口で言ってもわからないなら
「ヨランダ、お茶を淹れるのが上手になったのではなくって?」
「あっ、ありがとうございますっ!」
アリアは微笑を浮かべて静かにティーカップを置く。ヨランダはあわただしくお辞儀をした。
ヨランダの所作にはまだ見苦しいところもあるが、働きぶり自体は及第点だ。家の中で侍らせるには問題なかった。
(最初のころは、毎日のように何かしら粗相をしていましたが……意外とすぐに仕事を覚えてくれましたもの。頭は鈍くはないのでしょう)
まだぎこちなくてもたついてしまう部分も多いとはいえ、ヨランダはアリアの習慣をある程度把握している。少なくとも、ライラと通じている使用人達よりかはよっぽど役に立った。
そのままヨランダは今日の予定を伝える。今日は、午後からとある伯爵家のガーデンパーティーに招待されていた。ノーディスもそれに参加するはずだ。それが今年の王都の社交期で出席する最後の催し物だった。
「あら? 貴方、また怪我をしていますの? その危なっかしいところはどうしたら直るのかしら」
「こ、これは、その……申し訳ありません……」
袖口からちらりと見えた手首の包帯を指摘すると、ヨランダは気まずげな様子で腕を背に隠した。
服に隠れるような場所ではあるが、ヨランダは怪我をしていることが多い。尋ねても、自分の不注意だとしか言われない。確かにヨランダはアリアの目の前でもよく転ぶことがあるので、特に気にしてはいなかった。
「何故貴方が謝るのです? わたくしに謝る必要のあることはしていないでしょう」
そう言いつつも、先日ウィドレットに言われたことが脳裏をよぎる。きっと彼も同じ気分だったのだろう。
「それでも謝りたいというなら、相手は自分自身とご両親にするべきですわ。ご両親からいただいた、貴方だけの大切な身体ですもの」
すると、ヨランダはこぼれそうなほど目を見開いた。何か言いたそうに唇をわななかせ、きゅっとスカートのすそを握り締めている。
「どうかして?」
「あ……あの、アリアお嬢様は、もうすぐ領地にお帰りになられるんですよね……?」
「ええ、その予定です」
「おっ、おこがましいってわかってますっ、けど……あたしも、その、連れて行っていただけないでしょうか……!」
「それは構いませんけれど、レーヴァティ領に移住することになりますわよ?」
尋ねると、ヨランダは何度も頷いた。彼女は王都生まれの孤児なので、家族の心配はしなくてもいいのだろう。
とはいえ、レーヴァティ領は辺鄙な土地というわけではないが、花の王都ほど刺激的なわけでもない。ヨランダはまだ十五歳だったはずだ。名前しか知らないであろう地方都市に、何か憧れを見出だせるものだろうか。
アリアに生涯を捧げるほど心酔したとも考えづらい。なにせ、彼女が雇われてからまだ二ヵ月も経っていないのだ。アリア付きになった期間は、そのうちの一ヵ月半ぐらいだろう。
(タウンハウスにいづらい理由でもあるのかしら?)
少し考えて、嫌な可能性に思い当たる。
服に隠れて見えづらい場所によく生傷を作る新人メイド。彼女がどんくさいのはアリアの前だけではないだろう。アリア付きの使用人の中で、彼女が一番立場が弱い。
(相手はわたくし付きの使用人ではないでしょう。彼女達はカントリーハウスから連れてきていますもの。ヨランダがカントリーハウスに行っては意味がありません。それならば、標的にしてくるのはきっとタウンハウスのライラ派なのでしょうね)
ライラの策略によるノーディスへの連絡の行き違いがあってから、アリアは身の回りの使用人を一気に整理していた。
残ったのはヨランダと、カントリーハウスから連れてきたアリア派の二人の使用人だ。数は少ないものの、優秀な仕事ぶりを見せてくれる。
不自由がないわけではないが、ライラ派に足を引っ張られるよりかはましだ。領地に帰る日程も決まったし、耐えきれないほどの問題はない。
「気づいてあげられなくてごめんなさいね。今まで大変だったでしょう」
とはいえ、予想はあくまでも予想に過ぎない。そこでアリアは明言を避け、優しく声をかけた。
それは何に対してのものなのか曖昧な言葉だったが、たちまちヨランダの涙腺は崩壊していく。彼女の中で、“大変なこと”に心当たりがあるからだ。
「ずっ、ずっと怒られてて……たくさんひどいこともされて……辞めようかなって思って、でも辞めたら生活できないし、次の仕事も見つけられないし、それで……」
泣き崩れるヨランダにハンカチを差し出す。庇護を求める善良な弱者が相手であれば、慈悲を示すのもやぶさかではない。
涙声の訴えをまとめると、やはりアリアの思った通りのことが起きていたようだ。
ヨランダは女中頭から高圧的に接され、ロザをはじめとしたタウンハウスのメイド達からいびられているらしい。アリアや他のアリア付きの使用人に相談しようにも、自分の無能さを露呈させてしまうようで何も言い出せなかったとか。
「安心なさい。この家から離れれば、誰も貴方をいじめはしませんわ」
ヨランダの言う女中頭は、あくまでもこのタウンハウスのメイド達を統括する存在だ。カントリーハウスのメイド達を統べる女性は他にいて、主人一家が留守にしている間の屋敷を守っている。
ライラ派の使用人はカントリーハウスにも多いが、カントリーハウスの女中頭は当主夫妻に忠実な中立派なので悪いようにはされないだろう。アリア派の使用人の間の人間関係の構築は、自分達で勝手にやってくれればいい。
「お嬢様……あっ、ありがとうございます……」
しゃくりあげるヨランダに、アリアは慈愛の眼差しを向ける。使用人と馴れ合いたいわけでは決してないが、弱者を守るのは強者の義務だ。
「実はロザさんから、お嬢様のアクセサリーを盗んで来いって言われてて、でもそんなことできないから、それでもうこのお屋敷にはいられないって思って、」
「お待ちになって?」
琥珀の瞳が一気に温度を失う。青い顔のヨランダはぶるぶると震えだした。
「あっ、あたしは盗んでません、一度も!」
「ヨランダ、貴方のことは責めていませんわ。貴方が無実であることも知っています。……ですが、あのメイドがそのようなことを言ったのですね?」
「は、はい……。アリアお嬢様からノーディス様のプレゼントを盗ってきたら、もうひどいことしないって……。奥様はどれだけくすねても全然気づいてないし、マルカブ夫人もグルだから、あたしでも簡単にできるって」
「よりにもよって、ノーディスからの?」
マルカブ夫人というのは、このタウンハウスの女中頭のことだ。腐敗は思ったより深刻らしい。
(これは由々しきことですわね。たとえ使用人であろうと、レーヴァティ家に罪人など置いておけません)
アリアが持っているアクセサリーは高価な物ばかりだ。だが、自分が所有している貴重品について、アリアはきちんと目録に目を通して把握している。少なくとも今年タウンハウスに来た時から、不審な紛失は一度もない。
短い間とはいえアリア付きのメイドだったロザなら、目録の存在も把握している可能性はある。管理が厳しいことを知り、自分の手で盗むのを諦めたのだろう。あるいは、純粋にアリアとヨランダへの嫌がらせなのかもしれない。
アリア付きを外されてライラ付きになったのは、ロザにとっては願ってもない幸運だったに違いない。ライラは自分のお気に入りに、高価な贈り物を軽率なほどばらまくからだ。
そうである以上、わざわざ盗む必要もなくなる。しかしそれは、盗っ人の図々しさを助長させる環境でもあった。
窃盗の強要が露呈しても、ヨランダ一人に罪を押しつけて自分は知らぬ存ぜぬで押し通せばいい。ライラに庇ってもらえるという慢心もあるだろう。元からそういう気質だったのか、それともライラに甘やかされたせいか。たとえどちらであろうとも、結果は何も変わらない。
(理由はどうあれ、手癖の悪さは見過ごせませんわ。ロザはすでに、わたくしに対して何度も反抗的な態度を見せています。ヨランダが嘘をついている可能性はもちろんありますが、ロザならやりかねないと思わせる素行の悪さがあること自体が問題ですもの)
いい加減、自分の立場をはっきりわきまえさせる必要がありそうだ。