※真剣に相談に乗っただけ
* * *
(とりあえず、レーヴァティ家のライラ第一主義がどの程度のものかはわかった。ライラもこれからは私達にかかわらず、邪魔してこなければいいんだけど……それも難しいようなら、手を打たないとな)
アリアからの手紙を傍らに置き、ノーディスは小さくため息をついた。
レーヴァティ家の使用人問題はひとまず決着したらしい。これまでは領主の館の離れで暮らしていたライラも、遠方の別邸で暮らすことになったとか。おかげで、アリアに会いに行くたびにうっかりライラと遭遇してしまうような事故の可能性は大幅に下がったはずだ。
(ただ、いったん視界から消したからってアリアの傷が癒えるわけじゃない。何より、アリアを苦しめているのはライラだけじゃないみたいだから、そっちもなんとかしないと)
昨日のガーデンパーティーのことを思い出す。悩みを吐露し、相談してくれたアリアのことを。
(だって目の前であんな風に泣かれたら、私が守るしかないじゃないか……!)
頭を抱えた。これは何か、とんでもないことを背負い込んでしまったのかもしれない。だが、不思議と悪い気はしなかった。
あの儚くてか弱い、可憐な少女をこれ以上さいなむものがあっていいのだろうか。いや、ない。
無邪気に慕ってくれる、年下の美少女。彼女の涙を前にして引き下がれる男がいるだろうか。いや、いない。
彼女のことを救えるのは、自分しかいないのだ────!
だから真面目に考えて、真摯に助言をした。
その結果、アリアに迫る悪意を退けられたというなら、願ってもないことだ。
もちろん、彼女を新たに支配しようとする意図は一切ない。そのつもりはまったくなかった。客観的に見ると詐欺師か何かの口車かもしれないが、ノーディス自身はいたって親身に応じたつもりだ。ただし籠絡はしたいと思っている。
(正しくて幸せな家族像というのは、私にも提示できるかはわからないけど……アリアの新しい家族になら、私だってなれる。私があの子の、本当のよりどころになってあげないと)
孤独な少女を想う。彼女にもっと信頼されたい。頼られたい。支えたい。自分にならそれができるはずだ。ノーディスはすっかりアリアの涙に庇護欲をくすぐられていた。
向かう先はウィドレットの部屋だ。軽快にドアを叩いて名乗る。入室の許可はすぐに下りた。
「兄上、アリアのことで少し相談したいことがあるんだけど」
「お前から来るとは珍しいな。なんだ、年下の婚約者が何を好むか知りたいのか?」
ウィドレットはにやりと笑う。異母弟に頼られて喜んでるのがありありとわかった。彼のそういうところが好きだ。
「それは自分で調べるから大丈夫。兄上の情報源なんて、どうせアンジェ様しかいないだろ。穏便にレーヴァティ家の実権を握りたいんだけど、そのために兄上の助言がほしいんだ」
「なんだ、そんなことか。具体的な目標は?」
「レーヴァティ公爵夫妻をできるだけ早くアリアから遠ざけたい。もちろん家督をアリアに継がせたうえでね」
「一番楽なのは隠居だな。一番確実なのは謀殺。一番無難なのは失墜だろう」
突然の申し出にも、ウィドレットは顔色一つ変えずに即答してくれる。そういうところも大好きだ。
「ちなみに兄上のおすすめは、やっぱり謀殺?」
「当たり前だ。とはいえ、いかんせん下積みに時間がかかるからな。この俺でさえ五年かけてもまだ準備中なんだ。今回のお前の目的にはそぐわないだろう。仮にアリア嬢に知られないようお前が手を回すにしても、余計な心労を抱えることになる」
「アリアの負担にならないのは隠居かな?」
「ああ。だが、まず間違いなく口出しされるぞ。よほど強固な地盤がなければ、若い領主夫婦が先代をさしおいて実権を握るのは難しい。女公と入り婿ならなおさらだ」
「アリアをこれ以上親に支配されたくないから遠ざけたいのに、引退後も干渉されると意味がないよ。つまり、選択肢は実質一つか」
「アリア嬢の不名誉にもつながりかねんから、くれぐれも慎重にな。お前には必要のない助言だろうが。表向きは隠居ということにして、どこぞに蟄居でもさせればいい」
ノーディス達の父であるシャウラ公爵が表舞台に出なくなって久しい。最愛の妻さえいればそれでいい彼にとって、社交も政務もその時間を削る害悪でしかないからだ。
シャウラ公爵夫妻は情熱的に愛し合っている。互いがいなければ、食事も喉を通らないほどに。
その穴を埋めるのが当主代行のウィドレット、そして社交担当のノーディスだった。
シャウラ家の当主は健康面に不安があるという噂は、真実として囁かれている。出どころは当然ウィドレットだ。穏便に家督を相続するべく強固な地盤を築き、誰にも疑われずに今の当主夫妻を亡き者にするために。
弱冠二十歳の若者にとっては、親から与えられたはりぼての権力よりも自身の手腕と覚悟のほうがより信頼できる武器になる。ウィドレットの計画にはノーディスも一枚噛んでいた。誰にも気づかれないよう、陰ながら彼の支援をしている。
しかしどんな野心と才能があっても、最初はまだまだ貧弱だ。雌伏の時はどうしても必要だった。
「とはいえ、引っ張れる罪状がないならでっちあげるしかない。謀殺ほどではないだろうが、周到な準備が必要だぞ」
「つまり、罪がすでにあればいいってことか。何かいいものがないか探してみる。アリアの瑕疵にならない形でないといけないのが難点だけど……やりようはあるからね」
(社交期が終わるまで、レーヴァティ公爵夫妻は領地に戻らないはずだ。ライラもいないはずだし、それまでアリアは自由に過ごせる。過去にもそういうことはあったのかな? 正式に社交界にデビューできる年齢でなくても、王都の社交期には連れてこられるものだろうし……もしかしたら、これが彼女にとっての初めての自由な一人の時間になるのかもしれない)
冬を迎えるころに、王都に集まっていた貴人達は各々の領地に帰る。
公爵夫妻がアリアをしっかりした手のかからない娘だと本気でみなしているなら、社交期が終わる前にいちいち飛竜車を飛ばして様子を見には来ないだろう。
(できればその間に、アリアの中でも気持ちに整理がつけられるよう配慮しよう。親を捨てる決断なんて、きっと難しいものだろうし。……でも、このまま公爵夫妻の支配下にいたら、間違いなくアリアは壊れてしまう。だから彼女には、その選択をしてもらわないと)
経験があるからわかる。幼い日のノーディスも、愛を求めて必死に足掻く子供だったから。
「ありがとう、兄上」
「この程度の助言ならいくらでもしてやろう。行動に移したくなったら、声をかけてくれれば俺も手伝うぞ」
「もちろんそれについても感謝はしてるけど。……昔、兄上が私を助けてくれなかったら、今こうしてアリアを助けようと思わなかったかもしれないな、って思って。兄上だって大変だったのに、よく私にまで気を配れたね」
ウィドレットもノーディスも、経緯は違えどどちらも親に愛された覚えのない子供だった。
片や冷遇された前妻の子、片や偏愛される後妻の子。真実を知る者にとってウィドレットは軽んじていい存在で、ノーディスは面倒な爆弾だ。だからウィドレットは自分を守るために心を閉ざして他人を拒絶し、ノーディスは自分を守ってもらうために愛想を振りまいて無害さと愚かさを演じていた。
「初めに俺に笑いかけてきたのはお前のほうだぞ、ノーディス。今だから言えるがな、お前の無邪気さはひどく癪に障った。どれだけ邪険にしても、お前は諦めなかっただろう? だから根負けしただけだ」
そう言ってウィドレットは笑う。屈託のない笑みだった。
「そうだったっけ?」
「ああ。誰もが俺を鼻つまみ者扱いする中で、お前だけは違った。お前は屋敷の空気が悪くなるのを極端に怖がっていただろう? だからそうなる前に、いつも明るく振る舞っておどけていたな」
「そう言う兄上こそ、わざと問題児になって不満のはけ口になろうとしてなかった? 兄上はそれで自分の居場所と存在意義を作ってたのかもしれないけど、そんな風にして注目を集めたって自分がつらいだけじゃないのかなってずっと不思議だったんだ」
「否定はしない。かと言って、お前のように道化に徹するほどの勇気もなかったんだ。仕方ないだろう」
「私だって、兄上ほど強くなかっただけだよ。人の顔色をうかがって、なんとか気に入られるように振る舞うことしかできなかった。あれ、今もあんまり変わらないかな?」
冗談めかしながら目を細める。ウィドレットが傍にいてくれたから、ノーディスは孤独ではなくなった。無益で無害な愛玩動物のように可愛がられる生き方をしなくてもよくなった。周囲の空気に振り回されて、自我を殺さなくても済むようになった。
「私ももっと真剣に、アリアとのこれからについて考えてみるよ。策略ありきとはいえ婚約してるんだからね」
「それがいい。俺とアンジェほど強く愛し合えとまでは言わないが、円満なほうがお前もアリア嬢も過ごしやすいだろう」
けれどノーディスにとってのウィドレットのような存在は、アリアにはいないだろう。だから今度は自分が、異母兄にしてもらったように彼女の手を取ってあげたかった。