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横から奪われるのが気に食わないだけ

 アダラ侯爵夫妻は、芸術を愛する者として社交界でも名が知られている。主催するパーティーは大抵が芸術がらみで、招かれる芸術家も指折りの名匠から新進気鋭の若手まで幅広く押さえていた。

 今回の音楽会も、国内外から演奏家や作曲家を多く呼んだらしい。広い屋敷のほとんどが招待客のために解放され、どの部屋でも小さなコンサートが開かれている。招待客は各自で気に入った音楽家を見つけ、その演奏を好きに聞くというスタイルだった。


(話題の引き出しは多いに越したことはないけど……正直、芸術にはそこまで詳しくないんだよね)


 文化的な芸術活動は貴族のたしなみとして好まれるが、そちらの才能はノーディスには微塵もなかった。音楽を聴くこと自体は嫌いではないが、崇高な持論などは特にない。自分で演奏するのも苦手だし、歌唱に至ってはもってのほかだ。楽譜の読み方すらわからない。


 「気楽に来い」との言葉通り、形式ばった挨拶や紹介の時間があるわけでもない。近くに来たのでついでに立ち寄った、といった様子の客も散見された。この様子なら、冷やかし感覚のノーディスでも紛れ込めるだろう。


 ノーディスは人目を避けるようにしながら広い屋敷の中をうろつく。幸い、招待客のほとんどは知り合い同士のグループで固まって音楽鑑賞にいそしんでいた。みなうっとりと演奏に聞き惚れているので、ノーディスの動向など気にされないだろう。

 とはいえ、隻眼のノーディスはどうしても目立つ。知人に捕捉されれば気軽な会話ぐらいはするが、音楽についての評論を交わすつもりはない。どうせ無学を晒すだけだ。できるだけ聞き役に徹し、間違っても高尚な意見など求められないようにした。


 ある部屋の前を通りかかった時、少女達の華やかな笑い声が聞こえた。何の気なしに覗いてみる。広い部屋の中で、レーヴァティ家のアリアがピアノの前に座っていた。傍に立つ美しい青年は、この部屋を割り当てられた音楽家だろうか。


(まいったな、彼女も来てたのか。あとで挨拶をしておかないと)


 アリアとは、三日後にウェスリント・パークの散策をする予定だった。それがあったので、今日は完全に気を抜いていたというのに。危ないところだった。

 彼女とのデートは何度か経験している。そのためデート自体は気負っていないが、まったく関係ない時に偶然ばったり出くわすとヒヤリとした。物腰柔らかな紳士という皮ならいつも被っているが、アリアのためにあつらえた仮面の準備だってしないといけないからだ。


 貴族が主催する音楽会では、演奏家以外にも音楽の心得がある客人が腕前を披露する場を設けられることがある。ちょうどその時間なのだろう。

 ノーディスは静かに室内に入った。聴衆が多く、部屋自体も広いため、アリアに気づかれたそぶりはない。


(“私”のために飾られていないときのアリアも見ておかないとね。彼女を多角的に分析するのに必要だ)


 音楽家の男と親しげに言葉を交わし、アリアは白魚のような指を鍵盤の上に走らせる。室内の空気が一気に変わったのが、音楽に疎いノーディスですら感じ取れた。

 軽やかに舞う細い指が紡いでいるとは信じられないほど力強い旋律。速くて激しくて、それでいて優雅だった。あの愛らしい令嬢が、これほど勇ましい曲を演奏しているだなんて。誰もが食い入るようにアリアを見つめ、一音たりとも聞き逃すまいとしていた。


(この曲……もしかしなくても、すごく難しいんじゃないか? だってこんなにテンポが速いし……)


 音楽に対する語彙も知識も全然ないノーディスでも、アリアが何かすごいことをしているのはなんとなくわかる。たしなみレベルでとどめていい腕前ではない。あっけに取られている間に、いつの間にか曲は終わっていた。

 喝采が響き、アリアは照れくさそうに淑女の礼を取る。中でも感動しているのは、ずっと傍に控えていた音楽家のようだ。


「素晴らしい演奏でした、アリア様! まさかドレドの超絶技巧曲をここまで弾きこなす方がいらっしゃるとは!」

「ピーコック様にそうおっしゃっていただけて光栄ですわ。皆様の貴重なお時間をいただいたんですもの、少しでも楽しんでいただけたのなら幸いです」


 ピーコックと呼ばれた音楽家は、勢い余ったのかアリアの手を取って激しく握手をした。それにとどまらず、熱烈に彼女を抱擁する。距離が近い。無意識のうちにノーディスの眉間にしわが寄った。

 立ち振る舞いからしてピーコックは異国の人間のようだし、侯爵夫妻の名でこの音楽会にいる以上彼は夫妻の後ろ盾を得ているとも言える。何より、室内はアリアの演奏にすっかり興奮しきっていた。そのため、ピーコックの馴れ馴れしい振る舞いにぴりぴりしているのはノーディスだけだ。


 自分が今、何かに対して不快に思ったということに気づいたノーディスは、はっとしながらも首をひねった。


(うーん……これはまずいな。ただでさえ競争率の高いアリアの人気がまた高まりそうだ。アリアにするか、それとも諦めて他の二人から選ぶか、もう決めたほうがいいかもしれない)


 多分今感じたのは、それについての不安だろう。アリアの心を手に入れたからと言って、慢心してはいけないようだ。別に名前を書いているわけでもないのだから、いつまでも手元に置いておけるとも限らない。


 アリアはピーコックを拒絶することもなく、嬉しそうに頬を染めてピーコックを見上げている。

 どきりと心臓がはねた。だってあの表情は、彼女がうっとりとノーディスを見つめる時のものと似ていたからだ。


(見間違い……だよな? くそっ、この距離からだとアリアの瞳孔の開き具合がわからない……!)


 けれどよくよく見れば、微笑む唇の開き具合が微妙に違う。誤差の範囲からも逸脱しているから、同じ感情に起因するものではないはずだ。きっと。あれは愛想を振りまくための笑顔であって、恋しい相手に見せる笑顔ではない。


(アリアは私に夢中のはずだ。アリアがすぐに離れていくとは考えづらい。……だけど、いつまでも私がじらしていれば、言い寄ってくる他の男になびく可能性は十分にあるのか)


 アリアが表情を蕩けさせたのは、ごく短い間のことだった。けれどピーコックを魅了するにはその一瞬で十分すぎる。呆けた様子でアリアを見つめる彼の表情に、興奮とは違う輝きが宿るのをノーディスは見逃さなかった。


(元々私達は恋人でもなんでもない。今の関係は、あくまでも友人のそれだ。お互いの交友関係に口を挟む筋合いはないだろう。結婚相手として、私があの男より劣っているとは思わないけど……遊び相手としては、彼は十分刺激的な男だろうね)


 入室時と同じように、ノーディスは一人静かに部屋を出た。


 アリアに見つかる前に帰宅する。もし後日、今日の音楽会にノーディスが参加していたことを知られたとしても、違うコンサート会場にいてアリアには気づかなかったと説明しよう。

 ピーコックを虜にした場にノーディスもいたことを悟られれば、いざ求婚した時に余計な勘繰りをされかねないからだ。「他の男に取られることを危惧しているのでは?」と。張り巡らせた策謀の気配には、気づかれないほうがいい。


(自然に求婚するためには、今日の出来事は間違いなく雑音になる。迅速な求婚は、情熱的なだけだと思われるからこそいいんだ。焦って牽制しただけだとは絶対に思われたくない。そうなれば、誠意も疑われるかもしれないし)


 目的のために取り入っただけだからこそ、二心を見抜かれかねない不安要素はなるべく排除するべきだ。アリアに対して誠意あいがないのは初めからだが、真摯に接するふりはできている。それに疑念を抱かれればほころびが生まれ、やがて大きな破たんを招きかねない。


(心からの焦燥を見せた瞬間、優位性は反転する。恋愛というのは、必死になったほうが負けるものだ。余裕の冗談と本気の嫉妬を取り違えさせるなよ、ノーディス)


 自分にそう言い聞かせ、次に取るべき行動を考える。


 わざと跪くのと、跪かざるを得ない状況に追い込まれるのは違う。相手の愛を乞うふりをして、けれど自分がリードを握っていたい。なおかつ、相手に油断させる形でだ。そのほうが操りやすい。


 ここでアリアに固執せずとも、他の二人の令嬢を相手に仕切り直すことは可能だ。だが、そうすればきっとアリアは他の男のものになるだろう。せっかく目をかけてあの笑顔の花を開かせたのに、みすみす失うのは惜しかった。


*


 ウェスリント・パークの迷路で行った実質的な求婚を、アリアは二つ返事で受け入れた。やはりピーコックに見せたあの笑みは、ノーディスの勘違いだったのだろう。彼女の心はノーディスのものだ。


 ちょうどその翌日が、今年初となる家族揃っての晩餐の日だった。婚約を認めさせるには絶好のタイミングだ。

 元々両親─というより、父─は自分達さえいればそれでいいので、疎遠気味の二人の息子とは無理に会おうとしない。社交期が始まってからしばらく経って、ようやく家族の交流の場が作られたのはそういう事情だ。


「レーヴァティ家に婿入りする気なのか」

「ええ。アリア嬢はとても素晴らしい女性ですから。レーヴァティ家と縁づくことで我がシャウラ家を盛り立て、次代を背負う兄上の一助になれたらと」


 父の問いに、ノーディスは笑みを貼りつけて応じる。母は不服そうに唇を尖らせていた。反論の材料を探しているのだろう。


「まあ、それもいいだろう。レーヴァティ家は最近、魔具開発で潤っている。魔導学を専攻しているお前の知識が役に立つこともあるかもしれん。だが、何故長女のライラ嬢ではないのだ? レーヴァティの才女は、姉のほうだろう?」

「アリア嬢のほうが私と相性がいいもので。それにこれは推測ですが、レーヴァティ家を継ぐのはアリア嬢だと思います」


 父は少し悩んだそぶりを見せた。だが、彼の本音はわかっている。「愛する妻を面倒な女に変貌させてしまう息子を、さっさとどこかに追いやりたい」だ。ノーディスが自分でお膳立てした良縁を蹴るつもりはないだろう。


「ノーディス、ですが、」

「マリエル。この件については何度も話し合っただろう? ノーディスの希望が第一だと」


 父はカトラリーを置き、優しく母を見つめる。眼差しこそ優しいが、その言葉には確かな圧があった。

 母は逡巡したようだったが、結局自分の立場を守ることを選んだらしい。声を飲み込み、美しく微笑んで頷いた。


「では、さっそくレーヴァティ家に話を持ちかけよう。アリア嬢は社交界でも注目されているらしいから、他家に先を越されないようにしないとな。なに、ノーディスなら先方も断らないだろう」


 父にとって、後継者などどうでもいいに違いなかった。ただ長く、愛した女と一緒にいられればそれでいい。結局彼は、自分のことしか考えていないのだ。

 それを理解しているからこそ、母も一線を踏みとどまった。長年愛人の座に甘んじてやっと手に入れた最愛の夫、そしてシャウラ公爵夫人としての豪勢な生活を、今さら失うわけにはいかないのだろう。


 最大の欠点だった魔力制御不全も落ち着きを見せ、ノーディスは名門大学に通う若い研究者として頭角を現した。だからこそ、母も欲をかいたに決まっている。どうせなら我が子を次期当主にしたい、と。

 そんな思いつきと、今の安定した日常を天秤にかけただけだ。その結果で心を動かされるほど、ノーディスは母親の愛も関心も求めてはいない。


 ウィドレットはすまし顔だが、ノーディスを一瞥してわずかに目元を和らげる。ノーディスも目だけで返事をし、自身の手際のよさを誇った。

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