第210話・帝都の空駆ける竜(わたしという人間/竜)
『はっ?ここはだれ?わたしはどこ?!』
これは定番のボケとちがう。なんか気がついた時点で時間と場所の概念がごっちゃになってその上更に自我の境界が曖昧になってもいたので、素で間違ったのだ。こんなことになったの、小学生の頃プチ家出して母親の財布からギッたお金で映画見て外に出てきた時に家の方向が分からなくなった時以来だわ………いや、これは正真正銘のボケだからね?
『……って、誰に言ってんのよ、わたし。つーかここホントに何処なの?時間もだいぶ経ったんだかついさっきのことなのか分かんないし。あ、そーいやアタマがゴチャついてるのも終わってるわね。てことはここはアレか。回想シーン、ってヤツか。いやほんっとワンパターンなんだから。主人公が気絶して目が覚めたと思ったら回想シーンでした、って何度やれば気が済むんだか』
なんかワケの分からん愚痴が出る。いー感じにテンパっているっぽい。
とりあえず立ち上がる。おお、なんだか視点が高い。もしかしてわたし成長して大っきくなったのかしら。いや暗素界にいるハズだしそういうものともちょっと違う……ん?なんだこの手は。視界に入った両手を曲げて見下ろすと、見慣れたウロコに覆われて短いながらも力強さを感じる、先っちょにかわいい爪の生えたわたしのお手々じゃなくなんとも頼りない、肌色の……ってこれ人間の腕だ。なんで?いや回想シーンならおかしかないか。てことはわたし、転生前の人間に戻ったってこと?戻ったっつーか、その頃を思い出してるってこと?主観時間だと数百年前だけども、実は八十五万回以上のループを繰り返してて一回平均百年としても実は八千万年の時を経ているハズ。ヘタすりゃ一億年経ってる。わーお、地球時間で一億年前というともしかしてまだ恐竜が生きてた時期?恐竜ならドラゴンと親戚みたいなもんじゃん。わーい現界じゃついぞ出会えなかった同族と邂逅のチャンスっ!って今わたし人間じゃーん。
………うん、そろそろ混乱止め。
まあなんだ。普通に人間なわけよ。今のわたし。
みんなとっくに忘れてると思うけど、わたしは茅梛千那という名前で日本でサラリーマンやってたのよね。OLよ、OL。総合職で就職したハズなのに時々プログラマの真似事もさせられてたちょおブラック企業よ。同じ給料でっ!あーもー、独学のプログラミングが趣味でーす、なんて言うんじゃなかったわ。いやそれはいい。
えーとな、わたしには折り合いの悪い母親がいたのよ。なんか、とにかくプライドばかり高い女でさ。
まあ、日本じゃあ超がつく一流の大学出てて、外資系の、給料はいいけど仕事は過酷な会社でバリバリ働いてさ。
言い寄る男なんかバカにしか見えなくて、このままじゃ死ぬまで一人だって一度絶望して、一念発起した結果が「子供の父親を金で買う」だよ?
遺伝子バンクとやらで手に入れた精子を使って人工授精して、そんでシングルでわたしを産んで、それだけで優秀な子供がほっといても育つと思ったんだろうね。
児相に通報されない程度には構われて育った子供は、思春期の頃には「一流の学校を成績優秀で卒業して金をいっぱい稼いでも、バカって治らないんだな」って母親に対して諦観してしまう、捻くれたガキんちょになってしまった、というわけよ。
だからさ、暗素界にやって来て、現界で紅い竜として名を馳せるわたしが出会った本体が、人間やってた頃の母親だった……なんてのは、とても深刻な話なんだよ。
そして、いつの間にか「わたし」という認識が竜になっていた。なっていた、というかもうこっちの方がずっと馴染みがある。
目の前には、きっと暗素界におけるわたしの本体。
こいつがいないと、わたしは現界にいられない。ムカつく。
『なんでよ』
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『なんであんたなのよ』
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『ワケ分かんない!わたしはあんたから逃げ出して、それで死んじゃって、死んだ先でも山盛り苦労して、そんでようやく、やっと……自分が自分でいられる場所を見つけたんだよっ?!なのに、なんで……あんたが………なのよっ!』
……?>VVB。@#“)9CN4JO!、!!
『うるさい!しゃべるな!わたしはもう一人でもいい!あんたに力を与えてもらうのなんか、真っ平ゴメンだ!二度とわたしに構うな!母親ヅラしてんじゃねーっ!あんたの助けなんか……いらないわよ!!』
助ける…?
この女が?わたしを?
助ける……つもりなのか?
いや待ってよ。わたし、失った力を取り戻す……んじゃなくって。
ええと…………ああ、そうそう。思い出した。揺動効果の時間軸作用の応用で、かつてあった自分の姿に遷移する……じゃないな、無かったことにする。そうそう、そんな感じ。
だから、この女は関係ないんだよ。
わたしは……暗素界にいるコイツとの時間と距離を繰って、ただそれだけで………いいハズなのに。
今、思考と情報はとてもシンプルだ。ついさっき、処理しきれないくらいに感覚をつぎ込まれてパンクしかけたことを思えば、今は入ってくるものをキチンと整理して必要なものだけを選択出来ている。
だから、「人間」としてのわたしには理解出来なくても、「紅竜」としてのわたしには理解出来る。この女の言葉と意志が。人間だった頃には何一つ分からなかったのに。そんなもの、今さら理解したって何の役にも立たないってのに。
主観で距離を測る。アイツとの。
時間と位置と、それらの長さが不思議と別のものではなく、統合された「感覚」として知覚出来る。なんだこれ。人間の感覚だと不思議なはずなのに、竜の体だと自然で当たり前で、意識することもないものとして認知出来てる……体?今、わたしに体があるんだろうか?上とか下とかなんかそういうものも無くって、自分の体を確かめようと腕を持ち上げてみたら、見えるものはやっぱり形と時間がごっちゃになったものだった。
ただ、わけは分かんないけれど不安とかは、無い。人間の知覚では暗闇としてしか周囲を捉えられないけれど、竜の目を通してみれば、闇にも情報がそこかしこにある、ということが分かる。まあ今のわたしは、情報の最終処理は人間の感覚だからいまいちピンとこない、のではあるけれど。
それにしても、暗素界、という名をつけた人間はもしかしたらこの感覚を味わったんだろうか。言い得て妙だわ……あーいやそうじゃない。この世界は乙女ゲー、「ラインファメルの乙女たち」の世界設定で作られた世界だ。確かに暗素界の設定はあったけれど、元々はゲームの世界設定で作られた……そんなものあったのかなあ。同人誌の設定資料集に、こんなことまで記載されていたんだろうか。
……分からない。
一つだけ分かるのは、あれこれ考えているわたしを見ているアイツは、どこかおっかなびっくり的に、距離を測りかねていることだ。
『……何が言いたいのよ。わたしはあんたの助けなんか要らない、ってゆってんじゃん。あんたとの距離だけ分かればそれで十分。それで、現界でわたしのケガが無かったことになるんだから』
?………g&;**:C~N…?
『……うっさいわね。あんただってわたしを利用しようとしてただけじゃん。だったらわたしだってあんたを利用するだけよ。切りたかったら切ればいい。今のわたしゃどーせあんたに逆らえない…………いや、そうじゃないわね。生まれてこの方ずぅっと、あんたには逆らえなかったんだわ。昔も。今も』
それからこの先もずっと。
アイツの気配がふと遠ざかったように思えたのは、わたしの方が背を向けたからだろう。
空間的にも時間的にも離れていく気配を、視覚に相当する感覚を除く全てで感じながら、わたしは辿ってきた道を引き返す。道、なんてものがあるとすれば、だけどさ。
・・・・・
『………おぁよぅごじゃます……』
噛んだ……っていうか、舌が良く回らない。あれ?
起き上がって首を巡らす。うむす、間違いなくさっき横になった、洞窟の中だ。パレットとお嬢さまが隣にひざまずいてこっちを見て……見てる……ケド、なんか……二人とも鼻息がヤバない?
『あ、あにお……おじょさま?』
「…………(ふんすっ!ふんすっ!)」
なんか身の危険を覚えて目を逸らす。
『ぱれと…?どしたにお……?』
「…………(ごふー!ごふー!)」
こっちは鼻息に加えて目が血走っていた。おい。何事だ。何があった。
怯えて後ずさったら、きっちりその分距離を詰められた。いやあの、なんか二人ともマジで怖いんだけど。ていうか一緒にいたマージェルおねーさんどこいった。助けて。いやむしろ助けろ。なんかヤバい。
……ってところで気がついた。なんか視点が、横になる前より低い。
視線を下に向けると、胸元に開いてた大穴はきっちり塞がっていた。よし、成功だ……けど、なんか違和感を覚える。具体的に言えば全体的に、一回り二回り体が小さくなったような……。
「コ、コルセア……」
『……ふゃい?』
「おうふっ?!………あ、ああ、あああ、あなあなあな……あなた、なんて……なんてことですの……」
『?』
「コルセアちゃん……」
『あにょ」
「くきゅぅんっ?!………あ、ああ、あああ、あざあざあざ……あざとすぎるっ!でもそこがイイッ!!」
『にゃんなにょろさっぴきゃらふきゃりともっ!!…………あ、もどりすぎたのか。失敗、失敗』
そう、ケガを負う前に戻ればいいのに、ちょっと戻りすぎて幼生の頃の姿になっていたのだった。多分、お嬢さまと出会った時より少し前のわたしの姿に。
なるほど、その懐かしさでお嬢さまは暴走してしまったのね。まあ写真とか無い世界だもんなあ。無理もないか………いや待て、その理屈だとパレットまでおかしくなる必要無いんじゃ?
「戻っちゃダメぇっ!」
「その通りですわ!この愛らしいコルセアの子供時代……ああ、可能ならこの姿のまま時を止めておきたい……」
…………。
なんなの二人とも。今のわたしの姿は気に食わないってか。
頭にきたので、立ち上がって背中を向けた。そんで「やめてぇっ!」「コルセアちゃん考え直すべきよっ!」とか寝言ゆってるアホ二人を背に、アレをちょいちょいとやって、ケガする直前の姿に戻った。
『…うん、やっぱりこーでないと!』
「あ、ああ………」
「なんてことを……」
いつもの姿になって振り返ると、二人とも両手と両膝を地面につけて慟哭してた。いーかげんにしなさい。ていうかこんな簡単に変身出来るってんなら、もっと早くやってれば良かった。
『さて、これでわたしは治ったわけなんだけど。これで何がどう変わるんだっけ?パレット』
「うう、いつも通りに戻っちゃった……このコルセアちゃんもかわいいけど。あ、そろそろかな?」
「そろそろ?何が始まるんですの?」
戻ってしまえばいつも通りな二人に軽くヒキつつも、パレットが指さした方を見る。
そこには、相変わらず横たえられたビデル殿下の遺体と、その手を握って泣きはらしてるマージェルおねーさんが……あれ?泣いてるというか……。
「……で、殿下……殿下……殿下ぁ………。本当に、本当にようございました…………っ」
その濡れた瞳の向けられた先には、薄目を開けて、顔色も取り戻しつつあったビデル殿下の横顔。
あれ……ホントに生き返った……んだ。でも、なんで?何が起こったの?
と、ぼーぜんとしてるわたしの肩をポンポンと叩く手。振り返ると、パレットがすんげードヤ顔でこちらを見ていた。そして、一言。
「説明しよう!……あいたぁっ?!」
うざっ。
わたしは黙ってその手に噛みついた。