第89話・コタツとミカンと怠惰なドラゴン
異世界転生モノ、というジャンルがある。
日本でうだつの上がらない生活をしてた(そうとも限らないか)主人公が、トラックに轢かれてファンタジー世界に転生し、日本での知識を使って無双するのにカタルシスを覚えるとゆー、割とお馴染みの物語テンプレートである。
お前がそれを言う?と言われるとアレなんだけど、何の知識もないただの乙女ゲーマーな社畜だったわたしが、あろうことかトカゲに転生してんだから一緒にしないで頂きたいわ。むしろ転生先の方がパワーは上だい、ってまあそういうことはどうでもよくて、とにかく日本での知識なんか持ち込みようがないのだ。料理だってこっちの世界ので充分満足してるし、ぶっちゃけシクロ肉なんか日本で食べたこともないブランド牛肉なんかよりもよっぽど満足してるっつーの。大体トカゲの手足で料理なんか出来るわけないでしょーが……って、力一杯話が逸れた。
まあ要するに、この世界にニポン人の知識なんか持ち込むつもりは全く無いのだ。わたしは。
ただ現状、たった一つだけ欲しいものが、無いでも無い。三周目までにも考えてはいたのだけれど、今年の青颯期のクソ寒さに耐えかねて、これだけはどうしてもと思って、街の職人さんにおねだりしたのだ。
「……コルセア。わたくしから見ると暖を取っているというよりは浅ましく惰眠を貪っているようにしか見えないのだけれど」
『……ふにゃ』
「……そしてどうしてブロンまでわたくしの部屋にいるのかしら」
「ごめん、姉さん。でもコルセアにどうしても体験して感想を聞かせて欲しいとせがまれたんだ。姉さんもどう?」
「お断りよ。混ざったら体どころか心の方まで腐ってしまいそうだわ」
えらい言われようだなー。わたしはただ試作したコタツの具合を確かめているだけだというのにー。
そう。日本人の英知なんぞ知ったことかという態度で数百年過ごしてきたわたしだったけれど、今年の青颯期の寒さはほんとーに堪える。なんでもマイヨール前伯爵じーさま曰く、生まれてこの方こんな寒さは初めてだ、ということらしい。
まあ何かと物事を大げさに言いたがるじーさまのことだから話半分に聞くとしても、凍死者も続出しそーな寒気に帝国も薪や燃料の炭にかけてる税金を一時的に免除するとか言い出すくらいだから、そーとーの事態なのだろう。
で、わたしは寒いのはそれほど嫌いではなかったのだけれど、そんなわたしをして耐えかねる寒さに、長年の慣習を打ち破って、日本のコタツを持ち込むことにした、というわけなのだ。いかな火を自在に操る暗素界の紅竜といえど、体の外の寒さは精神的にも堪える。
で、出来上がったコタツをお嬢さまの部屋に持ち込んで試してみたところなのだ。ちょうど通りがかったブロンくんにも実験のご協力を願った次第で、今のところは好評な様子。よかよか。
「……話は分かりましたけれど、それをどうしてわたくしの部屋でするというのかしら、あなたは」
『お嬢さまにもぜひ味わって頂きたいからですよー。ほら、ブロンくんの表情見てくださいって』
「あなたたちねえ……」
自分の部屋の真ん中に鎮座するコタツ。そこにあたっているのはペットのドラゴンと、(たぶん)目の中に入れても痛くないほどに可愛がってる弟。どちらも蕩けたよーに、見慣れぬ暖房器具に魂を抜かれてる。
冷静に考えれば、テニスコート半分ほどの洋室にコタツなど違和感しかない光景なのだ。けれど、それがどうかした?という態度のドラゴンと子供がそこに入っていれば、何故か強烈な説得力を持って訴えかけるものだってあろうというものだ。
「あ、コルセア?その蜜柑一つとってくれる?」
「お止めなさい、だらしがない。コルセアも蜜柑など持ち込んで……高いのでしょう、それ」
『んなこと言いましても、このコタツとミカンは切っても切り離せない様式美。いわば比翼連理の間柄。お嬢さまも、どすか?コタツで温まって喉が渇く。それを甘く冷たく瑞々しいミカンで潤す快感は……ほら、ブロンくんももうすっかりトロトロですよー』
コタツ台の上におかれた籠からミカンを一つ取り出し、対面のブロンくんに差し出す。
ありがとう、と礼儀正しく主の弟君はペットのドラゴンに礼を述べ、嬉しそうにそれを剥くと、一房ずつ丁寧に口に運ぶ。
口中を甘味と酸味の見事なハーモニーが満たすと、冷たいままの蜜柑の果汁は喉を通り過ぎる。その感触は、普段は年齢に似合わず凜々しいブロンくんをして、忘我の快楽に身を窶す姿に堕さしめる。
ごくり、とお嬢さまが喉を鳴らす音が、鋭敏なわたしの耳に届く。
……うん、あと一押しか。
部屋に入って来てからずっと、自室の有様に呆れと怒りの綯い交ぜになった表情でわたしたちを見下ろしていたお嬢さまを、ちらと上目遣いで見る。我ながらあざといまでの、かわいいペットの仕草で。
そして体を丸めてコタツ布団から首だけ出したカッコになって、きもちえー、ってな具合で目を瞑り、そして喉を鳴らした。猫のよーに。
『……おじょうさまー、わたしあったかいですよー……抱っこしてくれると読書もはかどりますよー……喉が渇いた時のミカンはおいしいですよー……』
半分以上本気で眠そーな声で、お嬢さまを招く。くくく……ふらふらとこちらに寄ってくるのが分かるわ……勝ったッ!
「……コルセア。そっちの蜜柑を取ってちょうだいな」
本から目も上げずに、お嬢さまはペットに下知を下す。わたしは「はいはいー」と応じて、お嬢さまのひざの上から体を伸ばし、コタツ台の上にある籠に前脚とゆーか腕を伸ばした。
爪の二本でミカンを挟むと、お嬢さまにはいどーぞ、と渡した。
ブロンくんはお昼寝。ずっと静かだ。お嬢さまも落ち着いた空気の中、ずっと本を読んでいる。それも教科書でなくて、なんでもネアスに借りたとかいう物語の本らしーけど。面白いのかな。
『あ、お嬢さまこれで最後なので半分こにしません?』
「そうね。もう無いのかしら?」
流石にコタツの実験に必要だから手配しただけなので、満足いくほどの量が用意出来たわけでもなく、それにしても…。
『お嬢さま、もう結構食べたじゃないですか。読書に夢中でいくつ食べたか覚えていないんじゃないですか?』
「そう?まあいいじゃない。読書もはかどるし、あなたも大人しいし。なかなか悪いものではないわね、このコタツというものも」
『でしょ?』
うん、すっかりお嬢さまもコタツの虜だ。ブロンくんも嵌めてあげたので、あとはじーさま辺りも押さえれば、この屋敷で大手を振ってコタツ生活が楽しめそーだ。しめしめ。
「……ただ、だいぶ冷たくなってきてないかしら?これ、どうやって暖めているの、コルセア」
『あ、そういえば眠くてしばらく暖めてませんでしたねー。暖め直さないと』
「あら。あなたがやっていたの?さすが紅竜の子ね」
いえいえそれほどでも。
ていうか、熱源についてはいろいろ考えたんだけど、とりあえずコタツの良さを味わってもらうために、自前で熱源確保した方が早いか、と後回しにしていたのだ。
というわけで、わたしはお嬢さまに抱っこされながら大きく深呼吸。
「……?」
何をやっているのかしら、とこちらを見下ろすお嬢さまを、得意げに振り返って見上げると、吸い込んだ空気を体内でいー感じに温めて、そしてー……。
『えい』
ぼすん。
「っ?!な、なにごと?!何をしたのコルセア!」
あ、ちょっと勢いが強すぎた。
わたしの体内で作られた暖気をコタツの中に送ったんだけど、ちょっと圧が高すぎたために一瞬コタツ全体とコタツ布団を跳ね上げてしまった。
「なに?なにがおきたのっ?!」
お昼寝していたブロンくんまで起きてしまってた。失敗、失敗。
『すみませんお嬢さま、ブロンくん。コタツの中を暖めよーとしたんですけど、ちょっと勢い余ってしまいまして』
お嬢さまはわたしの弁解を聞いて最初意味がわからず頭上に「?」を表示していたけれど、しばし考えこんだあといきなりわたしを放り出してコタツを出ていってしまった。どしたんです?
「ど…ど…ど、どうしたもこーしたもっ!!あ、あな、あなあなあなた……い、今のは……放屁というものじゃないのっ!!何てことしてくれるんですのっ!!」
『ほうひ…?ああ、そーゆーことですか。違いますって。口から吸い込んだ空気を体の中で温めて、こーしてコタツの中に送るといー感じに……お嬢さま?』
お嬢さまは慌てて窓に駆け寄ると、外から身も凍えるよーな冷たい風が吹き込むのも構わず窓を全開にして換気をし始めた。えと、お嬢さま。もしかしてわたしがおっきな屁をこいたと思ってる……?
『ちゃいますちゃいます。お嬢さま、吸い込んだのを温めて出しただけですから、おならと違いますって。確かにわたしのぷりちーなお尻から発射はしてましたけど』
「も、も……もしかして最初からずっと……?」
『ですよ?全然臭くなかってでしょ?……おや?お嬢さま?』
開け放たれた窓の側で、お嬢さまが俯き肩をぷるぷる震わせていた。あれ、怒ってる?なんでよー。わたし怒られるようなこと何一つ……。
「ふわぁぁぁ……あ、コルセア。僕そろそろ部屋に戻るよ。姉さん、あんまり無茶言わないであげてね」
え、ちょっ……今お嬢さまをほっとかれると、なんかヤベー雰囲気があるんだけど…。
そんなわたしのイヤな予感てのにも一切頓着せず、ブロンくんは部屋を出て行ってしまった。残されたのはわたしとお嬢さま、だけ。あのー、お嬢さま?
「……主の部屋で放屁を繰り返し…」
『いやだから、おならじゃないとゆってるじゃ……』
「あまつさえ、その臭気をもって主の身を汚し…」
『………あ、そーいえばじーさまにもコタツを試してもらわないと。じゃ、お嬢さまわたしはこれでー…』
「その罪……万死に値しますわこのへっぴり竜がァァァァァァッッッ!!」
『ひいっ?!』
かつて見たことのない鬼のような形相…いやけっこー見覚えあるカモ…で飛びかかってきたお嬢さまは、一体この細腕のどこにそんな力あるんですか、とゆーわたしのツッコミも許さない勢いで、コタツとわたしを両手でふんづかみ、窓まで引きずっていくとまとめてそこから放り出してくださった。
わたしはそれでも平気かもしれないけれど、空を飛べない憐れなコタツを見捨てることが出来ず、わたしはそれと一緒に落下してゆき、降り積もった雪に『ぶべっ?!』という無様な悲鳴と共に埋もれてしまう。
『なにすんですかお嬢さまっ!!寒いじゃないですか!』
「やかましい!あなたはその臭い布団と一緒にそこで雪が融けるまで埋もれていなさいっ!!」
ガシャン、と割れやしないだろーかって心配になる勢いで、お嬢さまの部屋の窓は閉ざされた。
後に残されたのは既に濡れ始めているコタツ布団と、ぼーぜんとしたわたし。いやちょっと待ってよ。わたしが何を悪いことしたってのよー。ただ新しい暖房器具の開発してただけじゃないのー。
しかもかわいいペットのドラゴンの献身に対してへっぴりだの臭いだのというバリゾーゴンの嵐。ていうかお嬢さま口悪すぎません?…あだっ?!
「いちいち聞こえてますわよ!」
…しかも地獄耳だし。
一度窓を開けて投げつけられたミカン籠を頭で受け止めたわたしは再び閉ざされた窓を見上げると、しょんぼりと肩を落として打ち捨てられたコタツを引きずりながら、理解者を求めて屋敷の庭をうろついたのだった……。
「なんだ、こりゃあ温くて結構なシロモンじゃねえか。おう、いいぜ。アイナが要らねえってんなら、暖かくなるまでおめぇごと預かってやるよ」
『じーさま大好きっ!』
捨てる神あれば拾う神あり。
じーさまには認められて、その後お嬢さまとじーさまの間でひと悶着あったのだけれど、それはまた別のお話。