だね、お菓子作りも上手だなんて。こんなに美味しいと、食べるのがもったいないな。すぐになくなってしまう」

「本当? 簡単なお菓子でよければ、いつでも焼いてさしあげますわよ」


 アリアのクッキーは甘くてとても美味しい。店で売っていたら買い占めていたところだ。

 手が止まらないが……この味わいに慣れすぎると、この世の憎悪を処理できなくなってしまう。いい加減向き合わなければ。


 覚悟を決めて、自分で生み出してしまった悲しき生命を口に運ぶ。

 脳が咀嚼を拒んでいるが、それを無視して噛みしめる。じゃりじゃり、ごりっ。これがこの虚無を生み出してしまった愚かな自分が取るべき責任なのだ。仕方ない。


(ま、まずい……! 本当に食べ物なのか、これ……!?)


 口の中がトゲトゲする。中々飲みこめないせいで、ティーカップの中身はあっという間に減っていった。紅茶とアリアのクッキーがなければ耐え切れなかったかもしれない。


 ……何がどうしてこうなってしまったのか、結局最後までわからなかった。

 なお、この日以降ノーディスが厨房に立つことは二度となかった。

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― 新着の感想 ―
最初のシーン、いつ頃出てくるのかとドキドキしていましたが、こんなほのぼのしたシーンだとは想像してなかったので、尚この回の微笑ましさが増しました。お二人ともとても可愛いです……。
[良い点] かわいい!
[一言] 一番最初のシーンはここにつながっていたんですね。 途中で仲違いしてしまうのかと当時は思っていましたが、ただいちゃついていただけだったと分かってニコニコしてしまいました。
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