第3話 アンナ
人などまず存在しない魔族領に突如として目の前に現れたのは一人の幼女だった。
(どどどどどどどうします!? ライザ様ッ!?)
ディザメアは慌てふためいている!
「そ、そうじゃなぁ……」
錯乱状態に陥ったディザメアは、徐に尖った脚の先端をギラつかせ幼女に狙いを定める。
(処しますか?)
「待て待て! 処すなっ! 幼子じゃぞ!?」
(ハ、ハイ……)
ディザメアは脚を下ろし一歩後ろへ下がった。
「誰?……そこに誰かいるの?」
女児は心底不安と恐怖に押し潰されそうになりながらも、弱声を精一杯絞り出した。
「……?」
ライザは幼女の問いかけに違和感を覚えた。
「お主、もしや……目が見えぬのか?」
「うん……えっとね、少し前から全く見えなくなっちゃったの」
「そ、そうか……それは難儀じゃの」
ライザとディザメアはこちらの姿を見られない以上、魔族だと恐れられることが無いとわかり、この状況判断に小休止を持つことが出来た。
(どういたします!?)
「うーむ……」
ライザはこの子の処分について考える。
ノワルは恐らく人間領に行ってしまったと思われる。魔族の妾らが不用意に人間領に足を踏み入れれば怪しまれ騒動になる。妾が騒ぎを起こせば、勘づいたノワルは行方を暗ますやも知れぬのじゃ。だが、この子がいればカモフラージュとなって人間領に上手く溶け込め却って都合が良いかもなのじゃ!
「お主、名は?」
「……アンナ」
「そうか、アンナか!良い名じゃな……」
「妾の名はライザ!」
「わらわ?」
「ライザじゃ!」
「わらわーー!」
アンナはどうしてもライザのことを"わらわ"と呼びたいようだ。
(人間風情めェェェ!! ライザ様に向かってなんたる無礼なァァァッ!!)
「きゃあぁぁぁっ!?」
ライザの背後にいるディザメアは殺気のこもった威圧を放ち、吹き飛ばされたアンナは尻もちをつく。
「おやめ! ディザメア!!」
(で、ですが!?)
「すまんなぁ。アンナ」
ライザはアンナの両脇から優しく抱き上げ立たせる。自らも同じ目線の高さになるよう屈む。
「妾の名はそれで良い……して、アンナ。お主はどこから来たのじゃ?」
「うーんと……てんぱのん」
「ほぅ……テンパノンという所から来たのじゃな?」
「ここはどこなの?……ママは?」
「アンナよ。ここはテンパノンではないのじゃよ。だからママはおそらくここにはいないのじゃ」
「ママ、ママいないの? ふ、ふぇ……ふえぇぇぇん……」
アンナは不安に心が押し潰され人目憚らず声を上げて泣き出した。
「おおおおお落ち着けっ! アンナよっ!」
人間の、しかも女児が魔族領のど真ん中で泣き叫ぶなんて他の魔族に気付かれでもしたら一段と騒ぎが大きくなる。
ライザはアンナの悲しむ姿に心が締め付けられるのだった。居た堪れなくなったライザはアンナを優しく抱き締める。
「……!?」
アンナは一瞬驚いたが、温かく心地の良い抱擁に安心し、次第に冷静を取り戻すのだった。
(ライザ様……!)
「大丈夫、大丈夫じゃ。泣かんで良い」
ライザは抱擁を解き、アンナの両手を優しく握り話しかける。
「アンナ。妾はお主の悲しむ姿は見とうない。だから約束する!妾は、お主をテンパノンにいるママの所まで送り届けてやるのじゃ!」
「えっ……!」
(ラ、ライザ様ッ!?)
「どうせ妾らも向かう先は同じじゃ。むしろこんな幼子を見知らぬ土地に放置する野暮なことなんてできぬのじゃ!」
「わらわーー! ありがとー!」
アンナはライザに飛びついて全身で嬉しさを表現する。
「ナハハハハハハ……これ、アンナよ。嬉しいからといって暴れるで無いのじゃ。落ち着くのじゃ」
「アハハハハ……わらわー! わらわー!」
「わかった、わかったのじゃ」
ライザはアンナを抱きかかえた。
「よぉしっ! アンナ。そうとなれば早速出発じゃ!」
「お〜〜!」
「ディザメア! アンナを乗せておやり。丁重にな!」
(はっ!)
ディザメアは長い脚先をアンナの服に引っ掛け器用に掬い上げる。
「わぁ〜〜!? なっ、何ぃいぃ〜!?」
突然体が宙に浮いたものだから、アンナは驚き困惑する。
そのままディザメアの絨毯のようにふわふわの感覚毛が広がる背中へと降ろされた。
「さて、妾もじゃ!」
ライザも高く跳躍しディザメアの背中へ飛び乗った。
(では、行きますっ!)
ディザメアは再び軽快に走り出した。ライザはみるみるうちに小さくなっていく時の迷宮を尻目に立ち去って行く。
「うわぁ〜……風が気持ちいい!」
アンナは吹き抜ける風を全身に感じて浮かれ気分。だが、ここは人間領とは違い荒みきった風景が広がる魔族領。盲目のアンナにはどのように映っているのだろうか。
「ねぇ、わらわ?」
「なんじゃ?」
「アンナは今、何かの乗り物に乗ってるの?」
「そうじゃよ」
アンナの口元が緩む。
「アンナはね、こんなんだからね、今まで乗り物に乗った事がなかったの。だから乗り物に乗れてすっごく嬉しいよ!」
「そうじゃったか! それは良いことじゃな」
「今乗ってるのって、荷車? それとも、ろーどらんなーとか、とらいほーんがぜるに乗ってるの?」
「大きな蜘蛛じゃ!」
「くも?」
「そっ! 蜘蛛じゃ!」
「へぇ〜〜! くもってやっぱり乗れるんだぁ〜! 絵本に描いてあった通りだったのね! だからお座りしてるところがこぉ〜んなにもフワフワして気持ちいいのねぇ!」
アンナはディザメアの背中に生えている感覚毛を、両手でワシャワシャと撫でて感触を味わう。
(く、くすぐったい! くすぐったいぞ! や、やめろ! 人間風情がっ!)
「ナハハハ……! そうじゃろう! そうじゃろう!」
ライザは当のディザメアの気持ちを余所に自分の事のように得意げな顔を浮かべている。
「ママってば、くもには乗れないって言ってたのよ。嬉しいなぁ〜! アンナ、夢が叶っちゃった〜! あっ! でも、はしゃぎ過ぎてお空から落っこちないようにしなきゃ!」
「良かったのぉ、ディザメア! アンナに褒められておるぞ!」
(は、はぁ……)
「えぇ!? わらわはくもにお名前つけてるの!? それに、さっきからわらわがお話してたのってくもさんだったの!? くもって喋れるの!?」
「……? そうじゃが?」
「へぇ〜〜! すっごい! すっごい!……よろしくねっ! ディザメアちゃん!」
(は、はい! 改めましてよろしくお願い致します…………では無くてですね、あ、あの、御言葉を返すようですが、お二人の私に対する共通認識は合ってます!?)
「ところでアンナよ。ここへ来る前は何をしておったのじゃ?」
「えっとね、アンナお家でお昼寝してたんだけど、誰かの声がして目が覚めたの。それでね、声のする方へ行ったら、すっごい風が吹いたの。そしたら……誰も……居なくなっててね……ひとりぼっちになっちゃったの」
「そうじゃったか。すまぬのじゃ……不安を煽る不躾な質問だったのじゃ」
再び寂しさに駆られ泣きべそをかくアンナを見兼ねたライザは、アンナの頭をポンポンと優しく撫でて気持ちを落ち着かせる。
「まったく、謎の多き迷宮じゃな。まるで不可解が結託しているようじゃ」
(そうですね。特に近頃はその動向が如実に現れてきているように思います)
「遥か昔から迷宮へ探索を続けてはおるものの、一向にその全貌は明らかになっていないのが今の現状じゃ」
(はい。あの迷宮は他の迷宮と違い、時間の経過とともに生き物の様にその姿かたちを変えるという異質の迷宮。以前にライザ様が迷宮探索の指揮をとっておられた際、我が眷属の子達を有りったけ迷宮に送り込みましたが、目立った成果も上げられず、なぜか帰還した子達も僅か半数以下でしたね……)
「あぁ……お前の子同士の糸を使った意思共有、"糸念"があれば常に状況把握、連携がとれ探索が容易だと思うたのじゃがな。おそらく、迷宮内で変動が起きたことによる"時の歪み"に呑み込まれてしまったのじゃろうな……妾は指揮官として浅はかだったのじゃ」
(この件につきましては、ライザ様がお気を悪くされることではございません!)
ライザは傍に座るアンナの手を握る。
「ん?……わらわ?」
「あの時から妾は心に決めたのじゃ。いつ如何なる時でも、種族を問わず、幼子の命を見捨てるようなことはせぬと……」
(その御心意気……誠に、感服致します!)
「世界は【時の迷宮】で何を企んでおるというのじゃ……」
(魔王ノワル様でしたら、何かしらの情報は掴んでおられると存じますが、その肝心の魔王ノワル様は行方不明ですからこのような事態に……)
ライザは腕を組んで胡座をかき、思い当たる節がないか考えを巡らせる。
「そうじゃ! あやつなら知っておるかもなのじゃ!」
(あやつ……ですか? どなたかお心当たりがお有りなのですね! 流石ですっ! ライザ様っ!)
「わらわ、すごーい!」
もしかすると、あやつならアンナの目も見えるように出来る術を知っておるやも知れぬのじゃ!
「よしっ! ディザメア! "霊王樹"へ向かうのじゃー!!」
(はっ!)
読んでいただき誠にありがとうございます。
貴方の貴重なお時間と共有できましたこと、大変嬉しく思います。
『迷子の女の子のサポーターに魔王の婚約者はいかが?』1周年記念を勝手に祝して、久し振りに投稿致しました!
本作も本編もマイペースながら執筆中です!
よろしければ温かい評価とブックマークのほどお願い致します。作品の創作意欲に繋がります。
では、次話でお会いしましょう。
※本作の本編である『冒険者パーティーのサポーターに魔王はいかが?』も是非よろしくお願い致します。