第230話・旅立ちの時
「それでは行ってまいりますわ、お父様」
帝国の経済を牛耳ってる、と一部で言われるブリガーナ家のご令嬢の旅立ちにしては、随分とささやかな見送りだった。
青銅帝国の北方、アルプメント共和同盟との国境の町に揃ったのは、ブリガーナご一家の他には、彼らに見送られるアイナハッフェ・フィン・ブリガーナ本人の数少ない友人と、あとは「元」婚約者たる、次期皇帝陛下の世を忍ぶ姿くらいのものだ。
「コルセアぁ、わたしのこと忘れてない?」
もちろん忘れてなんかいないって。
お嬢さまの最愛の親友でわたしの最高の友だちの、ネアス・トリーネも共にいる。もっとも、こっちは見送る側じゃなくて見送られる側なんだけど。
「うん。達者で、と言えるほど疎遠になるわけではないけれど、立場上簡単に往き来出来るわけでもないからね。手紙は欠かさないんだよ、アイナ。それとネアス・トリーネ。君にお願いするのも心苦しいとは思うけれど……ご両親のことは決して粗雑には扱わないから安心して欲しい」
「はい、伯爵様。その代わり、アイナ様はわたしが生涯お側にいますから」
「頼もしいね」
そこは多少苦笑混じりだった。
だって、ネアスのはほぼ我欲丸出しだもんね。なんだか顔を紅潮させて鼻息荒くしてたしぃ。
その他にも、ブリガーナ家からは伯爵さまの他にじーさまがいて、ブロンくんや奥さまとはここに来るまでの間にそれぞれ挨拶を済ませてあったから、他にブリガーナ家以外ではバナード。それから当然、バッフェル殿下も、一緒。決して多くはないけれど、お嬢さまやネアス、それからわたしと縁深い人たちが集まっているのだった。
そして今日のこの日、ここに集ったのには理由がある。
「揃ったようだな。では始めようか」
「はい、殿下」
国境の町、と言っても帝国と共和同盟は関係も穏やかで、また交易も盛んだから町の規模自体は大きい。
そんな宿場町の、大きくもなくかといって小さくもない一軒の宿屋の食堂で、殿下は切り出した。
ここまで携えてきた書筒を開き、中から取り出したやけに大仰な書状を開くと、跪いて神妙な顔つきになったお嬢さまにその中身を読んで聴かせる。
「アイナハッフェ・フィン・ブリガーナ。汝に汝の罪を告ぐ。以下を虚心に受け入れることを、帝権は求むることとする。よいな」
「はい。臣、アイナハッフェ・フィン・ブリガーナ。いかなる形であろうとも、謹んで帝権の処断を受け入れることでしょう」
罪を宣告する、という殿下の言葉にお嬢さまは、敢えて固い言葉で応じた。それは、その役割を負うことになった殿下に対し、あなたがわたしに負い目を負う必要はありません、という心遣いからのことなんだろう。殿下もそれが分かったのか、大仰な書状に見合って芝居がかった動作で、開いた書状をわざとらしく目の高さに掲げ、読み始めた。
「一つ。汝は従える竜を使役し、帝国に混乱をもたらした」
ただお嬢さまは、それでも微かに苦しげな顔になる。少し下がって控えるネアスも文句のありそうな顔をしていた。
わたしは、というとお嬢さまの隣でそんなお嬢さまの横顔を見て、あとでいっぱい慰めて差し上げよう、って思ったのだ。
「……一つ。後を顧みぬ振る舞いにより、帝権の執行を阻害した」
殿下は努めて無表情にお嬢さまの「罪状」とやらを読み上げ続ける。
なんていうか、そんなもん罪としてカウントする程のもんでもないでしょ、それを言うならほとんどお咎めなしも同然だった四裔兵団とか、アタマすげ替えられただけで済んだ理力兵団とかはどーなんの、と文句を言いたくなるんだけれど、それはまあ殿下も苦しいだろうし、何よりもうつむいたままのお嬢さまが特に不満そうでもないから、わたしとしては言うことも無い。
「……一つ。帝権の優先される対気物理学の大いなる成果について、その独占を図り私物化を企んだ」
でもまあ、これだけは流石に、予め知っていたとはいっても顔色変えそうにはなっていたけれど。
だって、一生懸命研究活動をして得た成果を広めようとして、エラい人に止められたんだから無理も無い。
「以上だ。これらの罪により、決定された処罰を下す」
「………はい」
書状を自分の手でクルクルと巻くと、殿下はようやく表情らしきものを見せ、その忌々しそうな顔のまま書筒にそれを戻す。
本来なら書記みたいな人が控えててそれを受け取るんだろうけど、とにかく形式も適当に、手続きだけを最優先させた結果だから仕方ない。
そして殿下は、深いため息をつき、申し訳なさそうな顔に改まって、「面を上げよ」と告げる。お嬢さまは黙って顔を上げると、跪いた姿勢のまま殿下を見上げた。
二人の間で交わされた視線にはどんな感情がこめられていたのか。察するのもなんだか悪い気がして、わたしはそっと目を逸らした。
そして、茶番じみた「断罪」が行われる。
「アイナハッフェ・フィン・ブリガーナ。汝の貴籍を剥奪し、帝国からの追放に処す。ブリガーナ伯爵家からの離脱により、伯爵家の罪は問わぬこととする」
「……はい」
「そして……」
続ける殿下の胸中はいかばかりか。
わたしだって、いろんな感慨とか感想とかが渦巻いているんだから、二人ともそこそこフクザツではあったんだろうなあ。
「そして、帝国第三皇子、バッフェル・クルト・ロディソンとの婚約についても、汝の貴籍剥奪により資格を失ったものとして……破棄されることとなる」
「……臣、謹んで罪を受け入れます」
そして最後に、告げられた罪を全て認めた罪人は、ただ静かに目を伏せて皇子さまの辛そうな視線から顔を隠し、これをもって、悪役令嬢は………破滅したのだった。
一同、場の雰囲気にあてられてしーんと静まりかえっていたのだけれど、もちろん最初に重い空気を振り払ったのは、「ん~~~~~~~!!」と大っきな伸びをするお嬢さまの声だった。
その、伯爵家ご令嬢、ではもう無くなったけれど、育ちの良さとかまるごとかなぐり捨てたみたいな振る舞いに居合わせた人々は繭を潜める……ようなこともなく、にこにこしてるネアスを始めとして、割と生暖かい視線を注ぐのみだ。そしてお嬢さま自身も、ほんとーに晴れやかにこう宣言するのだった。
「…………………よし!今からわたくしは、アイナハッフェ・ブリガーナただの個人となりますわ。ああ、なんだか肩の荷が下りた心地ですわね」
で、その破滅した悪役令嬢の壮言は、元婚約者の次期皇帝陛下を困惑させていた。
「そこまで俺との関係を重く感じていたというのは些か寂しくもあるがな」
書筒を荷物の中に仕舞いながらそうぼやく殿下。こちらもお嬢さまを断罪してた時と違って、満面の笑みでこそ無いけれど、普段の鹿爪らしいお顔でもなく、かといってその手腕から最近陰口をたたかれるよーな陰険皇子の面立ちでもなく、ただご自身の言った通りにいくらか寂しそうではあったのだ。
……まあ、ね。今さらだけど、殿下、割と本気でお嬢さまのこと気に入ってたもんなあ。その、皇帝の伴侶としてだったり話し相手としてだったり、添い遂げるなら人並みな情愛を向ける相手としてよりは少しばかり緊迫感の伴う関係になっただろうけれど。
「いえ、殿下がわたくしに示してくださった友誼は、わたくしを高めてくださいました。それは、わたくしが何も分からない幼き頃に出会ってから、ずっとです」
「ふ、それは俺にとっても悪くない評価だ。未来にお前という存在を送ることが出来たことを、俺より後の皇帝に誇らせて欲しいものだ」
「お任せください」
傍から見たら誇大妄想もいーとこな会話をしてるように見えるけれど、お嬢さまマジでやりそうだもんなあ。
あの日、わたしとおかんは一つの仕事をした。
そのこと自体はお嬢さまとネアスの将来に何ら影響を与えるものでは無かったけれど、わたしの身の振り方にとっては小さくない影響を及ぼしたと思う。
そしてその前後に繰り広げられたドタバタは、お嬢さまの立場には暗い影を落とした……ってことじゃなく、要するに。
「殿下。アイナ様のことはわたしにお任せください、と申し上げました。殿下が陛下となられても、これだけは許しませんからね」
「そう苛めるな、ネアス・トリーネ。お前達二人への贈り物としてあり得ない罪をでっち上げ、お前達の新居まで用意したのではないか」
「はいっ!ありがとうございます!」
「ネアス……もう少しお控えなさいな、もう……」
要するに、次期皇帝との婚約者、という立場から、そして帝国最大の政商とも言えるブリガーナ伯爵家の者、というややこしい出自からお嬢さまを解放するために、政治的に一芝居打った、ということなのだ。
まあ茶番っていうことが誰の目から見ても明らかなのが芝居の芝居たる由縁なんだけど、それによってお嬢さまは自身のやりたいことを誰にはばかることもなく行えるようになった、ということだ。
「しかし、面倒な準備を重ねてここまでやってやったんだ。アイナよ、実家のために精々働いてくれるんだろうな?」
「あら、お祖父様。わたくしはもうブリガーナ家との縁は切れたのですけれど。伯爵家の方々こそ、これからはわたくしの働きに相応しい対価を支払ってくださるんでしょうね?」
「どう考えても今のおまえさんじゃあ、仕送りの方が高くつくだろうがのう。ま、期待しておるわ」
お嬢さまのやりたいこと。それはネアスのやりたいこととも重なるのだけど、対気物理学を原理方面から極めて、砲術という軍事目的の実利だけでなく、もっと生活全般に近い研究を推し進めていくべき、という発想からの、活動だ。
研究者としては正直言ってお嬢さまはまだ未知数だ。ネアスも今は砲術に特化した使い手でしかない。
そして、帝国は対気砲術の軍事利用に傾きすぎていて、それ以外の研究を進めるにはアレコレ忖度する必要があり、自由な研究をするには向いていない。
だから帝国と友好的な隣国で、帝国の事情に左右されない環境の中で、自分だけじゃなく志を同じくする若い研究者や術者を集めよう、というのだった。つまるところ、研究所のようなものを作るわけだ。
そしてその出資者としてブリガーナ家を選んだ……というよりそれしか選びようがなかったんだけど。
なので、じーさまの言い草もまあ、出資者としては当然の権利ではあるんだよね。
それから、集まった一同とささやかな宴を行い、町の外まで見送ってもらった。
直接往き来することは望ましくはないけれど、連絡役を買って出てくれたバナードやアイラッドのお陰で、お嬢さまとネアスの当面の二人暮らしも寂しくはないだろうしね。
「さて、コルセア。これから何かと物入りなのだから、あなたにはたっぷりと働いてもらいますわよ。贅沢出来るようになるまで頼みますからね」
はいはい、と、巨大化する。安全のために街道から外れはしたけど、まあサイズがサイズだから、通りがかった行商人らしい人がギョッとしてた。
こうして自在に大きさを変えることが出来るようになったのはこないだの一件以来のコト。大きくなるというか成長したり退行したり。
どっちにしても、引越の道具ごと二人を背中に乗せて新居まで飛んでいくには十分なので、確かにお嬢さまの言うとおり、研究所の事業が軌道に乗るまではいっぱい働かないといけないようなのだ。働かざる者食うべからず。嬉しい言葉じゃないけど、真理ではある。
そうして、背中の首の付け根あたりにお嬢さまとネアスを乗せ、引越の荷物をわたしが両手で持って空に舞い上がってしばらくしてからのことだった。
「さて、コルセア。あなたとあなたのお母さま。それからあのパレットという女性との間に一体何があったのか。全部お話しなさいな」
……逃げ場の無い空の上で。
十九世紀ヨーロッパのハネムーンスタイルみたいな装いのお嬢さまが、ネアスと一緒に好奇心丸出しの様子でわたしの顔をのぞき込んでいた。