楽しいパーティー
(なんて清々しい朝なのかしら!)
朝食のために食堂に向かうアリアの足取りは軽い。ライラ派の使用人達が青い顔をさっと伏せて横に逸れ、媚びた目つきで様子をうかがってくるからだ。
王都のタウンハウスで起きたライラの更迭の顛末は、すでに領地のカントリーハウスにも知れ渡っていた。姉妹を乗せた飛竜車が到着して早々、憤慨した様子のライラが別邸の荷物をまとめだしたからだ。そのさまは、まるで可哀想なライラが意地悪なアリアに追い出されるかのようだった。
カントリーハウスに残っていたライラ付きの使用人は抵抗してアリアに抗議しようとしたが、あらかじめレーヴァティ公爵夫妻がつけていた中立派の使用人がそれを抑えた。
そこで事情を聞かされた彼女達は、ライラを慰めるように取り囲むものの、アリアに畏怖の視線を向けるようになった。誰も口にはしなかったが、次のロザになるのは自分かもしれないと思ったのだろう。
それまで大きな顔をしていたライラ派は、そこでようやく自分達の増長ぶりに気づいたらしい。いっそう強くアリアへの反発を示す者は、喜び勇んでライラの蟄居に付き合った。
結果、カントリーハウスに残ったのは手のひらを返してごまをすろうとする小心者だけだ。今さら態度を改められようと、彼女達が罷免予定者のリストの上位を占めていることに変わりはないが。
公爵夫妻もいない食堂で、アリアは優雅に朝食を口に運ぶ。屋敷に家族が誰もいない。
それも少しの間の外出ではなく、長期の旅行が理由だなんて。こんなことは初めてだった。
例年通りであれば、公爵夫妻はレーヴァティ領の祭事である秋の半ばの収穫祭に備えて帰ってくる。それまでの束の間の自由は、まるで家督を継ぐ時に備えた予行演習のように思えた。今はアリアはこの家の女王だ。たとえ公爵夫妻が帰ってきたとしても、永遠に君臨し続けられる日が必ず来る。
食事を終えたら予定の確認の時間だ。アリアが領地に戻ってきたことはすでに知られていて、領内の地主や資産家達からご機嫌伺いのための訪問を求めるカードが何件も届いていた。とはいえ、よほどの有力者が相手ならともかく、さすがに一件一件時間は取っていられない。
「週末にガーデンパーティーを開きましょう。招待状のいらない、気軽にお客様が来ていただけるような」
「かしこまりました、アリアお嬢様」
パーティーを開けば、彼らと一度に会うことができる。アリア派の使用人も恭しく同意した。
どんなパーティーにしようか。新たな女主人としての采配を見せるいい機会だ。考えるだけで胸が弾む。想定している来客はレーヴァティ領に住む名士達とその家族、そしてもちろんノーディスだ。アリアの友人のために、ノーディスに友人を連れてきてもらってもいいかもしれない。
「余興は何にしましょうか。……そうだわ、ルーベリー狩りはどうかしら? 果樹園に植えてある品種なら、そろそろ収穫できますわよね?」
「大変素晴らしいお考えかと。では、すぐに手配いたします」
カントリーハウスがある広大な敷地内には、領主のための農園がある。その一角でルーベリーを栽培していた。秋に小粒の実を鈴なりにつける、よく熟れた甘酸っぱい果実だ。
都会の喧騒を忘れて自然に浸れる農村体験は、貴族の間でも人気のある遊びだった。美味しくて栄養も豊富なルーベリーは、王都の社交期に疲れたの貴族達にとってはいい癒しになるだろう。もしかしたら、王都の滞在者の中には噂を聞いて来てくれる者もいるかもしれない。
そうすれば、アリアの様子が王都にも伝わるはずだ。レーヴァティ公爵夫妻がいなくてもアリアがうまくやっていると知れば、夫妻もきっと安心するに違いない。いつでも隠居できると自覚してくれるといいのだが。
*
ガーデンパーティー当日は澄み渡った晴れの日だった。けれど時折空から聞こえるツバメの切なげな鳴き声が、夏が終わって季節がゆっくりと秋に移り変わっていく少しの物悲しさを感じさせる。
庭園の花々がパーティー当日にもっとも最適な形を迎えられるよう、庭師達にあらかじめ植え替えの指示を出していた。そのかいあって、庭園の花達はすべてアリアの望み通りに咲いている。
しおれかけの儚さと、秋が深まるにつれていずれ大きく開く未熟なつぼみの愛らしさ。完璧な美しさではなく、不完全な美が持つ風情を訴えるのが今日のパーティーの狙いだ。それは初秋のわびしさを味わってもらうためのものであると同時に、レーヴァティ家の世代交代を表していた。
とはいえ、視覚的に地味なことに変わりはない。意図しての静かな演出とはいえ、客人達には物足りなさを感じさせてしまうだろう。
そこで余興のルーベリー狩りと、レーヴァティ領で栽培している野菜や果実をふんだんに使った料理とお菓子の数々が活きてくる。アリアの手腕は実益だってきちんともたらせると、理解してもらえるはずだ。
「ご機嫌よう、アリアお嬢様。お会いできて光栄です」
「ご機嫌よう、キュレオン様」
事前に方々に告知していたおかげで、アリア主催のガーデンパーティーは盛況だった。レーヴァティ領の名士達はこぞってアリアへの目通りを願ったし、竜舎も他地方から飛んできた飛竜車で大いににぎわっている。
ちょうど今しがたアリアの元にやってきた禿頭の老紳士は、レーヴァティ領でも古くから続く豪農の大地主だ。
名をキュレオン・エブラ。幼少の頃こそアリア達姉妹を孫のように可愛がってくれてはいたものの、長男夫婦に後を任せてからは半分隠居のような形でめっきり表舞台には出てこなくなった。
ライラが台頭するまで、レーヴァティ領で最も有名な特産品は農作物だった。アルバレカ王国の食料庫とまで言わしめる広大な農地を抱えられるのは、王家の忠臣として代々その名を轟かせてきたレーヴァティ家だからこそだ。
エブラ家はそんなレーヴァティ家に長く仕え、農民達のまとめ役として振る舞っていた。レーヴァティ家にとっては、信頼の置ける懐刀といったところだ。
「いやはや、しばらく見ない間にすっかり大きくなられましたな」
「ふふ。キュレオン様達が築き上げたレーヴァティの大地をきちんと受け継げるような、立派なレディにならないといけませんもの」
「爺にはまぶしいほどの成長ぶりですよ。ライラお嬢様とご一緒に泥だらけになるまで走り回ってらっしゃったことはつい昨日のことのように思いだせるのに、まるで遠い昔のことのようです」
(落ち着きなさい、アリア。これはただの老人の思い出話。とっくに終わった過去の話をしているだけです、気にすることなどありません)
浮かべる笑みに寸分のひずみも見せないまま、アリアは老爺の話に相槌を打つ。一線を退いたとはいえ、エブラ家の影響力は無視できない。下手に動揺して心証を悪くするより、完璧な淑女として愛想よく対応したほうがよっぽど自分のためになる。
エブラ家は、多くの農民達の代表者という立場にある。もしもそのエブラ家をないがしろにしようものならば、農民と領主の対立を招きかねなかった。
レーヴァティ家を領主たらしめているのはこの地に住まう者達だ。彼らを守り導くことこそ高貴な家に生まれた人間の使命。無数の声なき声を領主に代わって拾い集める橋渡し役に敬意を示さなくていい理由はない。
老エブラの昔話に人々が引き寄せられてくる。そのすべてににこやかに対応しながら、検討しがいのある言葉を拾っていった。領地のこれから、人々の生活、そして────ライラの魔具について。
(農業主軸で営まれてきた今の生活が変わってしまうことを、皆様恐れていらっしゃいますのね。……これまでの常識とかけ離れたものがすっかり身近になって、自分だけ取り残されていくのは誰だって恐ろしいと感じるでしょう)
庭園には他領からの客人も多い。だが、やはり目立つのはレーヴァティ領の有力者だ。領民が抱いているであろう不安が、彼らを通じて流れ込んでくる。それらすべてを受け止めるように、アリアは慈愛に満ちた微笑を浮かべた。
「皆様、どうかご安心なさってくださいな。このわたくしが、未来の夫と一緒にレーヴァティ領を守ります。これまでと変わらない平和と安寧を皆様にお約束いたしましょう」
その一言で、アリアの周りに集まっていた人々があからさまに安堵の表情を浮かべる。レーヴァティ家の次代を担うのはライラではなくアリアであると、よくその胸に刻みつければいい。多くの領民から賛同を得て外堀を埋めてしまえば、たとえ現領主夫妻にだって覆させやしないのだから。