悲劇の運命なんてぶち壊せ!
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「こっ、こんなことってある!? なんで『アンまど』の世界に転生しちゃってるの、わたし!?」
ライラが前世の記憶を取り戻したのは六歳のころ。すべてを思い出したばかりのころは、その疑問だけが頭の中をぐるぐると回っていた。
『アンジェルカは愛惑う』は、大手の出版社が運営している漫画アプリに週刊で連載されていたインディーズ作品だ。そのアプリではどの曜日にも無名の若手漫画家の連載枠が用意されていて、『アンジェルカは愛惑う』通称『アンまど』もその中の一つだった。
人気順位はまずまずといったところだ。無事に完結を迎えたが、打ち切りを感じさせる駆け足展開だったわけでもない。インディーズ作品の中では手堅い位置にいたのだと思う。ただ、作者はSNSをやらない主義なのか、作者について『アンまど』からわかること以外の情報はなく、次回作や過去作についても不明だった。
「大好きな漫画に転生できたのは嬉しいけど、なんでモブなのかなぁ。どうせなら主人公に……いややっぱそれはないな、うん」
鏡を見て顔をぺたぺた触りながら、ほっと胸を撫でおろす。
この世界の主人公でこそないものの、かなりの美幼女として生まれ変わっていた。しかも大貴族の娘だ。むしろ主人公アンジェルカのような過酷な運命を背負っていない分、人生薔薇色イージーモードと言えるかもしれない。
『アンまど』には、ライラ・レーヴァティという人物は登場しなかった。父であるレーヴァティ公爵は序盤に少し登場するものの、中盤で死んでしまうサブキャラだ。ただ、レーヴァティ公爵家の一人娘がどうのという台詞はあった気がする。きっとそれがライラのことに違いない。
(転生の影響で、双子になっちゃったのかも。一つの身体に二人分の魂が入っちゃったから、押し出されて余った魂が妹になって……みたいな? 知らないけど)
自分の現状を、ライラはそう結論づけた。前世の記憶を持って転生した自分こそが存在しえない余剰分なのだという意識は彼女にはない。
「ウィドレットとのフラグは折ったし、これからはモブとして自由に生きようっと! あっ、でも『アンまど』の悲劇フラグも折ってったほうがいいのかな? もしかしたら、原作を改変するために転生したのかもしれないし……!」
使命感がめらめらと燃え上がる。思い描いていた輝かしい人生設計に、『この国を救う』が加わった瞬間だった。
「わたしが頑張れば、きっと未来は変えられるよね。だって、ここはもう漫画の世界じゃなくて現実なんだから」
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ライラは行動力の化身だったので、前世の記憶を取り戻して今後の指針を定めてからは意欲的に活動した。
幼女のうちから努力することが、輝かしい未来を掴む秘訣だ。前世の記憶がある分、ライラは他の子供達にはできないようなことが難なくできた。前世で培った知識の賜物だ。
まず、面倒なだけでうまみのない貴族の社交はすべてパスすることにした。代わりに実用的な人脈形成に励み、優秀な人材を引き抜くことにした。身分なんてものより、本人の実力を重視するべきだからだ。
『アンまど』は、王女アンジェルカが辿る激動の半生を描いた漫画であり、アンジェルカを巡る男達の愛憎と信念の物語でもある。渦中にいるのは主役のアンジェルカと、彼女と恋仲になる幼馴染みのダルクだった。
ストーリーの開始は、アンジェルカの十六歳の誕生日。何度も届く従兄のウィドレットからの求婚を、いつものように断るところから始まる。
そのアンジェルカに仕えているのが騎士のダルクだ。幼いころにお忍びで城下町に出かけたことで知り合った彼に、アンジェルカは恋していた。
ダルクも美しい王女に敬愛以上の念を抱いていて、けれど身分差を理由に恋心を必死で押し隠そうとする。その二人の純愛を引き裂く悪役が、性悪魔王のウィドレット・シャウラだった。
(手に入らないなら力づくで奪おうとする、サイテーの自己中男。そんな男にアンジェが振り向くわけないのに。みんなの前でこっぴどくフラれて、王弟の父親を焚きつけて王位を簒奪させちゃうんだよね)
これまでさんざんアンジェルカ達の恋路を卑劣に妨害してきたウィドレットは、ストーリーの中盤でついに暴挙に出る。王弟派による内乱を主導し、現王朝を強引に終わらせるのだ。レーヴァティ公爵が死亡するのもこれが原因だった。
そしてウィドレットは「王朝の統合」という名目で、元王女アンジェルカを無理やり自分の妃にしてしまった。
ちなみに、この時ダルクもウィドレットに殺されたと聞かされるアンジェルカだったが、実はダルクは重傷を負って消息不明になっただけできちんと生きている。殺したと、ウィドレットが思い込んでいるだけだ。
たとえ何をされようと心は決してウィドレットに売り渡さないアンジェルカ、そんな彼女を前にしてますます狂気に染まるウィドレット。
そんな中、死の淵から舞い戻ってきたダルクが革命軍の旗印となって簒奪王朝を終わらせ、ウィドレットの魔の手からアンジェルカを奪還するのだ。その圧倒的功績からダルクとアンジェルカの身分差は無事に埋められ、二人はついにアルバレカ王国の女王と王配になった。こうして、幾多の犠牲を出した物語も幸せに終わる。
ようは、アンジェルカとダルクが惹かれ合ってしまうと、最悪のヤンデレ男が暴走して国中を巻き込む戦争が起こる。
つまり、主役二人が恋に落ちることだけは絶対に阻止しなければならないのだ!
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(だからって、ダルクがわたしになついちゃうのは予想外だったけど!)
「どうかしたのか、ライラお嬢様」
「なんでもなーい」
給仕をしていたダルクが首をかしげる。ライラは笑いながらクッキーをつまんだ。ダルクにもおやつを勧めると、嬉しそうに食べ始めた。
ダルクは十年前からライラ専属の従者兼護衛だ。今は、執事になるための勉強をしている。そのかいあって、振る舞いはなかなかさまになっていた。もちろん、騎士属性のヒーローなだけあって剣の腕も卓越している。
アンジェルカがいつ、どこで、そしてどんな風にダルクと出逢うのか、ライラはちゃんと知っていた。過去編で読んだからだ。
だから、それをそのままなぞった。アンジェルカより先にライラがダルクと出逢い、アンジェルカとの出逢いシーンをまるっと再現したのだ。初対面の少女に心を奪われて忠誠を誓ったダルクは、現実でも初対面の少女に心を奪われて忠誠を誓った。
どんな運命的な出逢いだろうと、互いに面識がないうえでなら競う条件は平等だ。同じことをして同じことを言い、しかもそれが競争相手より先であるならば、たとえ横から割って入ったライラでも十分に勝機がある。
もっとも、アンジェルカにはそんな勝負をしているという意識はないだろうし、そもそも自分の未来の夫が奪われたことすら気づいていないのだろうが。今のアンジェルカは、ダルクのことなどまったく知らないのだ。
ライラの機転により、ウィドレットが愛に狂って暴走する未来は変えられた。
しかし、第二第三のダルクが現れる可能性はなきにしもあらずだし、想い人の存在を抜きにしてもアンジェルカ的にウィドレットが生理的に無理だということも考えられる。油断は禁物だ。
いざという時に備えるために、淑女教育とかいう時間の無駄の極みに等しい自己満足ではなく、もっと建設的で役に立つ専門的な学問を学ぶことにした。将来的に自分でお金を稼げるようになりたかったからだ。
淑女教育なんて綺麗な言葉で飾っているが、ようは女性から自立の機会を奪って男にとって都合のいい人形に変えているだけだ。そんなもの、自分には必要ない。
同じ思いを燻らせていた女性はすぐに見つかった。性別を理由に就職先が限られていた家庭教師、学ぶ機会を制限されたメイド。彼女達を味方につけて、ライラは勉強に励むことにした。そのためには、金も人脈もいくらあっても困らない。
そんな生活を続けるうちに魔具開発に着手するようになったのは、ちょっとした気まぐれだ。
前世の恵まれた生活を再現し、ついでにお小遣いも稼ぎたい。それだけのつもりだった。自力でお金を稼ぐのは、いつか身分制度が崩れて貴族でなくなる日に向けた練習にもなる。
そしたらこれがまさかの大当たり。前世の知識を総動員して作った魔具は飛ぶように売れ、自分の商会を起ち上げるまでに至った。
最近では、父公爵の補佐として、内政にも口を出している。心ない下級役人からは「お嬢様のままごと遊びに振り回される身にもなってほしい」というようなことを幾重ものオブラートに包んだ陳情書が届くこともあるが、前世の文明レベルについてこれない保守的な怠け者の遠吠えだ。事実として、レーヴァティ領はライラのおかげで大きく潤っているのだから。
本音を言えば、いつ内乱が起きてもいいよう武力も蓄えかったのだが、それについてはあまりうまくいっていない。父公爵が承諾しないからだ。
ちょっと領地に武器と兵士を集めればいいだけなのに頭が固い。きっと、ライラを心から信じてくれていないせいだろう。ライラの功績のいいとこどりをするだけだなんて最低の親だ。
(まあ、お父様とお母様がわたしを信じてくれないのは昔からだけど。わたしだって、前世の記憶の話なんてできないし)
思い出すのは十年前のこと。ウィドレットを目にして、ここが『アンまど』の世界だと気づいてしまった日のことだ。
『アンまど』のウィドレットは、極悪非道のクズ野郎だ。
髪色や目の色など、アンジェルカにどこか似ている─もしくは似せている─女の子をアンジェルカの代用品として集めては、「しょせん偽物だな」とすぐに殺してしまう。ウィドレットは、人の命をなんとも思わない男なのだ。ライラがウィドレットの婚約者になろうものなら、「アンジェとの婚約の障害になる」という理由でさっくり殺されていただろう。
(十歳の誕生日の時にはじめて見た五歳児にそこまで執着できるんだから、ウィドレットってきっと真正のド変態だよねぇ。ああ、殺されなくて本当によかった!)
生の喜びを嚙みしめるライラだが、メイドのロザに来客を告げられると気分はたちまちしぼんでしまった。
やってきたのが、アリアに会いに来たノーディスだからだ。ライラも彼に会おうとしていたとはいえ、実際にその時が来ると憂鬱になる。
ライラはウィドレットとの縁を全力で断ち切りたいのに、あの考えなしのぶりっ子アリアがよりにもよってノーディスと婚約してしまった。
これではウィドレットが何かやらかしたら、レーヴァティ家も巻き添えになりかねない。せっかくライラが色々手を回してあげているのに、妹にこうも台無しにされるだなんて。これだから、甘えるぐらいしかとりえのないお花畑は困る。
ライラは、“女の子”を全面に押し出すだけで自立する気のないアリアのことが好きではなかった。
実の妹とはいえ、いや、実の妹だからこそ、ライラと同じ顔でかわいこぶられると鳥肌が立つ。
とはいえ、アリアのことが憎いわけではない。アリアはそれしか学んでこなかった、可哀想な子なのだから。
だが、可愛さで人を言いなりにできるのは若いうちだけだ。
アリアのような、親や異性に媚を売らないと自分が確立できない生き方なんて、ライラはまっぴらごめんだった。
前世で言うところの、近世かそれ以下ぐらいのレベルの価値観程度しか備わっていないのだから仕方ないとは思うが……カビ臭い習慣に縛られていないで、アリアももっと自由に生きればいいのに。
ああいう女のせいで、しっかりした向上心を持った女性達まで侮られる。アリアのためを思い、他人に寄生するような生き方をしていては駄目だと口を酸っぱくして厳しいことを訴えるものの、その愛の鞭が届いている気はまったくしなかった。あのざまでは、きっと将来苦労するだろう。
(うぅ……。でも、こうなったらもう仕方ないよね。どうせなら、ノーディスのことも抱き込んでやろっと)
幸い、相手がノーディスならやりようがある。何故なら原作において、ウィドレットのせいで瀕死に陥ったダルクを回復するまでかくまっていたのが他ならないノーディスだからだ。
ウィドレットの身内でありながら、ウィドレットの味方ではない青年。彼を懐柔する秘策はある。ノーディスを味方にできたら、シャウラ家内でのウィドレットに対する抑止力として役立つはずだ。
それにノーディスは、覇気こそないが魔導学者としては優秀だった。味方につければ、ライラの人生はますます安泰だ。別に好みではないが、顔も整っている。ウィドレットの巻き添えで死ぬのは可哀想だし、ついでに助けてあげよう。
(あー、転生するって大変だなー。ヘタに権力のある家に生まれたし、原作まで知っちゃってるから、見て見ぬふりもできないし。何も考えなくていいアリアが羨ましいったら。せめて大貴族の娘でさえなければ、国を救うなんて大きすぎる責任を抱え込まなくてもよかったのに。いっそ平民になりたい!)
持たない者のために尽力するのが持つ者の義務とはいえ、持ちすぎるのも大変だ。ライラはやれやれと肩をすくめ、次のターゲットを攻略しに向かった。