第94話・紅竜の家庭教師(ちょっとだけよ)
あんまり定かじゃない記憶を頼りにようやく探し当てたバナードの下宿は、帝都の中では割合高級な住宅が建ち並ぶ一画の外れの方だった。
どっちかってーと現役のハイソな方々が住まうというよりは、現役を引退した人が静かに余生を過ごすー、みたいなイメージの場所で、多分世継ぎに後を譲った商人とかが多いんじゃないかな。バナードの実家も、厳しい環境に跡取りを置くつもりなのかもだけど、なかなかに甘いとこあるよね。無理も無いけど。
『ごめんくださぁい。ブリガーナ家の居候やってる紅竜のコルセアといいますけどー。バナードくんいますかぁ?』
まるで子供が友だちの家に遊びの誘いに来たみたく呼ばわると、古めかしいけど手入れの行き届いた家の玄関で上げると、家の中からしわがれた「はいはい」という声と錠前を開ける音が聞こえた。わたしが言うのもなんだけど、用心足りないんじゃないかしら。
「ばあさん待ちなって。どこの誰かも分かんねえのに無闇に鍵開けるな、っていつも言ってるだろ?」
でもまあ、心配性というか頼り甲斐のある下宿人もいることのようなので、わたしが心配することでもないのか。
『バナード、いる?わたしー』
「知ってるよ。今開けるから待ってろ。ばあさん、俺の客だけどいいか?」
「あらまあ、バナードさんのお客様?ブリガーナ様の紅竜といえば幼いのに賢くていらっしゃると聞くのだけれど。まあまあそれは歓迎して差し上げないと」
「あんま褒めるな。図にのる。お茶とかいいから部屋に戻ってな。俺の部屋に連れてくよ」
「はいはい、ではお任せしますわね。お茶とお菓子を用意しておくから、後で取りにいらっしゃいな」
「いいから戻ってろって。ここんとこ寒さで腰が痛いとか言ってただろ?」
最後に「はいはい」ともう一度お婆さんの声がすると、扉が開いてしかめっ面のバナードが姿を見せた。
『……褒められたくらいで図にのるつもりはねーんだけど』
「押しかけておいて第一声がそれかよ。何の用だ」
『んなことあんたが一番分かってんでしょ。入るわよ』
「あ、おいまだ入っていいとは…」
呼び止めるバナードを無視してその横を通り抜け、浮かんだまま家の中に入る。見た目通りに古いけれども、バナードが住んでる割にはキレイに掃除も行き届いてるみたい。
『ほら。さっさとあんたの部屋に連れて行きなさい』
「……図々しいところはほんっと主従そっくりだよな、お前らは」
失礼な。わたしほど慎ましいドラゴンはいないし、お嬢さまは図々しいんじゃなくあれが素なだけだっつーの。
見舞いに来たのがバカバカしくなるよーな謂れなき誹謗を無視して、どう考えても二階にあると思われるバナードの部屋目掛けて階段に向かうわたしである。
後ろでバナードがため息をついていたのが聞こえたけれど、あんたはさっさとお茶もらって部屋まで来なさい。
男の子の部屋に無断で入るのもはばかられたので、お茶を持って来たバナードを待ってから部屋に入れてもらうと、そこは意外に片付いた様相だった。
『というよりあんま物が無いのね』
「ほっとけ。学業に無関係なもの買えるほど仕送りが無いだけだよ」
『前から思ってたんだけど、あんた実家はお金持ちなんでしょ?もう少し何とかしてもらえばいいのに』
「そういう教育方針なんだから仕方ねーだろ。子供のうちから贅沢を覚えさせるとろくなことになんねえんだとさ。俺も同感だけどな」
その割には住むところはいい場所用意してもらってんじゃん、何だかんだ言って大事にされてんのよ、と言ってやったら少し照れくさそうではあった。きっと家族とはいい関係築けているんだろう……日本での生活を思い出して、少し胸が痛くなるわたし。ま、今更どうでもいいけど。
「浮いてたら話しづらいし、そこに座りな」
『ありがと。よいしょ』
家自体は造りもしっかりしてて、床が軋んだりもしない中、数少ない調度品のうちの一つである使い古された椅子に着地した。
ちなみに二脚あってバナードは向かいに腰掛ける。あと家具と言えそうなのは、わたしたちの間にある小さなテーブルだけだ。勉強とかもここでやってるのかな。
「婆さん、客好きでさ。竜に茶を飲ませるとかどうなんだ、って気はするけど出してくれたから。ほら」
『いい香りじゃない。贅沢じゃないけど気の利く大家さんだね』
「まあな。実家の昔の取引先だったらしいけど、旦那が亡くなった後ずっと一人暮らしらしい。俺が下宿することになったのもその縁で……って、なんでお前にこんな話しなけりゃならねーんだよ。話あんだろ。終わらせてとっとと帰れ」
話が早いのは悪いことじゃない。わたしはお茶の味と香りをしばし堪能してから(竜でも持ちやすいようにか、縦に長い陶器のカップだった。後でお礼言っとこ)、本題に入る。
『……あんたさ、ネアスとなんかぎくしゃくしてるみたいなんだけど。どしたの?』
「ぐっ……」
絶句してた。いやわたしがわざわざやって来てする話の内容なんか分かりきってるだろーに、今更その反応は無いんじゃない?
「……分かってても他人に言われるのは話が別なんだよ……なあ、俺どうすればいいと思う?」
『んなことわたしに聞かれても。当人同士で解決する問題でしょ』
「正論を当然のように振りかざすヤツは嫌われるぞ」
『あんたの立場でそーゆーことをしれっと言うのもどうかと思うけど。まあでも……』
ネアスがモヤってるならなんとかしてあげたいし、バナードが悩むのもわたしのせいみたいなものだからなあ。
『仲直りするつもりはあんのよね?ていうか、あんたとしてはこれからネアスとどうなりたいワケ?』
「どうもこうもねーよ。友人付き合い出来るならそうしたいよ。あいつは子供の頃から変わらずに、今も俺の目標みたいなもんだしさ」
『ふーん。なかなか殊勝な態度じゃない。悪くないわね』
「なにを偉そうに……」
バナードは面白くなさそうだけど、わたしには慚愧の念が無いでもない。口を尖らせて不満を表明しているように威丈高なのは、少なからずそれを隠そうとしているんだと思う。
『ネアスが目標っていうのはちょっと理想が高すぎると思うけれど、その方面で力になってあげられるかもよ?わたしが』
「お前が?普段そういうこと全くしないくせに?」
『ま、一応聞いてみて。そうねー、ネアスは触媒の扱いに長けてるんだから、あんたは術の研鑽に努めた方がいいと思うの。例えば……』
だから、思ったよりは前向きなバナードに、対気物理学の生ける標本(的な扱いをバスカール先生に時折受ける)わたしは、いつもならしないよーな講釈を垂れてみた。
もちろん、学問としての対気物理学の学生と、息をするように暗素界と交流するわたしでは話が合うところも合わないところもあるのだから、バナードがわたしの話を全部理解してたとは思わないけれど、それでも部屋に入れたことを後悔してないだろうな、ってくらいには有意義な話になったとは思うのだ。
考えてみると、バナードと差し向かいで長話したことなかったなあ。三周目だってネアスと一緒にいて、この二人をどぎゃんとせんといかん、って奔走してたんだし。
「……例えばその小舟を浮かばせる理屈で言えば、揺動効果の示す通りヨルフレン先生の論文が反映されて……って、どうした?割と良い感じに理解してきたとこなんだけど」
『え、ああごめん。マジメな話が続いて疲れてた』
「なんだよ、それ。いや、っていうかこんな話しにきたのか?お前」
そんなわけあるか。いつの間にかバナードの家庭教師しちゃってたんだけど、それはあくまでもわたしの懺悔みたいなものだし。
『うん、全然違うわね。ネアスとあんたをどうすんの、って話。いや別にどうにもなりようがないんだけど、せめてバナードの方から歩み寄って、普通に話出来るようにできない?うちのお嬢さまも殿下も頭抱えてるわよ……』
「アイナハッフェと殿下、か……」
『うん?』
そこで二人の名前を出すと、バナードはにわかに難しい顔に戻って、予想だにしなかったことを言い出したのだ。
「コルセア、お前さ。ティクロン侯爵家って知ってるか?」
『………』
知らないはずがない。だってそれは……。