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気づいたこと

「アリア、何かあったのかい? ずっと浮かない顔をしているけれど」

「……ノーディスに隠し事はできませんわね」


 ガーデンパーティーでするような話ではない。とはいえノーディスはいずれレーヴァティ家に婿入りする身だ。使用人の不始末を隠し通してもいいことはないだろう。


 他の客人達の輪からそっと離れ、人けのない場所に移動する。

 恥ずかしいので他言無用だと前置きして打ち明けるのは、今朝ヨランダから聞かされた話だ。ついでに、ロザがいかに素行不良かも伝えておいて、アリアが神経過敏なわけではないということもアピールしておく。


「まさかそれほど素行の悪い使用人を雇っていただなんて、当家の恥ですわ」

「そうだね。空気の入れ替えが必要そうだ」


 発言自体はアリアも同意見なのだが、いつも人当たりのいいノーディスにしては固い声音だった。怪訝に思ったアリアに気づいたのか、ノーディスは真剣な表情で続ける。


「愛しいアリアを傷つけられて、黙っていられるほど軟弱なつもりはないよ。貴方への嫌がらせはすでに度を越している。私はまだレーヴァティ家の人間ではないから、何の権限もないけれど……それでも、罪人を見過ごしたくないんだ」

「ノーディス……ありがとうございます。その気持ちだけで救われた気分ですわ。わたくしのことで貴方がそこまで憤ってくださることが嬉しいんですもの」

「……本当にそう思ってる? ねえアリア、自分一人が耐えていればそれで解決するなんて考えていないよね?」


 透き通った赤い瞳に、何もかもが映り込んでしまいそうになる。アリアははっと息を呑んだ。ノーディスの言葉は、すべてを飲み込んできた幼い日のアリアを照らし出してしまう。


「実は……前シャウラ公爵夫人も、使用人達からひどく軽んじられていたんだ。きっと、周囲のすべてが敵も同然だったんだろう。あの人は、何をされようと耐え忍んでいたそうだけど……そのせいで心が弱りきっていて、私が生まれてすぐに亡くなってしまった。……アリアには、そんな悲劇を味わわせたくないんだ」


 端正な顔が悲痛に歪む。前シャウラ公爵夫人というのは、きっとウィドレットとノーディスの母親のことだろう。アリアも何か言いたいのに、唇は凍りついたように動かない。


「だからどうか貴方は無理をしないでくれ。アリア、私を頼ってほしい。貴方が背負っているものは私も背負うし、貴方が悪意にさらされるというならその盾になろう。貴方を失わないためなら、私にできることはなんだってするよ」


(わたくしにそんな言葉をかけてくれる人なんて、これまで一人もいませんでした)


 誰もがアリアに完璧であることを望んでいた。だからアリアはそれに応えた。自分を押し殺し、自分で自分を納得させて、空っぽの心を周囲の期待通りの色で塗り固めた。


 周囲に助けを求めていれば、違ったのだろうか。ノーディスのように優しい言葉をかけて、慰めてくれただろうか。

 けれどアリアはそう思わない。どうせ無様で不出来な落ちこぼれだと落胆されるに決まっている。アリアはその眼差しを知っていた。知っているからこそ、諦めた。


 それなのにノーディスは、アリアに失望していない。痛みと悲しみの中に慈愛を浮かべた彼は、ただ静かにアリアを見つめている。


「嫌だと思えば声を張り上げていい。つらいと感じたら、思いきり泣いていいんだ。貴方の心より優先されるべきものなんて、世界のどこにもないんだから」


 頭を優しく撫でられる。差し出されたのは、以前アリアが彼に贈ったハンカチだ。

 一切のゆがみもない薔薇の刺繍は、アリアの完璧さを示すように咲いている。それを見て、アリアはようやく頬に涙が伝っていることに気づいた。


*


 上流階級の人間は体面によって生きている。何より重んじるのは名誉だ。貴族は、決して他者に侮られてはいけない。


「どうしたのです、アリア。折り入って話したいことがあるとは」

「なんでわたしまであんたに呼ばれなきゃいけないの?」


 たとえ水面下でどれほど泥臭いものを積み上げていようと、表向きは優雅できらびやか。それが貴族として生きる者の宿命だ。


 使用人とは、そんな貴族を支える黒子であり飾り立てるための小道具だった。舞台裏を知る以上、使用人は主人の意思に反してはいけないし、反しているとも思われない。

 けれど使用人を正しく御しきれないのなら、貴族というはりぼてはたちまち瓦解する。使用人だって、れっきとした人間なのだから。だから、背信行為に走る使用人は密やかながらも後を絶たない。


(お母様。貴方は我が家の使用人達の二心など疑っていないのでしょうね。だってそうでなければ、ご自分の栄華が崩れかねませんもの。裏切られることなど絶対にありえないと、思い込みたいのでしょう?)


 雇用形態における主従関係は、わきまえられてしかるべきだ。

 それでも同じ人間である以上、どうしたって好悪の感情は発生する。それを態度に出すか、出さないかの違いだけだ────そしてこの家には、使用人に使用人としての態度を徹底させないことをよしとしてしまっている存在ライラがいる。


(貴族にとって、使用人とは家具も同然です。ですがそれは、あくまでもそれほど生活に密接な立場にあるという意味。非人間として扱ってもいいということではございません。……だからと言って、愛着を越えた贔屓を許してもいけないのです。それを履き違えてはいけません)


 アリアは静かに居間を見渡す。怪訝な顔の公爵夫妻に、むすっとしたライラ。ライラの背後には、ふてぶてしいロザと女中頭がいる。うつむくヨランダはアリアの隣だ。全員アリアが呼び出した。


「お父様、お母様。どうかこのメイドに、鞭を打つことをお許しいただけないでしょうか」


 嘘の涙で目元を濡らし、アリアは震える声で尋ねる。

 指し示した先にいるのはヨランダだ。ヨランダは縮こまり、「お願いします」と公爵夫妻に向けて頭を深く下げた。


「アリア!? あんた、自分が何を言ってるかわかってるの!? そこまで腐ってるとは思わなかった!」

「落ち着きなさい、ライラ。アリア、一体何故そんなことを言うんだ。そのメイドは、お前に対して何かしでかしたのか?」

「いいえ。彼女……ヨランダの良心によって、すべては未遂に終わりました。ですがその良心のために、彼女は自ら罰を望んだのです」


 食って掛かるライラをなだめ、公爵は困ったように問いかけた。ヨランダの献身に胸を痛めるふりをしながら、アリアは大げさなまでに言葉を続ける。


「保身と忠義を天秤にかけて忠義を取ったヨランダの志を、どうして無下にすることができましょう。彼女の憂いを晴らして罪の意識から解放するためにも、彼女を罰してあげたいのです。ヨランダの告解をお聞きになられたなら、きっとお父様とお母様もそう思ってくださいますわ」

「……わかった。ヨランダと言ったな、話してみなさい」


 ヨランダは跪き、手を胸の前で組んだ。彼女の台詞はつっかえがちでも構わない。そのほうが、純朴で善良なメイドを演出できる。


「あた、わ、わたし、わたくしは、アリアお嬢様に背くようなことをしそうになりました。ノーディス様から贈られたアリアお嬢様の宝石を、盗もうとしたのです。……ロザさんに命令されて」


 アリアはさりげなくロザと女中頭の様子をうかがう。それまでにやついていた二人の様子がさっと変わった。


「それはいけないことだって思って……でも、逆らえばロザさんに何をされるかわからなくて……! アリアお嬢様からアクセサリーを盗めばもういじめないし、マルカブ夫人にも口を利いてあげるからって、ロザさんは言って……。マルカブ夫人も手伝ってくれるって言ったから、盗んでもきっと気づかれないって、わたくしの中の悪魔が囁いたんです」

「ま、待ってください! わたしはそんなこと言ってません!」

「そうです! 奥様、旦那様、この嘘つき娘の話に耳を貸さないでくださいまし!」


 ロザと女中頭が必死に訴える。父公爵は重々しく二人を制し、泣きじゃくるヨランダに続きを促した。


「ロザさん達は、アリアお嬢様のことがお嫌いみたいで……食べ物に細工したり、わざと嘘の予定を伝えたりして、お嬢様を困らせてたんです。わたしもその嫌がらせに加われって言われて、逆らったら何されるかわからなくて、怖くて」


「そんなおこがましいこと、使用人がするわけないでしょう?」

「お言葉ですがお母様。わたくしは都度、使用人達の不手際・・・について報告してまいりました。これでもまだ信じてくださらないのですか?」

「アリアが大げさなだけでしょ? ちょっと失敗しただけでネチネチ責めてるだけなんじゃないの?」

「むしろ、わたくしはかなり寛容なほうだったと思いますけれど。……ライラ、貴方のそれは優しさではございません。ただの甘さですわ」


「い、一瞬でもアリアお嬢様を裏切りそうになった自分が、情けなくて、恥ずかしくて……。それなのに、こんなあたしにもアリアお嬢様は優しくしてくれて、それで」


 ヨランダの告発は、とうとう言葉にならなくなった。嗚咽を漏らすヨランダの背中を優しくさすり、アリアは朗々と訴える。


「罰とは、更生の機会と許しを与えるためのものですわ。わたくしは、自分の心の弱さを認めて悔い改めようとするヨランダの勇気に応えてさしあげたいのです」

「言いたいことはわかった。そこの二人、今の告発について何か意見はあるか?」

「お父様! ロザ達がそんなことするわけないじゃん!」

 

 レーヴァティ公爵に詰問されたロザと女中頭は、縋るようにライラを見ている。たとえこの場で罪を糾弾されたって、最後の砦であるライラがいればなんとかなると考えているのだろう。


 二人は自分の無実を訴えた。ヨランダのでたらめに惑わされてはいけないと、ましな反論もできないくせにがなり立てる。それでもライラはロザ達の肩を持つようだ。


(でしたら、その自信ごと砕いてさしあげますわ)


「口ではどうとでも言えます。あくまでも冤罪だと主張するなら、その二人の部屋を調べてみたらいかがでしょう」


 このまま押し切らせはしない。いつものように、ライラに譲って諦めることはしない。


(わたくしはもう、我慢などしなくていいのです。そうでしょう、ノーディス)

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