第204話・帝都の空駆ける竜(痴話げんかなんて他人に見せるもんじゃない)
注意を促す伯爵も殿下もじーさまも、それから制止するネアスも振り払ってわたしはやってきた。
『だってお嬢さまの行方について伝えられることがある、って話なんだよっ!ネアスはお嬢さまを早く助けたいと思わないの?!』
後から考えると結構ひどいこと言ったような気がする。でも頭に血が上っていたわたしは、その言葉がネアスを黙らせてしまうものだということには全然思いが至らず、帝都の旧市街の上空でこうして後悔にまみれているのだった。
「後悔するくらいなら、今からでも戻って謝ったら?すっきりしないうちにこんなことしても危なっかしいと思うんだけど」
そんなこと言われても、ビデル皇子とお嬢さまの繋がりを知ってないとあの内容の手紙は書けないと思うんだ。それを知ってるとなると、真偽はともかく接触を図ってきてる相手が何か事情を知っていることに違いは無い。ビデル殿下かどうかは別としても。
だから投げ込まれた文が匂わせるように、お嬢さまの居場所を教えてくれるものでなくても、事態を動かす切っ掛けになるんじゃないか……ってやってきたわけなんだけど。
「ねー、コルセアちゃん。せめて夜になってから入った方がよくない?あたしが言うのもなんだけど、旧市街って物騒なんじゃないかなあ」
『物騒なんだったら夜の方がよっぽどでしょ。それに陛下の救出の方もやらなくちゃいけないんだから、こっち急いで片付けるわよ。いい?』
「やっぱり焦りすぎなんじゃないかなあ……」
パレットは不安を隠さない曇った顔のまま、地面に降りていくわたしの少し上からついてきた。
まったく。あんた一応は女神を名乗ってるんだから何があるのかくらい予知とか出来ないの?……って聞いたら、無茶苦茶言うなと憤慨してたケド。何のためについてきたんだか、この子もさあ。
「コルセアちゃんが無茶しないように、よ。アイナちゃんのことになると見境なくすでしょ」
『ネアスのことでも割とそーなるけど』
「……あたしのことは?」
『さ、あそこが待ち合わせの場所よ。いきましょ』
「ごまかしたぁっ!」
うっさいな。実際こんなとこでゴチャゴチャ騒いでいられねーってのよ。別に連れてきたつもりもないのにいつの間にかついてきてて後ろで喚いてるパレットをほっといて、あばら屋と解体済みの中間みたいな建物?の扉らしきものを開ける。
仮にも青銅帝国の第二皇子からの呼び出しに使うにはあんまりじゃないの?と思ったけれど、意外にも中に入ると広くはないものの、ちゃんとした身分の人が住むのにも差し支え無さそうな……いやむしろ、別荘?とでも呼べそうな、こぢんまりとした小綺麗な空間がそこにはあった。外側は薄汚れたレンガや木の板なのに、中に入ると明るい石造りとかどーなっての、この建物。
『なにこれ』
「うわー、きれー。コルセアちゃんのお部屋より整頓されてるんじゃない?」
『……言っとくけどわたしこのナリだから掃除とか出来ないだけで、本来きれい好きなんだからね』
「メイドさんに掃除任せっきりじゃなければ説得力あるけれどね。一歩間違えると汚部屋手前よ?」
『う……』
ま、まあ気分良く寝てた時にだきついてヨダレまみれになった毛布とか、ちょっと人に見せるのはアレなものも散らばってるけどさあ……その毛布をくんくんして頬ずりしてたのあんたじゃなかったっけ?あれは流石に引いたわ……いやそんなことはどうでもよくてだな。
『い、今はわたしの部屋のことなんかどーでもいいんだってば。それより灯りもついてるんだから誰かいるとは思うんだけど……ごめんくださぁい』
「それはちょっと呑気過ぎない?」
といはいっても、正しく育ったニッポン人としては人の居ない家に勝手に踏み込もうなんて気にもならんのよ。取り次ぎの人でもおらんのかな。広くはなさそうだし、誰かいるんなら声が届いていると思うんだけども。
もう一回呼ばわって何も返事がなかったら、いちおーことわった上で家捜しさせてもらおーか、と決意して再びヒソヒソ声で来意を告げる。
『こーんにーちわー』
「なんで声を潜めるの?」
『そりゃ一応呼びましたけど返事が無かったので勝手に上がりましたという態を調えるために…じゃない。だって誰か寝てたとして、大声あげて起こしたら気の毒でしょ?』
「むしろ起こした方がいいんじゃないの?誰か来ましたよー、って教えないと」
『なぁんで侵入しよーって側がわざわざ起こしてやんなきゃなんな……あわわ』
「……やっぱ止めといた方がいいんじゃない?ろくでもないことになる予感しかしないよ、コルセアちゃん」
そんなこと言われても今さら……と、反論しようとした時だった。
「その必要はない、紅竜よ」
広くはないけれど、一応ホールの態が調っている玄関から登っていく階段の上で、何度か出会った時の印象が大分薄れた一人の人物が、こちらを見下ろしていた。
薄れた?……うん、以前はもう少し自信たっぷりで、他者を睥睨するようなところもあったけれど、精力的な面立ちだったような気がするんだけれど……だいぶくたびれた感じがするなあ、ビデル殿下。
「久しいな。我が招請に応じての来訪、真に嬉しく思う」
供も連れず、身だしなみこそ皇族にとって最低限の威厳を備える程度には調えてあったけれど、他に人のいる気配もない家の中、階段を降りてきてわたしの前で立ち止まった第二皇子は、わたしの背中に隠れるパレットを一瞥すると深いため息をついていた。
『……なんかだいぶお疲れのよーですね。もう悪いことなんかやめて降伏しません?たぶん、うちの殿下も悪いようにはしないと思いますよ。ただ第二師団のヒゲだけは首の上に生えてるモン全部毟ってやりますけど。わたしが』
実は完全に本気でそう言ったのだけれど、ビデル殿下は冗談だと思ったのかカラカラと声を立てて笑っていた。大分陰のある笑顔で。自分の正しさを信じてどんな道をも邁進する英邁な青年のそれじゃなく、昏い激情に身を窶して冷たい炎に身を焼かれる復讐者のそれでもなく、ただ単に年齢と立場に不相応な、疲れた笑顔だった。
「くくく、男爵の専横には俺も手を焼いていたからな。その際はよろしく伝えてくれ」
『そーゆーのはご自身でやった方がいいと思います。ていうか今は別行動なんですか?』
「さあな」
いや、さあな、も何もあなたがた同志だったのでは?まあもともと利益尽くの関係でしかなかったみたいだし、一緒にいなくても不思議じゃないけどさ。ただ、それでお嬢さまや陛下の処遇が変わってくるんでは話が違う。
「……ねえねえ、コルセアちゃん」
だからここが交渉の肝心なところ……と内心で舌なめずりしたわたしの肩をパレットが叩いて言ってた。
『あによ。これから大事な話するんだから、つまんないことゆってたら剥くわよ』
「それはまた二人っきりの時にお願いするとしてぇ、アイナちゃんと皇帝さん、この建物の中にはいないみたいだけど」
『え?』
振り返っていた首を巡らして、もう一度ビデル殿下の顔を凝視する。
無表情、と言えば無表情。かといってその奥に何も感情が無い、という風ではなさそうだったけれど……。
『そうなんですか?』
重ねてそう問うたら、そこでは流石に口の端をピクリと震わせて、驚いた様子は見せていた。
それでパレットの言葉が事実なのだとわたしは知ることに……
「……貴様はそこの女とどういう関係なのだ?先ほどから妙な雰囲気を出しているのだが」
……なると思ったら、ずぇんぜん別のことが気になってるようだった。
ていうかどういう関係、とか言われても。まさかトカゲに懸想する獣姦趣味の変態百合っ娘です、とか本当のことを言うわけにもいかず、何かを期待して鼻息荒くしてるパレットの体重を背中に感じながら、わたしはこう言った。
『これは通りすがりの紐パン女ですわたしとは一切関係ありませぇ……あだだだだっ?!』
「こうなるの分かってて言う?そういうこと言う?!コルセアちゃんのばかぁっ!!」
『ひたいひたい!なんかおりょうふぁまとひふぁってひゃれにひゃらないふらいひふぁいはらかんへんひへぇっ!!』
半分涙目のパレットに口の端をみょーんと引っ張られてもふぁもふぁ言ってるわたしを見つめるビデル殿下の目付きは、冷たいものだったか生ぬるいものだったか。どっちにしても、これからマジメな展開になるだろーに、こんなことでいーのだろうか。