不和の種が蒔かれる時、
「ライラ、貴方は自分が何をなさったのかおわかりになっていて?」
「だって、わたしもノーディスと喋ってみたかったんだもーん」
ノーディスから届けられた見舞いのカードを手に、アリアは笑顔で問いかけた。琥珀の瞳には怒りがにじんでいる。一方のライラはどこ吹く風だ。
「たったそれだけの理由で、使用人達を抱き込んでわたくしを遠ざけて、あまつさえノーディス様を騙したのですか?」
「バレると思ってなかったし」
「見破られなければいいということではございません!」
すぐにノーディスに謝罪の手紙を書かなければ。先触れをもらっていたのに、当日になってアリアが不在だなんて失礼にもほどがある。
(ライラが代役を買って出たから甘えてしまった、ということにしようかしら。ですが、これではまるでノーディス様を軽んじているようにも取れてしまいます。ああ、どうしてライラはわたくしに迷惑しかかけないのかしら!)
姉の愚行の尻拭いをするのはいつもアリアだ。ライラは必ず許される。天才だから。自由だから。愛されているから。それが通用するのは家の中だけなのに。
だが、どうせ両親は事を荒立てないだろう。可愛いライラがお気に入りの使用人達を巻き込んでやったことなのだ。使用人達を罰せばライラの機嫌を損ねてしまうし、ライラを罰することなんてあの二人にできるわけがない。下手にライラがへそを曲げれば、金の卵はもう産んでもらえないのだから。
「他家の方にご迷惑をおかけするような振る舞いは慎むように、貴方からもお気に入り達にきちんと命じてくださいます? レーヴァティ家は使用人の教育もできないのかと笑われてしまいますわ」
「待ってよ、みんなは悪くないってば! わたしがみんなに頼んだだけなんだもん。それに言ったでしょ、バレると思わなかったって」
「まさか、見破ったノーディス様が悪いなどとはおっしゃいませんわよね?」
使用人を庇うライラに、かかわった使用人達が尊敬の眼差しを向ける。これではまるでアリアが悪者だ。
ノーディスが会いに来た日の前日、アリアは確かに体調を崩していた。だから念のため、前日に断りの連絡を入れさせたのだ。
案の定、体調不良は翌日も続いた。しかしノーディスと会う予定はすでになくなっていたはずなので、アリアは気にせずゆっくりと過ごした。
ところが実際はどうだ。手紙は途中で握りつぶされ、シャウラ家には届かなかった。
そうするようライラの指示があったからだ。「妹の婚約者を見定めたい」という、誰も頼んでいない理由のせいで。
ヨランダはアリアにつきっきりだ。他の使用人に教えてもらわなければ、彼女も来客には気づけない。元からアリア付きとして仕えているアリア派のメイドも、ライラ派に結託されて邪魔をされれば思うようには動けなかった。
(わたくしが家督を継いだなら、ライラはもちろんライラ派の使用人達も全員何かしらの理由をつけて追い出してさしあげますわ。それまでせいぜい大きな顔をしていることね)
ようは、レーヴァティ家の悪評が立たないようにクビにすれば問題ないということだ。積もり積もったアリアの怒りは根深かった。
「でもさー、ノーディスもわたしと話せてまんざらじゃなかったみたいだよ?」
「なんですって?」
「内緒にしてって言われたんだけどさー。ほら、あの人魔導学の勉強してるじゃん。それで色々と話が合っちゃったの。わたしも久しぶりに専門的な話ができる人と話せて楽しかった!」
アリアには、魔法の作用の研究をする学問のことなどわからない。その方面の才能はアリアにはなかった。もちろん、魔法を使う才能もだ。
けれどライラは違う。ノーディスが何の勉強をしているのか、ライラにはきちんと理解できるのだろう。
「あんたと話すの、あんまり楽しくないんだってさ。馬鹿っぽいし、うるさいから疲れるって」
ライラはいつもアリアのことを馬鹿にする。どうやら彼女はこと令嬢らしさを毛嫌いしているらしい。アリアだって、ライラの上昇志向は鼻についていた。
だから、今さらライラにどうこき下ろされようが構わない。けれど、まさかノーディスにまでアリアのアイデンティティーを馬鹿にされているだなんて。
『アリア様ほど魅力的な女性にはお目にかかったことがありません』
『貴方の夫になれる男は、きっとこの世で一番の幸せ者でしょうね』
ノーディスの温かな笑顔が、優しい声音が脳裏に浮かぶ。
あれも全部、アリアをおだててその気にさせるための演技だったのだろうか。内心では、彼もライラのようにアリアのことを見下していたのかもしれない。
(い……いいえ。そのようなことは信じませんわ。ノーディス様はすっかりわたくしの虜ですもの。ライラなどより、わたくしのほうが淑女として優れているのです。それなのにわたくしの努力が認められないなど、あるわけがないでしょう)
鎌首をもたげた不安を慌てて振り払う。けれど、小さな疑念がこびりついて離れない。
「わたしが婚約者だったらよかったのに、って言ってたよ。あんたみたいな頭空っぽのぶりっこ女に付き合わないといけないなんて、ノーディスも大変だよね」
空っぽ。その言葉が突き刺さる。それは、淑女らしくあることを第一にしたせいで、明確な趣味も嗜好もない自分をそのまま言い表したものであるように感じられた。
ノーディスはアリアが「好き」と言ったものをちゃんと覚えていてくれるし、アリアの趣味に合う、アリアに似合うものをくれる。
だが、それは果たして本当にアリア自身が望んだものだっただろうか。公爵令嬢アリア・レーヴァティというキャラクターにふさわしく、他人受けがいいように構成された、偽りのものではなかったか。
「そもそもあんたと婚約したのだって、アンジェの代わりのつもりなんだろうし。あんまり調子に乗ってると痛い目見るよ?」
代わり。誰が、誰の?
“アンジェ”という名前に心当たりはないが……まさか、王女アンジェルカの愛称だとは言わないだろう。貴族嫌いのライラが王女と交友関係を持っているはずがなかった。
「そういうところが心配だったから、のぼせ上がったあんたの代わりにわたしがチェックしてあげようと思ったのにさぁ。あんたのためにやってあげたんだからね? ……ま、確かに余計なお世話だったかも。でもしょうがないじゃん、まさかノーディスがわたしにも興味を持つとは思わなくって」
(どうして……どうしてライラは、わたくしから愛を奪うのでしょうか。わたくしと違って、貴方は満たされているはずなのに。それだけではまだ足りないとおっしゃるの?)
ライラはニヤニヤと笑っている。勝ち誇ったその顔が何より憎らしい。
「いくつか申し上げたいことはございますが……まず、いくらわたくしの姉とはいえ、人の婚約者を呼び捨てで呼ぶのはいかがなものかと」
心の淀みから逃げるように、アリアは毅然として告げる。ライラはむっとしたように顔をしかめた。
「それから、人から口止めを頼まれているお話を、こうもあっさり打ち明けてしまうのは貴方の信用にもかかわるのではなくって? よりによって陰口を叩かれた当人に伝えるだなんて、品位を欠いた行いですわ」
ライラの顔がさっと赤くなる。いい気味だ。また喚かれると面倒だったので、アリアはわざとらしく丁寧なお辞儀をして自室に戻った。
ライラの言葉の真偽など確かめようがない。証人はいないし、仮にノーディスに尋ねたところで否定以外のものが返ってくることはないだろう。
ライラの虚言ならノーディスに心当たりはないし、本当だったらノーディスが認めるはずもない。訊くだけ時間の無駄だ。
だからアリアにできるのは、まったく気にしていない風を装って大きく構えることだけだ。その虚勢はライラへの意地であり、自分を守る砦でもあった。