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抑圧→不安→解放→依存→?

「何か、申し開きは?」


 レーヴァティ公爵の声は怒りに震えている。ロザと女中頭、そしてライラはすでに舌を切られたかのように静まり返っていた。


(本当にノーディスのおっしゃっていた通りでしたわね)


 くだらないその茶番を、アリアは冷ややかな眼差しで俯瞰する。

 なんだ、こんなに簡単に現状をひっくり返すことができたのか。アリアの言葉だけでは、誰のことも動かせなかったのに。


 使用人達の部屋から見つかった、いち使用人が持つには華美すぎる高価なアクセサリー。証拠が見つかれば、もはや弁明の余地はない。

 最初は「わたしがあげたやつだよ」と擁護していたライラも、レーヴァティ公爵夫人の私物までプレゼントしたつもりはなかったようだ。「どうしてこんなことしたの?」とわななきながら尋ねるさまが、まるで彼女も裏切られた悲劇のヒロインになったつもりでいるかのようで滑稽だった。頼みの綱のライラお嬢様に突き放されたロザと女中頭の顔は中々見ものだったが。



『わざわざ“私からの・・・・贈り物”なんて指定をする以上、そこには必ず意味があるはずだ。価値があるだけのアクセサリーなら、貴方は他にもたくさん持っているだろう? 私が贈った物の中で単純にデザインが気に入ったアクセサリーがあったなら、その詳細を伝えないと意味がない。つまり、貴方を裏切ったそのメイドは……あるいはそのメイドに指示を出した人間は、贈り主自体に付加価値を見出したんだ』


 不義に走った使用人達を、公爵夫人がヒステリックに責めている。

 淑女らしくない・・・・・・・耳障りなそれを塗り潰すかのように、ノーディスの言葉が蘇った。


『では、何故そう思うに至ったんだろう。一番簡単な理由は思慕と嫉妬だ。盗品はやすやすと身に着けられないけど、惚れた男のプレゼントを恋敵から奪うことはできる。けれど私は、貴方の元メイドのことはたった一度スピカ座で見かけただけで、言葉すらも交わしていない。もちろん、彼女の一目惚れという可能性もなくはないけど……。そのメイドが今主人と仰いでいる、ライラ嬢に至ってはもっとありえない』


 そう言って、ノーディスは小さくため息をついた。

 ライラの話では、アリアのふりをして会われた時は大いに会話が盛り上がったはずだが。それでも、ノーディスがライラに拒絶を示したことが、嬉しくなかったと言えば嘘になる。もちろん、喜々として他人の悪感情について知りたがるのはしたないので、それについて深く追及はできなかったが。


『だから視点を変えてみよう。他人から物を奪う理由は、欲しいからだけじゃないからね。……彼女は、私からの贈り物を欲しがったわけではなく、私からの贈り物を貴方から取り上げたかったんじゃないのかな。……それがなくなって一番困るのは貴方だからね、アリア』


婚約者わたしからの贈り物をなくしてしまえば、貴方は恥をかくことになる。私を軽んじていると思わせて、私に貴方のことを嫌わせたかったのかもしれない。もちろん、私はそこまで心の狭い男じゃないから安心してよ』


『ただ、アリアを貶めたいならこれだけだと少し弱いな。だから、もう少し踏み込んで考えてみよう。窃盗犯が次に取りそうな行動についてね』


『貴族が集めるような宝飾品は、高価すぎたり派手すぎたりする。そのせいで、盗んでも足がつきやすくて換金しづらい。自分で身に着けられるようになるのも、ほとぼりが冷めてからだ。だから、少なくとも最近盗んだばかりの品はまだ保管していると思うし……たとえ手元に残していなくても、貴方に仕掛ける罠のために何かしら新しく盗んでいるかもしれない』


『そのメイドが言ったんだろう、公爵夫人は盗みやすいって。しっかり者のアリアから宝石を盗むのは危険が大きいから、貴方の可哀想なメイドに無理やりやらせようとしただけだ。他の盗みは自分達の手でやっているんだと思う。これまで発覚しなかったのなら、当然それについての慢心もあるだろう。だから窃盗は日常になるし、改めて別の何かを盗むことについても躊躇はない』


『そうやって盗んだアクセサリーを、わざと見つかるようにして売るんだよ。私がアリアに贈った物と、公爵夫人の物を一緒にね。アリアは私のプレゼントをよく身に着けてくれているから、どんなアクセサリーだったか覚えている人は多いはずだ。足はつきやすいだろう』


『売った人間まで辿られることを想定したうえで、“アリアの指示で売った”と言えばいい。そのメイドの後ろにライラ嬢がいるなら、ライラ嬢に貴方のふりをしてもらって売却の場に同行させればより確実だ。……まあ、そんな偽装はすぐに見破られそうだけど。とにかく、いっときでも“アリアが婚約者わたしからのプレゼントや母親の私物を勝手に売り払った”という噂が社交界で流れれば十分だ。下賤で刺激的な噂は、清い真実よりも強く人の心を掴んでしまうからね』


『婚約者に対しても、親に対しても、貴方がいかに不誠実か知らしめられれば、貴方の名誉は地に落ちかねない。それで結果的に私達の婚約が解消されるような危機に陥ったって、窃盗犯達はちっとも困らないだろう。公爵夫人から盗んだ物も綺麗に片付けられる。いいことづくめだ』


『盗品の売り上げは多少金額をごまかしたうえで返すか、あるいは潔く全額戻したうえでそれとは別に報酬を請求すればいい。そういう策を弄した人間にね。火消しに奔走することになるレーヴァティ家としては、貴方の……というより、家のかな? まあ、とにかく名誉を守るために全力で真相を究明して窃盗犯を捕まえようとするかもしれないけど……それで窃盗犯が捕まったところで、“そういうこと”として片付けたんだっていう嘲笑に、アリアは耐えられる?』

『……わたくしの名誉のために、無実の使用人を犠牲にした。そう思われてしまって、それこそが葬られた真実として扱われるのは確かに不本意ですわ。ですが……そのほうが面白い・・・ですもの、きっとそうなってしまうのでしょうね』

『そういうこと。だから、そもそも勝手な噂を立てられる前に、不穏の芽を摘んでおく必要がある』


 ノーディスは、アリアの相談を真剣に聞いてくれた。一緒になって、どうすればいいか考えてくれた。


『けれどわたくしには、何の権限もございませんわ。レーヴァティ家の家長は父ですし、母も女主人として采配を振るっていますもの。問題の使用人達の解雇を頼んだところで、父も母もわたくしを信じてくださるとは思えません』

『だったら、お二人に納得してもらえるだけの根拠を提示すればいいだけだ。……もしあのお二人が貴方に対してそれほどまでに無関心だというのなら、お二人を巻き込んでしまえばいいんだよ。自分にも不利益が降りかかると知れば、きっとその気になってくれる。私の推測が正しければ、お二人を動かせるだけの証拠は必ず出てくるはずだ』

『ですが……実際にはまだ何の被害も出ていませんのよ? そうである以上、姉がメイド達を庇い立てて、そのまま流されてしまいます』

『なるほど。レーヴァティ家の事情は、貴方のほうが詳しい。その貴方がそう言うなら、きっとそうなんだろう。それがレーヴァティ家の日常だったんだね。……そのせいで、貴方はこれまで我慢を強いられてきたのか』


 虚しく積み上がるだけの報告の数々。どんな訴えも、ただのわがままだとか勘違いだとかで一蹴された。

 気難しいアリアお嬢様に仕えるのは嫌だと、母に直訴する豪気な使用人もいると聞く。母はそれも相手にはしないが、結局その手の輩は何かの折にアリア付きから外されるのだ。せいせいしたと言わんばかりの、元アリア付きの使用人の表情が大嫌いだった。


『だけどね、アリア。未遂で終わったからこそ、見逃してはいけないこともあるんだよ。何かあってからでは遅すぎるんだ。貴方は確かに、まだご両親の庇護下にある。でも、影から掌握することはできるはずだ』


『少なくとも私は、貴方の食事に異物を混ぜるような使用人なんて、どんな形であれレーヴァティ家にいさせるわけにはいかないと思っている。正直なところ、窃盗未遂や使用人同士のいじめより、そのほうが問題だ。ライラ嬢が望めば、いつでも貴方の命を奪えるというおどしに他ならないからね。ライラ嬢がそのメイドを自領に連れ帰らない保証はないだろう?』

『けれど、まだ家督を継いでいないわたくしに、できることなんて……』


 怖かった。ずっと抑圧され、否定されていたものがある。

 幼いころからのその経験が、アリアから意思を奪っていた。アリア自身も無自覚のうちに選択肢を捨てていた。自信家のアリアが、虐げられ続ける現状を甘んじて受け入れていたのはそのせいだ。


 声を上げても無駄だと知っていた。この扱いに納得はしていないと表明するために声を上げ続けても、本当に改善されるとは信じていなかった。

 いずれ家督を継いだら全員思い知らせてやるのだと、それを心の支えにしていた。けれどその「家督を継いだらできる」という慰めは、「家督を継がなければできない」という強迫観念に変わっていた。


 そんな孤独で無力な少女に、青年は甘い声で囁く。彼女を呪いから解放し、その心を新たにとらえる魔法の言葉を。


『“いつか”を夢想して、これまで耐えていたんだろう? だけどもう、貴方は二度と諦めなくていい。そんな環境に慣れなくていいんだ。“いつか”なんてなくたって、貴方は十分輝いてるんだから。それはきっと、貴方自身の努力が勝ち取ったものだ。アリアの尊さと美しさを、私は知っている』


 世界が華やぐ。ぶわりと新しい風が吹く。認めてくれた。アリアのことを。


『私を信じて、アリア。貴方なら必ずできる。……私は、何があっても貴方の味方でいたい。だから貴方にも、自分自身を信じてあげてほしいんだ』


 ざらついた灰色の心に、その言葉はあまりにも魅力的で。愛に飢えたがらんどうの少女にとって、対等な立場から差し出された救いの手は劇薬に等しかった。


 高貴な者だから。淑女だから。次期当主だから。だから厳しく教育される。だから誰も守ってくれない。むしろ自分こそが他人を守る立場にある。それが当たり前だ。そのはずだった。

 けれど、そうではないと言ってくれる人がいる。虚勢の奥で泣くアリアを見つけてくれた人がいる。強者として弱者を救うべきだという使命に縛られて、常に強者かんぺきであることを己に課していた少女は、ようやく弱さをさらけ出せる相手を知った。

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