第228話・帝都の空駆ける竜(どっぐふぁいとっ!)
【覚悟は決まったようね、千那】
『その名でわたしを呼ぶんじゃねえ、クソったれマザー。わたしはコルセア。アイナハッフェ・フィン・ブリガーナお嬢さまと出会い、その成長と共に在り、やがて全てを見守って滅んでいく存在だ』
自分としては凛としたつもりで宣言すると、何故だかヤツは苦しそうな顔になっていた。例によってドラゴンの表情なんて見ても区別つかないハズなのに、不思議と分かってしまう。
【……そう。それがあなたの選択ならそれで結構。で、どうするつもり?母親を倒して前に進むと?倒すための力すら、その相手から得ないと何も出来ないというのに】
姑息な真似しか出来ないお前が思い上がるな、とでも言わんばかりにせせら笑うヤツ。一瞬前の、物憂げな気色など微塵も感じさせない様子に、わたしは一瞬たじろぐ。
一体どれがアイツの本心なんだ。
わたしの滅び、という言い方に微かに動揺して躊躇した様子のアイツと、ゾッとするようなわたしへの執着を見せて現界まで追いかけて来たアイツと。
わたしとアイツの間にあるモノの本質は、どっちなんだ。
それを判断する材料なんか事欠きまくりではあったけれど、一つだけ言えることがあるとしたら、あれだけ大口叩いてお嬢さまたちを後にした以上、言ったことくらいは貫徹しないといけない、ってことだ。
そのために、わたしにやれることがあるとしたら。
『……ふん。そんなものやってみなければ分かんないじゃない。わたしは、あんたっていう存在とケリをつけて、みんなのもとに帰る。それだけよ』
目の高さが再び合った。さっき、はたき落とされたところから全然動いていない。
ふと下を見ると、さっき別れた隊列が整然と廃城を後にしていくところが見えた。それにしてもコイツはどうしてあの時お嬢さまたちに攻撃を加えなかったんだろう。わたしが憎くて仕方がないのなら、みんなを攻撃する方がその憎しみを現すのによっぽど適しているだろうに。
【そう。あなたが自分で見つけた場所に拘るというのなら、得たものの大切さは自分で示しなさい。それが出来ないなら、あなたはいつまで絶っても茅梛千那のまま。お嬢様とやらに与えられた名前を名乗る資格などない】
『あんたに言われるまでもないやっ!食らえッ!!』
このちっさい体一つで何が出来るのか。
きっと遠くから見たら、子供が精一杯の力で大人に逆らうような頼りない勢いでの、突撃。
角の生えた頭を先頭に、またもや頭突きの構え。
【……ふふ】
何がそんなに可笑しいのか。嘲りを感じない穏やかな笑いを浮かべていたヤツは、余裕たっぷりにわたしの突貫を受け止める……かに、思えた。
『何度も同じことをするか、ぶわぁーかっ!!』
悟られないよう勢いは殺さず、ギリギリまで迫る。
眼前に白銀のウロコを舐めるような位置からの急な方向転換。重力加速度ってぇものが物理学通りに作用する人間の生身だったらきっと即死するような機動。けどドラゴンにはそんなもん関係ねえ!同じ場所で生まれても、暗素界でぐーたらこいてたヤツと違ってこっちはこのボディでの戦い方ってのは、それなりに覚えてんのよっ!
【?!一体何を……ッ!】
急に視界から消えただろうわたしを目で追おうとするも、ついていけなくて翻弄されている。
チャァンス!
わたしは背後に回るだけでなく、上昇の動きも加えてヤツの長い首に沿うように移動。わたしを見失って、慌てて巡らされる頭部のすぐ下に到達。そこがわたしの、狙い。
『必殺!』
鋭い爪の生えた親指中指人差し指(?)を束ねて鉤状に曲げたままの両手を広げた構えで、ようやくこちらに気がついた様子のヤツの後ろ頭に取り付く。遅いわドアホめっ!
そう、それは……。
『蟷螂拳!連勾手背襲!』
背後から襲いかかり、取り付いた相手の首を掻き斬る蟷螂拳の奥義!!
『あれ?』
……なんだけど、わたしが取り付いたのはわたしより遥かに巨大な体躯のドラゴン。つまるところ。
『……手が届かない』
ぐぎぎ……とか唸りながら精一杯腕を伸ばしても、ヤツの首の前にまで爪が伸びなかったのだった。
ていうか今の格好、傍から見たらきっと幼児が大木にしがみついてるようにしか見えまい。ガッデム!
【……ふふ、思い出すわ。千那がこぉんなに小さかったころ、私の体にしがみついて『おかあさん、おかあさん』と必死になっていたものねぇ……】
『待てやコラ、捏造も甚だしいっつーの!そんなことをした覚えなんざこっちには欠片も無いわよっ!!』
失礼極まる妄言を吐くクソったれマザー。いつわたしがそんな真似をした。地球の何県何市の何町何番何号でっ!何年何月何日の何時何分何秒にっ!ふっざけんなぁぁぁぁぁぁ!!
余裕綽々でわたしがしがみつくままにさせている。
思いっきりムカついて、離れる。
こいつはいつもそうだ。
わたしが苦しんでいた時も知らん顔して。そのくせ、こっちに覚えもないことを勝手に言って、わたしを惑わして!
わたしは!もう、あんたに振り回される人生なんかご免だってのに、ゲーム世界に転生とかわけのわかんないことになってるわたしにいつまでも付き纏って!あんたは一体何をしたいんだッ!!
『もうなんでもいいから終わりにしてやるっ!!これでも食らえ───────ッッッ!!』
大口開けて咆吼したところで、何も出てこないのは分かりきっている。
けどその時わたしは、出さずにはおれなかった衝動を抑えることが出来ずに、ただ本能みたいなものに従って叫んだだけだったのだ。
そしたら。
【……千那ぁっ?!】
『ほへ?』
彼我の共に驚く様は、それぞれに違ってわたしの方は大層間抜けな反応だった。
自分の放ったものの正体が分かんなくて、なんか飛び出ていったものをぼけーっと見送っていると、ソレを受け止める形になってしまったもう一方は。
【どうして……っ】
一瞬前の余裕たっぷりな様子なんかどこへやら。
わたしの放った火球をまともに食らって、いつもよりはだいぶ小さいけれど巻き起こっていた爆風の晴れたところからあらわれた顔には、戸惑い以外の何者も浮かんでいなかったのだ。
どうして?そんなんわたしが聞きたい。だって、わたしのこの力は暗素界にある本体、つまり今わたしが対決してる、わたしの母親と称する白銀の竜がもたらすものだからだ。
ソイツが「否」とすればわたしにこんな力は与えられない。滅法ムカつく話ではあるけれど、所詮現界のわたしは暗素界に存在する竜の端末でしかない。
だから、これはあり得ない話なのだ………けれど。
【まさか………そういえば、現界に戻ってもなお自由に空を飛ぶことの出来る……力を、得ているというの……?】
どうも、目の前の自称わたしの母親は、その原因に心当たりがあるようだ。ていうか、現界に戻っても空を飛ぶ?……あー、そういえば空を飛ぶ力だって暗素界から引き出しているんだった。
コイツがわたしに力を与えるのを拒否ってるんなら空を飛ぶことだって出来ないハズ。じゃあなんで……あ。
【っ……ゆるさないっ!!】
『うぉわっ?!』
唐突に、反撃された。
わたしは口から火球を吐くけど、あっちは腕の一振りから光線のようなものを放った。
慌てて避けると、ソレは地表に沿って水平に、どこまでも飛んでいく。まさか一周して戻ってきたりして……などとあり得んことを考えて冷や汗垂らすくらいの勢いだった。
……マジで本家は威力が段違い過ぎる。理由不明で攻撃が可能になったとはいえ、あんなモンをこの辺りで自由にさせといたらシャレにならん。
となれば、できるだけ引きつけてこの場から離した方がいいんだろう。
そして少なからず逆上してる今のクソったれマザーなら、雑に煽っただけでも十分だろう。
わたしは大きく息を吸い、さながら長坂坡の張飛の如き大音量の口上でこう叫んだ。
『けっ、そんなん当たらなければどーってことないわよ!やーいやーい、クソビッチの悪たれマザー!一発でもわたしに当ててみたら尻尾の付け根舐めてやるから付いてきてみな!』
【そんな下品な口の利き方をする子に育てた覚えは無いわ!!】
気にするところがそこかい、というか真っ当に育てられた覚えなんかねーわよっ!……というツッコミをする間もなく、割とお怒りのご様子で襲いかかって来た。計画通り……ではあるけれど、命懸けの逃走になりそうだ、こりゃ。
【待ちなさい千那!】
ただし飛び道具?を使うつもりがなさそうなのがまだ救い。追いかけられて手が届きそうになると急転反転急加速に急制動を駆使しまくり、辛うじてその爪から逃れ続ける。
簡単に言うけど、ほっとんど紙一重で切り抜けている。だから三回に一回くらいは、ウロコを引っ掛けられてかすり傷くらいは負っている。
そんなことを三十回も繰り返した頃だっただろうか。
『ひっ、ひっ、はあ、はあ………や、やーい年寄りの冷や水もそんくらいにしておけーっ!そんなへっぴり腰じゃあ何十年かかっても追いつきゃしねーよー、だ!』
わたしはいい加減息も切れて、もう十分だろうと思って大きく羽ばたいて一際距離を置くと、敵が後ろからすぐに迫ってこないことを確認して振り返る。
【あなたという子は……どこまで親を愚弄するというのっ!!】
うるせーや、こっちは全然余裕も無くって、必死に振り絞ったご愛嬌だい!
こっちよりはまだマシなんだろうけど、それでも息切らせて「手こずらせやがって」的ニュアンスを醸し出すマザー。
いくらかは気が晴れるけど、こちらもそれ以上に疲弊してるもんだから悪態の方もキレは今ひとつ。
そして下を見ると……意外に廃城の上空からは遠ざかってはいなかった。行きつ戻りつ、上昇下降を繰り返しただけだったから、思ったほど移動はしていないのかもしれない。
【くっ……小賢しい真似を……あの女がそこまで大事だというのっ?!】
『お嬢さまをあの女呼ばわりすんじゃねえ!わたしを拾って側に置いてくれて、ほんっとーに大事にしてくれた方なんだから!産むだけ産んどいてあとはほったらかしにしてたあんたにとやかく言われる筋合いはないってのよ!!』
【まだそんなことを……千那!あなたがいまだにその力を振るえるのも、あなたが私の娘だからでしょうに!!】
……?意味が分からん。
そういえばさっき空を飛べることをわたしが不思議がってたら、おかんはその理由を知ってる風だったけど。
『それが意味分かんねーってのよ。わたしがあんたの娘とか言うても、この世界の話じゃないでしょうに。なんでそれが現界で活動する竜のわたしが、暗素界にいる竜から力を引き出せる根拠になんのよ』
【……呆れた。あなた揺動効果について研究していたのでしょう?時間軸作用について少し考えれば分かることでしょうに】
揺動効果の時間軸作用?そりゃまあ確かにみんなで研究したし、わたしが現界で「いずれ取り得る姿」を先取出来るのも時間軸作用の応用だし。
……いや待て。時間軸作用は暗素界から現界に至るまでの諸々の作用の揺らぎの一つだ。
気界を通過する時に発生することで、時間が進んだり遅れたりする……てことは、未来の姿を先取するだけでなく、過去の姿を取り戻すことも可能であり、必然的に……。
『……暗素界の方でリアルタイムのオーダーを断ったとしても、暗素界の過去に対するオーダーなら通ってしまう、ってコト?』
その通り、となんかイヤミな教師みたいな顔で、ヤツが頷いていた。そういや大学のゼミの教授がこんなタイプだったなあ……ヤなこと思い出した。
【ただし、暗素界の過去に対して力を要求するといっても、そう簡単に出来ることじゃない。未来と違って、過去に力を求め得ることが能うのは、そこに縁があってこと。あなたと私の間にあるという、前世の母娘の繋がりがあればこそ、私に拒まれてもなお力を振るうことが出来る。そう、あなたは永遠に、私の娘「茅梛千那」であることから逃れ得ないの】
…………ちくしょう。
竜の体に心臓とかあるのかは知らないけれど。
けれど、どくん、と胸のところに深く重い鼓動を感じる。
それは衝動と呼ぶには澱みすぎている。
ドロリとした粘っこいモノがかき回されている。
わたしの中心で。
なんでだ。なんでよ。
わたしは、死ぬことでこのクソったれから逃れたと思ったのに、結局いつまで経ってもコイツに繋がって、縛られて、それがなければ自分であることすら保てないのか。
そんなの…………嫌だ。
そんなの、受け入れられるわけがない。
だったら。
過去に求めて得る物で生きながらえるというのなら………何も無いだろう未来に求めて、全てを失った方が、まだマシだ。
諦めたようにそう思うと、脱水機みたいにぐるんぐるんしてた衝動がふと鳴りを潜めた。
わたしは、我ながらシニカルな笑みを浮かべる。
その意図くらい分かるだろうに、クソったれはなぜか慌てたようにこっちに腕を伸ばしてきた。
【千那、やめなさ……】
いいよ、もう。
わたしは、全てを投げ出すつもりで、未来に問うた。
力を、寄越せ。
絶望に生きる道を求めたのか、わたしがわたしであるために絶望を選んだのか。
そのどちらなのかはよく分からなかったけれど……、それは来た。
喉の奥に覚えたものを、吐き出すように大口開けて、放つ。
顕れたものは。