気に入られるのもラクじゃない
社交界は品定めの場だ。主な採点基準は家柄に尽きる。顔の配点は低めでいい。ただし、シャウラ家の財産をあてにされると困るので、経済的に余裕があるほうが望ましかった。
滞りなく縁談を進めるためにはシャウラ家と釣り合いが取れる家格であることが必須だが、だからと言って対立するほどの野心があるのは減点だ。次期当主の兄とそりが合わなくて出ていったとか、シャウラ家に対する当てつけのための結婚だとか、そういう根も葉もない憶測を呼ぶような相手は選ぶべきではないだろう。
吟味に吟味を重ね、ノーディスは候補を三つに絞った。
そのうちの一人が、レーヴァティ家の令嬢アリアだ。
レーヴァティ家は先祖代々王党派の中核をなす家柄なので、傍系王族のシャウラ家とも相性は悪くない。かといって、両家の当主夫妻の間に個人的な親交がないのも高評価だった。少なくとも、両家の人間が同じサロンやクラブに出入りしていたり、自らが主宰する催しに招待しあっていたりするような話はとんと聞かない。
その理由は、おそらく十年前の出来事にある。
ノーディス自身は幼かったためうろ覚えだが、レーヴァティ家の令嬢、双子の姉のほうのライラがウィドレットに対して無礼を働き、それ以降なんとなく気まずい空気になっていたはずだ。謝罪は受け入れたし、子供のしたことなので大ごとにはなっていないが、元々互いの領地が遠いのもあって疎遠になったのだろう。
その時に、「粗相をしたのはライラなのに、アリアを代わりに謝らせるのはおかしい」という風なことを、ウィドレットにこっそり言われたような覚えがある。それでノーディスも、レーヴァティ家はそういう家なんだなぁと思っていた。
実は、ウィドレットにはとある特技がある。それは、他人が有している魔力量を感知できるというものだ。
王家の威信にかかわるため公表していないが、王家の血筋の中には魔力に欠陥を持って生まれる者がいる。ウィドレットもノーディスも、症状は違えど先天性の奇病を患っていた。
ノーディスは魔力の制御ができずに無意味な放出や暴走を繰り返し、ウィドレットは体内で生成できる魔力量が極端に少なく他者から魔力を無意識に奪ってしまう。彼の特技が身についたのはその影響だろう。
ウィドレットが最初にアリアとライラを見分けられたのも、その特技のおかげらしい。パーティーで会ったライラには豊富な魔力があったのに、謝罪に来たライラには魔力どころか魔力孔すら見受けられなかったとか。
今年の社交期に双子の姉妹がデビューしたと聞いたので、ノーディスもなんとなく遠目で見てみたが、あれも妹が姉の代役をさせられているのではないのだろうか。姉妹が一緒に並んでいるところを一度も見たことがないからだ。わざわざ指摘するのも野暮なので、沈黙を選んでおいたが。
偶然劇場で会ったことをきっかけに、ノーディスはアリアに近づいた。元々アリアは社交界でも人気が高く注目されていたので、ノーディスが交遊を求めていても不自然ではなかったからだ。
社交界デビューを果たしたばかりの少女を手玉に取るなどたやすいことだ。少し優しくしただけで、アリアは簡単に落ちた。
無邪気に自分を慕う少女の姿に罪悪感を抱くほど、ノーディスの性根は清らかではない。あとは、他のライバルを蹴落としつつ、優位性をキープしていればいいだけだ。
アリアはレーヴァティ家の第二子だった。第一子のライラがどこかに嫁ぐといった話は聞いていない。普通に考えればアリアが婿を取るうまみはないのだから、婿入りを狙う次男以下の男はそもそも彼女に近づかないだろう。
だが、あえてノーディスはアリアを候補者とみなしていた。何故ならば、婿目的のライバルが少ないほうが目立てるからだ。
爵位を継ぐあてのない次男の自分がどこかの家の一人娘や娘しかいない家の長女に近づけば、その目的は間違いなく婿入りだと気づかれるだろう。同じ行動を取る次男以下の子息はあまりに多い。目当ての令嬢に近づく前に、男同士の争いに長々と時間を割くつもりはなかった。
求婚する男とされる女の間に結婚形態の希望についてギャップがあれば、そぐわない相手は選考で落とされる。だが、次女は家を継がない次男を受け入れた。レーヴァティ家としては、ノーディスと娘を結婚させるのもやぶさかではない、ということだ。
客観的に見て、アリア・レーヴァティの価値は十分に高い。美しくて教養があるし、生まれも名家。そんな娘を、たとえ王族の血を引くと言えど領地どころか爵位すらも持たない男に嫁がせるとは考えづらい。
彼女を嫁にと望む貴族の嫡男は多いだろう。にもかかわらずノーディスがまだ選考に残されているということは、レーヴァティ家が次女に婿を取らせて家を継がせることを視野に入れていることの証明に他ならなかった。
自室で一人机に向かい、ノーディスは思考を巡らせる。
(一時しのぎでいいならさっさと相手を決め打って、ほどほどのところで婚約解消に動くところだけど……それで両親を刺激したら逆効果だ。本当に結婚することまで視野に入れて、もう少しじっくり選ぼうかな。そのほうが、結婚相手を真剣に考えているように見えるし)
アリア以外にも、候補の令嬢はあと二人いる。現状はアリアが一番相手をしていて楽だが、彼女も彼女で淑女の皮を被っているだけかもしれない。
自分にとって後悔のない選択ができるのは自分だけだ。三人の中で誰が一番自分にとって都合がいいか、しっかり見極めるべきだろう。
万が一にも両親に疑われるようなことがあってはならないし、相手の家に真意を見抜かれても具合が悪い。ノーディスの婿入りは、もっとも自然かつ両家にとって円満に行われるものでなければ。
(うーん、運命的な恋に身を焦がして情熱だけで動く男っていうのも捨てがたいな。どうしても結婚したいと訴えるには、それぐらいのほうが説得力がある)
情熱も過ぎればただの愚か者だが、ストレートな感情ほど誠意を示せるものもない。アプローチのさじ加減は重要だ。
(とはいえ、この段階からたぶらかしすぎるとあとが面倒だ。あくまでも節度を保って、紳士的にいかないとね)
下手に勘違いさせて、いざ伴侶を決めた時に残りの二人から騒がれたらおおごとだ。真剣な結婚相手は条件のいい複数の相手から探すものだという不文律も、感情の前では効力を持たない。まだ若い令嬢なら、なおさら割り切れないこともあるだろう。
ノーディスは昔から擬態がうまかった。うますぎた。そのせいで、まだ社交界にデビューしたばかりの頃、ノーディス自身にそんなつもりはなかったのに何人かの少女を本気にさせて争わせてしまったのは苦い思い出だ。
誰がノーディスと踊るか、誰が先にプレゼントされるか、誰が先に催しに招待されるか、何回目が合ったか……ノーディスの意思を飛び越えて、あらゆる種目で競われた。ノーディスの些細な言動のひとつひとつが拡大解釈されて、推し量られて押しつけられる。当然いい気はしない。
あの経験を経たノーディスは、人当たりこそよく振る舞うものの、浮いた噂がなるべく出ないよう身辺に気を配っていた。競技にならないよう、誰に対しても公平に。結婚すると決めた今はなおさら、あの時と同じことを繰り返すわけにはいかない。
「ノーディス、我が家宛てに音楽会の招待状が届いたぞ。週末の予定は空いているな?」
部屋のドアがいきなり開き、そう声をかけられる。ウィドレットだ。ノーディスはペンを走らせていた手を止めた。
「いいよ。ちょうど気晴らしがしたかったし」
ウィドレットが来てくれたおかげで、張りつめていた集中が途切れた。おかげで見失っていた休憩のタイミングが訪れる。
そこでようやく、ノーディスは考えが行き詰まっていたことに気づいた。今回の一人会議の主な議題は、『“結婚活動にいそしむノーディス・シャウラ”という商品について、三人の令嬢に対して今後どうやって売り出していくか』についてだ。
「? 何か書き物でもしていたのか?」
「昨日カペラ家のご令嬢と会ってきたから、その備忘録をね」
つかつかと歩み寄ってきたウィドレットは、ノーディスの手元を覗き込んだ。その顔がひきつっていくのにそう時間はかからない。
「そういえばお前、昔から人に会うとよく記録を残していたな。会話の内容を逐一記憶して書き込んでいるのか?」
「当たり前でしょ。話題も好き嫌いも、取り違えないようにちゃんと分類しておかないと。こっちのノートはリゲル家のご令嬢用で、そっちはレーヴァティ家のご令嬢用」
「まめな奴だとは知っていたが、まさかここまでやるとは」
「人当たりのいい男を演じるなら、これぐらいやらないとね。これまで溜めた私の秘蔵の社交用手帳、兄上になら貸してあげてもいいけど?」
「確かに、それがあると人付き合いも滞りなくやっていけそうだが……遠慮しておこう。アンジェやお前のことならまだしも、どうでもいい他人についてそこまで詳しくなりたいとは思えん。覚えられる気もしないしな」
「他人だからこそ記録しておくのになぁ」
「不要になったら燃やしておけよ……?」
性格、日ごろの態度の傾向、話題の方向性、キーワードやエピソード、趣味嗜好、一緒にいる時の注意事項、観察していて気づいたこと。逢瀬の数だけ記録は増える。
それぞれの少女達に合わせた最適なアプローチのため、情報収集は欠かせない。本気で人に取り入ろうと思ったら、ノーディスはこういったことを平気でやるタイプだった。
「レーヴァティ家の分は、他のものより分厚いな」
「アリア嬢、何を考えてるのか結構読めなくてさ。それで、色々と試行錯誤してるんだ」
効果的に彼女の心を掴んでいるという手ごたえはある。ただ、たまにアリアを遠く感じることがあった。
今、本当にアリアの心理を読み解けたのか……ふとした瞬間に、自信がなくなるのだ。それが悔しいので、観察にも力が入った。彼女の一挙一動から些細な表情の変化まで見逃さないように、それが持つ意味を見抜けるように。
「それで? 音楽会って、どこの誰の家でやるの?」
「主催はアダラ侯爵夫妻だ。気楽に来い、と」
渡された招待状を受け取る。幸い、週末はまだなんの予定も入れていない。いい気晴らしになるといいが。