第226話・帝都の空駆ける竜(空に顕れた恐怖)
気界を通り抜けた、という認識を得たと思った瞬間、懐かしい匂いがした。
もちろん懐かしい、と言えるほど離れていたわけじゃないけれど、なんとなくわたしのいる場所はこの大気の下なんだなあ、と和んでしまったんだ。
「コルセアちゃん、下!下見て!」
だけど今は感じ入ってる場合じゃない。パレットに言われるまでもなく、今の状況を確認。
空にあって眼下にはさっきまで大暴れしていた、帝都郊外の廃城。ずぅっと下の方で何か叫んでいるのは、四裔兵団と第三師団のナリをしたマヌケ面の連中。
つまり、大して時間が経過したわけでもないということだ。帰ってきたらお嬢さまとネアスがいー感じのおばあちゃんになっていた、なんてことはなさそうで良かった良かった。
「それはいいんだけれど、どうやってこっちに戻って来られたの?」
『さあ。あんたが何かやったかと思ったけど、どうもそうでもないようね』
「どーやって暗素界に行ったか覚えてないのに、どーやって戻って来たかなんて分かるわけないでしょ!」
威張って言うことか。
並んでふよふよしてるパレットは、なぜか胸を張っていた。
さて状況確認終了。これからどうするのか、ということになるけれど……戻って来てもわたし前の姿にリセットされたまんまなのよね。これじゃ下の連中威圧するにもちょっと物足りないし、もう少しハッタリの効く姿に……って、そういやわたしの力の源泉、どした。
『ところでさあ、こっちに出てきたの、わたしたちだけ?そうでないならもっかい巨大化しておきたいなと思っ……え?』
「………あ、あわ、あわわわわ……」
不意に頭上を覆った影。
揃って天を仰ぎ見た。
その瞬間、下の連中がわたしを見て慌てていたわけじゃない、ということの気がついた。
だって。
「おかあさまっ?!どうしてこんなところに……」
そろそろその「おかあさま」っての止めない?なんかあんたとわたしで相手にしてる人物違うみたいで、そろそろ認識の齟齬を原因とする重大なミスしでかしそうなんだけど。
【千ぃぃぃ那ぁぁぁ………】
で、パレットの言うところの「おかあさま」とやらは、わたしとパレットの更に上空からこちらを睥睨し、世にも恐ろしげな声でわたしを呼んでいた。
『………暗素界に本体を置く竜のクセして非っ常識な。多分あんたがこの世界の開闢以来初めてなんじゃないのっ?!』
【どうでもいいわ、そんなこと。娘のおイタを見過ごしていては親の務めが果たせない。これ以上あなたの狼藉を見過ごしていたら世の中に顔向けというものが出来ないでしょうがっ!!】
『今さら親ヅラしてんじゃねーわよ!ええ、ええ、やれるもんならやってみろ!現界じゃこっちの方が上だってこと、思い知らせやる!!ダッシュ!』
「わきゃぁっ?!」
【待ちなさい千那!】
誰が待つかアホンダラ!……と全速力を出したわたしには、パレットがしがみついてきゃあきゃあ叫んでいた。耳元で金切り声出すもんだからうるさくてたまったもんじゃないけど、なぜか振り払う気にもなれずにされるがままにしておく。
そして廃城の上空でドッグファイトを繰り広げる、クソでかい竜と愛らしい紅竜。
こっちはボディが小さいのを活かして小回りを利かし、かすっただけでも蒸発しそうなクソったれの火球を避けまくる。
わたしを外した火球がどうなったかは……正直考えるのも怖いけど、幸いにしてヤツにも多少の分別はあるのか、地上の人間がいるところは避けていて、でも何発かは地面に着弾してその度に山の形が変わるよーな爆風が起きていた……いくらなんでもこの有様じゃ地図書き換えないといけないレベルなんだけどっ?!
「こっ、コルセアちゃん……逃げるのもいーけど何か勝算はあるんでしょうね?わぷっ」
顔を上げてわたしに抗議した瞬間、割と近くで着弾した火球の爆風にあおられて、パレットは自分の髪に顔面を覆われていた。ひいひい言いながら片手で髪を梳いてるパレットを横目でチラと見ると、わたしは自身たっぷりにこう言い返した。
『勝算ンンン?そんなもんあるわけないでしょーがっ!!……あいででで!』
「あほ!バカ!コルセアちゃんの考え無し!いい加減にしないと死人が出るわよこの有様じゃあ!!」
わかった。わかったから噛みつくな。別に痛くはないけどなんか心にクル。
「ここでなんかコルセアちゃんに秘められた力が覚醒していい感じにおかあさまに一発くらわして二人は和解して結婚式にも出席してくれる流れに、どーやってもっていくつもりなのっ!!」
『さりげなくとんでもねーオチを付け加えんな、コラ。秘められた力なんか無いけど、昔取った杵柄ってヤツがあるんだから、少しは抵抗してみせるわよ!』
「具体的には?」
『こうする』
追いかけて来たヤツを牽制しつつ停止する。そのまま振り返って、追いかけて来たヤツと目が合うと、向こうの方も何が始まるのかと警戒しつつ、同じく速度を緩めてゆっくり接近してくるような形になった。
それで十分。大きく息を吸って、胸郭いっぱいに空気をためた所でそれを止めた。わたしの手は、こうだ。
『すぅぅぅぅぅ…………(ぴたっ)。………おかぁ────さぁ────ん!だぁぁぁぁいすきぃぃぃぃぃ!!』
【なっ?!】
絶叫共々に、わたしは歓喜を顔面に貼り付けながらヤツのボディに突進をかます。
完全に虚を突かれたクソマザーは一瞬緩んだ顔になって(わたしより遥かにデカいドラゴンの表情なんかどうやって判別するんだろう)、それが為にわたしのドラゴンクローは狙いを寸分違わずヤツの土手っ腹にめり込む。
『かかったな!アホめ!!続いてのぉー………』
衝撃で「く」の字になった白銀の竜の腹から腕を抜き、わたしは再び大きく息を吸う。そして狙いを定めたのは頭上にある、ヤツのアゴ先。
『ひっさぁぁぁぁぁつ!!ドラゴンんんん………アパカッ!!』
屈伸の体勢になって真上に加速。
そして角を突き出すように、アタマから激突。
今度は仰け反って後ろに倒れるようにして落下していく白銀の竜。ふははは、わたしが本気出せばざっとこんなもんよ………チョットアタマイタイケド。
『ふ、ふふん、どうよ?』
「コルセアちゃん、それアッパーカットじゃなくて頭突き……」
少しふらつきながらパレットのところに戻ると呆れたようにそう言っていたけれど、こんなもんノリでいいのだ。
「ねえ、今のなんだったの?」
『何って。いや昔っからヤツはあーだったのよ』
「ああって?」
『こう、おかあさんだいすきー、って言って飛びつくと動きが止まって何も言えなくなるの。しばらくの間はやりたい放題になるから、これは利用しない手は無いな、と……なによ、その目は』
「だって……」
わたしの思い過ごしでなければ、パレット史上最強にドン引きした目で見られてた。
「コルセアちゃんが想像以上にゲスな真似してるんだもん」
『え、ちょっ、ゲスって何よゲスって。わたしはただ自分の武器を使って反撃に出ただけでしょーが』
「武器?」
『そう。この誰をも蕩かせる愛されドラゴンぼでーで。それが「だぁいすきぃ」とかって甘えたら誰だってメロメロでしょーがっ……って、だからどうしてそんな半目で距離置くのさ、あんたは』
「…………そろそろ万年の恋も冷めそうだなあ、と思って」
万年?百年とはよく聞くけど万年というのもまあ説得力が無くは無い……わひゃっ?!
「………コルセアーッ!!」
え?
なんだかイヤな気配がして身を捩った途端、顔の側を飛んでいったナニか、というか対気砲術で撃ち出された砲弾だと思うんだけど、それの発射されたと思しき方角から、聞き慣れた声が聞こえてきた。
「あなた一体何をしているのッ!!」
もちろんそれはうちのお嬢さまの声で、なんでこんなところに?と驚いて見下ろしたらまあ、お嬢さまどころか殿下にネアスにバナードに、あと四裔兵団のうちミドウのじーさまに近い人らが、廃城に向かう山道の途中にいたのだった。
ていうか、そこそこ距離あるのによくわたしを見つけられたな。
「おかあさまの巨体とやりあってたから気がついただけじゃないのかしら。それよりどうするの?アイナちゃん、なんかすごく怒ってるみたいだけど」
『怒る?なんでまた。わたし怒られるようなこと何もやってないと思うんだけど』
「その図太さの源泉がどこにあるのかについては後ほど徹底討論が要ると思うけど、どうするの?」
『どうって、そんなもんクソったれマザーは片付けたんだからあとは第三師団と四裔の跳ねっ返りを黙らせれば終わ……』
【…………そう】
ぞぞぞくぅッ?!
背筋に走った悪寒に思わず直立不動。空中なのに我ながら器用なこった、と苦笑する間もあればこそ、足下から立ち上ったオカンの悪寒に身動きも出来ず、何ごとも無かったかのように……いや、憤怒の形相だけは過去最凶のご様子で、ママンは瘴気をたっぷりたたえてわたしの眼前に立ち上ってきたのだった。
【………よくもまあ、あんな真似が出来たものね、千那】
『ああああ……ああ、あんなあまねとはどんなまねでしょうか、おかあさまっ?!』
「………(がくがく)」
パレットがわたしにしがみついていた。その手がガタガタ震えてるばかりに、わたしの方もいまいちろれつが回らない。決してビビっているわけではない。ない。
【……心当たりがないのならそれで構わないわ。とにかく】
『ふっ、ふぁいっ?!』
「(ガタガタガタガタ)」
え。ちょ、ま……あ、あのわたしのかいしんのいちげきをもってしても気絶すらしてないとかどんな石頭してんのだコイツわっ?!
「あ……あ、あや、あやあやまろまろっ?!ね、コルセアちゃん、ごめんなさいしてゆるしてもらお?ね?ねっ?!」
『ええいガタガタしてんじゃないっ!天地神明に誓ってわたしは何も悪いことなどしていないっ!!………だからその、おかあしゃま?そうぐるぐる唸ってこっち見下ろすのやめません?マジこわ』
【キシャァァァァァァッッッ!!】
『ひぃっ?!』
「ぎゃああああああ!!」
あかん。
なんか親とか暗素界とかそんな理屈よりも生き物の原初的な恐怖に訴えかけるような鳴き声で、腰も足も位置が定まらないくらいガッタガタに震えだした。乙女なのに漏らしそう。乙女なのにっ。
【……おぉぉぉむつぅぅぅをかぁぁえましょおぉぉぉかねぇぇぇぇ、千ぃぃぃ那ぁちゃぁぁぁぁんンンンンン………?】
『ひっ、ひい…………あ、は、はい……おねがいしますぅ、おかあしゃ………』
あかん。
なんでか分かんないけど逆らえない……わたし、アレに逆らって生きてきたつもりなのに。
ドラゴンになって、現界じゃ無敵とか言われ……てはないけど、好き勝手出来るよーにはなって、でもやっぱりその力もアレに与えてもらわないと何も出来なくって……だめだ、なさけないけど……おむつ換えて、もらお……おかあ、しゃん……。
「コルセアっ!!」
びくん。
何かに呑み込まれそうになってたわたしは、ずうっと足下の方だから、本来微かにしか聞こえないだろう声がはっきりと耳に届いてた。
そしてその地上に煌めいたものの正体を一瞬で悟ると。
『パレット!』
「きゃん?!」
並んでボーッとしてたパレットの腰を抱いて急いでこの場を離れる。
次の瞬間、四筋の鋭く速い力が場を薙ぎ、その光跡は確実にわたしに恐怖を与えていた存在を襲っていた。
【…………どういう、つもりなのかしら】
けれど、それが消えた後にあったのは何ごともなかったかのように涼しい顔をした巨大な竜。
きっと、お嬢さまたちが放った対気砲術がわたしの呪縛を解いてくれたのだけど、暗素界から出張ってきた本家ドラゴンには通用するはずもなく、せいぜいハエにでもたかられて鬱陶しい、くらいの手付きでみんなの放った砲術の跡を払っていた。
「コルセアっ!!その巨大な竜はあなたの敵なのですねッ?!」
お嬢さまの怒鳴り声。そんなにはしたない真似をしなくてもちゃんと聞こえてますって。
下を見下ろし、みんな揃っていることを確認する。よし。なんか知らないけどやる気がわいてきた。ちゃんとやることやって、屋敷に帰って、シクロ肉のステーキで打ち上げをするのだ。
「な、なんかコルセアちゃんが急に元気になったけど……だいじょうぶ?死亡フラグとかじゃないよね?……あいた」
『縁起でもねーこと言ってんじゃないわよ。やるべきことを忘れてたわ。陛下を助け出して、このバカ騒ぎを鎮めて。そいでわたしはお嬢さまとネアスのところに帰るんだから。だからこいつは……』
と、鋭い爪の生えた指先を突き付ける。我が母に。
『そのために、排除しないといけない障害よ。それだけ』
【………】
ひどく楽しそうに笑った気がした。
いいだろう。そっちがその気なら、やってやる。
『かぁかって……こいやぁぁぁぁぁっっっ!!』
咆吼。そして突撃。すぐに、終わらせてやるんだから!