第231話・女神の慟哭
【それで何をすればいいのかしら?】
あっさりと力を貸してくれると言うたおかんは、これから何が起こるのかも分からず呑気な様子だった。
で、わたしはそれの顔がどんな風になるのかわっくわくしながら言った。
『神を殺すのよ。……くくく、今さら怖じ気づいただなんて言わせねーわよ?』
【分かったわ。行きましょうか】
え。あの。
神よ?
おかーさん、今から神を殺しに行くのよ?今からそいつを殴りに行こうか、なんてレベルじゃないのよ?
もう少し驚くとかビビるとかしてくんないと勿体ぶった甲斐が無いってもんじゃない。
まあでも。
「ココココココルセアちゃんっ?!」
『ニワトリかあんたは。コケコケ言うてないでさっさと連れていきなさい。神のところへ』
おかんの分までパレットが慌てふためいてくれたお陰で、多少は面目を施す格好になったわたしだった。
【それで理由くらいは聞かせてもらえるんでしょうねえ】
そんで、何処に行くかを聞く前から動き始めるおかん。
空に浮きっぱなしでいたためか、風に晒されてなんか寒くなっている。動くにはちょうどいいかと、その後に続く。
『理由と言われてもね。ムカつく、くらいで』
【あなた母親にも同じ理由で逆らっているじゃない。母から見れば、世の中の何もかもにムカついて矛先を親に向けただけ、に思えたのだけれど】
『尾〇豊に影響された中坊か、わたしゃ。そこまで世の中に反逆してたつもりなんかねーわよ。ただ、親とも世の中とも距離の測り方が分かってなかっただけ、って感じ』
……だったのかなあ、となんとなく思う。
ケンカだってまともにしてなかった親子が、こんな姿に生まれ変わって本気でケンカして、そんでまあ、なんとなぁく自分の中で落とし所を見つけてしまったというか。
【……私だって、親をやった経験も無くて娘なんか持ったものだからねえ】
『あんたはいろいろと動機が不純だったのよ。せめて父親とセットなら、そこまで反発もしなかったでしょうよ、わたしも』
【世の中のシングルマザー全員に対する無理難題だと思うのだけれど】
『世間一般のことなんか知るか。わたしが、そうであって欲しかっただけってことよ』
世の中には碌でもない父親ってのもいるし、そんなんにぶち当たらなかったのは僥倖ってモンだろうけど。
まあいいや。今のわたしたちにとってはどうでもいい話だし……って、後からついてきてると思ってたパレットの声がなく、おかしいなと思って振り返る。
「…………」
両手で杖を横に携え、なんだかしょんぼりとした風に肩を落としてる。
それがわたしたちと同じく、宙に浮いてる様というのはなかなかシュール…と言いたいところだったけど、あんまりにも心細そうにしてたもんだから、わたしは回れ右してその側にツツツと寄っていった。
『どしたの?またなんか景気の悪い顔して』
「………」
景気の悪い、というか明らかに青ざめていたんだけど、その理由に心当たりが無くも無くって、わたしはわざと茶化すような言い方をした。
【千那?どうしたの】
『その名前で呼ぶな、っつってんでしょーが。まあそれはいいけど、パレットがまたなんか乗り気じゃないみたいなのよねー。どしたんさ、あんた』
「…………」
気遣われたことは嬉しくなくはないようで、パレットは顔色が悪いなりにくしゃっと泣き笑いに顔をゆがめると、実際本当に泣いてるんじゃないかと思うような鼻声でこんなことを言った。
「なんで……?」
いや、意味わからんし。なんでも何も、何に対する「なんで?」なのかまずそれを説明しったんさい。
「なんで、神さま殺しちゃうの?」
『そっちか。いや、なんでと言われてもそこそこ付き合い長いんだからいい加減わたしの性格くらい分かるでしょーが。気に食わない。そんだけよ』
「なんで気に食わないの?どうして?」
『どちてぼーやかあんたは。気に食わないことに理由なんかねーわよ。気に食わないから気に食わない。それ以上どんな理由があるってのさ』
「…………いじわる」
がばり、とパレットは突然抱きついてきた。いじわる、と言われてもねえ……。
どうしよう?とおかんの方を見やると、好きになさいな、となげやりに応じられた。好きにしろ、と言われても……。
『………あんさ、パレット』
「……うん」
何度かこの体勢になって、その度に思うんだけど……こいつおっぱいデカくて触れ合ってると気持ちえーなー。わたしが薄い体してる分、余計に…ああうん、ドラゴンにおっぱいなんか無いけど、人間やってる時期はいろいろとソッチ方面の悩みも尽きなか……何を言わせるか。
「コルセアちゃん、おっぱい欲しいの?」
【あら。千那ったらまだ母親のおっぱいが恋しいのかしら】
『あんたら誤解を元に誤解を拡大することを言うんじゃねーわよ。そうじゃなくって、パレット。あんた、今のままでいいと思ってるの?』
「え?」
『わたしはあんたの一番長い友だちで、これからもしばらくはこの関係を続けていきたいと思ってる。でもさ、わたしはいつか死ぬ。あんたが何度も見届けたようにね。そして今度こそ、わたしが死んでも世界はループせずにそのまま続いてく。あんたは、わたしが死んだ後の世界でずうっと生き続けなくちゃいけない。もしかしたら……』
と、続けて少し胸がチクリとした。
『わたしじゃない新しい友だちが出来て、またよろしくやっていくのかもしれない』
自分で言っておいてなんだけど、わたしの後のパレットの友だちに、嫉妬したのかもしれないなあ。子供っぽいことだ。
「そんな……あたし、コルセアちゃん以外のひとになんか……」
『それはそれでいいよ。でもね、わたしはあんたの本音が聞きたい。友だちの本音はさ、わたしを駆り立てる一番の力になるよ。きっとあんたが望んだら、わたしは何でも出来る……かもしれない。いやだから、わたしの子供が欲しい、とか無茶言うのはやめなって』
「ぶぅ。コルセアちゃんのいけず」
……ま、その理由も想像つくんだけどね。
きっと、わたしのおかんと理由は似たトコなんだと思う。
「あたし、コルセアちゃんの子供が欲しいって言ったけど……それは、コルセアちゃんが死んじゃった後でも、思い出は形になっているから。一人じゃないって思えるから。それってそんなにいけないことなの?」
いけないことだ。
……とは言えなかった。だって、それはわたしの立場じゃないもの。
でもさ、そうやって一人で生きてるわけじゃない、って思うことの理由にされちゃう子供の気持ちはどーすんのよ、って話なワケよ。
わたしの母親は、なんかそーいう理由で子供をこさえた。それが分かったから、子供の方はなんか戸惑って親との距離が分かんなくって、それで死ぬまで反発してた。
挙げ句の果てにはなんだか妙な形で生まれ変わって、こうして再会した。それが良いことか悪いことかはともかく、何もかも遠回り過ぎるよ。それで幸せになれると決まったわけじゃないってのに……。
『否定はしねーわよ。けれどね、わたしはあんたを一人にしたくない。子供を理由にしてただ生きてくだけの存在になんかしたくない。あんたはどうなの?そういうことで、いいの?』
「そういうことって言われても……よく分かんないよぅ……」
そこまで難しいこと聞いたわけじゃない。
難しく考えることなんかありはしないのだ。
でも、簡単に導ける答えを簡単に口に出来ないのはきっと、このめんどーくさい自称女神の優しさだ。
それを口にしたらきっと、わたしに呪いがかかる。
永遠の誓約にしてしまう強制力が生まれる。
だから、何も言わない。莫迦な女のフリをして、生きていこうとしている。
……舐めんな。がぷり。
「……どうして噛みつくのぉ?」
『ひらない。らんふぁふぉうしらはっふぁ』
ムカついたのと愛しいのと、あとはそれ以外三種類くらいの感情が綯い交ぜになって気がついたらそうしてた。パレットが戸惑うのは無理も無い。
でも気が済んだから、パレットのアタマを挟んだ上あごと下あごを開いて解放すると、ヨダレでばっちくなった……ってこともない自分の頭を撫でて、髪の乱れを直していた。
「んふふ。こーしてコルセアちゃんにじゃれつかれるのも、あたしだけの特権だよね」
『まあお嬢さまやネアスにはとても出来やしないわね、確かに。で、白状する気になった?』
「はくじょう?」
あざとく小首を傾げる、わたしの言ったことの意味がわからない、という仕草。この期に及んでとぼけてる、なんてこたーあるまいから、素なのだろう。や、これは本当に分かってないな。
『そ。あんたはどうしたいの?どうなりたいの?自分がこうなりたい、こうしたい、っていうホントのところを聞かせてもらいたいわ。そうすれば、少しは覚悟も決まるってもんよ』
そう言って、わたしは自分の胸のところを鋭い爪の生えた親指でつついた。覚悟はこの胸の内に生まれる。なんか、そーいう気分で。
「コルセアちゃん、あたしは別に……」
……とまあ、格好つけてはみたんだけれど、相変わらず煮え切らないヤツである。
自分の欲しいものくらいちゃんと言ったらどーなのさ。それくらい子供だって出来るでしょーよ、と少なからずイラッとしながら詰め寄ろうとしたときだった。
【そういう言い方は良くないわ、千那】
『あん?……ぎゃぷっ?!』
いつの間にかすぐ後ろに迫っていたおかんの影。何やら不穏なものを覚えて振り返った瞬間、わたしなんか簡単に握りつぶせそうな手が文字通り「降ってきた」。
「コルセアちゃんっ?!」
【……パレットさん、といったかしら】
「はっ、はひっ!……はい」
わたしを心配して駆け寄ろうと(空に浮いているんだから駆け寄るもなにもないんだけど)してたパレットは、うちのおかんに呼び止められて直立不動の体勢になっていた。
ていうかおかあさま。かわいい娘の首が半分になるくらいの勢いでどつかんといてください……。
【望むことを許されなかったひとは、正しく欲しいものを現し示すことが簡単じゃない。だから考えてごらんなさい。自分がどうなるのが、イヤなのかを】
「え、ええと……」
うわ。おかんがおかんみたいなことを言うてる。
【……じろ】
『な、なんでもありませぇん……』
……おかんがおかんみたいなことをしてきた。雷を落とすとかそーいう類の。ていうかヨソの娘さんと実の娘の間で差を付けすぎじゃないですかね。いや普通そーいうものらしいんだけどさ。でもわたし真っ当な育てられ方とかしてないし、その辺のさじ加減が分かんないのよね。ぶつぶつ。
【なんだか文句のありそうなうちの娘は放っておくとして。どうなのかしら?】
「どう、とか言われても……そのぅ……うう」
【そう怯えないで】
いや怯えるな、言うてもあなた今のところ現界で最凶の存在じゃないですか。女神自称しててもその実ただの小娘でしかないパレットがサシで対面してビビらないわけが……あーはいはい、わたし邪魔ですね大人しくしてますってハイ。
再度睨まれて首をすくめるわたし。そりゃまあぶつくさ言うて邪魔してる自覚はあるんだけど、その、叱るような目付きの割になんか生暖かく見守る風な視線成分混ぜるのやめてもらいたい。わたしがただの構ってちゃんみたいじゃない。
【欲しいものがない子供なんてない。でもそれを上手く表現出来ないことはあるの。それでも、いやなことはいやと言える強さが、子供にはあっておかしくない。だから聞かせて欲しい。あなたが嫌に思うことを。あって欲しくない未来を。それが、あなたが欲しいものを見つけるための第一歩なのだから】
「ぐす……おかあさまぁ……」
泣き虫女神が「おかあさま」と呼ぶのはきっと、わたしの母だから、だったんだろう。
けど、迷子のようにベソをかく女の子はきっと、今まで母と呼べる存在を得られなかった。
世界の欲望を掬う、なんてワケの分からん任務のために生み出されて、それしかなかった女の子は、「斯く在るべき」役目を終えた途端に、一人で放り出された。
縋るものが欲しくて、なんか自分で呼び寄せてしまったドラゴンに執着して、その母親っぽいデッカいトカゲにまで「おかあさま」と呼べるものを欲してしまったのは、滑稽にも哀れにも見えることなんだろう。
【泣きなさい。泣いてあなたの全てを吐き出してしまいなさい。それが出来るのは子供が大人に出来る、一番大きなことなのだから】
「……おかああまぁ………いや、です………あたし、いやなんです……」
……それでも、さ。
わたしはこいつのことを笑おうなんて思えない。
わたしも、うちのおかんも、まあ迷子の女神も、生きることに割と不器用で、無様な死に様で……もしかして親に心配かけたりはしたかもしんなくて、それでもこうしてやり直しする機会がもらえたのはいいことだと思うから。
「ひとりば……いやだんでずぅ……ひどりで、いぎでぐのなんか……いやなんですっ!!」
泣け、泣け。
パレット、泣いちゃえ。
あんたが泣いたら泣いた分、わたしはなんかしてあげられるよ。
友だちだからさ、このワケのわかんない世界で、自分が何者かを知ってくれてる数少ない友だちだからさ。
「わぁ……わああああん!!ああああああぁぁぁぁ──────っっっ………っ!!」
生まれたての赤ん坊みたいな全力の鳴き声が、帝都の外れの虚空に木霊していた。