第225話・帝都の空駆ける竜(わたしの母はワガママだ)
【もちろん、一人では子供が産めなかったから、他人の種を身に受けて子供を宿した。そうして産まれたのがあなた自身なのだから、それはよく分かっているでしょうに】
『いや、それとこれを一緒にされても。人間なら人間の子供産めるだろーけど、性別も種族も何もかも一致してないのに子供とか言われても』
【あなた、親になるのが怖いの?】
『こわ………っ?』
……って、どゆことだ。親になるのに怖いも怖くも無いもあるものか。どーせ子供なんかほっといたってオトナになって、勝手に親から離れていくものだろうに。このわたしのように。
いや、ていうか怖いの怖くないの、って話じゃない。そもそも無理な話なんだから、怖いとか怖くないとかそんなことはどうでもい
「コルセアちゃん?あたし、おかさまの気持ちがちょっと分かるよ」
『あん?あんたアレの気持ちが分かるとかわたしに対する手酷い裏切り行為だって分かった上でそゆこと言ってんの?あんたアレにわたしがどんな目に遭わされたか全部知っていてそういうこと言うんなら、アレにされたこと全部言ってやろうか?おう、ずぇんぶ聞かせてやるから聞いてみろや』
「うん」
聞くんかい。まあいい。この際本人を前にして全部ぶちまけてやれば、それ以後嫁だの子供だの素っ頓狂なことをヤツに向かって言い出すようなことはあるまい。
わたしは、さながら生前の罪を数え上げる閻魔大王のごとき心持ちで、わたしよりずっと図体のデカいクソマザーの仕打ちを一つ一つ挙げ始めた。
まずひとーつ。
どうもこいつは離乳食にハチミツを使ったことがあるらしく、よく覚えてはいないけれど幼児の頃にわたしは初めて死にかけた。死にかけた、に初めても二度目もあるもんかい、と言われるかもしれないけれど、とにかくコイツにはこの手の話が多かった。よくわたしも成人するまで生き延びれたと思う。
それから、中学受験の時は死ぬほど勉強させられた。マジで鞭を片手にして毎晩わたしの背中に仁王立ちしてたしな。その頃、まだわたしは反抗期も始まってなかったから、意味も分からず泣きながら勉強してたもんだ。その結果は………まあそれが次の悲劇に繋がるわけなんだが。
受験に失敗して入学した中学生の頃は、とにかく扱いが雑になった。別に虐待されたりはしなかったけれど、例の包丁持って追いかけたりーの追いかけられたりーのと、まあメシだけは食わせてくれたけれど家の中は冷え切りまくりんぐだったものだ。
高校受験、大学受験になるともう紛糾することすらなかった。わたしは勝手に進学先を見つけて、「ん」と合格した学校の入学手続き書類を突き出し、まあ流石に高校の時は自宅から通いこそしたけれど、大学は何の相談もなく一人暮らしをし始めて、特に報告もせず、学費だけは払ってくれる様子だったから、生活費はバイトして賄い、とにもかくにも年一の短い会話を四回繰り返して、卒業してそのまま就職した。
そうしてわたしは、就職をなんとなくした報いか、ブラックな会社に殺されるように過労死した。目が覚めたらトカゲになっていて、なんか同じ事を何十万回と繰り返した挙げ句に今、こうしている。
我ながら幸薄い生涯だったと思う。きっと、これから先もそうだろう。特に不満は無い。
【…………】
憎々しげにそう吐き捨てると、ヤツはなんとも形容の難しい空気を立ち上らせていた。
楽しそうではなく、後悔と慚愧の念にまみれてるようでもなく、怒っているようでも悲しんでいるようでもなかった。遠くを見る風にどっかを眺めていたけれど、同じところを見るつもりにもなれなくって、反対側にそっぽを向いていた。
なんとも白々しい雰囲気の中、先に口を開いたのはパレットである。
「ねー、一通り聞いたけれど……おかあさま、がんばって子育てしてたようにしか思えないけどなあ」
………こいつは一体何を聞いていたんだ。一体何を基準にすりゃそんな感想になるんだ。
虐げられたとは言えないかもだけど、愛情たっぷりの家庭で幸せに過ごしました、ってえ表現の対極みたいな育ち方だろうがよ。
『あんた、何を見てそう思ったのさ。ハンパな説明だったらわたしの半生汚してくれるような真似してると見做してタダじゃ置かないわよ。そう覚悟決めて口利きなさいよ、オラ』
「だってコルセアちゃんが、今ここにこうしているもの」
『………はあ?』
いつの間にか、赤いカーペット……?なんていうんだっけ?なんかお茶会の時に敷く布。それの上に立って対峙するような格好になっていたわたしとパレット。
そのうち背の高い方は、身を屈めて指を突き出し、わたしのプニッとしたお腹を突いて言う。
ていうかそれはお嬢さまとネアスにしか許した覚えないんだが、不思議と悪い気はしなかったのでさせたいようにさせておく。
「コルセアちゃんがここにいるもの。茅梛千那というひとが、何だかいろんなものに潰されてしまっても今こうしてここにいる。それは、おかあさまが千那ちゃんを、コルセアちゃんをそういう風に育ててくれたから、じゃないのかな」
『意味わかんねーわよ。てことは何?あのクソったれマザーがわたしをこれだけ捻くれて育てたお陰で、わたしは今こうして元気にドラゴンやってると。そう言いたいわけ?』
「うん、そう」
『……あんたもうちょっと歯に衣着せたらどうなのさ』
それは物事を良い方に解釈し過ぎだろう。
そもそも子供を作る動機からして気に食わない。何かを何かで埋めたかった?順番が逆だろう。人間が人間の親になるってのは、結果的にそうなるんであって、子供が欲しいから子供を産む、なんてそんなの間違ってる。
【ではあなたは、母親が真っ当に結婚して、両親のいる家庭に生まれれば満足だったの?】
『それで何もかも満足する、ってわけじゃないだろうけどさ。でも、少なくとも、一人でいるよりはいいと思うよ。あんたはそう思わなかったの?結婚して、子供産んで。そんで、産まれた子供に愛情注いで、なんかいー感じに生涯過ごしたいとか覆わなかったわけ?』
【あなたにそれを言う権利は無いと思うのだけれど】
『なんでよ』
【あなたの大好きな、お嬢さまとそのパートナーのことよ。彼女たちは、あなたとそこの女神さんの都合であのような関係になった。行き着く先はあなたの言うような「いー感じの生涯」ではないでしょうよ。どんなに取り繕ったって、愛しあって子供を産んで、産まれた子供に愛情注いで、という関係にはなりようがないでしょう】
『揚げ足とるんじゃねーわよ!二人はそんなもんじゃない!あんたみたいな何も知らないヤツが……』
【だったら、あなただって私の生涯にケチを付ける理由は無いと思うのだけれど】
『わたしはあんたに人生ぶっ壊されたんだッ!!』
茅梛千那としての生涯の最後に思ったことが、一つあった。
生まれてこなければよかった、って。
ボロボロにされて、疲れ切ってもう何も考えたくなくなって、最後に思ったのがそれだった。
だのに、わたしの母親を名乗るコイツはそんな最後の時にだって、手を差しのべることもなくわたしもその顔を思い出すこともなかった。
要するに、わたしとコイツは、そういう関係だったんだ。
生んだ側の都合だけで生まれて、そういう仕組みだからってだけで大きくなって、何も守ることなく何からも守られることもなく、そのまま消えて無くなってしまった。
茅梛千那としての生は、そんなものだった。
『だから、生まれ変わってまであんたに干渉されたくない。あんたがいないと紅竜のコルセアとしての生が成り立たないなら、もう真っ平だ。今ここで殺せ。二回目の、わたしを殺せ。もういい』
大の字に寝っ転がる。
空が見えた。不思議と、生まれた世界で見た色と同じだった。そういえばクソったれが生まれた家とか言ってたっけ。だから何だってんだ。
【……黙って聞いていれば、薄みっともない泣き言をグダグダグダグダと……】
そう嘯いたわたしの耳に届く、苛立ちを越えて怒りすら感じる声。
むくりと起き上がり、白銀の竜を見上げる。人間基準で表情っぽいものはそのウロコに覆われた顔からはうかがえなかったけれど、なんだか遠い過去の日に幼心に刻まれた恐怖めいたものを想起させるものが、そこにあったような気がする。
【親の育て方が悪かった、というのも結構。ですが自分の不明の理由をそこに置くのが許されるのは、子供の時まででしょうに。千那、あなた親から離れて何年経ったというの?自分の至らなさの責任を他人に押しつける、子供のような真似はおやめなさい】
『なんだとこのクソったれマザーめ!他の誰に言われてもガマンは出来るけど、あんたにだけはそんなこと言われる筋はねーっつーのっ!!よぉし良い機会だ。この際決着つけてやるっ!相手してやるから全力でかかってこいやぁっ!!』
なんでそーなるの、とパレットが頭を抱えていたような気がしたけれど、なんかもうわたしとしてはヤケクソの境地でしかない。この場で消し炭に変えられようと、同じ相手に殺されるだけなのだから、それが一回でも二回でも大した違いは無い。
そんな心境で、どうせ無理だと思って喉の奥に火球を召還する。一瞬、「あれ?」と思ったけれど発射の意図を動作に込めて実行したならば、いつぞやお嬢さまを求めて叫んだ時に負けず劣らずの大玉が口から飛び出ていった。
【くっ、生意気な!】
こっちからしたら見上げるような至近距離にいたヤツである。怒りに任せた一撃が外れるわけもなく、着弾と同時に大爆発。
茶道具どころか庭園を構成するお屋敷を巻き込む爆風が起こり、きゃあきゃあ喚くパレットが静かになった頃、そこはガレキの山になっていた。一体どーなってんだこの風景。幻とかじゃなかったのか。
【……千那ぁ……あんた……】
そして、わたしの渾身のやけっぱちを食らったヤツは、立ち込めた土埃の消えた後にお仁王様みたいな形相の顔をムクリと持ち上げ、わたしを睨み付ける。ちょっとまて、傷一つない、とはよく聞く慣用句だけれど、ほんとーに傷一つもつけられないっていくらなんでもプライドが傷つくんだけれどっ?!
「当たり前でしょっ!コルセアちゃんの力は全部暗素界のおかあさまに由来するんだから!!」
そうでした。
てことは、わたしはコイツに一切ダメージを与えられないわけで。
【……どうも、生まれたことを後悔するレベルのお仕置きが、必要なようねえ……】
生まれたことの後悔なんかさっきからしてるっつーの、という反論も通用しない剣幕で、マイマザーが迫る。あのあのあのお母さま……?その迫力はどちらで会得なさったので……?さながらラスボスのごとき……わひやっ?!
【ただでは殺してあげません!泣いて謝って、おかあさんごめんなさい、としおらしくなるまで折檻よッッッ!!】
冗談じゃねえっ!!
小さい子供のかわいいおイタでどーしてそこまで激昂すんだ大人げねえドラゴンねっ!!
「どうするの?」
『逃げるに決まってんでしょーが!!』
「逃げるって、どこに?」
『今から考えるッ!!』
どうすればいいのかなんて逃げながら考えればいい、とパレットのえり首掴んで駆け出すわたし。いや一応空飛べばいいんだと暗素界の闇の中に飛び込む。
ヤツが追いかけてこないか確認するために振り返ったら、きっちり追いかけて来たヤツの向こう側で幻影のように存在していたお茶会の舞台が、色が薄くなったかと思ったら消えてしまっていた。結局あれは何だったんだ。
【まぁちなさぁぁぁぁぁいぃぃぃぃ!!】
『知るかボケェェェェェ!!パレット、現界に出るわよ!』
「ええええっ?!」
わたしにぶら下げられていたパレットにそう怒鳴る。どうやって、とかそんなもんその気になればなんとかなる!だってわたしは暗素界の紅竜なのだからッッッ!!