家族とは一体
「このようなことをした使用人を我が家に置いておくわけにはいかない。警察を呼ぶぞ」
騒ぎを聞きつけて控えていた執事とダルクに対し、レーヴァティ公爵が厳かに告げる。
アリアはようやく我に返った。公爵夫人もやっと冷静さを取り戻したらしく、乱れた髪を整えながら肩で息をしている。
「お、お待ちください、旦那様! わたくしは、ライラお嬢様のご命令に従っただけなんです!」
「えっ!?」
ロザの告白に目を剥いたのはライラだ。「ライラが?」公爵は眉を吊り上げる。
メイドごときが娘に罪を着せようとしたことに怒っているのか、それとも娘が罪を犯したことを知って呆れているのか。父のオレンジ色の瞳に宿った感情は、アリアにはもう読み取れなかった。いや、本当に理解できた日など最初からなかったのかもしれない。
「ライラお嬢様がっ、アリアお嬢様とノーディス様を、別れさせたいって……おっしゃってぇ……」
ロザがしゃくりあげながらそう訴えると、公爵夫妻は小さく息を飲んだ。
やっとロザは罪を認める気になったらしい。嘘くさい涙と一緒に窃盗の自供を始めた。
ロザのやろうとしていたことは、ノーディスの予想通りのものだった。新鮮味のないその告解に、アリアはショックを受けたふりをする。
「で、でもわたし、お母様やアリアの宝石まで盗めなんて言ってない!」
「……つまり、妹を破局させようと思ったことは認めるのか?」
「それは……だけど、仕方ないことだったし……」
「仕方ない理由などあるものか! どうしてそんなひどいことができるんだ!? アリアはお前の妹だぞ!?」
(この方は、どうして今さらわたくしの肩を持つのでしょうか)
青ざめた顔で怒鳴る公爵を見て、アリアは首をかしげた。
確かにアリアはレーヴァティ家の次女だ。それは間違いない。だが、それはあくまでも生まれがそうというだけだった。それとも、一応アリアも娘だと思われていたのだろうか。
(ああ……シャウラ家の不興を買うことを恐れていらっしゃるのね。それならば納得できます。ノーディスが妻にと望んでくれたのは、ライラではなくわたくしです。それなのにレーヴァティ家に責任がある形で婚約が解消されれば、十年前の再来になりかねません。今度はもう、子供がやったことだという言い訳は通用しませんわ)
「ひどいです、ライラ。そこまでわたくしのことが嫌いだったなんて……。どうしてわたくしからノーディスを奪おうとするのですか?」
「嫌いなわけないじゃん! ひどいのはみんなだよ、わたしの気持ちも知ろうともしないでさ!」
しおらしくうつむいて震えるアリアに対し、ライラは顔を真っ赤にしてそう言い放った。続く言葉はない。慰めて、理解と歩み寄りの姿勢を見せてくれるのを待っているのだろうか。
気まずい沈黙が降りる。そんなことを言われたって、言ってもらわなければわからないのだから。
アリアと違って、ライラはきちんと聞いてもらえるはずだったのに。それを踏まえたうえでなお話せない事情でもあると言いたいのだろうか。
────そこで、公爵夫人は自分達なりの答えを出した。
「もしかして……ライラもノーディス様のことを好きになってしまったの……?」
「えっ」
「だからアリアとノーディス様の婚約を白紙にして、アリアの不義理の償いとして自分との婚約を願おうとしたんでしょう?」
「待って」
「アリアのことは嫌っていないのに、ノーディス様とは別れさせたいというのは、つまりそういうことだもの。姉妹の情より、恋を選んでしまったのよね?」
「ちがっ……!」
「恋に落ちてしまうのは仕方ないことだわ。でもねライラ、やっていいことと悪いことがあるのよ?」
(まあ。こちらの方にも、その程度の良心はおありでしたのね。ここで「なら婚約者を取り換えてもらいましょう!」などとおっしゃるようであればいくらレーヴァティ公爵夫人でも看過できませんから、安心いたしました。……わたくしがライラの代わりをするのはともかく、ライラにわたくしの代わりは務まりませんから、当然ですけれど。そんな申し出をすれば、シャウラ家にご迷惑をかけることにもなってしまいますし)
優しくライラを諭す公爵夫人を、アリアはしらけ気味に一瞥する。何もかもが他人事のように聞こえた。
「そういえば……以前ライラは、使用人達を使ってわたくしを遠ざけて、勝手にノーディスにお会いしたことがありましたわよね」
ライラがアリアを嫌っているのは自明の理だ。嫌っていないなんて嘘、信じるなんて公爵夫人ぐらいのものだろう。
そんなお花畑に同意するのは非常に癪だが、夫人の想像を裏付ける証言ならアリアにもできる。ライラの動機がわからない以上、こっちで勝手に推測するしかない。
「わたくし達の婚約が締結されてすぐ、ノーディスが我が家にお越しくださった時ですわ。会話が盛り上がったと自慢しにいらっしゃっていましたけれど……ノーディスは貴方のこと、なんとも思っていないご様子でしたわよ?」
「!」
「なんだと? ノーディス殿は、アリアに会いに来たんだろう? 婚約の直後にアリアを押しのけて自分がノーディス殿と会おうだなんて、よほど二人の婚約に不満があったのか?」
「アリアは優秀な子だから、婚約者なんてすぐに見つけられるけど……ライラは繊細ですものね。初めて人を好きになって、どうしたらいいかわからなくなってしまったのかしら。でも、それならわたくし達に一言相談してくれればよかったのよ。そうしてくれたら、わたくし達だって……」
公爵夫人はライラに優しく語りかけ、すぐにはっと口をつぐんだ。続かせたかった言葉は、「シャウラ家にライラを売り込んだのに」に違いない。
公爵夫人が優先するのは、“素直で手のかからない”アリアではなく“面倒で手のかかる”ライラだ。そんな彼女が今回に限ってライラに忖度しないのは、すでにアリア達の関係が正式なものになったからだろうか。
けれど何かが少し違えば、公爵夫人はアリアではなくライラとノーディスの婚約を結ばせていた。
それを知り、アリアの心がますます冷え切っていく。ノーディスから素早く求婚してくれて本当によかった。危うくライラに先を越されるところだったなんて。
「違うから! ノーディスのことなんて全然好きじゃないし!」
「恥ずかしがらなくていいのよ」
呆けていたライラは慌てて声を張り上げる。彼女が視線を巡らせた先にいたのはダルクだ。
ダルクは驚いた顔をしていたが、ライラの視線に気づくとすぐに表情を消して一歩下がった。空気に徹する使用人らしい行動だ。それを見たライラは何故か傷ついたような顔をしたが、アリアの知ったことではない。
「ライラがわたくしの飲み物に細工するようロザに指示したのも、ノーディスと婚約したわたくしのことが呪わしかったからですの? わたくしのことなどいつでも害せるとおっしゃりたかったんでしょう?」
「細工? ねえロザ、それってなんのこと!?」
「ち、違います! わたしはアリアお嬢様の紅茶に蜘蛛なんて入れていません!」
「まあ。説明してくれてありがとう、ロザ。ところであの毒蜘蛛は、どこで捕まえてきたのかしら?」
「毒蜘蛛だなんてとんでもない! 普通の蜘蛛でしょう、どこにでもいるような」
「入れていないなら見ていないはずなのに、何故答えられるのかしら。毒蜘蛛だったことにされて、罪が重くなるのが嫌なの?」
「そ、それは、あくまでも常識的に考えた結果で……」
「アリア、一体何の話なんだ?」
「わたくしは都度使用人の不手際について報告していると、先ほども申し上げたはずですわ、お父様」
「お前は完璧主義だから、他人にもお前の基準を求めているのだとばかり……。ささいな悪戯の話も、私達の気を引こうと大げさに話しているのだろうと思っていたんだ。ライラと違ってお前は一人でなんでもできる子だから、ついお前をおろそかにしたこともあっただろう? それでお前が拗ねたのかもしれないと……。だが、お前ももう子供ではないのだから、お前にばかり構っていられなかったんだ」
「……そうでしたわね。使用人が裏切ることのほうが、お父様達にとっては信じられないことですもの」
構ってもらった記憶なんて、この十年でまったく思い出せないが。十年前からアリアはずっと一人きりだ。
アリアが一人でなんでもできるようになったのは、公爵夫妻の意向のはずだった。不出来なままだと叱られる。責め立てられて、見放される。それが嫌だったから、一生懸命頑張ったのに。
完璧な淑女であれと望まれたから、望まれるように在った。そのせいで褒めてもらえず、認めてもらえず、愛してもらえないなんて聞いてない。
(もしかしてわたくしの家族は、十年前にいなくなってしまったのかしら。世の中にはもっと不幸な人も大勢いますし、わたくしは恵まれているほうなのでしょうけど)
いつか褒めてほしかった。認めてほしかった。愛してほしかった。いつかきっと、両親は自分を見てくれると信じていた。
けれどもう、そんな“いつか”は信じない。親にしがみつき、振り向いてくれるのを待つのはやめる────だって、本当にアリアを愛してくれる人が現れたのだから。