どうしてこうなった
* * *
「なんでこんなことになっちゃったのー!?」
今日もライラの悲痛な叫びが山にこだまする。返ってくるのはやまびこだけだ。
信じていたメイド達に裏切られて、ライラは生まれ育った家を追い出された。別荘なんて名ばかりの、僻地に建つこじんまりとした二階建ての屋敷がライラの新しい家だ。
まずこの忘れ去られたボロ家を人が住めるぐらいまでリノベーションするのが急務で、ここ数日ライラ達はずっとDIYにかかりきりだった。使用人達がついてきてくれていなければどうなっていたことか。
もっとも、彼ら全員を住まわせるにはこの屋敷では手狭すぎる。作業が終われば帰ってもらうか、あるいは近くの村で住居を探してもらうしかないだろう。
「この世界、どうして魔法でなんでもかんでもできないのかな。不便すぎ。根本から魔法ってものを改善する必要があるよぉ……」
不満を垂れるライラだが、それは彼女の求める基準が高すぎるだけだ。何の変哲もない枝と枝をただ並べただけで座り心地抜群の椅子を作れる魔法など、この世界のどこにもない。
そのことはライラもこの十六年の生活でよく理解していたが、それでも愚痴を言わずにはいられなかった。そんなことを口にすれば、魔法を使えない人間から反感を買うのは必至なのだが……幸か不幸か、ライラの周りにはライラを全肯定してくれる人間しか残っていない。
転生チートなのかなんなのか、ライラの魔力は莫大だ。魔法を使う才能もある。
その自分ですら、お手軽クリエイトが実現できない。だからライラには手足となる商会や工房が必要だった。前世で目にしてきた様々な電化製品を元にした魔具のアイデアは浮かんでも、それを実際に作る技術がなかったからだ。
しかしこんなド田舎では、魔具開発のための設備も専門家も何もない。予定より早まったのんびりスローライフを快適なものにするために、オリジナルで創造魔法を編み出す時が来たのだろう。仕事のほうは領都の部下に任せて、その研究に専念するしかない。
(リモートワークのための設備が整ってるとは言い難いから、田舎暮らしはまだ時期尚早なんだよね。本当はもっと万全な準備をしてからセカンドライフを送りたかったんだけど。あーあ、やっと電話の試作が終わったところだったのに!)
家を追い出されてしまったのは痛手だ。側にいなければ、守れるものも守れない。悪の王弟一家の策謀に、家族が巻き込まれていないといいのだが。
(たとえ裏切られて捨てられても、大事な家族だもん。お父様もお母様も、それにアリアだって、いつかわたしが正しかったって気づいてくれる)
その希望だけがライラの支えだ。今はまだ理解されなかったとしても、いつか必ず感謝してくれる。健気な献身ぶりに、我がことながら涙が出た。
「そうだよね、わたあめちゃん」
過酷な辺境生活での最大の癒しは、ライラに撫でられて気持ちよさそうに喉を鳴らす白い犬だ。屋敷の近くで偶然見つけ、ペットとして飼うことにした。名前の由来はふわふわの腹毛だ。顔をうずめると最高に気持ちがいい。
わたあめちゃんは普通の犬より何倍も大きいが、人を襲うことはない賢い犬だ。「こいつはフェンリルじゃないのか? 人間が飼うなんて……」とダルクをはじめとした使用人達は戸惑っていたが、ちゃんとライラが世話はするし、これぐらいのわがままは許されるだろう。極上の手触りを誇るこの毛並みを一度知ってしまったら、お別れなんて想像できない。
わたあめちゃんのふわふわの体躯に身体を預ける。至高のアニマルセラピーだ。悩みが薄れていく気がした。
*
辺境での強制スローライフを送るようになって、もうすぐ二ヵ月が経とうとしていた。今頃領都はどうなっているだろう。最近商会から便りが来ないが、順調だろうか。
(そういえば、そろそろ収穫祭の時期かぁ。様子を見るついでに、遊びに行っちゃおうかな……。でも、わたあめちゃんを置いていくわけにはいかないから……そうだ、小さくなれるような魔法を使って……)
庭でわたあめちゃんと一緒にお昼寝をしていたライラは、まどろみながら考えた。ふと、わたあめちゃんが低い唸り声を上げる。地の底から響くようなその音で、ライラの意識もはっきりと覚醒した。
「どうしたの、わたあめちゃん」
目を開けて周りを見渡す。ちょうどダルクが門扉を開けて帰ってきたところだった。わたあめちゃんを撫でると、唸り声は収まったもののまだ歯を剥き出しにしてダルクを睨みつけている。
「ライラお嬢様、ただいま。これ、村の人達に分けてもらったぞ。これでしばらく献立に困らないな」
「えー、また野菜?」
鼻歌交じりのダルクが抱えた平籠には山盛りの野菜がある。ライラは小さく眉をひそめた。野菜は嫌いだ。
ダルクはダルクでわたあめちゃんに剣呑な視線を向けて籠を片手に持ち直し、腰に佩いた剣の柄に手を伸ばしていた。何故かわたあめちゃんとダルクは相性が悪いらしい。ライラとしては、仲良くしてほしいのだが。
「わたあめちゃんも家族でしょ。おどかすのはやめてあげてよ、可哀想でしょ」
「家族……」
「怖がらせないでね。わたあめちゃんはすごくおとなしくて頭のいい子なんだから。乱暴な気配には敏感なんだよ。ねえわたあめちゃん」
ライラが呼びかけると、わたあめちゃんは甘えるようにすり寄ってくる。可愛い。ダルクは何とも言えない顔をしていたが、「確かに頭はいいと思う」と賛成してくれた。理解してくれたようで何よりだ。ほとんどの使用人は、わたあめちゃんを怖がって近づきもしなかったことを思えば、ダルクはまだ話がわかるほうだろう。
結局、連れて来た使用人はほぼ全員田舎暮らしに音を上げて領都に帰ってしまっていた。虫はいるし娯楽は何もない。買い物もろくにできず、馬や飛竜車がなければどこにもいけない。領都の暮らしが恋しくなって当然だ。けれど荷物を置きっぱなしどころか挨拶すらもしてくれないなんてひどすぎる。
残ったのはダルク、そしてメイドのナナとケリーの三人だった。一気に寂しくなったが、手狭な屋敷暮らしを思えば妥当な人数と言える。
ナナは昔からライラに仕えてくれているが、ケリーはここに移住するにあたって母がつけた使用人だ。ライラ自身は何も悪いことなどしていないのに、監視されているようで気に喰わない。どうせ見張りがいるのなら、ノーディスに横恋慕しただなんて気色悪い勘違いも早く訂正してくれればいいのに。
案の定ケリーは両親と通じているらしく、わたあめちゃんを飼うのをやめろと手紙が届いたことが何度かあった。とはいえわたあめちゃんの面倒を見ているのはライラなのだから、口うるさい両親の小言に従う気など毛頭ない。
ナナは持ち前のおおらかさで田舎暮らしに素早く順応し、ダルクもあっという間に溶け込んだ。ダルクに至っては、屋敷にいる時間よりも近くの村にいる時間のほうが長いくらいだ。屋敷にいても、庭で家庭菜園を作ったり冬に備えて薪の用意をしたり、もしくは竜舎でワイバーンの世話をしているので、ライラと顔を合わせることも少なくなってしまった。
どうやらダルクは、貴重な若い男手としてあちこちの手伝いに駆り出されているらしい。ダルクはライラの従者なのに。従者としての仕事をおざなりにするはめになってダルクも心苦しいだろう。農作業や力仕事の手伝いの見返りにと農作物を持たされて帰ってくるが、ライラはちっとも嬉しくない。嫌なことは嫌だとはっきり断ればいいのに。
「ねえダルク、ここに来てからずっと働きづめでしょ? 少し休んだら?」
「でも、身体を動かしてるほうが性に合ってるんだ。それに、色々な人に感謝してもらえて嬉しいし」
「人のことばかり優先して自分が倒れちゃったら元も子もないよ。村の人達はみんなダルクに甘えすぎ。言いづらいならわたしから言ってあげるからさ」
「……? そんなことないぞ、ライラお嬢様。手伝いたいって言ってるのは俺のほうだ」
「従者としての仕事はどうするの?」
「ライラお嬢様のお世話は、ナナとケリーがいるから大丈夫だろ? 屋敷でだって、男手が必要な仕事はしてる。ここはのんびりしたところだし、フェンリルの縄張りってことで他の獣もモンスターも近寄らないから、四六時中護衛してなくても平気だろ。食べ物をもらえたり、ためになることを教えてもらえたりするから、俺が村の手伝いに行くのはお嬢様にとっても悪いことじゃないと思うが」
「でも、」
「それに、ライラお嬢様のフェンリルは俺のことが嫌いらしいからな。俺だって、お嬢様の大事なペットと殺し合うような真似はしたくないんだ。お嬢様には懐いてるみたいだけど、フェンリルっていうのは平気で人を食うぐらい凶暴なモンスターなんだぞ」
「わたあめちゃんはそんなことしないし」
「お嬢様がそうおっしゃるならそうなのかもしれないが……。そいつはお嬢様の言うことしか聞かないんだから、ナナとケリーのためにもしっかりしつけはしてやってくれ。差し出がましいことを言うが、それが飼い主の責任だからな」
ダルクはそれだけ言って、さっさと屋敷の中に入ってしまった。取り付く島もない。
今後も一緒に悠々自適なセカンドライフを送ることを考えれば、彼のスローライフ適性が高いのはいいことだ。いいことではあるのだが……。
「どうしちゃったの、ダルク。前はもっとちゃんとわたしの話を聞いてくれたのに。ちょっとわたあめちゃんが大きいからって、適当なことばっかり言ってごまかすなんて……」
ライラは声を震わせて、ダルクが消えていったドアに切なさのにじむ眼差しを向ける。
追放されても、ダルクと一緒なら大丈夫だと思っていたのに。そのダルクがこうもよそよそしいと、寂しさだけが募ってしまう。まるで心に大きな穴が空いたようだ。そんなライラを慰めるように、わたあめちゃんが大きな舌で頬を舐めてくれた。
(まさかライラお嬢様に好きな男がいたなんてな。これからはきちんと立場をわきまえて、主従としての線引きはきっちりしておかないと。とはいえ相手はアリアお嬢様の婚約者なんだから、堂々と応援することはできないし……本気になりすぎて人の道を踏み外してしまうぐらいなら、いっそ止めてやるのが従者のつとめだ。せめてもう二度とライラお嬢様に馬鹿な真似をさせないようにしないと)
一方、ダルクはダルクでずっと勘違いをしていた。
可憐で親切な、自分だけのお嬢様。けれどそう思っていたのはダルクだけだった。だから彼女への初恋をそっとしまい込み、冷静になって頭を切り替えるだけの時間として距離を置く必要があっただけだ。
(ライラお嬢様、従者に過ぎない俺じゃ貴方にはとても釣り合わない。それでも、貴方がきちんと現実に目を向けて幸せになれるように、手助けはさせてもらうからな)
こっちの二人は、残念なぐらい噛み合っていなかった。
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