第211話・帝都の空駆ける竜(怨讐と憎しみのウソとホント)
「えーと、つまりね?コルセアちゃんのケガが『無かったこと』にされたってことは、そのケガを負わせた原因も『無かったこと』にされたわけ」
『その理屈だとビデル殿下も『無かったこと』になっちゃわないの?なんでこんな都合良くいくのよ』
「そこは因果の枝分かれ、ってやつね。ビデル殿下はコルセアちゃんを傷つけたということが原因で、男爵令嬢に刺された。まあ原因、って言っていいかどうかは分かんないけど、ともかくコルセアちゃんを傷つけたから、刺された。おけ?」
『……続けなさいよ』
パレットの説明はイマイチ要領を得ない…てことはなく、なんか中学生の頃に、家に帰りたくなくて市立の図書館にこもって読んでいたSFのネタに通じないことも無かったから、わたしは問題ない。
問題なのは、わたしを愛して止まないお嬢さまと……ごめん、言い過ぎた。ネアスの次にわたしのことが大事なお嬢さまと、復活したビデル殿下にあーだこーだと世話を焼いてるマージェルおねーさんの方だ。
お嬢さまは、パレットの言ってる意味がよく分かんなくて、わたしにしきりに目配せをする。「わたくしにも分かるように説明なさい」と。いえあの、この場合「わたくしにも分かるように説明してくださる?」と言うべきなんじゃないだろうか。パレットに。
……でもバツが悪いというか、わたしが一応理解してる風なのに自分は分かってないっぽいのが面白くないんだろうなあ。つくづくめんどーなひとだ。
「つまりね」
……っていうお嬢さまの態度に、珍しく空気を読んだパレットがかいつまむ。
人差し指を立ててくるくる回し、考えこむような仕草をしばしした後で、言う。
「コルセアちゃんが刺された、という事実に強く導かれた結果が、ある閾を境に付随するワケよ。ことの重大さ、経過した時間によってね。で、コルセアちゃん刺される、ビデル殿下刺される、っていう事実の連続は、これかなーり強く導かれているからなのよね。何せ、コルセアちゃんはコロされるためにこの場所に来て実際に刺されてコロされて、そんでその結果によってビデル殿下もあのよーな目に遭ったわけだから。だからコルセアちゃんが刺されたという事実が『無かったことになる』とそれに強く導かれて閾を越えた事実も、同じように『無かったことになる』の。分かった?」
『わかった?じゃねーわよあんたわたしが刺されるとかコロされるとか何度言えば気が済むのよ恨みか恨みでもあるのかだったらわたしだってあんたには山盛り恨みあるわよこの際この場で晴らしてやるわえいえいえい』
「あん!あん!あん!」
浮かび上がって尻尾でパレットにぺしぺしと往復ビンタ。
まあ別に本気でやってるわけじゃないし、パレットも一発ごとにアンアン嬉しそうに悶えてるんだから別にいーでしょ。
「……その辺にしておきなさい」
そんなわたしとパレットのじゃれ合いが面白くないのか、嫉妬にかられたお嬢さまが止めに入る。
「違います。あなたたちに漫才させていたらいつまでも話が終わらないからですわよ。……さて、理屈としては分かりました。きっと死ぬまで理解は出来ないと思いますが。ただ、もう一つ気になるのは、コルセアにかけられた呪いとやらのことですわ。憎悪を以て竜を殺めることで、暗素界からの呪いが発動する……確かそのような話でしたわね」
「そうですね。アイナちゃんかしこい!」
「お世辞は結構。とにかく、呪いで恐ろしいことにならなかったということは、コルセアは死んでいないということなのでしょうか?」
「いいえ。コルセアちゃんは間違いなく死んだの。死んだように見えなかったのは、あくまでも暗素界の本体の力のおかげ……って、コルセアちゃんどしたの?めちゃくちゃ機嫌わるそーだけど」
『うっさい。いいから話進めなさい』
「おーこわ。で、以上の話を踏まえて導き出せる答えというとー……ハイ、マージェルさんどーぞ!」
「え、ええっ?!」
いきなり振られてあたふたするマージェルおねーさんである。
だけど、問いに答えたのはおねーさんではなく……。
「……暗素界の呪いが発動するもう一つの条件、憎悪を抱いて竜を害する、が満たされていなかったと、そういうことが言いたいのだな。怪しい娘よ」
「怪しくないですぅ。コルセアちゃんの親友にして嫁!のパレットですぅ」
『あんたまだそんなこと言ってんの。わたし女の子だっつってんでしょーが』
「女神と竜という時点で性別とかどうでもいいのでは?」
『………ま、それもそうね』
わたしがそう言ったのは、お嬢さまとネアスのことがあったからだけれど、何故か勘違いしたパレットは「と、とーとーあたしの愛がコルセアちゃんに通じた……っ」とかアホ言っていたので体よく無視する。
『元気になったよーですね、ビデル殿下。どーも。その節は大変痛かったです』
「皮肉を言うな、皮肉を」
苦笑、ではなく割とごーかいに笑いながら体を起こすビデル殿下。
召し物は相変わらず血に汚れていたけれど、ついさっきまで死んでいたとは思えない態度である。
そしてそれだけに、わたしを憎しみで殺したわけじゃない、っていう話も納得がいくのだ。
でもどうして?
この人は、青銅帝国に裏切られ滅ぼされた(と彼らは信じる)コラーダ侯国の恨みを晴らそうとしてたんじゃないの?帝国の貴族に飼われたわたしなんか、その血で帝国を滅ぼせると知ってなお憎悪を募らせる対象になるんじゃないの?
「不思議そうだな、紅の」
『ええまあ。暗素界の呪いが発動する程の憎悪をわたしに抱いているかどうかはともかく、今の殿下は帝国の臣民を全て溶岩で焼き尽くしてしまえ、とまで思っているようには見えないんで。何か心境の変化でも?』
「心境の変化、か……」
流石に生き返ったばかりだと何事にも難儀するのか、ビデル殿下は深く長いため息をついてしばし考え事をするかのように黙ると、やがてかけられた「あの……殿下?」というマージェルおねーさんの問いかけに、ようやく気がついたようにハッとした様子を見せると、心配するな、とおねーさんの頬をほとんど愛撫じみた仕草で一撫で。
そんな手付きが絵になるのもイケメンの特権だわ、と半ば呆れながら二人を見てると、視線に気がついたおねーさんは顔を赤らめ、膝つきながら殿下から後ずさってしまった。ざんねん。割と見ものだったんでもうしばらく眺めていたかったのに。
「……仮に心境の変化、とやらがあったとしたら、それは紅の。貴様がもたらしたものだと思うのだがな」
『わたし?』
はて。
と、首を捻ると、ビデル殿下は「ものわかりの悪い奴め」とむしろ楽しそうにわたしのことをじっと見つめていた。なんでしょ。何かあったとしたら、ここに来る前に呼び出されてさんざん煽られた時かしら。
そう思うところを述べると、殿下は頷いて言を続ける。
「あれは、一つの賭けだった。限界にうごめく人間の視点を超越した、暗素界の竜の目に、我らの復讐はどう映るのかという、な」
『はあ』
わたし、気の抜けた返事。
いやだって買いかぶりも過ぎるでしょーよ。人間の視点を超越した?えー、わたしもともと人間ですよ?それも俗物のカタマリもいーとこの。平和ボケした日本で更に自堕落な生活してた。
それが、歴史に残るよーな理由の憎悪に、正しさを諮られてたって?いやぁ……そのなんていうか……。
『……あの』
「それは違うと思いますよー?」
あんまり整理しきれてない状況で反駁しようとしたわたしを、パレットが制して自分から話し始めた。ちょっとー、と抗議しようとしたらわたしを見て小粋なウインク。あたしに任せとけ、とでも言いたいのか。紐パン女神のくせに生意気な、と苦笑いはしたけれど、何を言えばいいのかもよく分からなかったから結局任せることにする。
でもあんまり妙なこと言ってるとがぷりといくわよ、がぷり、と。
「……が、がんばりましゅ。……じゃなくて。えーとですね、その場に同席したあたしの見立てでは、あんまりコルセアちゃんの言ったことって殿下さんの決心とか決意にはあんまり影響与えてないんじゃないかな、って思うのです」
「ほう」
『……………』
「あの時の殿下さんは、ひどく苦しそうでした。長く積もり積もった怨念と、殿下さん自身の帝国への怨讐と、あとは自分を慕ってくれている人たちへの想いと。そんなものがいろいろごっちゃんごっちゃんになって、行き先は見えているのに本当にそれでいいのか、って信じ切れてなかったんだと思うのです」
「………何故そう思う?」
「なんでと言われてもそう見えた、としか。あと、そこで何故そう思うのか、なんて聞いてる時点でだいぶ認めちゃってますって。まるで違うというのであれば、きっと殿下さんの性格だと……まあ笑い飛ばしているでしょうしね」
「ふふ………」
「くく……なるほどな」
これはマージェルおねーさんと殿下の洩らした笑い。なるほど、割かしこの人も分かりやすい人なんだろうなあ。そういう意味では根っからの悪人じゃない……というか、悪人の素養は無いんだろう。うちのじーさまや伯爵さまと同類か。悪党なれど悪人ならず、って。
「それと、コルセアちゃんの呪いが発動しなかったんだから、それが一番の証拠ですよん。僅かにでもコルセアちゃんに絡む憎しみがあったのなら、間違いなく流れ出たのは血ではなく融けた岩石でしたでしょーしね」
『え。なに?あの、呪いの発動条件ってそんなに緩いの?わたしだけじゃなくて、わたしに関係した憎悪を抱いていたら、確実に発動するってくらい?』
「そおよぉ。だからほんとーに危機一髪だったんだからね?殿下さんがほんの僅かでも、コルセアちゃんを『こいつウゼェ』とでも思ってたらヤバかったんだから」
ぞぞぞぞぞぞっ。
わ、わたしこの事件始まって以来一番ゾッとしたわっ!!あ、あー……よかったぁ……何事もなくって……。
・・・・・
『さーて、あとは第二師団のクソ髭をいてこまして陛下を救えばこの騒動も一件落着よね!』
いろいろあってほぼ徹夜して、廃鉱を出た時は東の空も薄く明るくなる頃だった。
コラーダ侯国の残党とも目される、ビデル殿下の配下たちは大人しく降参……するかどうかは微妙なトコだったけど、殿下が懇切に説いたためか、殿下と身の振り方を同じくする、ということで納得したようだった。また忠誠心の高いことだ。
そして殿下自身は、というと、騒動の責任は自分にある、と、弟であり今は太子でもあるバッフェル殿下のもとに出頭し、その処分を待つことにするそうだ。
まあバッフェル殿下ならそう無茶な裁きはしないだろーし、ビデル殿下に付き従う旧コラーダ侯国の人たちのこともあるから、穏便に収めるだろーしね。ただ、弟のそんな性格を見越して旧コラーダ侯国の後始末を押しつけようとするのも、随分と狸な真似だとは思う。
マージェルおねーさんの実家であるクロッスス男爵家も、コラーダ侯国とは無縁じゃなかった。
陛下の側にいたのも、ビデル殿下の母君に向けられたものと同じく陛下の温情だったのだろう。
おねーさんの、陛下への忠誠は揺らぐことはないようだけれど、きっと男女間のアレなソレもあって、ビデル殿下に力を貸したんだろうなあ、というのはわたしの下世話な勘繰りってものだけれど。
「そのことだがな、紅竜よ」
『ほえ?なんでしょ』
先頭きって廃鉱を出て、おーきく伸びをしていたわたしの後ろからビデル殿下が声をかける。
振り返ると、薄明かりの中に難しそうな顔をしてる殿下の姿が浮かび上がってた。あ、なんかヤな予感。
「……第二師団の残存兵力が、全く掴めていないのだ。常備兵力は全兵科合わせて六百と公称されているが、対気砲術の術兵だけでも千人を超えるという噂もある」
はいイヤな予感てきちゅー。
なんでそんなことになってんですかっ!!
「国内外の在野の術者を密かに招集していた、と聞く。ブガトのやりようには手を焼いている、と言ったであろう?そのことも含めての話だ」
……ただの無能なラスボスかと思ったら、とんだ厄介者でやんの。やっぱあのクソ髭と髪全部むしって首から上に一本の毛も残らないようにしねーと気が済まないわっ!!
「俺が言えた義理ではないが、気をつけろ。それとマージ」
「はい、殿下」
すぐ後ろに控えていたおねーさんを呼ぶ。
「父の居場所については、最後まで共にいたお前が一番詳しいだろう。紅竜の力となってやれ」
「はい。紅竜殿。この身をあなたの盾として存分にお用いください」
『そんなこと言われて、ありがたくそうさせてもらいますねー、だなんて言えるわけないでしょ。まあ太子府の実戦向きな連中は扱いづらいから、そっち方面で役立ってもらうわ』
さて。
ついこないだまでドンパチやってたカルダナの方角に、日が昇る。
「ラインファメルの乙女たち」製作者の想像力が追いついていないのか、この世界の夜明けとか夕暮れは、地球のそれとあまり変わりない。
だからといってつまんないものでもなく、竜たるこの身にも朝日の眩しさと神々しさは不思議と奮い立つものをもたらす。
面倒は相変わらず残っているけれど、あとはわたしの大好きな「大騒ぎ」だけだ。
やることやって、全部決着つけて、お嬢さまとネアスのところに帰ろう。今のわたしの願いは、それだけだ。