だから幼いオレは、それを求めていたのだろう。
俺は信じられなかった。
弓が閉店・・・・。
どうしてなのだろう。
<喫茶 弓>は俺が幼いころから馴染みの、ご近所の喫茶店なのだ。
昔は親父に連れられて、よく弓に行ったものだった。
そこに行くときの親父は、本当にゴキゲンであった。
そんな親父の気持ちが映っていたのか、連れられて行くオレも気分は良かったのだ。
(懐かしいな・・・・。)
俺はベッドに寝っ転がり、引き続き当時の事を思い出していた。
====== その時代 当然だが 俺はどこにでもいる幼い少年だった ======
俺と親父は、その喫茶店に入り、メニューを眺めていた。
「決まったか?」
「うーん、決まったよ。」
親父にメニューの選定を催促された俺は、まだはっきりしていないが、そのように返事をした。
「来てくれたんだね、有難う。」
綺麗な女性が注文を取りに来た。
見上げた俺は、その女性の顔を見て驚いていた。
(ゆ、弓子さん・・・・!?)
そんなはずはなかった。
この女性は弓子さんそっくりだが、当時は俺が小さなガキの頃だ。
勿論、年齢が合わない。
「うふふ。どうしたの?」
戸惑っている俺の顔を見てなのか、彼女は小さい子に言うように、とても優しい口調で言った。
まあ、実際その当時のオレは小さな子供だったのだが・・・。
勿論、彼女は弓さんではない。
もしそうだとしたら、彼女はお化けか、いずれにせよ、この世の人物ではないだろう。
この美しさが、10年も継続するなど、到底不可能である。
だから、この女性は弓さんとは1世代前の人物だったのだ。
つまり彼女は、弓さんの母親・・・・、お母さんである。
「う、うん・・・。」
幼いオレはシドロモドロで、コクコクと慌てて頷いていた。
「うふ。」
彼女は少しだけ、口に手を当ててカウンターの方に行った。
オレは子供心に、この女性に恋をしていたのか・・・。
いや、自分が分析するにあたって、それは適切な表現には当たらない。
その理由は・・・。
俺の家庭状況が、そうゆう気持ちにさせたのかも知れない。
恐らく当時のオレは、愛情というものに飢えていたのだろう。
物心がつく前に、俺の母親は亡くなっていたらしい。
だから俺には、満たされない部分があったと思う。
親父はオレを、大切に考えてくれていたと感じている。
しかしだからと言って、それは父親のモノなのである。
決して母親の代わりには、なりえないと思うのだ。
だから幼いオレは、それを求めていたのだろう。
母親というものを・・・・。
つまり、そのころの俺は、この喫茶の女性を、自分の母の代わりに投影させていたのかも知れない。
勿論、彼女は母親ではない。
なにか俺の生活の面倒を、見てくれるわけではない。
それでも良かった。
本当の母親でなくてもよかった。
彼女が<喫茶 弓>のマスターの奥さんであっても、よかったのだ。
近所のオバサンであっても・・・・。
当時の俺は、この状況に満足していたのだった。
そして、こんな時代が、いつまでも続くのではないか、というあり得ない稚拙な考えを持っていた・・・・。
無論、そんな現実離れした事にはなるはずもなく・・・。
それどころか、その時代は、突然に終焉を迎えたのだ。
親父は喪服、俺は小学校の制服・・・・。
線香を挙げた。
葬式は出席者は、それほど多くは無かった。
幼いオレは、まだ現実が受け止められなかった。
(・・・・。)
俺の心は、無言の状態が続いた。
自分にとっては母代わりだった、その女性は亡くなったのだった。
マスター曰く、彼女は助からない癌だったのだそうだ。
症状が重くなかったので、彼女は普通の生活を続けることを選択したという。
入院もせずに、喫茶店の仕事をこなしていた彼女は、周りに病人であることを気づかせなかった。
そんな奥さんを見て、マスターは彼女はずっと生き続けるのではないか、という期待を抱いたくらいだったという。
しかし現実は残酷だ。
急に体調を崩した彼女は、救急車で病院の運ばれ入院後、数日で帰らぬ人となったのだった。
「有難う。」
マスターは、参列した俺たちにお礼を言った。
「うっうっ・・・。」
そのマスターの横で、幼い娘は泣きじゃくっていた。
その様子を見て、俺はいたたまれないのだったが、彼女に何も話しかけられなかったのだった。