領地の視察に行こう
ノーディス、そしてユークを連れた領地の視察は、次の週末に行うことになった。商業ギルドの視察の一環として、ライラが代表を務めるプレイアデス商会とその傘下の工房を直接見学に行く。アリアも一応同席こそするが、向こうでの話し合いは専門的な知識のあるノーディスとユークが中心になるだろう。
プレイアデス商会の本部は、大きくて立派な店構えの建物だった。隣に併設されている白い建物が、魔具を製造する工房らしい。
「お待ちしておりました、ライラおじょ……アリアお嬢様」
(まあ。わざとかしら?)
慇懃にアリア達を出迎えた男は、商会長代理のカフと名乗った。この程度で崩れるアリアの微笑ではないから、アリアも淑女の礼で応じて社交辞令交じりの挨拶を済ませる。どうやらカフ氏は元々ライラに代わって実務を担当していたらしく、ライラが領都を離れてからも商会長代理として采配を振るっているようだ。
「それでは、我がプレイアデス商会が誇る新製品の数々をご説明しましょう。こちらへどうぞ!」
そう言って、カフ氏は自信たっぷりにアリア達を案内しはじめ────
「なあシャウラ君、ここって……なんなんだ……?」
「貴方にわからないなら私にもわかりませんよ……! 一体どういうことなんですかこれは……」
「ノーディスもユーク様もどうかなさいましたの? お顔の色が優れないようですけれど、少し休憩いたしませんこと?」
「はっはっはっ。ここを案内すると、魔導学者や魔具開発者は皆さんそういった反応をされるんですよ。どうやら常識を覆す画期的な発明がなんでもないことのように行われているせいで、自信を失ってしまわれるようで。ライラお嬢様の発想力についていけない人間など足手まといでしかありませんから、いなくても困らないのですが」
一言余計なことを言わなければ口を閉じられないのだろうか、この男は。
カフ氏の自慢話を聞き流し、アリアは青年達を休ませられるような手ごろなスペースを探す。幸い、近くに職人達の休憩所があったので、そこを使わせてもらう。部下に呼ばれたカフ氏が席を外した瞬間、ユークとノーディスはばっと顔を見合わせて口を開いた。
「ウェングホールの三原則を完全無視するなんて、こんな危険な開発現場見たことないぞ!? どうなってるんだここの安全管理!」
「クロックアーク実験もしない、ジリーベーゼス証明のための設備もない、何より資格を保有した責任者がいない! それでどうして高品質の魔具ができあがるんです!? まさか事故報告が来るたびもみ消しているんですか!?」
「製造工程そのものだってめちゃくちゃすぎるのに、ちゃんと『魔具』として意味のある何かが完成するの怖すぎる……。どういうことなんだよぉ……。そもそもあれは魔具って呼んでいいのか……?」
「お、お二人とも、落ちついてくださいまし。お水はいかが?」
慌てて声をかけると、ノーディス達は力のない声で礼を言った。置かれていた冷蔵庫から水差しを取り、二人分のグラスに水を注ぐ。よく冷えた、美味しそうな水だ。
「あー……その戸棚も、プレイアデス商会の一番人気の商品でしたよね」
「……前に買って分解したことがある。それでも仕組みがわからなくて、情報流出を防ぐために秘匿の魔法がかけられてると思ったが……そういうことじゃなかったんだな……」
二人は何とも言えない表情で冷蔵庫を見つめた。確かにこの白い小さな戸棚も、ライラが開発した魔具だ。値段が張るので広く流通しているとは言い難いが、富裕層にはよく売れているらしい。
グラスの水を一息に飲みほし、ノーディスはじっとアリアを見つめた。ややあって、彼は言いづらそうに口を開く。
「ここは研究所でもなんでもない。魔具の開発研究なんてやってないよ。あえて言うならここは、“魔法”っていう概念をしまっておく入れ物作りのための工房だ。いや、器だって魔具を構成する重要な要素の一つだから、そのこと自体は問題ないんだけど……正直、このままここを放置していると、よくない事態が起きる。何より、魔導学者のはしくれとして見なかったことにはできない」
「なんですって?」
「魔具っていうのは、専門的な技術と計算の上で初めて成り立つものだ。魔法を使える人がもっと便利に魔法を使えるように……魔力を無駄なく扱えるように存在してる。だけどプレイアデス製の魔具は、魔法を使えない人のためのものだ。日常をよりよくするためのものとでも思ってくれればいい。その冷蔵庫も、飲食物をもっと手軽に冷蔵できたらいいと思って誕生したんだろう」
ノーディスの言葉に頷きつつ、ユークは苦み走った顔で口を開いた。
「だが、魔法というのはまだ解明されていない力でもある。だから魔導学や魔素工学といった、魔法のことを深く研究してより安全かつ効率的に人々の生活に還元するための学問があるんだ。……ただし、この工房にはその基礎がない。基礎がないのにできているからおかしいんだ」
「見たところ、研究者すら一人も見当たりませんでしたよね。ここでやってることが理解できずに逃げ出したのか、それともまさか最初から研究者を必要としていないのか。カフ氏の口ぶりでは後者の可能性も高いのがなんとも。本当に、ライラ様お一人の力で成り立っている場所のようです」
「プレイアデス製の魔具は、現代の技術的に不可能な部分が多すぎるんだよな。その不明瞭な部分を、全部ライラ嬢の魔力で補ってたってことか。……一人の人間にそんなことが可能なのか? ど、どこかに魔力集積所みたいなの、ないよな? 秘密を知りすぎた俺達もそこに監禁されて、魔力を搾り取られたり?」
「怪奇小説の読みすぎですよ、レサト君。……まあ、他人の魔力を吸い取る魔具は存在しますから、不審な行方不明者がいないか念のため調べておいたほうがいいかもしれませんが……」
ノーディスは大きなため息をつく。アリアに向ける視線は気まずげだ。とはいえ、魔法の素養のないアリアには、彼らの話は今一つぴんと来なかったが。
「誤解を恐れない言い方をすれば……この商会は、貴方の姉君の才能にだけ目をつけた強欲な商人達が、金儲けのためだけに門外漢にもかかわらず繊細な花畑を荒らして回ろうとして作ったものだ。彼らは花畑でどう振る舞えばいいかわかっていない。根こそぎ掘り起こすだけじゃ飽き足らず、繁殖力の強い外来種の種さえばらまいたんだ。すっかり環境が破壊されてしまったせいで、これまで花畑の手入れをしていた研究者が手も足も出なくなったのを、頭が固いせいだと嗤っているんだよ」
「そ、そんな非道がまかり通ると思って?」
「通るんだよ、レーヴァティ家の才女がいるんだから。……魔法は、それを使える人間にとってもまだ未知の部分が多い技術だ。専門的な勉強をしないまま……あるいは学んだとしても理解できないまま、なんとなくの感覚で使っている人も多い。普通はきちんと訓練しないと相応の形で使いこなせないから、それでも大きな問題にはならないんだけどね。……そんな難しい学問の話を、まったく詳しくない一般の人達にした時に、彼らの共感と信頼を一番得られるのが誰だかわかる?」
「……もっとも権威がある方かしら?」
「その通り。“領主の一族のご息女が言ったから”。始まりは家名の力だ。彼女の言った通りの物を作ったら、彼女が言った通り成功した。それが続いて、最初の開発者は才女とまで言われるようになった。だから次はこうなる。“レーヴァティ家の才女が言ったから”。だから間違いはない、だから問題はない。商人側も消費者側も、ライラ様の名前を免罪符にしてしまうんだ」
ノーディスの話に背筋が凍る。果たしてライラはそこまで考えているのだろうか。
「良識ある研究者がプレイアデス商会の異常さを訴えようと思っても、レーヴァティ家の名前が立ちはだかる。領主一族の事業に泥を塗れば、レーヴァティ領での未来どころか今の生活すらおびやかされてしまうかもしれない。実際にレーヴァティ家にそんなつもりはなかったとしても、研究者側が報復を恐れるのは当然だ。ただ、沈黙はいつまでも保てるものじゃないからね。水面下で告発のために動いている人がいても不思議じゃない」
「もしそうなってしまうと、『自分達でもよくわからないものを売っていた』ということで、レーヴァティ領の評判自体が下がってしまうでしょう。責任が取れないというのは、それだけ大きな罪ですもの」
人に信頼されるのは、何かについて責任を取れるからだ。その名において保証できることがあるからだ。その関係が崩壊した時、人はたやすく手のひらを返す。
「これまでライラ様が作ろうと思い立った魔具のための入れ物を作るのに、金物職人や木工職人、それから各種の素材の卸問屋と生産者達もか。とにかくここでは挙げきれないぐらい、たくさんの業種に声がかかっただろう。お金の動きも随分活性化したはずだ。それがここ最近のレーヴァティ領で盛んになった経済活動の基盤だと思う。プレイアデス製の魔具がもたらした特需だね。でも、これは一過性のものだ。いつかは必ず弾けてしまう。そうなる前に、もっと安定した方向に舵を切ったほうがいい」
「そうですわね。ライラ一人の力に頼りすぎていたようです。余裕がある今のうちに、経済をもっと健全にしていきませんと。プレイアデス商会の内情が知られても我が家の評判が守られるように、まず民の生活に還元して……」
手っ取り早いのは公共事業だろうか。過疎地の開発という名目で、僻地の農村を支援させよう。領主本人は不在だが、領主の補佐を務める執行官に命じればすぐにふさわしい働きをしてくれるはずだ。だって、次期領主はアリアなのだから。アリアの名前でやらせたことなら、アリアはきちんと責任を取る。
次話はノーディス視点です