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「……ひ、人の心とか無いんか……」
「ふん」
ホワイトアウトした視界の向こうから、蝙蝠の翼を生やし真紅の瞳で両手を広げてにっこり微笑む怜未が見えた時は、マジで死ぬかと思った。
当の妹君は無言でお湯から抜け出し、虚空からバスタオルを出すと躰を拭き始めた。
時折「ふんっ」とか声が漏れるあたり、まだぷりぷり怒っているらしい。
人の急所を蹴り上げておきながらなんちゅー態度だ。
「お前には許されない。妹様には許される」
「はいはい! 私が悪ぅございました!」
やれやれ、全くとんでもない妹を持ってしまったもんだ。
オマージュパレードはこの辺にして、これからどうするか決めないとな。
「府蘭、これからどうする?」
ついーっ
「ぷはー。無重力だと牛乳ぷはーもできないんだよね」
「今やってたじゃん」
「いや、そうじゃなくて、なんというかこう。のどごしがないというか」
「言わんとすることはわかるけども」
文句を言いながら牛乳瓶を空にする府蘭。
そういえば風呂上がりの牛乳って日本人だけなのだろうか。
「らしいね」
へー、そうだったのかー。神奈川県民の熱愛グルメー
「ケンミンSHOWの小林ナレーターの真似しなくていいから」
「エブリケンミン、カミングアウト!」
「その文言無くなったらしいよ」
「ウッソだろ」
「おかしいですよカテジナさん!」
「……なあ。中身のない会話やめない?」
「もう一回キンタマ修正した方がいいかね」
「すみませんでした」
これに関しては俺が悪かった。
「で、これからどうする? ……それともその前にその格好にツッコんだ方がいい?」
「いや、触れなくていい。文字に起こさなければ問題ない」
「もし仮に映像化される場合に危ないから控えて頂けるとお兄ちゃん嬉しい」
「そんな未来は存在しない」
「黒歴史ってか?」
「核ハイボールがお好きでしょ?」
「ツッコミが追いつかねえわ」
「嫌よ!なんであたしがお兄のいうことなんか聞かないといけないの!お兄のくせに馴れ馴れしくしないで!」
オマージュ発言なのでリアクションは割愛。
「で、577字前に戻るけど、これからどうする?」
サラサラのお下げをくるくるしながら光点を見据える。
髪を乾かすのもドライヤー要らずか。だいぶ府蘭もこの世界の住人になってきたな。もし元の世界に戻ったとしたら苦労するだろうなぁ。
元の世界に戻ったら、か。
「……お兄はさ、この世界のこと、好き?」
「Hmm.That is a good question.」
「それ完全に濁すときのリアクションじゃん」
ばれたか。
この世界が好きか、ねえ。
確かに何もしなくても飯は食えるし、寒くもなく熱くもなく、非常に過ごしやすいことは確かだろう。
まさに創世記に書いてある通りのエデンの園である。
そもそも元の世界が大好きだったかどうかと言われても微妙ではある。
アダムとエバがエデンの園から追い出され、生の苦しみを味わうために堕とされたあの地上が果たして本当に幸せなのだろうか。
そもそも幸せとは何だろうか。
満足感? 充足感?
どれも違う気がする。
「わたしはさ、このままでもいいかなって思ってる」
「どうして?」
「だって何のストレスもないよ? 体の痛みも眠気も感じない。それにムラムラもしないでしょ?」
「え? 妹相手に?」
「私はしなくなったよ」
「じゃあ、前は実の兄に欲情してたってマ?」
「乙女にそんなこと何度も言わせんな恥ずかしい」
「待て真顔で顔を赤らめるんじゃない」
まじかよ。マジで気付かなかったわ。
そんな目で見られていたのか。
「その好意に全く気付かなかったお兄ちゃんはダメなお兄ちゃんだったか?」
「好意じゃない欲情だ勘違いすんな」
「え。怖」
「あとれみ姉もだよ」
は?
「まあそれはそれとして、とにかく元の世界に戻ることの魅力があまり感じられないって話」
「いや待ってこれ元の世界に戻ってはいけないやつでは?」
「そんなに姉妹丼がお嫌かね?」
「好悪ではなく貞操の危機だよ」
「バレなきゃ犯罪じゃないんです!」
「惑星保護機構に連れて行かれるぞ」
「そして誰もいなくなるか?」
「あ、やっぱり府蘭ってフランドールから取ったのぜ?」
「あたしだけならたまたまかもだけど、お姉さまが怜未な時点で確定でしょ」
「まあね」
それはそれとして、まじでとんでもないことを聞いてしまったぜ。
というか聞かなければ良かったぜ。
これどういう心境で過ごせばいいんだぜ。
「大丈夫だって。ここに来てから全く発情してないし襲うつもりもないから。もし襲いたくなったら寝込みを襲うから安心して」
「全く安心できないなぁ……」